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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu200.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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記者クラブという制度で、取材するプレーヤーが固定化されて慣れ合い
が生まれる。記者個人と取材される側の間でも緊張関係は失われる。
2009年9月25日 金曜日
◆総理大臣の外遊に見る、記者クラブの生態 9月24日 anti-monosの新メディア論
http://d.hatena.ne.jp/anti-monos/20090924/p1
鳩山総理がニューヨークに行っている。今回がどうかはしらないけれど、これまでだと総理大臣が海外に行く際、記者クラブではこんな光景が繰り返されている…。
記者クラブの室内には張り紙が。「○×総理 国連総会出席 同行記者募集」。総理の大まかな日程が書かれていて、記者クラブの加盟社につき1名が参加申込枠に名前を書くことができる。名前を書けば、官僚がホテルの手配、現地での移動まですべて手配してくれるのだから、まさに至れり尽くせり。
申し込みが終わると、数日後には同行記者を対象に官僚による事前の記者レクチャーというのがある。国際会議での議題だけではなく、会議の前なのに既にほとんど決まっている(!)という共同宣言の文案まで教えてくれる。
政治記者の99%は「政局」という名の権力闘争の取材のプロであって、実は政策には詳しくはない。なので、官僚による記者レクの内容が、ほとんどそのまま記事になることが多い。実際には記者レクの他にも、ちゃんとした記者は専門家に話を聞いたり周辺取材をするのだが、そもそも政治記者の本業は政局取材なので、一夜漬けで官僚の書いた報道させたいシナリオを崩せるはずもなく、記事の基本線は官僚の記者レクに引っ張られることが多い。記者レクが出発直前までずれ込むと、「記事が書けないだろ!」と騒いで抗議する記者まで実在するのだ!役人のレクを待たずに自分で取材するなり、勉強するという気にはならないらしい…。
そして、いざ出発の日。羽田空港近くのホテルの一室に同行記者ご一同が集まる。ホテルの会議室が取ってあって、コーヒーなどの飲み物や軽食まで置いてある。記者はもちろん1円も払わない。部屋代もホテルのコーヒー代や軽食代もすべて税金だ。
集合時間が来て、飛行機に乗り込む。だが飛行機といっても、JALだのANAではない! 政・府・専・用・機。つまり、総理大臣と同じなのだ。機内では、同行記者向けに総理の記者会見もあったりする。
現地に着けば、入国審査も何もない。そのまま政府が手配してくれたバスに同行記者ご一同で乗り込んで、滞在先のホテルに向かう。ホテルではご一同のために、大きな部屋が抑えられていて、記者クラブ加盟社ごとに記事を書いたりするためのブースが既に設置されている。各社ごとに専用の電話やFAXまで引かれている。費用は各社一応払うのだが、実費以下の、気持ち程度。もちろん、これらの手配もすべて政府があらかじめやってくれている。まさに完璧、JTB以上じゃないか…。
現地では同行記者が総理大臣を囲んでの「懇談」。さらに懇談とは別に総理、あるいは総理と同行の官房副長官あたりが記者を一堂に集めてのお食事会だ。その国を代表する高級ホテルでの食事。ここでも費用はもちろん、税金だ!
そして、2泊3日くらいの滞在が終わり、同行記者ご一同は政府専用機で帰路に。ところが、まだ終わらない!
旅のクライマックス(?)は最後に待っている。最後は何と政府専用機内で記者と総理の記念撮影だ。しかも記念写真は後日「200×年 国連総会」とかの名称までしっかりと彫りこまれたフォトフレームに入って、海外の同行取材の思い出にと、ひとりひとりに配られる。もちろん、最後まで税金だ…。
ここまで政府に面倒見てもらっても、ちょっと辛口のコメントも言わないと「ジャーナリスト」としてかっこつかないからなのか。現地からの中継や「政治取材歴○年」のテレビコメンテーターが、政府に「庶民の声」として意見を言ってくれる。
産経新聞出身の歴戦の政治記者が言われるように、記者クラブを解放すれば、素晴らしい記事がどんどん世に出るわけではないというのは、その通りでしょう。記事を書いたり取材したりという行為は、ある程度の職業訓練が必要なので、読むに耐える記事を書ける人だって、それほど多くはないはず。ただ記者クラブの問題は、産経出身の方が言われるように、個々の記者が、頑張っているとか、工夫しているとか、そういう次元ではないのでは。
取材現場の構造として、新規参入が常にありうるかどうか、出入りが自由かどうか、これこそ記者クラブ制度の論点ではないかと思う。
記者クラブという制度で、取材するプレーヤーが固定化される。そのことで、取材する側とされる側の慣れ合いが生まれる。記者個人と取材される側の間でも緊張関係は失われる。海外同行取材で当時の中川財務大臣と女性記者が酒を飲んで、そのまま大臣がもうろう会見に挑んだというのは、記憶に新しいはず。大臣も問題だけれど、緊張関係のなさは、こんなところにも表れる。
さらに、取材する記者が所属する会社との慣れ合いを生んでしまう。何しろ記者といってもサラリーマン。会社ごと押さえておくほうが話も早い。新聞の再販制度であったり、電波行政がその典型だ。こうして、事業会社としてのマスコミもまた、政府によって守られる。名目は文化の維持だの、適当に何でもつけられる。かくして、新聞社は大手町にある本社ビルの敷地を国から安く払い下げられ、テレビ局のサラリーマンとしての、記者やコメンテーターの年収は平均で1500万を超えることになる。
ところが、記者クラブがなくなって、いつでも新規参入があるようになったら、もはや報道される側も限られた個人や事業会社だけを抱え込んでいても仕方がない。
野党の記者会見というのは言い方は悪いけど、ただの「遠吠え」。与党を批判したところで、何かの政策が実現されたりするわけでもない。発言したところで、何もないのだ。だからこそ野党は目立ってナンボなので、報じてくれる人は千客万来になる。ところが、扱ってもらうのが当然という与党になったら、急に態度を変える。政権維持のためにマスコミという既得権を取り込もうとしていると同時に、またマスコミに取り込まれているということなのだろうか。
この相互依存の関係、意識的にどちらかが言葉に出して形作られるものではなく、慣例として暗黙のうちに成り立っているのだから、また始末が悪いのだけれど。
◆メディアの既得権を崩す方法 9月22日 anti-monosの新メディア論
http://d.hatena.ne.jp/anti-monos/20090922/p1
記者会見のオープン化は象徴的だが、記者会見自体は取材する側から言うと、実はそれほど意味がない。全社の記者が聞いているし、今では質疑応答を除けば、ネットで公開もされている。既得権は記者会見への出席権ではなく、情報への半ば独占的なアクセスという広範な問題だろう。それが記者個人の実力や努力ではなく、記者クラブ加盟社の社員記者ということで保障されているところに問題がある。感覚的だが、既存メディアが報道している内容の9割は政府や官庁(警察、検察も含む)が情報源だと思う。
取材させる側のメリットというのも、実は大きい。記者を囲い込めるからだ。自分の気に入らない取材をする記者を懇談から締め出す。あるいは、記者クラブと取材される側が、出入りも自由の、渾然一体となった運営がされているので身内意識もある。渡邊恒夫とか海老沢勝次なんていう政治記者出身のメディア企業社長はまさに取材対象の身内となって、その力を盾に出世した典型だと言われている。慣れ合いと言われても仕方のないような話も多い。
取材される側から「このように報道しろ」という指示などあるはずもない。ただ、何となく「書きづらい」空気が記者クラブ全体を覆ってしまうのだ。普段から記者クラブを通して付き合いのある政治家などに、よほどのことでもない限り、厳しい突っ込みなど入れづらい。あるいは、普段から記者クラブという閉鎖空間で接している官僚や政治家の論理に染まりやすくなってしまう。
特に顕著なのはテレビ記者への影響だ。テレビの記者は、かなり若い。記者としても社会人としても経験不足な場合が多い。総理大臣が立ち話をしている「総理ぶら下がり」の映像を見れば、ほとんどが20代だとわかるだろう。しっかりとしたものを求めるのも、厳しいものがある。その政治家の論理、官庁の論理にすっかり取り込まれてしまっているのは、珍しいことではない。若い女性記者が「官公庁用語」で話しているのを聞いて、唖然としたこともあった。
あるいは「あの有力政治家は美女に弱い」なんて噂がたつと、その政治家の番記者の大多数が女性になるということもある。かなり以前に週刊誌にも書かれた話だが、郵政民営化大反対の政治家が、全盛期に高級ホテルのプールに、女性記者「だけ」を集めて「懇談」したことが何度かあった。当然、全員水着姿だ。毅然と「参加しない」と言い切ってしまってもいいものだが、有力政治家が「重要情報」をプールでの懇談で話すかもしれない。だから、渋々参加せざるをえない。取材する側とされる側、微妙な関係というのが実態だ。
思いつくまま書いたので、まとまりがない文章になってしまった。いずれにしても、取材される側の「囲い込み」、取材する側の「当局情報へのアクセス独占」。この2つの思惑が重なりあって存続しているのが、「記者クラブ制度」だと思う。
ネットのいいところは、こういう議論が公になってきたことだ。記者クラブのオープン化問題も、新・総務大臣が民放とズブズブな関係なのも。新聞やテレビが書けるはずもない問題だ。ちなみに、テレビのコメンテーターが本業の政治家が要職に就く場合は要注意だ。大臣ともなれば、メディアの社員だって気楽に会うこともできないが、元コメンテーターなら番組のプロデューサークラス(=普通の会社だと課長クラス)でも親しい関係にある。携帯に電話一本で「意見」できるのだ。政治家の側にも大臣になれるまで有名にしてくれたという「義理」がある。
かつては、何をしているか分からないけど、どこか怪しくて、うまい汁を吸っているに違いないと思われていた「悪の帝国」というのは、政治家だった。それが、2ちゃんねるやネットの話題をみると、政治家や官僚よりも「マスコミ」自体になってきたのだとわかる。マスコミはマス「ゴ」ミと揶揄されるがごとく、権力を監視している正義の味方ではなく、政治家以上に怪しい、既得権層になっているのだ。
数々の汚職事件や情けない事件の数々、誰が見ても頼りない世襲政治家の氾濫で政治の権威は失墜し、もはや叩く権威にすらなれていない。マスコミが叩くべき利権は、もはや失墜し、気がつけばマスコミ自体が叩かれるべき最後の既得権になってしまっている。しかも、記者クラブの問題、新聞社の押し紙、テレビ局の電波の独占など、その指摘は間違ってはいない。そのことにマスコミ自身はあまりに無自覚なようにも見える。
では、政治にしろ、既存メディアにしろ、ネット空間で問題が指摘されまくっているにもかかわらず、いまだに彼らの論理がまかり通ってしまうのはなぜだろうか。理由は単純で、ネットの影響力がまだまだ小さいからだ。
「はてな」を新宿で聞いて回ったところで、1%の知名度があるかどうか。「アルファブロガー」なんて、道を歩いていても、振り返られもしないはずだ。言論だけではなく経済面でも、そうだ。ネットの広告費で圧倒的なシェアを誇るヤフーですら、売り上げは3000億弱。キー局中堅のテレ朝と変わらない。相対的に影響力の強い集団の論理が勝ってしまうのは当たり前だ。
では、ネット空間で文句を言っているだけで仕方がないのかというと、そうは思わない。民主主義、資本主義を生きる人間には、2つの「杖」がある。ひとつは投票権、そしてもうひとつは「おカネ」だ。
投票権は言うまでもなく、既得権保護の政治家や政党に投票しないということ。「おカネ」というのは、所得に個人差があるにせよ、ほとんど毎日、コンビニで、スーパーで、量販店で、誰しもおカネを使っている。既存メディアの生命線は「広告費」。既存メディアへ広告費を大量に使っている商品は(できるだけ)買わないと決めてしまうことだってできる。テレビや新聞の広告費におカネを使っていない、コストパフォーマンスの良い商品を中心に、消費生活を過ごす。問題意識を持った人間が電凸以外にもできることはあるはずだと思う。
(私のコメント)
記者クラブの事については「株式日記」でも書いてきましたが、記者クラブと権力との癒着問題は、中川財務金融大臣と読売系の美人記者との関係でも書いた事があります。大臣が女好きだと分かると新聞社やテレビ局は選りすぐりの美人記者を配属して大臣から情報を得ようとする。中には枕取材までする美人記者もいるそうです。
だから、元テレビ局のディレクター氏の言うように、水着姿の美人記者たち「だけ」を相手に記者会見をするふざけた政治家が出てくる。ここまで来ればマスコミは権力の監視役ではなくて権力の飼い犬だ。記者クラブ制度は権力とマスコミの癒着の象徴であり、民主党政権が出来たらこのような悪習慣は廃止されるものと思った。
ところが記者会見の開放は外務省などの一部に留まるようだ。民主党でも野党でいるうちは記者会見を開放しても与党に比べると注目度は低いから開放しても問題は起きないのでしょうが、与党の記者会見になると実際の政治動向が掴めるからマスコミの注目度は高まる。大臣の一言で政治が動くからだ。
民主党にしても政権を奪取してしまえば、自民党が行なってきたような記者クラブを使ったマスコミ操作をしたくなるのは当然の話だ。元テレビ局のディレクター氏が言うところでは、総理大臣の外遊や主要大臣の外遊には政府専用機が使われて、記者クラブ加盟の記者たちも同乗が許される。官邸が顎足つきで外遊ができるように手配してくれるのだから、こんなに美味しい話は無い。
これで記者クラブが骨抜きにされるのは当たり前の事であり、政府に批判的な記事を書けば記者クラブ内においても村八分にされるだろう。記者クラブの同行記者たちは外国に行っても特別待遇であり、入国審査も無くバスで高級ホテルに直行だ。ホテルではブースが用意されて電話やFAXまで専用で使える。
だから中川大臣が各社の美人記者をはべらせて昼食をかねた慰労会まで行なわれても不思議ではない。それだけ大マスコミの記者たちと政府権力とはズブズブの関係になってしまっている。もし記者会見が開放されれば記者クラブの特権はなくなるのであり、総理との懇談会も出来なくなる。はたして民主党がこのような悪習を捨てる事ができるのだろうか?
記者クラブというのは政府権力から見ればマスコミ報道を囲い込む手段であり民主党がこれを継承しようとしても不思議ではない。特に民主党の議員は若い人が多いから美人記者に誘惑されれば何でもしゃべってしまうかもしれない。山本モナと不倫関係にあった民主党の若手有力議員もいましたが、中国に行けばハニートラップの罠が待ち受けている。
記者会見自体はネットでも内容が公表されているから大きな違いはありませんが、記者会見の内容が馴れ合いになって知りたい質問が出来ないのが問題だ。大臣にしてみれば知り合いの記者ばかりで和気藹々とした記者会見のほうがいいだろう。激しく追及されて大臣のクビが飛ぶような事になったら大変だ。田中角栄のクビが飛ぶきっかけとなったのが外人記者会見であり、外人は記者クラブに入れないようだ。
記者会見というのは、元々それだけ緊張感のあるものであり、民主党にとっても記者クラブの記者たちだけと和気藹々とする方がいいのだろう。しかしこれでは政権が交代した意味がないのであり、民主党が第二自民党になるだけだ。いずれは記者クラブの美人記者を水着姿ではべらせて記者会見する大臣も出て来るかもしれない。
大マスコミがこのように腐敗しきってしまったのも記者クラブの政府権力との馴れ合いであり、大マスコミを脅かす存在がなかったからだ。雑誌や週刊誌は新聞やテレビなどの大マスコミには太刀打ちできない。時間的制約でかなわないからだ。しかしネットとなると新聞やテレビよりも早く内容も充実した報道が可能だ。大マスコミでは書けない事もネットでなら書く事が出来る。
元テレビ局のディレクター氏が言うように、まだネットは影響力がほとんど無い。「株式日記」の毎日のアクセス数も2万足らずであり、新聞テレビなどは数千万人が見ている。だから政府も新聞テレビをいかに取り込むかを考えている。その手段が記者クラブであり、記者たちに対する至れり尽くせりのサービスだ。これではまともな報道など期待する方がおかしいのであり、本当の事が知りたい時は国民はネット情報を見るようになった。
◆なぜ記者はバカになるか 9月21日 田中良紹
http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2009/09/post_187.html#more
そして戦いの武器は情報である。敵に不利な情報を流し、自分に有利になるよう情報を操作する。それは当然の話である。だから悪意はなくとも政治の世界は嘘だらけである。記者の仕事は嘘から真相を読み解く事だが、新聞にもテレビにも、読み解いた報道にお目にかかった事がない。誰かの話を鵜呑みにして政治解説が作られている。
権力は常に世論を意識する。だから報道機関を世論操作の道具と考える。思い通りの情報を流す報道機関は有り難い。しかし権力の言いなりになっている事が見破られては意味がない。だから論説委員、テレビ司会者、コメンテーターはバカな方が良い。言いたいように権力を批判させながら権力の思い通りに操作する。バカは最後までその操作に気がつかない。「年金未納問題」も「居酒屋タクシー」も権力がリークして、それにバカな報道が乗せられ、未だにそれに気づいていない。
「この世に正しい報道などあるはずがない」と私は思うが、この国には「正しい報道をすべきだ」と考える国民が多い。独裁国家ならいざ知らず、アメリカやイギリスなど普通の民主主義国家で新聞やテレビを頭から信じ込む国民はいない。ところが日本人は新聞やテレビを信じたがる。外国と何が違うのかを考えるとNHKの存在に行き着く。
この放送局は日頃から「不偏不党で公正中立の報道」を宣伝している。養老孟司氏が「バカの壁」で喝破したように、この世に「不偏不党で公正中立の報道」などない。しかし日本人はそれを信じ込まされている。NHKがそう宣伝するのは国民全員から受信料を徴収するためだが、それによって国民はこの世に「不偏不党で公正中立な報道」があると信じている。
(私のコメント)
田中良紹氏は、「論説委員、テレビ司会者、コメンテーターはバカな方が良い。言いたいように権力を批判させながら権力の思い通りに操作する。バカは最後までその操作に気がつかない。」と書いていますが、テレビや新聞ばかり見ていると本当に馬鹿になる。「株式日記」は新聞やテレビを見て馬鹿にならないように解毒剤として書いているのですが、世の中を動かせるほどにはならない。
しかし時代は少しずつ変わってきているのであり、民主党は先取りして記者会見を開放するのかと思いましたが、やはり従来どおり記者クラブを継承するようだ。大マスコミも民主党を抱き込んでしまえば、今まで通りの美味しい利権にありつける。官僚とマスコミを敵に回せば田中角栄といえども失脚するし、民主党は政権をとれば官僚とマスコミを味方にしたほうがいいと考えるだろう。それに対してネットは非常に微力な存在に過ぎない。
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