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[1373]副島先生の 「 [1368] 私たちは、世界の大勢 に逆らったらいけないのである」 投稿者:高橋元(はじめ)投稿日:2009/10/09(Fri) 01:14:43
重掲への副島先生の 「 [1368] 私たちは、世界の大勢 に逆らったらいけないのである」に対して感想を投稿させていただきます。
過去、先生には私の稚拙な質問に対して懇切丁寧なご返信をいただいたことが2度有ります。しかし重掲への投稿は初めてです。
私は会員番号3715番の高橋元(はじめ)と申します。約23年ほど遊学と仕事の関係で中国におります。いまは中小企業の現地責任者として広東省深セン市の規模150名ほどの工場へ駐在しております。靖国神社の終世奉賛会員です。熱海の興亜観音へは奉賛会員にはなっておりませっが、時間が許すかぎりお参りするという心情の者です。昭和41年生まれです。
「親愛中国」氏の投稿が直前にありましたが、下記私の書くところは反感をよぶよう思えます。私は為にする議論ではなくそういう方々と意見の交換をしたいと思っております。そういう御志のある方は学問道場の方へ私のメールアドレスをお問い合わせになって、メールをお寄せいただければうれしいです。
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さて、副島先生の仰るように昭和天皇のおおみこころは、所謂A級戦犯の靖国神社への合祀にご反対だったのでしょうか。
昭和天皇は東条大将へのご信任が厚かったといろいろな本に書いてあります。A級に限ってではないでしょうが戦犯として処刑された方々を憶われておよみになったおおみ歌もありました。(資料が見当たらず引用できないのが残念です)
終戦のご詔勅に下記のようにあります。
「朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ開放ニ協力セル諸連邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス 帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク 且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ」
戦場の露と消えた英霊に対し昭和天皇は「五内爲ニ裂ク」とまで仰せられているのです。その先帝陛下が14名の「A級戦犯」に対して特別の嫌悪のご感情をお持ちであったでしょうか。
私のこの投稿文の論旨は、先帝陛下のおおみこころは副島先生の仰るところとはちがうところにあったのではないかということのみにあり、現代の政治のことに関しては、評論する知識はまったくありません。ですが、終戦のご詔勅に話が及びましたので贅言を加えるならば、先生がお書きになった「世界の大勢、我れ(ら)に利あらず。今は、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、世界の大勢に従う」を終戦のご詔勅とし、それを引用されて「私たちは、世界の大勢 に逆らったらいけないのである」と標題されています。このことについての私の感想はこの分の末尾に書いて」あります。仰せのご趣旨はよくわかります。ただカッコつきで引用としてお書きになるのは実際とことなるのではないかと思います。
この部分のご詔勅は下記の通りです。
「曩ニ米英二國ニ宣戰スル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス 然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海將兵ノ勇戰 朕カ百僚有司ノ勵薗スカ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス 世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯クノ如クムハ朕何ヲ似テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ~霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムニ至レル所以ナリ」
「世界の大勢、我れ(ら)に利あらず」は、私が愚考するに、日本の同盟国たるドイツ、イタリアはとうに降参し、一部政府の要路が終戦の仲介を冀うたソ連は日ソ不可侵条約を踏みにじって満州を侵略するような世界情勢に当たっては、我が国には他に道がないという解釈ではないでしょうか。
さらに、「我れ(ら)に利あらず」以下、「今は、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、世界の大勢に従う」と詔勅にあったと先生は仰っていますが、「我れ(ら)に利あらず」からかの有名な「耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで」に続くには中に約350字がはさまっております。「難きを耐え、忍び難きを忍んで、世界の大勢に従う」とは、かなりの飛躍で、耐えがたきを耐えて世界の大勢に従うのではなく、今後の日本の国難は尋常ではないだろうが、耐えがたきを耐えて「時運の赴くところ」(いまはどうしようもないので)」、それを耐えしのんで終戦を迎えざるを得ないのであると言う意味ではなかと考えます。
趣旨からそれました。あの戦争の国内外を問わず、あまたの被害に終世宸襟を悩ませつづけられた昭和天皇が、「A級戦犯」を心底お嫌いになって、合祀後その内なる抵抗として御親拝をお辞めになったというのは、陛下のご宏量を思うと、にわかには首肯することができないです。よしんば、ご心底にはそういうお気持ちがおありになったとしても、14柱の「A級戦犯」のために、昭和になってからのみで230万余柱の英霊が鎮まる靖国神社に参られないということがあるとは思えません。
『日本の真実』に収録されている副島先生の「ザ.カルト.オブ.ヤスクニ」を拝読いたしました。裏側の動きに呆然とするしかありません。
靖国に鎮まる英霊はそういう政治的な駆け引きから離れた場所で安らかにお眠りいただきたいと思います。
昭和天皇は戦後靖国神社へ8回御親拝されています。最後の一回は昭和50年11月21日です。
昭和50年には、三木首相が総理大臣として初めて8月15日に参拝しました。しかしこの時に三木首相は「私人として参拝した」と記者のインタビューに答えてしまいました。これ以後、現在に至るまで公人か私人かなどというバカげた問答が繰り返されています。
三木以降の首相の任期中の参拝は三木3回、福田4回、大平3回、鈴木8回、中曽根10回となっています。中曽根首相は公人として参拝したかったためか、昭和57年「閣僚の靖国神参拝問題に関する懇談会」、通称「靖国懇」を組織して識者に検討を依頼、結果問題なしということになりました。これを受けて終戦40年の節目の昭和60年8月15日に公人としての参拝をしました。これ以降、中国が靖国参拝を非難するようになった。それは、これより3年前の昭和57年に「教科書検定誤報事件が生じた際、から騒ぎを利用して十分に外交上の得点を稼いだ。宮沢官房長官談話として、今後日本の義務教育教科書編纂検定に際しては近隣諸国の国民感情に配慮するという政府約束をとりつけた」 たことが発端です。昭和60年8月15日の中曽根首相の公式参拝に際しても「中国側は3年前の棚から牡丹餅式の外交得点を思い出したのであろう。靖国神社には戦争犯罪人が祀られており、それに総理が参拝することは、中国侵略の責任者の霊を英雄扱いするものだ、それは中国人の国民感情を気づつけるとの、新たなる強請の口実をひねり出したわけである」(『靖国神社と日本人』小堀桂一郎著、PHP新書) ということだと思います。
昭和53年の「戦犯」合祀以来だけでも公人私人ということは抜きにして、毎年総理大臣が靖国神社へ参拝しています。その時には中国からの抗議は何一つなかったということです。中国もまさか、戦没者を追悼する施設にその国を代表する者が参拝したことを批判して、それが受け入れられようとは夢にもおもわなったのではないでしょうか。
これ以降、靖国神社がかまびすしい雑音の中に投げ込まれたのです。
私は昭和天皇が御親拝を止められたのは、「A級戦犯」の靖国神社への合祀に反対されたためではなく、ただそういう政治的なややこしい問題が存在するようになったからではないかと思います。昭和天皇は政治的なご発言をすることを極端なくらいに戒めておられたようです。政治どころか贔屓の関取の名前すらお明しにならなかった。ご自分の健康法を聞かれても特別にはないとお答えになった。本当はなにかをなされているようなのだが、それが国民に伝わってその結果がわるい方へ出るのを慮られてのことだろうという。そういうお心づかいをされる方だったようです。私は昭和天皇が御親拝を止められたのは、そういう政治的なややこしい問題が存在するようになったからではないかと思います。
閣僚の参拝は、それをすることで国益を損ずるという副島先生のご考察ですが、参拝者がただ国のために亡くなった方の慰霊のみを願って参拝を続ければ、いつかは、それが当たり前になって、諸外国も認めざるを得ないようになるのではないかと望みます。それは、大あまの、おめでたい考に過ぎないでしょうか。
国益のために「私たちは、世界の大勢 に逆らったらいけないのである」、日本は米中という大帝国の属国としていかして損をせずにどう生き抜いて行くかを考えるためには靖国の参拝などという些事に拘泥してはならないという議論、これにもそうかもしれないなーあと言う気がしなくもありません。理性としては、そう考えて納得すべきかもしれませんが、感情としては、非常に難しいものがあります。ドイツやイタリヤの為政者は第二次大戦で戦没した追悼施設へ参らないのでしょうか。これは反問ではなく私が知らないためにお聞きしております。先生のご投稿を読んで憂鬱になり、勇を鼓して駄文を書き、しかしやはり、このどうしようもなさそうな課題を考え書き終えて、さらに憂鬱な気分になっております。
〔臭うぞう〜〕
この投稿者は、昭和天皇が靖国参拝を止めた理由の真意を一番突いているのではないだろうか。
対する副島隆彦の言論は、独善(一人合点の)の積み重ねたものを「副島隆彦は、日本の筆頭の政治思想家」だという名において言い張る。この男の昭和天皇ヨーゴの「仕方」は体制側のそれになっていると言っていい。
この男がこの問題を語るバックボーンにはアメリカによって刷り込まれた「東京裁判史観=日本悪玉論」があるのは明らか。それをレトリックで気づきにくいよう工夫しているが。
次の本もお薦め。
・「天皇の玉音放送] (単行本) 小森 陽一 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AE%E7%8E%89%E9%9F%B3%E6%94%BE%E9%80%81-%E5%B0%8F%E6%A3%AE-%E9%99%BD%E4%B8%80/dp/4772703942
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