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(回答先: Re: 先に手を出している状況が分かる動画はここにあります。 投稿者 梵天 日時 2009 年 9 月 30 日 08:51:08)
「最大多数の最大幸福」と言う言葉は大学でその分野を勉強した方なら必ず知っている言葉です。
中には「ハンドル・ネーム」を「ファッション」として使う方もいるようでが、意味も知らずに使っていて、勘違いや攻撃を受けてもそれは自己責任と言う事になります。
大学時代に勉強してから忘れていましたが、「最大多数の最大幸福」は以下のような意味です。(ちなみに私は理工系で、もし間違いがあればご容赦ください。)
・・・ベンサムは、人と人の間には利害の衝突や矛盾があるために、全ての人が幸福になることはありえないとし、少数の犠牲があってもできるだけ多数の人が幸福になることが全体の幸福であると考えました。
つまり、理想論としてではなく、現実問題としての幸福論を唱えたわけです。
しかし後に、少数者が多数者に抑圧される危険性や、少数者の犠牲者が被る不幸が大きい場合は全体の幸福が減少してしまうことに気付き、晩年になって定義をこのように変えました。
「その社会の成員の最大幸福。すなわち、出来ることならば彼ら全員の最大幸福。また、多数者のより大きな幸福のために少数者の幸福の一部を犠牲にすることが不可避であり、彼ら全員に等しい幸福を分け与えることが物理的に不可能な場合は、彼らのうちの最大多数の最大幸福。」
つまり、まず理想を掲げ、それが無理なら従来の「最大多数の最大幸福」がベターだよ、とすることで、より完全な定義にした。
それからこの概念は立法(法学)分野との関連が深く、道徳ではなく、「立法の精神」であるともされています。
もし、法律にA案B案C案があって、それが施行されたとき、最も多くの人が幸福になる法律が「正しい法律」だと彼は言いきったということです。
もちろんD案があってそれがより多くの人を幸福にするならそっちがいい。
そう言う考え方です。つまり現実主義なんです。
どこかのバカ議員が何かと言うと、A+B÷2=C で政策を行なうから駄目だといった記憶がありますが、言っている方の知能程度が分かってしまいます。
いずれにしろ「最大多数の最大幸福」というネームを使っている限り、大学で法学や哲学、社会学をかじった事のある人から「誤解」される事は今後も続くことでしょう。
まあ、それを計算づくで使うのなら別ですが・・・・・・
すべては自己責任ということになります。
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