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【神州の泉−高橋博彦】
2009年9月 8日 (火)
民主党の「国家戦略局」と自民党の「経済財政諮問会議」の違い!!
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本題に入る前に、政治ブログランキングについて少し。上位10位を見ると植草さんブログと「永田町異聞」さんを除いて、これらのブログがどうして10位以内に入るクオリティを有しているのか管理人は疑問だ。どうして、これらが国民の主要関心や興味を引き付けているのかさっぱり理解できない。
ランキングは、その時点で最も興味を持つ内容に対してクリックが行われるものと思うが、その部分で上位ブログには違和感がある。その理由は小泉新自由主義路線への強烈な反感によって、民主党に世論の軸足が大きく動いたにもかかわらず、一部を除く上位10位の内容にはそれが反映されていないからである。彼らは中国や半島を批判する方向性ばかりで、アメリカへの批判姿勢はほとんど見られない。管理人が日頃強く感じている「閉ざされた言語空間」に沿って、ランキング操作が為されているように思うのは、考えすぎだろうか。
さて、民主党は連立政権の政策合意が決まらないうちは、組閣メンバーの発表を控えているようだ。管理人は民主党の国策運営において、菅直人氏をヘッドにした「国家戦略局」が設置されたことを重要視している。昨日7日(月)の「永田町異聞」さんは、相変わらず渋い評論を行っていて、とても参考になった。「期待高まる国家戦略局の足を引っ張ってはならない」の一部を引用する。
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(引用開始)
たしか、竹中平蔵も同じ趣旨の発言をしたと記憶するが、昨日のテレビ番組で、自民党の菅義偉が、民主党政権の国家戦略局と、自民党政権の経済財政諮問会議との違いが分からないと話していた。こういうのを「そらとぼけて三味線を弾く」というのだろう。明らかな違いを、政治家が分からないはずはない。
首相直属の国家戦略局は、党の政調会長が担当大臣をつとめ、政府と党が一体となって政策決定するのがミソ。政調会というのは、党の政策審議機関で、そのとりまとめをする政調会長が戦略局の担当大臣になれば、政策決定の一元化が可能となる。自民党政権では、政策決定が内閣と党に二元化され、党がOKしなければ、閣議決定できなかった。
このため、政調会の部会で実権を握る族議員を育成してきた各省庁が、族議員に根回しをし、その力を借りて法案を通す見返りに、口利きや陳情に応じるという、悪しき慣行がまかり通ってきた。国家戦略局は、そうした族議員や官僚の暗躍する密室政治と訣別し、本来の政治主導を実現するために設けられる。
経済財政諮問会議と比較する場合の決定的な違いは、予算編成に対する関与の仕方だ。
(引用終了)
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(管理人)
「永田町異聞」さんによれば、竹中平蔵氏と菅義偉(すが よしひで)氏は、民主党の考案した国家戦略局と、第二次森内閣から始まった「経済財政諮問会議」が同じものじゃないのかと言っているらしい。基本発想としては、この両者はほとんど同じものであろうが、意思決定の二元化を防ぐという意味では運用形態が違うと思う。民主党の国家戦略局の方がまっとうで進化している。と言うか、小泉政権の私的諮問機関が異常だったのだ。
経済財政諮問会議は、表面上は経済財政政策において、「民間有識者の意見を政策立案に反映させる」ことを目的としている。要するに内閣が民間の意見を参考にするということだった。ところが小泉政権下では、この諮問機関が総理大臣の強力な親衛隊となって、経済財政政策において独裁的な発言権(主導権)を持っていたことはいまさら言うもでもない。これは小泉官邸主導政治の典型的な特徴だった。
内閣府と民間が混じったこの独特な形態には、諮問会議のほかにもう一つ、オリックスの宮内義彦会長が主導した規制改革会議があったが、これも「聖域なき構造改革」の中心であった規制緩和の骨子を決める独断的親衛隊組織であった。この両会議は、形としては、内閣府と民間人が参加していたが、大元の意志は日本国外だった可能性が非常に高い。つまり、対日年次改革要望書を計画したアメリカの政策集団が、この両私的会議に院政を敷いた可能性は高い。
今から思えば胡散臭いことこの上ないことだったが、この諮問会議設立は、従来の権力構造(旧田中派型の権力構造)を組み替えるために、重要政策が議論される場を、別の場所(アリーナ)に移して、既存の権力バランスを崩す目的だったらしい。議題決定の主導権の移動、政策決定過程の透明化、外部アイディアの参入など、いろいろと良さそうな理由があったようだが、簡単に言ってしまえば、旧田中派の完全殲滅のために、党内総意から政策上の意志決定を分離しただけのことに過ぎない。その大きな目的はアメリカの院政を私的諮問機関に装って、機能させることにあったと思う。
自公政権時代は、経済財政諮問会議と内閣総理大臣の連携があまりにも強すぎて、党内民主主義が機能しなくなっていた。それはオリックスの宮内義彦氏が率いた規制改革会議もまったく同様な位置を有していた。
もう少し砕いて説明しよう。今までの自民党政調会部会の在り方そのものが、鉄のトライアングルと言われた政官業癒着構造と強い関係を持っていたことは間違いない。それは国民側からいわせれば自民党55年体制が生み出した悪しき利権構造の温床ともなったが、再配分が担保されていた限りでは、それなりの機能を果たしていた。ところが小泉自民党は旧田中派撲滅のために、この構造を破壊した。その結果、内閣と党が水と油のように分離してしまった。
政策における意志決定が内閣と党で二元化してしまう弊害は甚大だった。それは別記事で書こうと思うが、小泉政権の負の領域を引き起こした主要な原因となった。自民党の党内民主主義が破綻したことは確かである。端的な事例を言うなら、2004年9月の郵政民営化素案の「四分社化」案において、党と内閣側の意志が完全に乖離したことだ。
2004年9月ごろから暮れまでは、郵政民営化概念図右下のように、竹中氏の主導した四分社形態は、ほとんどの自民党員が反対の立場にあったのだ。そのころの民営化の共通イメージは、左図のように「三事業一体化」のまま民営化の方向性を定めるということだった。ところが小泉元首相、竹中経済財政担当大臣、経済財政諮問会議のあるメンバーたちは、四分社化に強硬にこだわったのだ。
一般のニュースには出ていないが、鈴木棟一氏の著書を参照する限り、当時の自民党員が郵政公社のままで進む方向性で一致していたことは間違いない。2004年10月には、自民党合同部会の最初の議論において、与謝野馨氏ら政調執行部は、党の公約として民営化を前提として議論すべきだと意見を提示したが、小林興起議員がこれに待ったをかけた。
小林興起議員の言う、『政府は党を無視して勝手に基本方針を作った』という反論を皮切りに、党内では政府案への反対論が一気に噴出した。結局、この当時、政調会長や座長を除き、一般議員の席には民営化賛成論者が一人もいなかったそうだ。特筆すべきは、当時の小林興起、岩崎忠夫、小泉龍司衆院議員起議員は郵政民営化の売国性に気づいていた。
彼らは「分社化したら郵貯や簡保だけを外資に叩き売ることができる。日本の貴重な金を外資に渡すのは売国の行為だ」と指摘しているのだ。結局、合同部会会議での議論の方向は三事業の分離化を絶対条件とした小泉氏の思惑からは大きく異なって、公社のままで改革、三事業一体化の堅持という意見が多数出た。これに対し、小泉純一郎氏やイエスマンの武部勤元幹事長は解散風を吹かして党員に脅しをかけている。
管理人が言いたいことは、2004年のこの時点で小林興起議員が、『政府は党を無視して勝手に基本方針を作った』と抗議したことに象徴されているように、政府は郵政民営化の議案では、党の総意を完全に無視してして進めたことになる。もはやこれは政党政治の体を為していない。「聖域なき構造改革」は小泉政治の自己同一性であり、その中心である郵政民営化の議案に対し、党と内閣がこのような乖離を起こすというのは尋常ではない。
小泉官邸主導政治と言えば、官邸が決然とした態度でトップダウン方針を取ったかのように思われているが、管理人がわかりやすいように概念を単純化して言えば、小泉政権は、郵政民営化において、経済財政諮問機関と総理大臣を中心とした内閣府の主導で四分社化を強引に押し進めた。この時、党内総意であった三事業一体計画は一方的に反故にされてしまった。これが小泉官邸主導政治の実相と言っていいかもしれない。2004年から翌年にかけて、このような党と内閣の対立状況はニュースには出なかったと記憶している。
だから、経済財政諮問会議のような内閣府の私設機関が、党に対し越権的権限を持ってしまうと、正常な議院内閣制が機能しなくなるのだ。これは衆参両議院制の抑制機構が働く以前の段階であり、深刻な問題を含んでいる。民主党の場合は、党の政調会長が国家戦略局の頭目になることにより、小泉自民党が有していたその欠陥は克服された形になっている。従って、竹中平蔵氏らが言う「国家戦略局=経済財政諮問会議」という決め付けは的外れである。
最後に管理人は大きな疑念を持っていることがある。自民党が異常に重用した「経済財政諮問会議」と「規制改革会議」というのは、はたして内政にカテゴライズできる諮問機関だったのかという大問題である。管理人はそれらが米国政府の意思を代行する出張機関だったと考えている。
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