政権獲得のために先送りした曖昧さはもはや維持できない 民主党に吹く「風」とは 八月三十日は第四十五回総選挙の投票日である。千葉を始めとする各政令市長選、静岡県知事選、東京都議選に表現された「政権交代」の流れは依然として続いており、ますます現実味をおびているとマスメディアは伝えている。最も直近の世論調査でも九〇%近い人が「投票に行く」「たぶん行く」と答えている。特に目を引いたのは毎日新聞の終盤世論調査で、〇五年の「郵政選挙」の際に比例代表で自民党に投票したと答えた人のうち今回も自民党に投票するという人は四二%で、残りの多くの人は民主党に投票すると答えている。逆に前回の選挙で民主党に投票した人の約八〇%が再び民主党に投票するといい、今度は自民党に投票すると答えた人はわずかに四%に過ぎない。 今、民主党に吹いている「風」というものの政治的実体は、前回の「郵政選挙」の際に自民党を押し上げた「無党派層」と呼ばれる票だけではなく、旧来自民党を支持してきた「自民党」票の二〇%から三〇%が民主党に流れているのである。「自民党票」が民主党に流れるということは自民党が基礎票を二〇〜三〇%失い、民主党はそのままこの票を上積みできるということであり、その差は一挙に倍加することになる。 〇五年の「郵政選挙」では「小選挙区制の効果によって、自民党は小選挙区での得票率が四七・八%であるにもかかわらず議席の七三%を獲得するという事態が生まれた」(『前衛』9月号、衆院選と選挙制度改革の展望)のであるが、今回の総選挙では民主党がこの小選挙区制の「恩恵」に浴するであろうことは明白である。ここにマスメディアが民主党の獲得議席を三百以上とする根拠がある。 〇五年の総選挙後、「小泉改革」の矛盾は全面化した。貧困の増大と格差の拡大。「消えた年金」問題、後期高齢者医療制度、そして「派遣切り」。さらには小泉、安倍、福田、麻生と四年間で次々に首相の顔を変えて国民の信をあおがない自公政権に対する不信と不満、そして閉塞感。それは特定の政党に期待するというより閉塞感からの脱出であり、自公政権党に対する不信が「政権交代」の流れとなって現れたのだ。 民主党は「連合」以外にまとまった政治的組織的支持基盤を持たない。多くは都市部の無党派層に依拠してきた。そのため〇七年の参議院では農村部への進出のために小沢は「農家への戸別補償」を持ち出したのである。小泉改革の「自民党をぶっこわす」は同時に、旧来自民党政権と結びつくことによって利権を守られてきた部分の離反を促進させることになった。農民、漁民、そして強力な援軍であった特定郵便局、そして建設関係、日本医師会などがそれである。 強力な支持基盤を持たない民主党は、旧来からの無党派層にプラスして自公政権からの離反、不満の「政権交代」の風に乗ったのである。風を後押ししているのは小選挙区制という選挙制度でもある。ここにわれわれと民主党の関係が凝縮している。大衆運動の「圧力」という統制がない限り、抽象的であっても圧倒的基盤を保守層に足を置く民主党は右に流されるのである。派遣法の改正もこの力学の中でとらえる必要があるだろう。 階級・階層的支持基盤 マスメディアは八月十八日の総選挙の公示後、「政権交代の可能性が高まる歴史的な総選挙、……各党のマニフェストこそ重要である」と、時には各党の主張を比較する図やグラフまであげて連日論評している。作家の高村薫も今こそ有権者は冷静な視点が必要であると指摘する。「さて、私たちは次の政権に何を望むのだろうか。地方と都市。正規雇用者と非正規雇者。公務員と一般。高齢者と現役世代。富裕層と貧困層。……一方を立てれば他方が立たず、両方を立てようとすればバラマキになる。……しかし、財源はつねに有限である。……この相反する利害の調整と配分こそ政治の命題そのものであり、……国のかたちというものである」(朝日新聞、8月28日)。 民主党は「暮らしのための政治を。いよいよ政権交代」のキャッチフレーズのもとに「五原則」「五策」と「国民の生活が第一」で始まる七項目にわたるマニフェストを提案している。旧来民主党は構造改革・規制緩和路線を全面に掲げてきた。とりわけ小沢はすでに九〇年代に消費税に代わる七%の「国民福祉税」構想を掲げるなどその旗を鮮明にしてきた。だが〇五年の「郵政選挙」で構造改革の旗印を小泉の自公政権に奪われ、後に隠さざるをえなかった。そして小沢は自ら代表になった〇七年参院選では、旗を隠したまま「子ども手当」「農家への戸別補償」などのバラマキ政策を掲げて大勝した。今回のマニフェストはこの〇七年参議院の「国民の生活が第一」「三つの約束・七つの提言」のバラマキ政策を焼き直したものに過ぎない。 七月の国会解散の後、民主党の鳩山がマニフェストをめぐって二転三転した背景にあるのは新自由主義路線とバラマキ政策の矛盾そのものに起因している。さすがに鳩山はバラマキ政策を押し進めるために麻生のように「私は郵政民営化に反対であった」と厚顔無恥にはなれなかったのである。今日民主党は、小泉―竹中の規制緩和政策の限界を指摘し是正を叫ぶことができても新自由主義路線からの転換を提起できない。それはマニフェストで日本経済の内需主導型への転換を主張しながらも自動車、電機などの輸出型産業に依存する旧来の経済・産業構造のあり方に手をつけることができないことでも明らかである。この曖昧さは、高速道路料金の無料化であり、消費税について「無駄遣いをなくし、その後、もし必要な時には選挙でお願いするかもしれない」にも共通する。また日本共産党が指摘しているように「農業の『戸別所得補償制度』の創設により、農業を再生し、食料自給率を向上」させるといいながら、外交政策部分で「米国との間で自由貿易協定(FTA)の交渉を促進」を掲げ、最終的に米生産を犠牲にする政策の推進でもそれは証明されている。民主党にとって旧来マニフェストは政策というよりも選挙の票が目的であった。それは民主党が一定の階級、階層に政治的組織的基盤を持たないことの裏返し的表現でもある。 労働者・市民からの圧力 民主党のマニフェストにおける「抽象性」や「先送り」は、選挙対策にとどまらず民主党の形成過程にその本質が存在するという指摘がある。 「保守主義を基本にした旧自民党系、社会主義と共産主義を混在させた旧社会党系、基本的には反政府、反権力志向の市民運動出身者が多い旧さきがけ系、それに外交・安保保障に関しては自民党より右寄りだが、それ以外に関しては社会民主主義を掲げる旧民社党系……結局は新民主党は理念や内部で意見が分れたり、対立に陥ったりする政策に関しては、ほぼ完全な『先送り』状態の中で船出したといえる」(伊藤惇夫『民主党』、新潮社新書)。 一九九三年、戦後三十八年間にわたって続いた自民党と社会党の対決を軸にした「五五年体制」が崩壊し、細川非自民連立政権が発足した。この体制は細川らの「日本新党」、野党が提出した宮沢内閣不信任決議案に賛成して自民党を割って出た小沢、羽田らの「新生党」、直後に自民党を離党した武村、鳩山の「新党さきがけ」と社会党、公明党、民社党などが「小選挙区比例代表並立制導入を柱とする選挙制度の年内実現」を合意して成立した。この細川政権は約十カ月で崩壊したが、それ以後細川政権を構成した小政党や政治グループは十数回にわたって離散集合を繰り返してきた。それにもかかわらず「新民主党」を軸とした反自民連合が十数年間にわたって維持されたのは、小選挙区制のもとでは、民主党は「反・非自民」の受け皿であり、小政党はここに結集しない限り、政治的に生き延びることができないばかりか政権獲得を「夢みる」ことも絶対に不可能であったからに他ならない。「豪腕」と名指しされた小沢でさえこの政治的枠組みを越えることはできなかったといえる。 「民主党が九八年四月に掲げた『基本政策』は今もそのまま生きている。……ズレや対立を、ひとまず『先送り』することでお互いが妥協した結集、『外交・安全保障』の項目での、国際社会の利益と調和させつつ、わが国の安全と主体性を実現していく『外交立国・日本』をめざすなどという……その内容は極めて抽象的なものとなった」(前掲、『民主党』)。 今や政権党になった民主党にとってマニフェストは「選挙目当て」で済ますことはできないし、まして「先送り」することはできない。自公政権を崩壊させ民主党を政権党に押し上げたのは、新自由主義的政策の破産を全面的に押しつけられた労働者人民であり、彼らは即時に「改革からの転換」を要求するし、それが実現できないならばすぐに衝突、離反することになることは明白である。さらにブッシュ政権の対テロ戦争に全面的に加担して形成された新たな日米同盟が重くのしかかる。アメリカは自公政権との約束の「踏襲」を要求し続けるであろう。そしてあらゆる機会を利用し民主党政権は、日米同盟の実質的「踏襲」にカジを取ろうとするであろう。 自公政権は労働者人民の怒りで打倒されたが、それによって成立した民主党政権を再び自公政権と同様の「保守政権」に押しとどめるのか、戦争国家体制づくりを中止し、新自由主義に断固として反対する政治的方向に歩みを進め得るのかは闘う側の力が決定する。それは大衆運動によって統制することだけが新しい闘いの水路になり得ることをわれわれに暗示・警告している。(松原雄二)
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