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http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20091005/186345/?P=1
2009年10月6日
鳩山首相は9月22日の国連気候変動サミットで「日本の温室効果ガスの排出量を2020年までに25%削減(1990年比)を目指す」と演説し、世界を驚かせた。一方のオバマ大統領は、「地球温暖化は米国の最優先課題であり、行動の決意がある」と述べたものの、具体的な数値目標については触れなかった。両者を比べると、具体的な数値を挙げた鳩山首相に軍配が上がったと言えるだろう。
温室効果ガスの25%削減に確固たる信念を持って当たれ
しかし、鳩山首相の掲げた「25%削減」という目標には、国内から批判の声が上がっている。「目標を達成するには、国内産業に与える影響が大きい」「国内企業の工場の海外シフトがますます進む」と、産業界への大きな負担と影響を懸念しているのだ。また経済界の中には、この目標を甘くとらえている節も散見できる。25%という挑戦的な数字はあくまで努力目標であり、達成できなくとも、この値に近づけば評価されるのではないか、と考えているわけだ。
わたしはそういう懸念や甘い考えは否定したい。仮にも日本国の首相が「25%削減」と宣言したのだから、「死んでもその目標を達成する」という確固たる信念を持って当たらなければいけない。それは産業界、経済界も同じだ。御手洗経団連会長もこれについてはいろいろ文句を言っているが、わたしは「黙りなさい」と言いたい。この25%という数値は、国民が選挙で選んだ民主党の党首が決めた目標である。国家が決めた数値だ。決して軽いものではない。
かの有名なアポロ計画のことを思い出していただきたい。1961年、米国のケネディ大統領が人類を月に送る計画を発表した。そのとき米国国民は反対しただろうか。「月に到達する技術なんてあるのですか?」「産業界はどうなるのですか?」「税金の無駄遣いでは?」と不満を述べただろうか。米国は着々とそのための準備を進め、1969年に月面到着を実現させた。国家が決めたことを、国を挙げて実現したのだ。従来の大陸間弾道ミサイルの技術をいくら伸ばしても到底人間を月に送ることはできない。月面に軟着陸し、無事に地球に戻ってくる、ということは人類を月に送る、という目標を立てない限り不可能なのである。また、そうした目標は国家のトップが決める以外に意味がないのである。
【無理と思われる目標をクリアしてこそ技術が進歩する】
もっと身近な例で説明しよう。自動車の排ガス規制に関して、米国のマスキー法という法案がある。これは1970年、マスキー上院議員が提案した法案で、基準を満たさない自動車の販売を認めないという厳しいものだった。当時、自動車の街と呼ばれたデトロイトでは反対の声が上がり、大きな物議を醸した。
このマスキー法は後になって日本でも適用された。当時、トヨタや日産をはじめ、日本の財界がこぞって廃案にしようとしたものだ。米国に自動車を輸出しているため、マスキー法をクリアしなければならなかったのだが、「技術的に無理」「産業への影響が大きい」と反対していたのだ。
ところが、この実現不可能と言われた基準を、なんとホンダがクリアしてしまった。ホンダはそれまで二輪車を主に手がけていた。わずかに小さなスポーツカーを扱ってはいたが、主流は二輪車だった。そのホンダが、CVCCエンジンという新しいコンセプトのエンジンを開発して、マスキー法をクリアしてしまった。
それは、ちょうどトヨタや日産が国会で「なぜこの基準が達成不可能か」ということを説明しているころだった。そんなときにホンダが「はい、私たちはその達成不可能な基準を達成しました」と名乗り出たのだから、トヨタや日産は大恥をかいてしまったのである。それでこの議論には決着がついた。
私が強調したいのは、それ以後のことだ。ホンダがマスキー法をクリアしてから日本の自動車産業が勢いづき、日本の排ガス規制技術が大きく進歩した。そしてアメリカで最も厳しい規制を設けていたカリフォルニアで大きな地歩を築くことができた。クリーンエネルギー、クリーンエンジンとして、日本の技術が世界中から注目、尊敬されるようになったのはこれがきっかけであった。もしトヨタや日産の反対で頓挫していたら、このようにはなっていなかっただろう。無理だという目標に挑み、クリアしたホンダがいたからこそ、世界から評価される日本の技術が育ったのだ。
【温室効果ガス削減を迂回する逃げ道を作るな】
今回の温室効果ガス25%削減という数値も、マスキー法と同じである。「無理だ」と言って反対ばかりして先に進まないのであれば将来はない。鳩山首相は「嫌だったら俺を殺せ」というくらいの決意で望むべきだし、産業界、経済界もそれを実現するための手段を模索しなくてはいけない。国も、そのために必要な開発予算を付けるべきだ。実現するためのハードルを明らかにし、それをクリアするための手段を考えることを最優先しなくてはいけない。そしてそれをアジェンダに載せていく。温室効果ガス削減に関しては、世界の中でもっとも高い目標を実現しうる立場にあるのが日本なのだから。
それより先に考えなくてはいけないのは京都議定書だ。1997年に議決した京都議定書は、2008年から2012年の期間中に温室効果ガス6種類の合計排出量を削減するように定めている。日本はマイナス6%(1990年比)を実現できなかった場合は、ペナルティーを受けることになる。
しかし、マイナス6%が実現できない理由は何もない。極端に言えば、エネルギー消費量を半分にすればいいだけのことだ。強行すれば、工場を海外に移転する企業も出てくるだろう。しかし、逃げ場をカットすればいい。仮に海外に工場移転したとしても、そこで排出された温室効果ガスもカウントの対象とするのだ。こういう逃げ場をカットすることは、自動車の排ガス規制のときも行った。
こう言うと、「日本だけそんな厳しいルールを設けたら、自動車産業の競争力がなくなって他国に負けてしまう」と反対する人が出てくる。しかし、マスキー法のときも同じ批判はあったのだ。ところがホンダの技術開発一つで決着し、他の自動車メーカーも触媒などを使ってクリアすることになったではないか。
だからわたしは、国の指導者は「日本にとって一番重要なことはこれだ」という指針を出すことが大事なのだと考えている。それを決めたら多少の犠牲を払っても予算を付けて、実現に向けて傾斜していく必要がある。良いアイデアを持ってくる人がいれば予算を付ける必要があるし、そのアイデアは国内だけでなく海外から求めてもいい。常識論だけを振り回していたら、技術の進歩はないし、むろん温室効果ガスの25%削減など実現できない。
【世界に存在感を示した日本の新しいリーダー】
今回の宣言で鳩山首相は、国際社会で株を上げたわけだが、それはウォールストリートジャーナル紙のアジア版を見てもわかる。国連の演説で注目された3人のうちの1人として鳩山首相を取り上げているのだ。もっともニューヨークでの演説に関しては、内容は悪くはなかったが、お世辞にも感動するというものではなかった。中学生が作文を読むような平板なトーンで、しかも声も高音で「どっしり感」がなかった。振付師もいなかったらしく、作文にドラマがなかった。しかし、わたしはそれでいいと考えている。英語でスピーチしたうえに、官僚が書いた作文など読み上げずに自分の言葉で話していた。就任して一週間後、ということは誰も理解していたわけだから、おそらくかなりの好感を持たれたのではないか、と私は想像している。
何より日本の首相がこれだけの存在感を示せたのは久しぶりである。おそらく中曽根元首相以来のことではないかと思われる。「今までの日本のリーダーはチンタラしている印象が強かったが、今回のリーダーはひと味違う」と思わせることにまずは成功した、と言えるだろう。
逆に恥ずかしい思いをしたのは、オバマ大統領だ。ニューヨークで開催された今回の気候変動サミットは、自国が旗振り役であったにもかかわらず、具体的な数値目標を掲げることができなかった。国際社会の目には「非常にだらしがない」と映ったはずだ。
一方、変化が感じられたのは中国だ。これまでの中国は「規制は先進国がやるべきだ。途上国に同じことを求めるな。先進国も、発展途上にあったときは温室効果ガスをバンバン排出していたではないか。自分たちの成長を阻害するな」と、議論の外にいたのである。インドもしかりである。ところが今回の気候変動サミットにおける中国は「温室効果ガス削減に向けて、我々も一緒に努力する」と宣言したのだ。これは長足の進歩である。
【自衛隊給油活動の代替案でも、民主党の独自方針が光った】
もう一つ、鳩山首相の功績を伝えたい。インド洋での自衛隊による給油活動は来年1月で任期切れになるが、鳩山首相はその活動を単純延長することは考えていないという認識を示した。それは以前から民主党が宣言していたことであるが、政権をとってもなお、その考えに変わりないことをアメリカに伝えたのだ。その代わり日本の支援策として、アフガニスタンに対する職業訓練や農業指導などを検討していることを強調した。
この方針は、わたしから見てもパーフェクトである。小泉時代以降の自民党政権だったら、軍事的な支援を続けていただろう。仮に給油活動をやめたとしても、今度は自衛隊をアフガニスタンに送ることになっていたに違いない。それが自民党の古典的なやり方だ。
ところが民主党政権は、その路線を変えた。日本に向いている職業訓練や農業指導でアフガニスタンに貢献したいという考えを示したのである。国民も納得しているだろう。これについては以前からマニフェストに入れていたことではあるし、民主党は給油派遣にも反対していた。それに自分たちの政権になったらやめると表明していたのだから、この考えのまま進めるのがいい。
給油活動中止には米国が黙っていないだろうとの懸念もあるだろうが、実際には民主党が政権をとった以上、こうなることは米国も織り込み済みだ。それが民意だ、ということだから、アメリカも横車を押すつもりなら相当な覚悟がいることを知るべきである。日米関係に国民の総意を反映した健全な緊張が走ることは良いことである。アメリカは湾岸戦争のときもイラク侵攻のときもヨーロッパの主要国とかなりギクシャクしている。しかし、基本的な信頼関係までは失われていない。大統領によって言うことがまるで違ってくるアメリカの言うことすべてに服従する必要はない。鳩山首相には、お互いに率直に意見が言えてこそ強い同盟関係が維持される、という信念を持ち続けてもらいたい。
【鳩山首相はコペンハーゲンに行くべきではなかった】
鳩山首相の海外での滑り出しは好調、と書いてきたわけだが、苦言も一言。私は石原都知事がなんと言ってもコペンハーゲンには行くべきではない、と主張してきた。石原慎太郎さんの性格から推し量れば、東京が落ちた場合の言い訳のひとつを人質にとられることになると恐れたからだ。なにしろ「東京のプレゼンテーションは圧倒的に良かった。敗れたのは何か計り知れない大きな力が働いたとしか考えられない」というくらい反省のない人物である。
オリンピックのいきさつについてはまた別な機会に譲るとして、鳩山さんの演説は国連へのデビューに比べていただけなかった。難しい構文の英語を変なところで切って読むものだから主旨をフォローするのが難しかった。あの程度なら、ブラジルのルーラ大統領のように母国語でもっとドラマチックに語り、ネイティブに近い英語力を持った人に訳してもらった方がよかった。もちろんそれ以下のレベルの石原さんの英語も、聞くに堪えなかった。つまり英語と言うのはロジックがはっきりしている必要があり、なぜオリンピックで環境が重要なのか、なぜ同じ都市で約50年後に再びやる意義があるのか、などに関してIOC委員が「なるほど」と思う説明が入っていなくてはならなかった。
「出来が最高」という自己評価自体が「KY」であることが日本の代表団には共有されていなかった。マスコミもオリンピック利権を牛耳る大手広告代理店に押さえられて、反対意見を言う人や、東京には勝ち目がない、という事前の情報を伝えることすらできなかった。だから、敗れてみれば、「どうしてなのか不思議だ!」と叫ぶしかない。
海外のメディアで東京が選ばれる、と伝えていたところは皆無だったので、日本、および日本のメディアの恐ろしさを知る上でもこのことはさらに分析されて良い。もっとも、シカゴ出身のミシェル夫人に引っ張り出されたオバマ大統領は鳩山さんよりももっと気合が入っていなかった。彼の演説のうまさは歴代大統領の中でも五指に入るくらいである。IOC委員たちも大いに期待し、なぜシカゴなのか?を聞こうとしていたに違いない。
しかし、アメリカはできる、やればできる、是非来てください!の連呼では説得力ゼロである。シカゴが最初に落とされたのは、委員たちのガッカリ感の表れ、と私は見た。ビリ争いではあるが、ここでも国連に続いて鳩山さんに軍配、というわけにはいかない。呼ばれても、準備もメッセージもないのにふらふら出て行く余裕など、いまの日本にはないはずだからである。
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