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【鈴木宗男から桜井よしこへの反撃 ? その2】---- ムネオ日記から
前回のムネオ日記に続いて桜井よしこの批判に対し反論を浴びせています。
天皇に対する桜井氏の意見を記載した雑誌記事まで調べ自身のホームページに記載しているところは、怨念まで感じさせます。
国策捜査をモノともしない根性男、気合は入っています。
この勝負、面白そうです。
鈴木宗男と佐藤優が外務省に対して持つ怨念爆弾がどうなるか・・・・興味は尽きません。
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http://www.muneo.gr.jp/html/diary200909.html
2009年9月4日(金) 鈴 木 宗 男
2日のムネオ日記で櫻井よしこ氏について触れたが、櫻井氏のことで想い出したことがある。
「『BRIO』という雑誌の2005年12月号に掲載されている作家で大学教授の島田雅彦氏との対談記事のことだ。次のくだりである。
櫻井:
私は東京裁判という国際法を無視した法廷で作られた“A級戦犯”は、戦争犯罪人ではないと思っています。
でもそれとは別に、どうして我々はあんな間違いをしてしまったのか、国家としてどうしてあんなところに落ちていったのか、ということを日本人が自ら分析して、責任を取る人を探し出していくことも必要だと思うのです。
それを日本人の手でやるべきでした。私たちに今そんなことができるかどうか。
あまりにも時間が経ちすぎていて難しい作業ではありますけれども、残されている膨大な記録を検証していくしかないと思っています。
それをすれば“A級戦犯”の人たちも、あの戦争ゆえに亡くなったことは確かなのだから祀ってもいいという結論に達するはず。
そして、突き詰めていけば、閣僚や軍人とともに、天皇陛下にも責任があったと私は考えています。
だから昭和天皇には敗戦のとき、退位をしていただきたかったですね。
(82〜83頁)
櫻井氏は、先の大戦における敗戦には昭和天皇に責任があると明言している。
それだけではなく、退位すべきであったとまで言っている。
先の大戦を天皇陛下の責任とする櫻井氏に唖然としたものだ。しかも、「退位をしていただきたかった」と、そこまで言う櫻井氏に憤りを感じたものである。
1964年に出版されたマッカーサー回想記の中で、昭和天皇のお言葉が載っている。
「私は、国民が戦争遂行にあたって、政治、軍事両面で行った全ての決定と行動に対する、全責任を負うものとして、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためにおたずねした。」
これに対し、マッカーサーは次の様に述べている。
「私は、大きい感動にゆすぶられた。死を伴うほどの責任、それも私の知り尽くしている諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引き受けようとする。この勇気に満ちた態度は、私の骨の髄までも揺り動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格においても、日本の最上の紳士である事を感じ取ったのである。」
このことを知り、当時私は大きな感動を覚えたものである。櫻井氏はこの昭和天皇とマッカーサーとのやりとりをどう受け止めるのであろうかお聞かせ戴きたいものである。
また2日の日記で取り上げた『正論』10月号の論文についても触れておきたい。
論文の中で櫻井氏は、故末次一郎氏と私とのやり取りについて次の様に書いている。
〈もうひとつの出来事は、故末次一郎氏に対する面罵である。
末次氏は「ミスター北方領土」と呼ばれるほど、日ソ・日露関係に深く長く関わってきた。
一貫して「四島一括返還」を唱える一方で、ロシアに太い人脈を有する専門家である。
その末次氏を、鈴木氏は2000年8月8日、日ロ友好議員連盟の通常総会の席で怒鳴りつけたのだ。
前出の「虚実…」より引用する。
〈「末次先生、この際、はっきり言わせてもらいます。(四島一括返還という)原則論ばっかり言って、何が進んだんですか。進まなかった責任はだれが取るんですか」マイクを通じた鈴木の面罵する声が部屋中に鳴り響いた〉、
〈末次が「今の対ロ交渉はロシア側の計略にまんまと引っ掛かっている(略)」と反論すれば、鈴木は「原則論で外交は動かない」などと大声で口をはさみ反論を許さない。司会者があわてて進行を打ち切るほど、二人の応酬は激しかった〉、〈その末次は鈴木との応酬を終えた後、こう漏らした。「(駐日ロシア大使の)パノフさんの前で、あそこまで言うのか。鈴木君は本当におかしくなったぞ」。直後、同じホールで記者団に取り囲まれた鈴木は「末次先生の時代は終わったんです」と声を張り上げた〉〉
公衆の面前で私と末次さんが激しい議論を交わしたことは事実であるが、それもお互い日本の国益を考えての、大人の議論である。
私は末次先生を怒鳴りつけたことはない。
「末次先生の時代は終わった」という発言をしたこともない。
「司会者があわてて進行を打ち切るほど、二人の応酬は激しかった」という事実もない。
末次先生は「鈴木君よりも私の方がソ連よりも長く相対してきた」と述べられ、それに対して私が「長くやられてきたことは存じ上げておりますが、それで何か結果が出たでしょうか」ということを言ったのだ。
櫻井氏も、引用するのならば正しい事実を書いたものを引用して戴きたい。
2日の日記でも触れたが、北海道新聞のコラム「虚実『鈴木宗男』を追う」は当時のメディアバッシングの中で書かれたものであり、その内容はまさに「虚実」なのだ。
私の批判をするのなら、櫻井氏自身の言葉でして戴きたい。
事実、議論の後も私と末次氏の信頼関係は消えていなかった。
その後も末次氏は資金面で私のところに相談に来られている。
それは末次氏が亡くなられるまで続いた。
このことは、末次氏の側にいた吹浦忠正氏が一番良く知っている。
櫻井氏も、「虚実『鈴木宗男』を追う」を鵜呑みにし、正確でない、事実でないまさに虚実の記事を引用するのはやめて戴きたい。
その場にいた出席者はじめ、当時の経緯を良く知る人物に直接聞き、このコラムが正しいか否かを検証してみるべきだろう。
そうして初めて引用すべきでないか。
7時40分羽田発で釧路へ向かう。11時から釧路港国際コンテナターミナル供用開始式に出席し、テープカットをする。
12時から内外ニュースの月例会で講師を務められる清宮龍先生にご挨拶に伺う。
15時05分釧路発で丘珠へ。16時50分から北海道税理士政治連盟第43回定期大会懇親会に出席し、挨拶の機会を得る。
各会合で気がつくことだが、応援して下さった人は喜んで近づいてくれるが、逆の人は何となくかしこまっている感じである。人の動きは見事に自分の立場を表している。
大変勉強になるものである。
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