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(回答先: 【自民解党への道】これが巨大政党助成金(国民の血税)を注入し、経団連からの巨大献金で【空虚】になった政治組織体の末路だ 投稿者 愚民党 日時 2009 年 9 月 15 日 09:07:31)
日本における導入の歴史
日本の衆議院においては、まず1890年の衆院選から1898年の衆院選において小選挙区制が採用された(一部完全連記制の2人区があるが、特定政党の議席独占が起こりやすいため単記式の中選挙区制とは異なる)。1902年の衆院選から1917年の衆院選まで、大選挙区制が導入されていたが、原敬内閣による選挙法改正で再度導入され、1920年の衆院選と1924年の衆院選は小選挙区制が実施された。1928年の衆院選から1993年の衆院選までは中選挙区制が導入されていた。
ただし、第二次世界大戦後の1953年にアメリカ合衆国から日本へ施政権が返還された鹿児島県奄美諸島では、歴史的経緯から奄美群島選挙区が1人区として設置され、事実上の小選挙区として存在した。この奄美群島選挙区は将来鹿児島県第3区へ統合するまでの暫定措置とされたが、1954年の補欠選挙で初めて議員を選出し、一票の格差を解消するための定数是正措置により1992年に消滅(鹿児島県第1区へ統合)するまで存続した(1990年の衆院選が最後の選挙)。
この間、1956年に第3次鳩山内閣が単純小選挙区制を、1973年に第2次田中角栄内閣が小選挙区比例代表並立制をそれぞれ衆議院に導入しようという計画を立てたが、大政党に有利である、選挙区の区割りがいびつであり恣意的である、などと批判された。特に区割りに関しては、1810年代のアメリカにおける事例、マサチューセッツ州知事エルブリッジ・ゲリーがサラマンダーの形をした自党に有利な選挙区をつくりゲリマンダーと呼ばれた故事をもじって、ハトマンダー(第3次鳩山内閣)・カクマンダー(第2次田中角栄内閣)と揶揄された。このような批判と、政権自体の求心力の低下により、両内閣とも導入を断念した。
また、日本の小選挙区制のモデルケースと目された奄美群島区で選挙がしばしば過熱し、選挙違反者の大量発生が続いた事も、小選挙区反対論の根拠となった(いわゆる保徳戦争)。
1980年代後半、中選挙区制の欠陥が指摘されると再び小選挙区制導入の論議がなされた。リクルート事件後の1991年、海部俊樹内閣および自民党執行部は小選挙区300、比例代表171の小選挙区比例代表並立制導入を企図するが、小泉純一郎らが反対を表明し推進派の責任者だった羽田孜に猛反発するなど党内調整が難航し、導入は見送られ、内閣は総辞職した(海部おろし)。
その後1994年、衆議院選挙で小選挙区比例代表並立制(小選挙区300、比例代表200)が導入され、1996年の衆院選から実施された。
なお、参議院選挙の1人区の選挙区(半数改選のため全体としては定数2人)も小選挙区とも表現されることがある。
また、都道府県議会選挙においては、定数1の選挙区、すなわち事実上の小選挙区制選挙で議員を選出する地域が多い。これは、同選挙の区割りが市・郡単位を基準に定められるが、その都道府県内での有権者数の比重が小さく、総定数の中から1人しか割り当てられない地域が多いためである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%81%B8%E6%8C%99%E5%8C%BA%E5%88%B6
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