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2009年9月24日 (木)
『日米基軸外交を基礎に置く鳩山新政権』
鳩山由紀夫次期内閣総理大臣の米誌への寄稿が話題を寄んでいるという。「対等な日米関係」と「アジア重視」は正論である。鳩山次期総理が目指している方向は「対米隷属外交」から「日米基軸外交」への転換であって過激なものではない。
それでも今なお日本を敗戦国と見なす米国の一部の支配者層は鳩山氏の唱える「対等な日米関係」指向を快く思わないのだと考えられる。第二次大戦以降の日本政治史を振り返ると、米国の対日支配姿勢が明瞭に読み取れるからだ。
1946年4月10日に実施された戦後初の総選挙の結果、本来首相の地位に就くはずだったのは鳩山一郎氏だった。ところがGHQの公職追放により、吉田茂外相に組閣の大命が下り、吉田茂氏が首相に就任した。
しかし、春名幹男氏によれば、吉田茂氏に対しても公職追放の主張がGHQ内部に存在した。当時GHQと公職追放の交渉にあたったのは吉田外相自身であった。吉田氏はGHQ・G2(参謀第2部)との交渉の末、追放を免れたと見られている。G2は戦後民主化から冷戦開始下での「逆コース」=「レッドパージ」を主導した中心勢力である。
1947年5月発足の片山哲内閣、1948年2月発足の芦田内閣は昭電疑獄拡大によって内閣総辞職へ追い込まれた。この昭電疑獄にもG2が深く関わっていると考えられている。
その後に吉田茂氏が首相に返り咲き、日本が米軍に基地を提供することを基礎に置いて1951年9月にサンフランシスコ講和条約が締結された。
悲劇の政治家と呼ばれた鳩山一郎氏は追放から解除され、1954年12月に首相に就任し、1956年10月、日ソ国交回復共同宣言を成立させた。鳩山氏は日ソ国交回復を花道に引退し、後継首相には石橋湛山氏が就任した。
石橋首相は「自主外交の確立」を掲げたが2ヵ月後に病気で辞任し、後任に米国に「支援」された岸信介氏が首相に就任し、1960年に新日米安保条約に調印した。米国が鳩山政権、石橋政権に強い警戒感を有していたことは多くの米国外交文書が明らかにしている。
田中角栄元首相がロッキード事件で失脚した背後にも米国支配層の意図が存在するとの指摘もある。
2005年9月の総選挙で大勝した小泉政権を主要メディアが絶讃した状況と比較して、今回の総選挙で大勝した民主党に対する主要メディアの「アラ探し」の基本姿勢は明らかに異なっている。
国民は鳩山政権を支えて日本の真の独立を確固たるものにしなければならない。
2009年9月5日執筆
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