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[民主主義の危機」「情報の非対称性」に寄生するゴロツキ・マスゴミの品性下劣な狡猾さ
<注記0>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20091001
<注記>
当内容は、[2009-09-28toxandoriaの日記/自民暴政の遺産「八ッ場ダム」と「マスゴミ」のトポロジー/「現にどうあるか」でなく「今、過去と未来がどう見えるか」の問題、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090928]の核心部分を抽出し、新たな視点と情報を加えて書いたものである。
【画像0】
topologyのイメージ2
[f:id:toxandoria:20091001143652j:image]・・・この画像はウイキメディアより。
ウイーンの風景(2009.3.23、撮影)
[f:id:toxandoria:20091001143653j:image]
[f:id:toxandoria:20091001143654j:image]
[プロローグ]
田口 晃・著『ウイーン、都市の近代』(岩波新書)から転載・・・カミーロ・ジッテ「広場の造形、1889」の言葉より
・・・今日では公共の出来事は、古代のギリシア・ローマのように広場の柱廊で書記が公布する代わりに、新聞が伝えてくれる。・・・市場は広場から遠ざかり、水道設備によって水が直接台所に届くようになり、庶民の生活はますます公共の広場と疎遠になった。・・・道と広場はあらゆる方向に拡大し、高くなった建物の果てしなく続く窓を単調なモチーフが飾る。鈍くなった感受性は特別に強力な刺激からしか印象を受けなくなった。
・・・・・・・・・
「情報の非対称性」は下の「三つの格差」の次元で発生している。
(1)官民格差・・・官僚による「文章経国主義」(もんじょうけいこくしゅぎ)の曲解で作られた「情報の非対称性」
(2)ストック経済格差・・・主に世襲による階層格差社会で上流・下流の間に生ずる「情報の非対称性」
(3)フロー経済格差・・・完全競争(市場原理主義、新自由主義)の幻想がもたらす「情報の非対称性」
・・・なお、「情報の非対称性」の詳細な論点については下記(◆1)を参照乞う。また、なぜ「官僚機構と一体化した自民長期政権とマスゴミの“阿吽・癒着談合体”」が、敢えてこの「情報の非対称性」の維持に拘泥してきたのか、またマスゴミが、何故にその“阿吽・癒着談合体の特権的構造(記者クラブ制度)”を死守しようとするのか、の論点については下記(◆2)を参照乞う。
・・・また、この問題意識の深層にあるマスゴミの本心(ホンネ)が漏れた出来事として、下の事例(◆3)はシッカリ記憶にとどめるべきである。それは決して産経新聞だけの特異な問題ではない。これを氷山の一角とみれば、その下には、官僚機構と一体化(官僚機構の下請化)してきた、官僚・行政機構とマスゴミの間の“阿吽・癒着談合体”の巨大に醜く肥大化した<脂肪肝状態の病巣>が潜んでいるのだ。
◆1 2006-03-15toxandoriの日記/日本の「格差社会の拡大」を助長する「情報の非対象性」の問題、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060315
◆2 2005-10-27 toxandoriaの日記/三たび断念された「共謀罪」の深層にあるものは何か、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20051027
◆3 「民主党さんの思うとおりにはさせないぜ」――産経新聞、Twitter上での「軽率な発言」を謝罪、http://news.livedoor.com/article/detail/4325750/
[“八ツ場ダム”に象徴される「三つの格差」を煽った自民長期政権「暴政」、その守護神役を務めたゴロツキ・マスゴミの罪]
将基面貴巳・著『政治診断学への招待/政治症候学としての暴政理論』(講談社選書メチエ/p186-195)から、「暴政」なるものの特徴を抽出し、列記すると以下のとおりである。
(1) 政治社会内部において内部分裂を惹起する
・・・正当な理由なしで有力者を失脚させる、同じく賢人を追放する、そうすることで彼らが、「暴政」の実態を暴き、民衆を動員した「暴政」打倒の動きを未然に封印する。現代で言えば、有望な政治家や有力者の唐突な変死事件、正体不明の勢力による謀略的なスキャンダル暴露や風聞の仕掛けなど。または、中立・公正な立場の学者・知識人や有能で真剣なジャーナリスト、あるいは教育現場への排斥・圧力・弾圧などの横行。
(2) 市民生活を低下させ、市民とその財産を濫用(搾取、浪費)する
・・・「暴政」は、社会を格差拡大で分断し腐敗・混乱させることでその命脈を保つ。それは、社会を構成する集団の間に意図的に対立関係をつくり社会全体の市民共和制的な意味での連帯を困難にする。物質的にも、市民生活を可能な限り貧しい状態にする。そうすれば、過半の市民は日々の糧の入手で忙殺され、「暴政」を批判するゆとりがなくなる。さらに、過酷な経済競争(限られたパイの争奪競争、過剰な市場原理主義による弱肉強食状態)や戦争を引き起こせば一層「暴政」の効果が大きくなる。
<注記>
(1)、(2)は14世紀前半に活躍したローマ法学者バルトルス・サッソフェラート(Bartolus de Saxoferrato/1313‐57/近代国際私法理論の淵源たるローマ法大全への注釈で名高く、それは18世紀まで全ヨーロッパの共通遺産としての地位を保った/バルトルスのローマ法・注釈は、公・私法のさまざまな分野で北イタリアの市民生活に効果的解決をもたらし、1544年にはパドバ大学にバルトルスについての講座がおかれ、ヨーロッパ中の大学がこれに倣った。バルトルスは、北イタリアの市民共和制(コムーネ/comune)的な価値観がヨーロッパ中で共有されるルートを提供したと考えられる(参照 ⇒ http://www.yushodo.co.jp/ypc/y06064/no2.html)。
(3)ある政治体の“体液”の均衡が崩れると富の一極集中が起こり、その国の政治はモンスター(暴政)と化す
・・・ここでいう“体液”を“富の流れ”(現代風に言えば、経済活動で創造された付加価値分配の流れ)に読み替えれば、新自由主義思想と市場原理主義が我が世の春を謳歌し、強欲(ハイエナ)資本主義が跋扈する現代世界にそのまま当て嵌まる。
<注記>
(3)は、14世紀の哲学者・天文学者ニコール・オレーム(Nicole Oresme/ca.1323-1382/ アリストテレスの著書をフランス語に訳したことなどで知られる/参照 ⇒http://www.medieviste.org/scr1/archives/000380.htmlが著書『貨幣論』で分析した「暴政」の特徴。
将基面貴巳氏がここで指摘する「暴政」の特徴を概観して驚くのは、これら“暴政の徴候”が自民党政権時代の日本の社会状況、特に「小泉政権〜安倍政権〜福田政権〜麻生政権」下の惨憺たる社会状況(暴政の悪影響)にピタリと重なることである。なぜ、そうなったかについては、もはや多言は必要とするまい。ただ、留意すべきは、いま漸く民主党への政権交代が実現したからといって、即、その“クサレ自民党”型の「暴政」がもたらした悪徳の流れが止まった訳ではなく、止まる訳でもないということだ。
それどころか、自民党政権時代に噴出した「暴政」の汚泥でドス黒く染まった地下水脈の奔流は、その激しくオドロオドロしい勢いを増すばかりであり、それへの厳しい批判を怠けてきたマスメディアは、政権交代後の自らの本来の役割に怖じけついたのかどうかは知らぬが、今や見当違いと心得違いの、というよりも「暴政」の継続を願う一派の謀略への加担ではないかと見紛うほど低劣な報道や主張を垂れ流すばかりだ。そして、その典型事例の一つが「八ッ場ダム」問題についての「読売・社説」(下記▼)である。
▼(9月24日付・読売社説)八ッ場ダム中止 民主党の公約至上主義には無理がある、http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20090923-OYT1T00946.htm
残念ながら、「八ツ場ダム」に限らずダム問題についての専門的・技術的知識あるいは詳細な諸データをtoxandoriaは持ち合わせていない。しかし、常識に照らして.見て、これは“オカシイぞ!”と思われる点は幾つも湧き上がってくるので、代表的なものを列挙してみる。
●予算規模・完成時期・進捗率など
●ダム建設の影響(効果、環境問題、ニーズの変化など)
●関係する住民意志の所在
まず「予算規模・完成時期・進捗率」などであるが、総事業費4600億円のうち70%に相当する3200億円を既に投入し(ダム本体の工事が計画策定の1986年から23年経過で・・・)、それにもかかわらず関連工事が10%程度しか終わっていないというのは、諸般の事情があるとしても余りに杜撰過ぎる。しかも、工事進捗率については30%とのデマが“公表”と称して堂々と流れているようだ。
また、2010年度(平成22年度)の完成時期とされているが、既に総事業費が当初見積2110億円の2.1倍であることからすれば、また他のダム工事での竣工遅れの実績から推し量ると、更に2倍以上の総事業費に膨れ上がる可能性が大きい。まさに“恐るべき怪物”の如きムダ遣いのダム計画ではないか。
因みに、下記ブログ▲のデータによると、「当初見積→最終事業総額」の倍率が次のように驚くべき大きさ(15.8倍、10.6倍)となったケースがあるうえ、倍率2.0〜2.1は見積もり誤差が少ない方だというのだからビックリ仰天である。前原・国土交通相が“暴走機関車”という表現を使っていたが、“暴走”どころか、これはまるでナチス政権が掲げて突っ走った到底実現不可能な『生存圏(Lebensraum)』拡大というヒトラーの“狂気”そのものではないか。
▲読売新聞はもはや寿命を終えたか(A Tree of Ease)、http://luxemburg.blog112.fc2.com/blog-entry-146.html
八ツ場ダム(群馬/2.1倍/2110 → 4600) 大滝ダム(奈良/15.8倍/230 → 3640)
徳山ダム(岐阜/10.6倍/330 → 3500) 川辺川ダム(熊本/7.5倍/350 → 2650)
滝川ダム(埼玉/3.8倍/610 → 2320) 湯西川ダム(栃木/2.0倍/880 → 1840)
志津見ダム(島根/2.1倍/660 → 1450) ・・・単位:億円・・・
「ダム建設の影響(効果、環境問題、ニーズの変化など)」で最も気がかりなのは、時代の変化にともなうダム効果の陳腐化ということもあるが、「八ツ場ダム」による深刻な環境破壊の問題である。下記ブログ★によると、もともと「八ツ場ダム」の事業地域にあたる草津温泉上流の水質は強酸性なので飲用などには適さない。
★八ッ場ダム、とめどなく溢れる思考停止報道(保坂展人のどこどこ日記)、http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/7eaba4bbf3409d6bf7151d9501304ff2
このため、「品木ダム」(参照、http://www.ktr.mlit.go.jp/sinaki/)という“中和工場”目的のダムが完成している。しかも、首都圏の飲用利水のニーズがなくなったため、治水目的だけで、このような“環境破壊”と見なすべき中和工場関連の作業がエンドレスで続き、そのためにも税金の投入がエンドレスで行われている。
この深さ40メートルの「品木ダム」にはヘドロ状の中和生成物と土砂が溜まり7〜8メートルの水深となるので、そこに石炭浚渫船を浮かべ1日あたり60トンの土砂とヘドロを浚渫して、それを毎日のように“美しい自然が残る山中”へダンプで運び捨てている。おそらく、このエンドレスの“環境破壊”と”税金ムダ遣い“の作業は治水面での逆効果と山地・自然環境の破壊(動植物生態系のバランス撹乱)に留まらず、永いタイムスパンで見れば日本周辺の海洋生態系への悪影響も想像される。まさに、これは「環境破壊版・バベルの塔」づくりではないか?
また「関係する住民意志の所在」についても、我われ部外者には真相が殆ど分からない。ここ1週間ほどのテレビ・新聞などが報じるところでは、前原・国土交通相の「八ツ場ダム」建設中止宣言で地元住民が大いに困窮していると報じているが、果たしてプラスとマイナスの実状はどうなのか? 一部ではヤラセ的な怪しい動きまでもが伝わっている。小泉劇場時代のヤラセ・タウンミーティングの再現だけは御免を蒙りたい。無論、悲惨な生贄が奉られるような事態は避けるべきだが、中立的・合理的で冷静なメディアの報道が求められる。
ともかくも、「八ツ場ダム」に限らず、ダム建設問題の背後には「自民党による“暴政遺産”の連山」が透けて見えていることは間違いがない。しかも、この「自民党による“暴政遺産”の連山」は、国土交通省に限らず他省管轄の殆ど全ての分野に拡がっている。例えば、原子力行政の分野では「推進機関と規制機関の分離の問題」ということがある。
この原子力行政にかかわる「分離の問題」は世界の常識となっていることだが、日本だけが「原子力安全条約(1996発効)」加盟国(参照、http://www.houko.com/00/05/H08/011.HTM)の中で実現できない恥ずべき状態にある。いま「尼崎脱線事故関連で、元委員がJR西日本の社長へ事故調査報告案を漏らしたこと」が明るみに出て大騒ぎだが(これは民間絡みの問題とはいえ・・・)、これなども原子力の「推進機関と規制機関の分離の問題」の不徹底と根は同じである(関連参照、下記◆)。
◆尼崎脱線:事故調報告案漏らす 元委員がJR西の前社長に、http://mainichi.jp/select/today/news/20090925k0000e040069000c.html?link_id=RTH01
◆事故調部会長にも接触 JR西、会社ぐるみか、http://www.47news.jp/CN/200909/CN2009092601000824.html
◆事故調漏えい:委員との面会、JR西の事故対策室が指示、http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090927k0000m040111000c.html
日本人好みの馴れ合い体質といえば、それまでだが、日本の「行政・官僚絡みの監査・評価システム」では“ドロボー役と警官(又は検察)役が交替しつつ仲良く共演する”という異常さが根付いているのだ。これは、将基面貴巳氏も指摘していない、“世界の中で余りにも特異な日本の暴政の姿”であるのだろうか? しかも、なぜ日本はこうなってしまったのか? 昔から「親方日の丸」という重宝なコトバがあるが、果たしてそれだけが原因なのか?
しかしながら、これはどうやら必ずしも日本だけの特殊性ということではなさそうだ。かつて、アリストテレスは「暴政」の下では、ご機嫌取りのため市民へ様々な娯楽や見世物(“パンとサーカス”はローマの風刺詩人の言葉だが、将基面氏によればアリストテレスが既に似たことを記していたらしい)が提供されることを指摘している。例えば、ムッソリーニによるファシズム政権下のイタリアでは、娯楽に興じる「おセレブな社交クラブ」への参加が国家によって奨励された。
この傾向が高じると市民の道徳レベルが劣化して、市民の方から政治権力(国家)に対し何らかの“饗応”を強く求めるようになる。その結果、かように忌まわしい暴政が蔓延る国では、理想や偉大なものを求める意識が希薄化して、国民一般の意識が矮小・低劣化し、遂には権力者の意のままに動くよう洗脳された愚かな国民(小泉・竹中らが好む言い方にすれば“B層”?)が増えてくる。そして、現代日本では、相も変わらず、民放テレビがこの忌むべき役割にセッセと勤しんでいる。
実は、直近の記事(下記▼1)で取り上げた小泉某4世の如き『世襲シロアリor寄生虫議員』が増殖する問題(下記▼2)も、「八ツ場ダム」に限らぬ『ダム建設による膨大なエンドレスの税金無駄遣い』の問題も、その病根は同じである。漸く政権交代を果たしたとはいえ、今は未だ、この「国民意識と倫理感の劣化により、権力者の意のままに動くよう洗脳された国民(特定の地域住民ら)が異常繁殖する」という恐るべき病状が日本中に蔓延っているのだ。
▼1 メディア・イベント優先、重要動向カットの報道は民主主義の敵、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090922
▼2 懲りない“世襲シロアリ寄生議員のブログ”=衆院初当選(政治)より食べ歩きの日々、http://gendai.net/?m=view&c=010&no=22730、http://blog.goo.ne.jp/akiko_019/e/7a8668e41eb8fc601aa54ebc4b5691ff
(参考資料)
■マスコミが「記者クラブ制度」から受けている「金銭的な便宜供与の資産額」の概要
・・・これは「記者クラブ、http://d.hatena.ne.jp/keyword/%b5%ad%bc%d4%a5%af%a5%e9%a5%d6」より部分転載したもの・・・
加盟クラブ数 / 什器備品類/賃料・人件費など / 資産総額
読売新聞
475 / 25,967,472 / 529,124,297 / 555,091,769
朝日新聞
471 / 25,943,994 / 524,895,858 / 550,339,652
毎日新聞
456 / 24,905,489 / 512,700,244 / 537,605,733
産経新聞
319 / 17,457,879 / 332,222,864 / 349,680,743
共同通信
245 / 13,876,604 / 385,676,705 / 399,553,309
時事通信
237 / 13,002,340 / 281,312,528 / 249,314,868
日本経済新聞
224 / 12,546,967 / 365,303,029 / 377,849,996
・・・記者クラブの会員記者には、取材される側から手厚い接待を受けるケースがある。たとえば、1992年から1994年までの三年間にマスコミ接待に使った税金の額は、東京都が6,783,212円、富山県が4,653,706円、東京都中央区が3,999,555円。東京都の交際費約2000万円の多くを記者の接待に使い、議会が終わったあとなど年に四回程度宴席をもうけていたとの証言もある。
・・・現在、政府や公共団体などから便宜供与を受けているメディア組織としての「記者クラブ」が存在する国は、世界中で日本国とジンバブエの二カ国であるとの説がある。
(出展:「新聞が面白くない理由」岩瀬達哉/記者クラブアンケート調査1995年、回収率66%)
(記者クラブ制度で永田町(霞が関)文学の下請機関と化したマスコミの堕落)
今、民放テレビを中心に「永田町(霞が関)文学」なる不可解なギョウカイ用語が持て囃されている。なんでも、民主党が対決する日本官僚組織の“秘伝の宝刀”らしく、その流れの奥には、9世紀から続く日本官僚主義の淵源であった「文章経国主義(もんじょうけいこくしゅぎ)」があるようだ。
更に、この「文章経国主義」のルーツは曹丕(中国・魏朝(220年 - 265年)の初代皇帝、曹操の子)の著書『論典』に現れる“文章は経国の大業にして、不朽の盛事なり”で、それが9世紀頃の日本に伝わり、当時の律令制度下における官僚への学芸(漢詩文など)の勧めに繋がったものだ。これを現代風(西欧文化風)に言えばリベラル・アーツ、つまり、官僚らに対する「一般教養の修養による人間理解」の勧めということになる。
いわば、このように麗しい伝統文化が次第に曲解され「政治家と官僚の馴れ合いの道具」(人間理解ならぬ、善良な一般国民騙しのための屁理屈で使う駄文マニュアル)と化したものが「永田町(霞が関)文学」と理解できる。
従って、我われは、民主党の「次官会議廃止の方針」に合わせ9月16日付で辞任した漆間官房副長官(西松・小沢秘書事件で“捜査は自民党に及ばぬ”と宣った人物/9月14日、最後の次官会議で辞任)が、『国家・国民の利益にならぬことがあれば閣僚に対し厳しく物申すことも必要だ、次官会議がなくなっても別の形での横の連携づくりが必要だ』と述べ、民主党政権に対し<恫喝的な余韻>を残したことをシッカリ記憶にとどめるべきだ。
つまり、彼ら高級官僚のホンネ部分には、自らこそ最優秀な日本のエリート支配者だという自負心とともに“自らの立場を守るためなら、国民主権や人権などは二の次とし、自分たち高級官僚は何時でも両刃の剣へ変身するゾ!”という傲慢に満ちた自信が隠れていると見るべきだ。もっとも、それこそが彼らの<至福の生き甲斐>なのかも知れぬが・・・。
ともかくも、このように「“曲解された”文章経国主義」(永田町or霞が関文学)が有効である限り、ジャーナリズム活動と一般国民の厳しい監視の目が弱体化すれば、再び“新たな形での裏官僚組織連合”が、“文字通り”の“ウラ世界”をも巻き込んだ形で、国民一般が支持する民主党政権に対し“政治資金、下半身” スキャンダル絡みの圧力&恫喝攻勢を仕掛けるなどは朝飯前のシゴトと考えられる。
また、どれほど民主的に選ばれても、いささかでも周囲からの監視が弱まれば、その時の政権が腐敗し本来の民主主義に背くようになるのは、残念ながらこの世の真理である。従って、常に“より良い社会を目指す”という只一点をジャーナリズムと国民一般が共有できぬ限り、日本の民主主義には未来がない。マスコミに限らず、我われ一般国民も、“自らの立場を守るためなら両刃の剣へ変身するゾ!”という高級官僚らの隠れた傲慢さ(ホンネ)とともに、先に述べた意味での“政治世界の真理”を、ひと時といえども忘れるべきではない。
よりプラグマティックに考えれば、せっかく高級官僚は“自他ともに認めるほど優秀なエリートたち”なのだから、“何時でも両刃の剣と化すゾ!”と政治権力側を恫喝できる彼らの「傲慢で優秀な能力」を上手く活かしつつ、彼らの才能と技能を十二分に国家と国民のため“こき使い、使いこなすために必要な『もう一つ上の次元の知恵』こそが求められているのではないか。
そこで、必要となるのが、「倫理観」と「現用記録文書」を最重視することなどをも含めた市民と行政・官僚との間の「人権にかかわる基本契約」を日本社会に定着させ、一般の日本人(=日本の市民社会)が、このようなことも含意する「人権意識にかかわる強い連帯感を共有するという最低限度の条件づくり」であり、その事例は「欧州人権条約」などに見られる(参照、下記★)。
★欧州人権条約、http://kotobank.jp/word/%E6%AC%A7%E5%B7%9E%E4%BA%BA%E6%A8%A9%E6%9D%A1%E7%B4%84
特に、ジャーナリズムを名乗りその仕事を自負するマスメディア関係者は、トポロジックで柔軟かつ破壊的な発想力を身につけるとともに、一般市民の「真剣さ(dignity)と慎み深さ(decent)」をこそ自らの自画像を映す鏡として、このような意味での「人権にかかわる契約意識」の条件づくりに全能力を捧げることで、マスゴミの汚名を晴らすよう努めるべきである。
(逃げるな!マスゴミ/マスメディアに期待されるトポロジー的・創造的破壊の役割)
結局のところ、このように低劣極まりないレベルまで劣化した国民意識を改革するには、“柔らかい幾何学”とも呼ばれる“新しい位相幾何学”的な意味での柔軟な発想転換が必要だ。言い換えればトポロジー的な「創造的破壊」(Creative Deconstruction/オーストリアの経済学者シュンペーターによって唱えられた考え方、新旧のアーキテクチャが新陳代謝的に交替することによる活力創造のメカニズム)に似たショック療法が必要となる。さもなければ、国民一般の心の中に<これからがどう“見える”かの視点で深く自省しつつ、新たな方向へ向かって行動する意志>を燃え立たせることなどは望むべくもないのだ。
そして、厳正中立で客観的立場を守りつつ新時代の活力創造を期して、そのトポロジー的な意味での柔軟かつ創発的パワーを「ペンの力」で実現するのが本来のマスメディアの役割である。ただ、そのように柔軟な発想力と創造的破壊力の可能性をジャーナリズムが秘めているとしても、“ジャーナリズム自身に“本来の中立・公正で地道な努力を積む意志”が存在しなければ、過半の一般国民が、現にどう“ある”かに身を任す受け身から脱出し、過去と現在を深く自省しながら、これから先はどう“見える”かという視点と主体的意志を帯びた本物の世界市民へ変身することなどは到底期待できそうもない。
従って、 旧自民党政権への未練を窺わせるばかりかナチス・ゲッペルス風の扇情プロパガンダをすら連想させる読売新聞の謀略論的社説(◆1)、あるいは、旧来の“記者クラブ制擁護論をヒタスラ墨守する思考退嬰型ジャーナリストの主張”(◆2)の如き甚だしいアナクロ・ジャーナリズムが跋扈する現状は嘆かわしい限りだ。
◆1 八ッ場ダム中止 民主党の公約至上主義には無理がある(9月24日付・読売社説)、http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20090923-OYT1T00946.htm(再掲)
◆2 記者クラブ制度批判は完全な誤りだ(花岡信昭・時評コラム)、http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090924/183116/
また、日本新聞界の雄を自負する朝日新聞も相変わらず自民党“小さな政府派”への気配りからか「ネオリベ・市場原理主義」の片棒担ぎに精を出している。例えば、2009.9.21『Globe、No.24』に年俸1億円の竹中平蔵パソナ会長(元経済財政担当相、慶応大教授)を登場させ“民主党は完全民営化を先送りし小泉・竹中改革が逆回転し始めた、まるで社会主義経済だ!”と、あたかも「オバマの公的医療保険プラン」を批判するサラ・ペイリンの如き“アジテート口調”で語らせ、これぞ斬新な紙面づくり『Globe』の第一歩!と“したり顔”だが、これも嘆かわしいことだ。
ならば、リーマン・ショック後の金融破綻で、暴走したウオール街が恥も外聞も捨てて米国政府へ巨額公的資金投入を懇願したのは何なのだ? これでは自民党の暴政をチャッカリ個人的に金蔓として利用したゼニゲバ学者・竹中平蔵が崇める御神体(=暴走ウオール街の強欲バンカー)らこそ“正真正銘の社会主義経済の信奉者”ではないか? これでは“新機軸”の『Globe』も、ジャーナリズム精神など“クソ喰らえ”で、実のところは自社生き残りのための『新たなメディア・イベント(ヤラセ報道)の場』にしか見えない。
ここには、国民主権への配慮など二の次で「記者クラブ制」に甘んじつつ、たとえ国民が民主・自民どちらの政権を選択しようが、先ずは“御身大事”という朝日新聞のグチャグチャした“内蔵(腹の底)”が醜悪かつ露骨に転がり出ている。太平洋戦争中は大政翼賛報道を率先し、戦後は逸早くそこからの路線転換を図った朝日らしく、その“自社利益第一主義”の徹底したカメレオンぶりには驚かされ目が白黒(シロクロ)してくる。やはり、朝日のホンネは“アホ臭いジャーナリズム精神”など“クソでも喰らえ”なのだろう。
<注記>朝日新聞『Globe』
・・・2009年3月中間期決算で103億円の純損失を計上した朝日新聞が紙面づくりで始めた新たな試み。月2回のペースで月曜日・朝刊に通常紙とは異なる複数の白い紙面を挟んだもの。国際情勢の分析、世界で活躍する日本人のインタビュー掲載などによる斬新な記事の創造を謳っている。
(関連参考情報)
“国家寄生虫”の如き自民党御用学者の実像=パソナで年俸1億円、竹中平蔵の不敵な笑み“自由は選挙の時だけ、それが終われば皆奴隷”エヘヘ、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090914
・・・以下は、[2009-09-28toxandoriaの日記/自民暴政の遺産「八ッ場ダム」と「マスゴミ」のトポロジー/「現にどうあるか」でなく「今、過去と未来がどう見えるか」の問題、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090928]に対するコメント&レスの転載・・・
pfaelzerweinさま(http://blog.goo.ne.jp/pfaelzerwein/e/cbb17464e94ab1de014629ea115d26f2) → toxandoria
『「美学アカデミズム」と「フルトヴァングラー」の話題(参照 ⇒
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090928)はややもすると日本では反論を呼び起こすかもしれません。後者の場合は、父親も高名な考古学者であ り母親は芸術家と知的な教養ある家庭で育っていますが、自らは作曲家を目指しながらも本物の創造者として当時最先端の学術的思潮(芸術ではない!)からは 寧ろ遠く、文化的に保守的な環境にあったと言えます。つまり、前者で問題となっている過去の思潮が体系化された美学と呼ばれる保守的なアカデミズムにおい ては、新たな思潮はなかなか受け入れられないことになりますね。
そうした按配で、何時の時代も体系化された思想や思潮は既に時代遅れのも のとなっているのはご承知の通りです。その上に、新たな情報を外国から文化知識人が仕入れて来る日本の外来文化は、そこで権威を築くために余計にそこに古 色蒼然とした体系を築くことになるのかと思われます。
この文章の表題であるトポロジーは、まさに同じように見えながら決して昨日とは同じではない今日や明日が螺旋状に上昇していく歴史文化を指すものと考えます。』(2009/09/28 18:54)
toxandoria → pfaelzerwein
『Pfaelzerwein さま、ありがとうございます。
おっしゃるとおり、ご指摘の「美学アカデミズム」と「フルトヴェングラー」の問題(考え方/参照 ⇒ http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090928)は、おそらく“今の日本”では、殆ど受け入れられないかも知れません。前者は、前々からtoxandoriaが思っていたことで、後者は将基面貴巳氏の著書で知ったことです。
また、これもご指摘のとおりですが、「おそらく“今の日本”では、殆ど受け入れられないかも」の部分を「トポロジー的創造的破壊を使った発想転換」によるブレークスルーヘ希望を託したという次第です。
ところで、偶然知ったのですが、自公政権⇒民主党政権の交代後に、以下(◆)のような注目すべき(驚嘆すべき?)出来事が起こっていたようです。
◆『(生活に)困窮した自民党員、共産党に駆け込む!」、http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-1435.html
◆ 大惨敗を喫し野党になった自民党は、その財務に大きな問題を抱えていることが分かった。その詳細は、雑誌AERAに掲載されている・・・、 http://blog.goo.ne.jp/charotm/e/fa174201e5dcfab1f487180b4dcad80d
前者で言う“自民党員”は熱心な同党支持の中小企業経営者を指すようであり、後者は自民党本部が60〜70億の借金を抱えているという問題とのことです。
もっとも、自民党については前々から100億円規模の借金があるとかの情報は流れていましたが・・・。「日本共産党=アリ、日本自民党=キリギリス」だったということでしょうか?
世襲議員らを中心に個々に検証すればシコタマ私腹を肥やし続けた大物議員たちも少なくないはずなので、自民党の野党転落で、自民党本部が巨額借金に追われる身へ転落したとは、まことに皮肉なことです。
この点、明敏な「小泉純一郎と竹中平蔵」はチャッカリと抜け目がなかったようです。なにせ、したたかな自民党そのものまでをも、彼らの私腹肥しの「金蔓マシン」として使いこなした訳ですから。
ともかくも、このように“多重債務者”と化した自民党が、更に<悪徳闇金融(財界)>に“こっぴどく”いじめられ“より意地悪な奴隷へ進化して、一般国民いじめに更に精を出すことにならぬよう願うばかりです。
翻って、今回のドイツ総選挙の結果を見ると、ドイツ国民一般層の政治的感覚の成熟ぶりが窺え、流石だという感想です。リーマン騒ぎ以降のプロセスを観察するだけでも、政治的プロセスでの経験を無駄にしていないことが分かります。
我 が日本は「社会システムと政治」の底が抜けた状態のままです(参照 ⇒ http://d.hatena.ne.jp/toxandoria /20080901)。そこへ加えて、直近まで“我が世の春”を謳っていた自民党が“多重債務党”へ転落ということでは、とてもお笑いどころの話ではあり ません。
おそらく、このような事態に嵌った理由の一つは、やはり、60年にもおよぶ自民党・超長期政権が、麗しき「文章経国主義」ならぬ、爛れ切った「永田町(霞が関)文学」に深く溺れてきたことです。
終わったばかりの“自民党総裁選挙のプロセス”を観察する限り、彼らは“理念”としての「自由主義」と「新自由主義」の区別すらできていないように見えました。これで、何が“保守本流”かと言いたくなります。
一 方で、日本のエリートを自負する"最優秀"な高級官僚たちは、“理念部分”(当記事絡みで言えば、“美学アカデミズム”の部分)を徹底的に蔑にしてきた “自民党の先生方のインチキ・アクション・プログラムを取り繕うため、その“優秀な頭脳”をフル回転させて適当な屁理屈づくり(=爛れ切った「永田町(霞 が関)文学」)にヒタスラ邁進してきた”という訳です。
その結果として、凡ゆる皺寄せが一般国民を、特に弱者層を集中攻撃するという恐るべきこと、いわゆる「社会の底が抜けた構図」になっているようです。
い ま漸く、民主党政権の誕生で、その隠された闇の構造が明るみに出つつありますが、どのような「対政権交代リベンジ」があるか予断は許さぬ状況・・・という 次第なので、日本は未だまだ“民主主義についての発展途上国”ではないかとも、思っています。』(2009/09/29 10:48)
【エピローグ】Lara Fabian La Difference
[http://www.youtube.com/watch?v=AUCdhwLTG9g:movie]
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