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http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20091007/187102/?nn
「ネットではどう?」に答える「ネットではこうです」が成立するのか やはり「ネットではどう?」と聞かれるのはツライ。にもかかわず、雑談のなかで急に矛先を向けられ、戸惑ってしまう機会が、このところ増えている。話題は「新政権の支持率」から、「高速道路無料化」や「支払い猶予制度」などまで、いわゆる「ネットの多数意見や傾向はどうなの?」ということなのだろう。 もちろん相手は同業者ではない。発注先の役員クラスや商店街の重鎮など、皆さん人生の先輩である。おそらく「ちょっと聞いてみよう」程度の軽い気持ちだろうし、それで剣呑(けんのん)になるような類の話題でもない。 しかし、真剣に考えるとこれが難問である。いくらなんでも、ネットの隅々まで詳しく読んでいるわけではない。そのうえ、Web屋風情にとって「ネットではどう?」は悩ましすぎる問いかけである。 だから「紺屋の白袴でして」とかわし(?)、「まぁいろいろ意見があるようです」とゴマかしてきた。もちろん、さまざまな調査やアンケートがネットで行われている。しかし、その結果を「ネットではこうです」といいきる自信がないから困ってしまう。 ところが、それで終わらない。「鳩山内閣の支持率、ネットでは低いらしいけど」的につづく。どうやら、相手は「ネットでは支持率が低いらしい」と思いながら、「Web屋にも聞いてみるか」といったところなのだろう。この傾向は多くなっている。ほかの話題でも「反対が多いらしいけど」などと、「いろいろあります」では簡単に許してくれない。 これには窮地(?)に追いこまれてしまう。もっとも、顔と顔をあわせての会話は、よくしたもので相手が配慮してくれる。「そうかもしれませんね」と御都合主義的な答をすると、「この話題にはのってこないな」と話題が変わり、「Web屋の癖に」と評判は落とすが、それはそれで乗りきれてしまう。 ただ、数多く似たような体験をすると疑問がふくらんでくる。そもそも「ネットではどう?」に対応できる「ネットではこうです」が成立するのか── これが難しい。たしかに「ネット調査」の結果や、ブログランキングの上位あるいは掲示板で支持を集める意見が、ほぼ「ネットの多数意見や傾向」という考え方もある。 たとえば、「ネットではどう?」と聞かれた会社や商店街の若手が、それらを見て「ネットでは鳩山内閣の支持率が低い」と答えたという推測は成りたつ。だから、役員や重鎮も「ネットでは低いらしい」となったのかもしれない。 しかし、それが正確に実状を反映した「ネットの多数意見や傾向」なのか、どうしても首をかしげてしまう。まして、それを「ネット世論」とする根拠も不透明である。もともと「ネット世論」という発想が、実体のない幻想なのかもしれない。少なくとも「ネット世論」がビヒモスのような怪物になって、ひとり歩きする前に、冷静に考える必要がありそうだ(ビヒモスは旧約聖書にある恐怖の支配をする怪物です)。 アンケート=「世論調査」と思いこむと「ネット世論」の幻想はひろがる とはいえ、すでに「ネット世論」は、ビヒモスになりつつあるのかもしれない。具体的には「ネット世論調査、鳩山内閣の支持率は25.3%(参照:INTERNET Watch 9月18日)」がある。タイトルだけ目にすると、あたかも「ネット世論調査」が行われ、その結果が25.3%のように思えてしまう。 いうまでもなく、調査データも公開されている(内閣支持率調査 2009/9/17 ニコ割アンケート)。新聞などのいわゆる「世論調査」では、鳩山内閣の支持率が約60%〜70%だったのに比べれば、あきらかに違う結果だろう。 だからといって「調査方法がいいかげん」とか「運営会社は政治家のウンヌン」とはしない。理由は単純明快で「確証を至る客観的事実」がないからである。しかし、この調査結果が「ネットの多数意見や傾向」とも思えないし、この調査結果をもって「ネットでは鳩山内閣の支持率が低い」とするのも早計だろう。 なぜなら、新聞などの「世論調査」とこの調査は、まったく異なるからである。したがって、結果の数値だけを比較しても意味はない。 新聞などの「世論調査」は、母集団の設定やサンプリングなど統計的な手法を用いるという。対してこの調査は「動画視聴中の利用者にアンケートを表示する『ニコ割アンケート』を用いて、17日23時から約200秒間実施。5万8168件の回答を得た(INTERNET Watch 同上)」とある。 正確にいえば、「支持率25.3%」は「動画を視ている約6万人に聞きました」のアンケート結果だろう。その意味では、よく見かける「あなたはどう思いますか?」的なアンケートと変わりない。対象も約6万人で「ネットの多数意見や傾向」とするには無理がある。 それを「ネット世論調査」とすると、いかにも「ネット世論は支持率25.3%」のように思いこんでしまう。約6万人のアンケートが「ネット世論」という怪物ビヒモスになり、結局ひとり歩きしていく。 アンケートの結果が「多数意見や傾向」に化ける傾向は多い。「女中高生『新政権支持しない』が『6割以上』若者は民主に期待せず?(Jcastニュース 9月21日)」も、データは「女子中高生の意識調査『民主党政権に何を期待する?』女子中高生1,021人の意識調査結果(ビジュアルワークス ケータイマーケティング・ラボ)」である。 ニュースのタイトルだけの印象では、女子中高生の傾向と思えてしまう。しかし調査結果を見れば、1021人のアンケート結果である。個人的には「どうやって女子中高生に回答者を限定できたのか」に興味があるが、少なくともニュースとして伝えるならばタイトルに、「女子中高生1021人」のデータは欠かせない。 アンケートはアクセスしたユーザの意見という条件をともなう。それを忘れ結果を「多数意見や傾向」と思いこむと「ネット世論」の幻想はひろがる。 あるべき姿は「百花繚乱」で「ネット世論」は「見果てぬ夢」なのか しかもブログである。ブログや掲示板に書きこまれているメッセージや情報は、参加者あるいは主催者の自由な意志に基づく。基本的には、企業組織や団体のように指示によって、情報を発信しているわけではないと思われる(基本的にはですので念の為)。 そう考えれば、ブログや掲示板に書きこまれたメッセージが共感をひろげ、一定の「ネット世論」的なものになっていく可能性もないわけでない。したがって、「ネットではどう?」と聞かれれば、ブログや掲示板を見るのも当然だろう。また、ブログランキングの上位にあれば、それだけ支持されるメッセージや情報が載っていると想像するのも自然である。 ところが、政治や鳩山内閣などに関わる「政治ブログランキング」での上位ブログを実際に読んでみると判断に苦しむ。読み手によって違うかもしれないが、似たような立場を主張するブログが多い。「魔法のロボットプログラム」でランキングを押しあげてはいないなら、それが「ネットではどう?」の回答となる。しかし、丹念に読んでみると奇妙な感覚にとらわれてしまう。 たしかに、主張が明快なことは間違いない。なかには「主観的事実では?」と思う内容もあるが、個人の考え方なので「それもアリ」である。また、太平洋戦争中の新聞で使われていたような用語(?)も多いが、ネットでの政治的な主張では珍しくない。「そこがオモシロイ」という感想を持つ読み手もいるだろう。 しかし、共通しているのは、主張ばかりが残り共感まで到達しない点である。「なるほど」と考えさせ「そうかもしれない」と説得させるのではなく、主張で迫り「同意」させる印象が強い。表現は悪いが「プロパガンダ」の一種のような気さえしてくる。 対極にある立場のブログなどを読んでも、この傾向は少なくはない。もちろん、どの立場であろうと、読み手を説得しようとするメッセージや情報はあるだろう。しかし、「ネットではどう?」と探していくと、「同意」を迫るものにばかりに突きあたる。 けっして「だから問題」というわけではない。ブログや掲示板のメッセージや情報が自由な意志によって書かれている限り、それがネットである。個人的にも先鋭で迫力ある主張を、共感や「同意」ぬきで「オモシロイ」と思うこともないわけではない。 ただ、「同意」を迫るだけで「ネット世論」につながるだろうか。実際に可能かどうかは別として、「同意」を迫り「多数意見や傾向」が成立し「ネット世論」としても、それは再び「同意」を迫るスパイラルに陥る。そうなると、もはや「ネット世論」は幻想の域から抜けでて、ビヒモスとなってしまう。 現実にはありえないが、「ネット世論」が成りたつとしたら、ユーザの多くが納得し共感する必要がある。ネットが自由な発言を保証している限り、あるべき姿は「百花繚乱」で、「ネット世論」は「見果てぬ夢」なのかもしれない。 「ネット世論」よりも自由な発言と意見交換で共感をひろげる価値を ところが、なぜか「世論」にこだわる傾向がある。統計的な手法をによるとされる新聞などの「世論調査」も、調査した新聞そのものが「内閣支持率 ○%」と数値に大騒ぎしたあげく、「世論は見はなした」的な言説をつかう。内閣支持率のわずかな動きで、「危険水域に入ってます」と解説するテレビの評論家もいる。 個人的には「内閣支持率が10%や20%違っても」だが、「10%も減った(増えた)」と感じる方々のほうが多数派かもしれない。そうなると「ネット世論」がどうなのか気になるのも理解はできる。 しかし、ネットは匿名で自由に発言できるという特性を持つ。要するに、どこの誰かを特定されることなく、なんでも自由に発言できるわけだ。そこに「ネット世論」を持ちこんでも、行きつく先は多い少ないだけのことである。 企業や団体のしがらみから解放された自由な発言にとって、「ネットの多数意見や傾向」という発想は意味をなさない。共感や疑問などとの意見交換がひろがることが、書き手にとっても読み手にとっても、その発言の価値である。賛成の多い発言だけが意義があるわけでもなく、その逆もない。 ところが、アンケートを「ネット世論調査」としてしまう発想には、なんとなく「内閣支持率○%」と大騒ぎするマスコミと似たものを感じてしまう。特定のサービスのアンケートでの内閣支持率に、それほどの意味があるとは思いにくい。結局のところ「ほら、こんなに少ない(多い)」だけである。 あるいは、ひたすら「同意」を迫るような主張も、やはり多い少ないにとらわれているような気がする。自由な主張は共感をひろげてこそ意味があるが、それは「同意」による支持とイコールではないだろう。 もちろん、きわめて現実を投影しやすい内閣支持というテーマだけに、多い少ないに目が向くのもわかる。あるいは、「同意」を迫り支持を拡大しようとする気持ちも理解できなくもない。ネットが現実社会から切りはなされているわけはないので、そうなるのも自然だろう。 ただ、ネットには、自由に発言でき意見交換ができる特性がある。それを忘れては、政治に関わるブログも掲示板も「プロパガンダ」の場になってしまいかねない。それぞれの立場で主張すべきところは主張すべきである。しかし、ネットだからこそ、自由な発言と意見交換で共感をひろげるところにも目を向けるべきだろう。 あまりにも、「多数意見や傾向」にこだわりつづけると、結局、「ネット世論」が黄門様の印籠となって「ネット世論が許さない」という発言が飛びかうかもしれない。そのとき「ネット世論」がビヒモスとして牙をむき、自由な発言さえも支配する──それが杞憂(きゆう)であることを願っている。
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