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「脱ダム」は長期国策にする必要がある!!【神州の泉−高橋博彦】
http://www.asyura2.com/09/senkyo72/msg/174.html
投稿者 弥太郎 日時 2009 年 9 月 27 日 16:17:33: 2j9DCs8Lv3S7M
 

【神州の泉−高橋博彦】

2009年9月27日 (日)

「脱ダム」は長期国策にする必要がある!!

【重要! 植草一秀さんを応援したい方は、お手数ですが、植草さんのブログにある、政治ブログ・ランキングのクリックを是非お願いします!!  管理人より】

 サンデープロジェクトにゲストに前原誠司国交大臣と亀井静香郵政改革・金融担当大臣が出ていた。ゲストコメンテーターにはミスター円と言われている経済学者の榊原英資氏と、ペイオフ解禁に反対していた台湾籍の経済学者のリチャード・クー氏だった。前原大臣のダム建設工事の中止問題に関して、管理人は基本的に賛成である。日本のダム建設に関しては古い歴史があるが、今問題にしているのは、当初、水力発電の目的で作られ、化石燃料の輸入で火力発電が中心になった時、ダムの中心的な利用目的が、発電から治水に重心が移った物を対象としている。

 先の対米戦争では、ABCD包囲網によって日本は石油輸入が絶たれ、産業エネルギーの絶対的な危機感によって開戦に追い込まれた面は否めない。戦後はそういう経緯も踏まえて、我が国の水力資源を活用し、水力発電の有効性が重要視されたことはあると思う。戦後復興で、有用木材需要が出て、水源地の天然林が伐採され国策によって、全国各地は次々と怒涛のように、杉やヒノキの人工植林が行われた。

 その結果、日本各地の水源地域(深山)も里山地域も人工林に置き換えられ、もともと森林が有していた潅水能力はほとんど消滅してしまった。潅水能力が喪失した森林の下流域は、洪水や土石流が頻繁に起こるようになり、ダムの有効性が喧伝されたと思う。天然林が消失する以前の河川の洪水は、昔からあったが、当然ながら潅水能力を失った河川流域の現在は、その規模や被害は桁違いである。その現実をかろうじて相殺しているのがダムの堰き止め効果である。

 管理人は、現状ダムの治水能力を強弁する人たちの言い分は対処療法的に正しいと思う。しかし、基本的に彼らは、国土文化的に見て自然を征服する西欧の近代合理主義の範囲で日本の治山治水を考えている。戦後の人工植林の最大の罪は、天然林エリアの無秩序な破壊なのである。これによって、日本列島の自然な潅水治水能力が破壊されたのである。この重要な部分を棚に上げ、ダムの人工的な効用価値だけを公共事業として考えること自体に時代錯誤がある。

 そういう意味では、サンデープロジェクトで前原大臣が「ダムのせいで日本沿岸の砂浜が駄目になった」と断言したことは評価していい。しかし、上述したように、ダムだけのせいではない。適度な砂や、肥沃な有機的栄養素が海まで到達するには、健康な天然林が保全されている必要があるのだ。政治はこの部分を強調して、国政の長期展望に活かす必要がある。そういうことを勘案すると、現在のダム建設がすべて無駄だとは思わないが、日本が環境国家として進む方向性を持つなら、ダムの撤廃と自然林の復興と恒常的な涵養は国策の中心に据えるべきだと思う。

 もともと日本列島は天然林の治水能力は圧倒的に高かったのだ。江戸時代にその重要性に気づいて、山や河川流域の自然を大事にすることこそ、治山治水の基本であり、ひいては治世の根本となると考えた学者がいた。江戸期の陽明学者であり環境工学者でもあった熊沢蕃山(くまざわ ばんざん)である。彼の基本的な自然観、治水治山観の要諦が出ている有名な文章がある。

 (熊沢蕃山の『集義外書』より)

「山は木ある時は神気さかんなり、木なきときは神気おとろえて、雲雨を起こすべき力少なし。しかのみならず木草しげき山は、土砂を川中に落さず。大雨降れども木草に水を含みて、十日も二十日も自然に川に出る故に、かたがたもって洪水の憂いなし。山に草木なければ、土砂川中に入りて川床高くなり候。大雨を貯(たくわ)うべき草木なき故に、一度に川に落ち入り、しかも川床高ければ洪水の憂いあり。山川神気うすく、山沢気を通じて、水を生じることも少なければ、平生(へいぜい)は田地の用水少なく、舟をかよわすこと自由ならず」(狩野亮二『江戸時代の林業思想』より ※富山和子著「水と緑と土」86ページから引用)

 戦後日本のダムに関する考え方には、この「水系一貫の思想」という観点が完全に欠落しているのだ。我々は世界に誇れる優れた文化を持つ民族である。その一つが万葉の世界観である。万葉集、古今和歌集など、古(いにしえ)の先人達の世界観、文化感覚には日本列島の豊かで美しい自然への賞賛がある。この感覚こそ日本人が欧米人や中国人と異なる独自の繊細な世界観なのだ。これがこれから展望する環境国家の基本理念とならなければんばらない。

 戦後の日本人は欧米の近代合理主義一辺倒に傾き、世界で最も美しくて豊饒な自然を乱開発し、天然林を崩壊させ、ダムを乱立、河川のエコステムを破壊した。その結果、沿岸部の豊かな漁場も壊滅状態になった。それだけではない。かつては白砂青松(はくしゃせいしょう)と形容された、世界にも美しい景観の砂浜と松林が消滅の危機にある。自然はすべて相互に関連しているのだ。上流の天然林が駄目になると、海の豊饒性も破壊されてしまうことは多くの人々の認識するところとなった。

 こういう大きな展望で言えば、ダムは日本破壊である。日本人の歴史的伝統に立ち返り、国民全体の意志としての『国論』を形成する必要がある。明確な国土計画が存在しないことこそ、戦後日本の最大の悲劇なのである。

 管理人は前原氏は、小泉ネオリベ国策の尖兵だと考えているから、いまだに彼を危険視しているが、彼の脱ダム政策は評価できる。(他の点で彼が有害なことをしないように監視する必要はあると思うが)。ただし、急激に脱ダム化を強行することは、関係者に強い打撃を与えるから、充分な補償と恒久的な公共インフラを整える必要がある。それが政治の役目だ。管理人は国土復興事業を公共事業として立ち上げることを考えている。国が人工林から天然林への転換事業を行うことが基本になる。

 これなら縄文時代から連綿と自然と共生してきたの先祖達の思いに合致するし、これからの環境立国に適う国策となる。美しい日本列島を造る大事業に地域住民が参加できることは大きな喜びとなる。管理人はこの構想を以前から強く有していて、それを「神州復興プロジェクト」と、勝手に名づけている。神州というのは、神々が集うほどの美しい国土という意味である。

 我が国は、もともと世界がうらやましがる美しい国土だったが、大戦後の近代合理主義が国土の様相を醜悪なものに一変させたのだ。正確には明治維新から国土の醜悪化が始まっている。すべての日本人が万葉の繊細な自然観を取り戻すことが、管理人の長年の夢である。このプロジェクトを立ち上げて国家のグランドデザインに組み込めば、日本人の寛容で美を尊ぶ精神も復興される。日本人が本来の日本人に戻るためには、米国の膝下を逃れて伝統精神に立ち返る必要がある。対米自立にはそういう深い側面もある。

 管理人のささやかな願望なのだが、すべての日本人は、政治や国策、あるいは国際関係において、日本人とは何者なのかという根源的な問いかけを持って欲しいのである。日本人には縄文時代からの長い連続性がある。そういう俯瞰を持って欲しい。

 さて、サンプロのもう一人の大臣に亀井静香氏が着ていたが、記事が長くなったので、別に書こうと思う。

http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2009/09/post-1c5f.html  

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