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http://www.ozawa-ichiro.jp/massmedia/contents/appear/2009/ar20090723115326.html
自民党を震え上がらす これが小沢選挙だ
日刊ゲンダイ
「選挙に強い小沢」の神話が民主党内で実話となって広がったのは、06年4月の衆院千葉7区補選がキッカケだ。
「メール問題」で民主党人気はガタ落ち。前原代表が引責辞任し、本命候補も立候補辞退。「敗戦確実」とみられた補選だったが、小沢が新代表に就任するやいなや、形勢逆転。勝利に導いたからである。
「告示(4月11日)直前の7日に小沢代表に代わって……。最初は、プラスなのかマイナスなのか、不安でした」
この補選で急きょ担ぎ出された県議出身の太田和美は、当時をこう振り返る。
選挙期間中、小沢は3度、選挙区入りした。太田を含め陣営を驚かせたのは、遊説場所の選び方だ。
「いわゆる『川上から川下』です」
川の下流で問題が起こればその原因の多くは上流にある。それと同じで、「川下の票を効果的に取るなら、まずは川上を押さえよ」というのが小沢選挙の“鉄則”だ。川上は高齢者が多く人口は少ない。しかし、親世代の声は必ず川下の子どもや孫世代へ伝播するというのだ。
「小沢さんが最初に向かったのは、千葉の最北にあり、茨城、埼玉に囲まれた田園風景の広がる『関宿町』。でも、小沢さんが来るというだけで、200〜300人も集まったからすごい。『候補者と一緒に立ってどうするんだ。候補者は別のところを回れ』と言われ、私は別行動でした」
2度目の小沢の選挙区入りは流山市。自転車で遊説し、「あの小沢が自転車に乗る!?」と話題になった。そして3度目が最も人通りの多い新松戸駅前。それまでの民主党なら、真っ先に演説場所に選ぶ「駅」を後回しにしたのだった。
そして、票の掘り起こしのために、所属全議員に千葉入りを命じたが、これが後の民主党の足腰を強める結果になった。
駅前に立って不特定多数に訴えかける「空中戦」しか知らなかった民主党の若手が、有権者にこまめに接し、企業・団体を回る「地上戦」のノウハウを学んだのは、衆院千葉7区補選だ。
小沢が代表に就任した直後に行われたこの補選には、自・民両党が国会議員を続々投入し、「千葉7区が『ミニ永田町』になった」とまで言われた。自民は、当時の武部幹事長が小泉チルドレンを大勢街頭に立たせたものの、「最初はグー、斎藤健」という候補者名を叫ぶだけのフレーズで恥をかいたのとは裏腹に、民主は小沢が所属全議員に千葉入りを命じ、徹底的に水面下に潜らせた。
「おまえら国会議員のことなんか誰も知らない。マイクなんか持たせても仕方ない」
小沢は全議員に、千葉の親類縁者や企業関係者の名簿提出を指示し、地べたを回らせた。弁護士出身の議員には、「弁護士会は既に自民党に押さえられているなんて言うな。弁護士バッジを着けた人間が同業者を訪ねれば、耳を傾けてもらえるもんだ」とハッパをかけたという。
「天下国家は逃げない」――。1、2期生の若手議員に小沢がよくいう言葉だ。民主党内には「国会議員は政策こそが大事」と、永田町にへばりつく議員が多い。しかし、「大衆の中に飛び込んで国民が何を考えているかを知ることの方が重要。1、2期生のうちはドブ板で鍛えてもらって、自分を磨く。天下国家を考えるのはそれからでも遅くない」というのが小沢の持論。小沢の「選挙至上主義」には党内で賛否あるが、これを実行に移した若手の足腰が強くなったのは言うまでもない。
「選挙の小沢」を決定づけた07年の参院選。29ある1人区で「23勝6敗」と圧勝し、与野党逆転を成し遂げた。口先だけだった前代表の前原誠司との力量の差を見せつけた。
いまでも党内で語り草なのが、小沢一郎が「選挙初日」の遊説先に選んだ鳥取県での戦いぶりだ。鳥取は自民党の牙城。民主党が議席を確保するのは、絶望的だった。
「7月12日は、激しい台風が日本列島を襲い、とても鳥取まで行ける天候ではなかった。交通手段がないのです。ところが、小沢代表は『どうしても行く』と小型機を探しだし、飛んだのです」(民主党事情通)
小沢一郎が向かった先は、鳥取県の山の中。米子空港を降りてから、延々、クルマを走らせた。過疎地だけに、せいぜい聴衆は150人程度かと思われたが、集まった聴衆は2000人以上。
「聴衆を見つけた小沢代表は、すぐに『クルマを止めてくれ』と叫んで飛び出し、2000人全員と握手して回った。普通は演台近くの数人の有権者と握手し、すぐさま演説するものです。2000人一人一人と握手することはあり得ない。これで集まった聴衆は、いっぺんに小沢ファンになった。偵察に来ていた地元の自民党幹部は、その様子を見て『自民党は負ける』とつぶやいたそうです」(地元関係者)
小沢は、地元の県議や市議に“前座”として演説させることをしない。2人も3人も演説した後では、“真打ち”がスピーチする頃には聴衆の集中力もなくなっているからだ。小沢は一人一人と握手した後、一気にしゃべりだす。うまいとはいえない演説だが、聴衆は引き込まれ、感動するのだ。
この小沢一郎のエネルギッシュな活動を聞いた他の候補者たちも鼓舞された。参院選の圧勝は、決して風だけではない。起こるべくして起きた結果だった。
07年の参院選では毎週、候補者の元に小沢から「檄文」が届いた。
〈幸運の女神は、前髪しかないと言います。女神の先に回り込み、その前髪をつかんだ人にだけ、女神が微笑みます。私が先頭を走ります。ともに女神を追い抜き、勝利を手にしようではありませんか〉
強面の小沢らしくない文章に思えるが、「一緒に勝利を掴もう」という強いメッセージは候補者を鼓舞するのに十分だった。
「公示日の朝、事務所の壁に張られた『檄文』を見て、魂が震えました」
当選した議員のひとりがこう振り返る。
地べたを這い回る候補者に対して、小沢は想像以上に面倒見がいい。総選挙に向け、臨戦態勢の新人や浪人候補には、徹底した小沢流“ドブ板”が伝授されている。
@1日50カ所の辻立ち
Aポスターは3000〜5000枚張れ
「政策うんぬんよりもまずは自分を見てもらうことが重要。ダラダラ演説していては50カ所を回りきれません。私は、2、3分おき、400〜500メートルおきに移動してしゃべっています。内容は名前と政策ひとつでいい」(東海地方の新人候補)
この候補は、年末年始の活動について、小沢から次のような指示を受けた。
「除夜の鐘が鳴る前に神社の前に立て」
初詣でにやってくる人たちを、「あけましておめでとうございます。○○です」と挨拶して迎えたという。
そしてもうひとつ。候補者が「焦った」「驚いた」と口を揃えるのが、小沢の「抜き打ち事務所訪問」だ。
「正月明け、ちょうど渡辺喜美さんが自民党を離党した頃かな。事務所で年賀状の返事を書いていたら、『やあやあ』と言いながら、突然、小沢さんが入ってきたんです」
こう話すのは、衆院選で東京11区(板橋区)から出馬する新党日本・有田芳生。これぞ、小沢の“抜き打ちチェック”だ。全国を行脚している小沢は、気になる候補者をふらりと訪ねる。民主党の公認候補はもちろんだが、推薦候補の有田の事務所にまでも出向いていた。新党日本の田中康夫代表との個人的な関係の深さがあるとはいえ、小沢選挙のこまやかさがわかる一例だ。
ただし、抜き打ちチェックとはいえ、小沢はこうしろ、ああしろなどと、厳しく叱るわけではなかったと、有田は言う。
「丸イスにすわって、にこやかに『どうだぁ』『どういう運動をやっているんだ』って。お茶を出そうとしたけど、お湯が沸騰する間もなく、帰って行きました。滞在はものの10分でしたね」
選挙区の地図が張ってあるか、候補者の靴はすり減っているか……。ひと目見ただけで、候補者が熱心に運動しているかどうかなんて、小沢には、一発でわかるのだろう。
「小沢さんの頭の中には、全国の選挙区の地域性や文化性、問題点など、さまざまなデータがインプットされている。それに、全国の候補者事務所に送り込んだ自分の秘書たちからの最新情報が追加され、情勢判断の材料となるのです」(民主党関係者)
抜き打ちチェックは、事務所訪問に限らない。秘書を介して直接電話もかかってくる。
「どこでそんなことを聞いたのか、というくらい、驚くほど詳細な情報で、『これこれには注意して』といったアドバイスをくれます」(首都圏の新人候補)
こうして候補者に小沢選挙が浸透していく。
小沢イズムの薫陶を受けた2人が07年の参院選で議席を得た。平山幸司(青森=39、元旅行会社社員)と大久保潔重(長崎=43、歯科医、元県議)。ともに「小沢塾」の出身者だ。
小沢一郎政治塾。新しい日本のリーダーを育てる目的で01年に当時の自由党が設立した。小沢がモデルとしたのは、吉田松陰の松下村塾。下級武士や名もなき町民が明治維新の国を創った。平成の今、それを再び、というわけだ。03年に自由党が民主党と合併して以降は、小沢の私塾として続いている。
「塾のカリキュラムは、年2回の3泊4日の合宿とリポート提出のみ。期間は2年。よく『松下政経塾』と比較されますが、あちらは給料をもらいながら調査研究をするけれど、小沢塾は塾生が仕事を休んで合宿費を払って参加するという点で大きく違います。1期30人ほどで、商社マンや銀行マン、官僚、弁護士、ベンチャー起業家などが参加していました」(民間企業で働く卒塾生)
塾は、実質的に小沢系の国会議員グループ「一新会」が運営している。合宿には、彼らも塾生と一緒に宿泊し、夜中まで語り合う。合宿の最終日前日にはOBも集まる。塾で選挙のノウハウを直接教えるわけではないが、政治や選挙に対する小沢イズムは、一新会の議員やOBを通じて叩き込まれる。
卒塾生はこれまでに国政選挙で何人も落選してきたが、07年参院選で初めて2人が当選した。いずれも、小沢が必勝と掲げた1人区での当選だった。次期衆院選には中野渡詔子(青森2区=38)、坂口岳洋(山梨2区=38)、柴橋正直(岐阜1区=29)、大谷啓(大阪15区=38)の4人が民主党公認で出馬する。
「選挙活動について、小沢先生から直接的な指導は、ほとんどなかった。『石にかじりついてでも必ず這い上がってこい』。このひと言だけでした」
07年の参院選で、自民党の牙城だった1人区の青森で現職の山崎力を破って当選した平山幸司(39)は、こう振り返る。平山は小沢塾の3期生。「直接的な指導がなかった」というのは、裏を返せば、指導しなくとも、小沢の考え方や小沢流の“ドブ板”が既に身についていたということだろう。高卒で旧建設省に入ったが、4年で退職。夜間の大学を卒業後、オーストラリアの旅行会社で働いていた02年、小沢塾に応募した。
平山に公認が出たのは06年夏。以降、小沢は少なくとも5回青森に入ったが、平山と一緒になったのは、公認決定時と選挙期間中の1日のみ。それも、郡部の七戸でやった街頭演説の一瞬だけだった。
小沢の教えをベースに、平山は「3つの挑戦」と自ら銘打った選挙運動を展開した。1つ目は、「120大作戦」。1日120カ所の辻立ちだ。
「小沢先生は候補者に『辻立ち1日50回』と言いますが、自分は劣勢だったので、1日120回と決めました。午前8時から午後8時まで、昼メシを食わず6分に1回のペースで演説しました」
2つ目は、「チャリンコキャラバン隊」。42日間かけて、津軽(県西部)を自転車で1周した。
3つ目は、なんと「土下座」だ。街頭演説の終わりに「どうかみなさん、お力を貸してください」と、アスファルトに両手をついた。古い自民党の長老ならまだしも、平山は当時37歳だ。聴衆が驚いたのは想像に難くない。
「『国民の生活が第一』の政治を実現するための信念に基づいた行動です。そのためには、自分のプライドなんて関係ありません」
こうして、小沢の至上命題だった1人区が1つひっくり返ったのだった。
「大衆」を動かす時は短時間でもいいから数多くの人と会うのが小沢選挙。だが、「組織」に対しては、手法が全く異なる。徹底した「膝詰め」で時間をかけて相手の気持ちを掴むのだ。
06年の千葉7区補選の時のこと。労組対策で、当時代表だった小沢が真っ先に会いに行ったのは、地元の小さな単組、それも旧総評系の組合だった。
「旧総評系は今でも社民党支持の先鋭的な左派組合が多い。保守の小沢さんからは一番遠い存在なのに、真っ先にわざわざ訪ねてくれたことで、そこの組合員はみな意気に感じて、逆に小沢ファンになってしまった」(旧総評系組合員)
選挙の応援を頼むのに、小沢は理屈など並べなかったという。
「『力を合わせて、政権交代を実現しよう』。とにかく、これだけでした。それ以後、小沢さんのためならやる、という空気ができました」(前出の組合員)
前原元代表時代にギクシャクした労組との関係を修復するため、小沢は代表就任直後に自ら連合本部に挨拶に出向いた。以降、小沢が地方行脚する際は、連合政治センターの山口茂記事務局長が帯同し、連合の地域本部を訪ねている。
地方行脚では、小沢は現場の労組幹部に会う。居酒屋で一緒に酒を酌み交わし、じっくり話を聴く。しかも、必ず上着を脱ぐ。
「そういう時、小沢さんは、一番狭い部屋を用意させるんです。からだを寄せ合うくらいの距離で話し込む。そうすることで、初めて一体感が生まれる」(民主党関係者)
この前の代表選でも分かるように、いまや小沢は党内の旧社会党系議員をほとんど味方に取り込んでいる。代表代行の輿石東や衆院副議長の横路孝弘ら大幹部も小沢の仲間だ。彼らの支持母体の労組が“小沢ファン”になっているのだから、当然である。
小沢一郎の「選挙の強さ」を語るうえで欠かせないのが、選挙を熟知した「秘書軍団」の存在だ。小沢の手足として日本全国に派遣され、重点選挙区を渡り歩いている。
「これまで民主党は『正規軍』だけでしたが、小沢さんが代表になって秘書軍団が『ゲリラ部隊』として加わった。これが大きい」と評価するのは、民主党関係者だ。
“伝説”にもなっている小沢秘書軍団は、ざっと15人前後。多くが小沢邸に住み込み、寝食をともにした「書生」上がりだ。
「ゲリラ部隊」と称されるのは、「自己完結」だからである。交通費、宿泊費、レンタカー代、ガソリン代、飲食代……党や候補者に一切頼らない。現地での活動も党の指示を受けず、独自に動いている。それが出来るのも、当選のためには、なにをすればいいのか、自分で判断できる選挙のプロぞろいだからだ。
「秘書軍団は、北海道、東北、九州、四国と、それぞれ担当する地域を割り振られます。1人の候補者に張りついているわけではありません。任された地域の全責任を負わされる。それだけに、『仲間の秘書に負けられない』とみな死に物狂いです。昨年秋に担当地域に派遣されてから、東京に戻ってくるのは、1カ月に1回です」(民主党事情通)
秘書軍団は、ある候補者の事務所に派遣されると、率先して動き回る。誰よりも朝早く事務所に行き、ビラ配り、戸別訪問、後援会づくり、ミニ集会の開き方、支持団体との付き合い方などで手本を見せる。自分でやってみせて教え込む。候補者やスタッフがある程度覚えたら、次の候補者の事務所へと渡り歩いていく。
党本部や県連から派遣された「正規軍」のように、ふんぞり返っていることは決してない。幹事長代理の野田佳彦(千葉4区)は、派遣された秘書軍団のひとりが、ある日はミニ集会での司会、ある日は会場の入り口でのビラ配りと、いつも見かけるので「君はどこにでもいるな」と、24時間フル活動していることに驚いたという。
小沢代表代行の選挙の特色は「選択と集中」にある。選挙に勝つために、どうすれば限られた「資金」や「人材」を有効活用できるか徹底している。
その徹底ぶりが、ある時は「冷徹」に映るようだ。
小沢は、民主党が政権を取るためには、最低でも、小選挙区で過半数の150超を獲得する必要があると考えている。そのために、勝敗ラインぎりぎりの「重点選挙区」だけを集中的にテコ入れする戦略だ。「重点選挙区」以外は、ほとんど支援しないのが、小沢流である。
「前回、小選挙区で勝った約50人は、なにがあっても当選するだろうから支援するつもりはない。比例区で復活した約50人も、自力で小選挙区で勝ち上がってもらわないと話にならないので最低限のカネしか流さない。問題は残りの50人です。ここに資金を集中投下するのです。小沢さんが誇る『秘書軍団』も、この50人を中心に張りつけています」(政界関係者)
全国行脚する時も、激戦区ばかり選んでいる。たとえ、小沢に近い「一新会倶楽部」のメンバーでも、勝てそうもない選挙区には足を運ばない。逆に、小沢と距離が遠くても、「重点選挙区」は好き嫌いに関係なくテコ入れしている。非常に合理的だ。
現職の岩国哲人を神奈川8区で公認しなかったのも、公認しても勝てないし、公認したら無所属の江田憲司と共倒れになって自民党を利するだけだと判断したからだ。現職議員を切り捨てる冷徹なことは、普通の党首にはできない。
「2年前の参院選の時、小沢さんは勝敗を決する1人区に集中的に資金を投入した。あまりにも大胆なカネの使い方に、ある幹部が『次の総選挙のために、少しカネを残したほうがいいのでは』と話すと、『なにを言っているのか。選挙に負けてカネを残しても仕方がない。すべて注ぎ込む』と一歩も引かなかった。結果的に29ある1人区で23勝6敗と圧勝しています」(民主党事情通)
衆院選の小選挙区150制覇も、小沢選挙なら難しいことではない。
こと選挙に関して、メディアの使い方がうまいのが小沢一郎の特徴だ。どうすれば票が増えるか、緻密に計算している。
「小沢さんは中央の大手メディアは相手にしていません。もともと権力側寄りだから、なにを言おうとよくは書かれない。重視しているのは、地方紙です」と、民主党の中堅議員がこう言う。
「東京で記者会見しても、朝日や読売の政治面に小さく載るだけです。ほとんど読まれていない。しかし、全国行脚で地方に足を運び、現地で記者会見すると、たいした中身でなくても、地方紙は破格の扱いをしてくれる。ほとんどが1面トップです。地域によっては、地方紙のシェアは50%を超える。そこで大きく取り上げてもらえば、インパクトが大きい。効率がいいのです」
地方行脚の記者会見では、東京からついて来た番記者の質問には素っ気なく、地方紙記者の質問には懇切丁寧に答える。地方紙記者はこれだけで大感激。記事も大きくなる。
地方紙とともに重視しているのが、ネットだ。意外かもしれないが、小沢ほどネットメディアを活用している政治家は少ない。
08年10月には、インターネット番組にゲスト出演し、タレントの上原さくらを相手に私生活を赤裸々に語っている。
さらに12月31日と、09年1月1日は、ネットサイト「ニコニコ動画」の1万人公開生中継に出演といった具合だ。
「郵政選挙の時、20代、30代の若者がどっと自民党に流れたのをみて、若者には政治を動かす力があると実感したようです。ただし、いくら既存のメディアで発信しても、若い世代には伝わらない。ウイングを伸ばすには、ネットが最適だと思ったのでしょう。その点は非常に柔軟です。と同時に、双方向性の対話方式なら、直接、自分の言葉で訴えられると感じたようです」(民主党関係者)
その成果で、西松献金事件の時、ネット世論調査では小沢支持の方が多かった。いまだに大新聞・テレビだけを最重視し、世論の風向きを見失う自民党とは、ここが大きく違う。
(おわり)
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