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http://www.news.janjan.jp/area/0909/0909190468/1.php
川辺川ダム中止 ついに新しい時代が始まった
「ダムの水は要らん」政治を動かした地元農家や住民団体の声
須藤久仁恵2009/09/21
一つの時代が始まった。
社会(大きな車輪といってもいい)が動き始める時、その動きは最初のうちは人の目に見えない。動いているのか、動いてないのか、周囲はジリジリしながら見続けるしかない。ところが、蓄えられた力が限界に達すると、車輪はジワリジワリと動き始め、次第に加速していく。
川辺川ダム、八ッ場ダムをはじめとする全国のダム事業もまさにその例に違わない。自民党から民主党への政権交代が起きて、新しい内閣が誕生したのが9月16日。新しく国土交通大臣に任命された前原誠司氏が党のマニフェスト通り、「八ッ場ダム中止」「川辺川ダム中止」を明言したのが17日。18日には「直轄事業見直し」等の報道がされている。地元新聞には「川辺川ダム中止」、そして県営ダム事業見直しへ、という大きな見出しが舞っている(9月19日時点)。
人吉で「ダムは要らん大集会」が開かれた(2008年8月3日、筆者撮影)
熊本県南部を流れる球磨川の最大支流である川辺川に、巨大ダム建設計画が発表されて43年。ダム賛成・反対という対立が生まれ、長い間流域住民、流域自治体を翻弄し続けた「川辺川ダム」建設問題に、いま新しい流れが生まれようとしている。それもダムの事業主体である国からの。
川辺川ダム問題は昨年9月11日、蒲島熊本県知事の県議会での「ダム白紙撤回」宣言を機に、もうダムはできないだろうという声が県内では広まっていた。なぜなら、知事発言ののち、「ダムによらない治水を検討する場」(以下、「検討する場」)今年の1月に発足したからである。
「検討する場」は、ダム以外の治水案を極限まで追求し、そのことの共通認識を図っていく枠組みで、球磨川流域12市町村(五木村・相良村・水上村・多良木町・湯前町・錦町・あさぎり町・山江村・人吉市・球磨村・芦北町・八代市)の首長、熊本県・国土交通省を構成メンバーとしている。既に協議は4回を数えた。
「検討する場」では、国交省がプレゼンを行い、各首長や県知事・県の担当者がそれに基づいて意見を出し合う。しかし国交省は、従来のダムでなければ治水は不可能というスタンスを崩そうとしていない(今となっては、「いなかった」というべきであろう)。
7月16日に行われた4回目の協議では、熊本県が提案した
(1)河道対策(人吉地区で平水位以上の河道掘削)
(2)引き堤(家屋に影響しない箇所、川側に突出した箇所の拡幅)
(3)宅地かさ上げ
(4)平水位以上の堆積土砂の撤去
(5)上流域で遊水地(地役権補償方式)
(6)市房ダムの再開発
の案を、国交省が具体的にシュミレーションした。
相良村柳瀬で球磨川に合流する川辺川(左方=08年9月17日撮影)
それによると、上記案の組み合わせの結果、数センチから大きいところでは数十センチの水位の減少が見られたのである(ただし中流域では一部増加)。つまり、ダムでなくても治水は可能であることが「検討する場」という公の席で明らかにされたのである。
熊本県の案で一番評価できることは、「複合的に対策を組み合わせる」という考え方である。県の案は、2001年にダム反対の住民団体が公表した『治水代替案』に通じるものがある。従来の治水対策はダムだけという一極集中型の治水対策だった。これが、「複合的な組み合わせ治水」へと、行政も治水の考え方を方向転換せざるを得ない状況になったことを示している。
そういう状況もあり、熊本県では川辺川ダム建設からダム以外の治水案へ、という軸足の移行が進んでいるかのような印象を多くの県民が受けていた。
もちろん、国交省はダムをあきらめていない(いなかった)。流域自治体も八代市長(当時)や球磨村村長を先頭に、「ダム建設促進協議会」によるダム建設の立場を崩そうともしていなかった(相良村と人吉市は決議を保留)。
「検討する場」の決着点は何か? やはり多数決でダム促進を決議するのか、来年度予算の概算請求で住民が訴えるダム以外の治水案を予算化させることができるか、などが大きな焦点として挙げられていた。
このような状況のなか、8月23日に八代市長選挙の投票が行われた。ダム推進を訴える現職坂田隆志氏対「川辺川ダム反対、荒瀬ダム撤去」を訴える福島和敏氏の一騎打ちだった。大方の予想を覆して、福島和敏氏44,633票、坂田孝志氏39,739票で福島氏の当選が決まったのである。福島氏は民主・県民クラブ所属の前熊本県議だ。
出遅れたといわれていた福島氏の勝利は、「風が吹いている」ことを如実に示した。そして、8月30日の衆議院選挙投票日へと続くのである。
川辺川ダム建設予定地(相良村四浦で08年12月15日撮影) 熊本1区は民主党、2区民主党、3区自民党(対立候補の民主党候補者は比例当選)、4区自民党、そして5区(球磨・芦北・水俣)では自民党(対立候補の社民党候補者は比例当選)という結果に終わった。政権交代が実現し、喫緊の課題である川辺川ダム問題がどうなるのか? 県内の雰囲気としては、先に述べたように川辺川ダム中止という空気が強かったものの、早々と中止宣言をするかどうか分からないという不安も残っていた。
計画が公表されて43年間、地元住民や市民団体を巻き込んだ反対運動が続いてきた。行政と一体となったダム推進勢力の、地域全体をすっぽり覆ったかのような強さは生半可のものではなかった。厳しい地域状況の中、地元住民団体はダム建設を推進する勢力との対峙関係を作り、維持し続けてきたのである。
これでもうおしまいだ、本体着工が始まるのか・・という緊張感を何度経験し、厳しい局面を何度度潜り抜けてきたか、想像に難くない。その中での前原大臣のダム中止発言である。
住民団体は、これでダムは止まると喜びつつ、何があっても対応できるだけの柔軟性と細心の注意を維持し続け、いつ巻き返しがあるか油断はできない、という冷静な捉え方をしている。それもこれも、住民が長年積み重ねてきた結果の「現在」だという認識と、今後、実務レベルでの見通しの厳しさも十二分に把握していることの表れであろう。
何よりも、ダム反対の潮流を作り上げてきた、対等に渡り合ってきた当事者であるという自負心を強く彼らは持っている。前原大臣の川辺川ダム中止発言が、ある日突然、天から降ってきたわけではない。それを誰より強く知っているのが地元住民自身だからだ。
地元農家や住民団体は、「ダムの水は要らん」として、あるいは、きれいな川辺川をきれいなまま未来に手渡そうと粘り強く戦い続けてきた。利水事業計画での同意取得に際しての地元自治体の不正行為を暴き、司法の場で勝利を勝ち取った。その結果、利水事業は休止に追い込まれている。住民の声は地元自治体の首長をダム反対(もしくは中立)へと動かし、こういった首長の変化が熊本県知事を動かし、それが社会全体の変化の呼び水の1つともなってきた。
時代は大きく変わっていく。これからがスタートだ。身の丈に応じた治水案の策定であり、川辺川ダム事業計画を白紙に戻すための「法整備」であり、ダムに翻弄され続けてきた五木村をはじめとする球磨地域の振興策である。ようやく、ようやく、国民の声が国のトップに届いた。国のトップの声が国民に届こうとしている。
国を動かしたのは一人ひとりの国民であり、その責任は大きい。政治家は政治家の、住民は住民としての責任を果たしていくことが今後求められている。浮かれることなく、今後の動向を厳しく注視し続け、声を上げ続けることだ。当事者主権が今試されている。
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