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(回答先: 渡邉良明氏書評:植草一秀著『知られざる真実―勾留地にて―』を読んで 続き1 投稿者 クマのプーさん 日時 2009 年 8 月 31 日 11:27:54)
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/WA2-65.HTML
2009.6.15
植草一秀著『知られざる真実―勾留地にて―』を読んで 続き2
――植草氏の一日も早い名誉回復を祈りたい
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◆小泉・竹中政権を批判した「りそな」社長の悲劇
人さまざまであるが、なかには自らが受けた屈辱や恨みを百倍や千倍にして晴らそうとする人間がいる。私は、小泉純一郎氏や竹中平蔵氏がまさにそのような“人種”だと感じる。また彼らは実に執念深い人物たちだと思うのだ。
植草氏は「標的にされたりそな銀」というタイトルで実に興味深い記述をしている。それは次のようなものだ。長くなるが、どうかご了承いただきたい。
《国民の関心が拉致問題に転じるなか、(2003年)9月30日に内閣改造が実施された。竹中経財相が金融相を兼務した。政治専門家は竹中氏の金融相就任は米国政府によるものと指摘した。
金融相就任後、竹中氏は「金融分野緊急対応戦略プロジェクトチーム(PT)」を発足させ、10月30日に「金融再生プログラム」を発表した。不良債権処理方法の見直しが表明され、金融機関の資産査定厳格化、自己資本充実、ガバナンス強化などの方針が示された。資産査定厳格化の一環として「繰延税金資産」計上ルールの見直しが提示された。
「繰延税金資産」が「りそな銀行疑惑」のキーワードだ。銀行は融資先企業の倒産に備えて「貸倒引当金(かしだおれひきあてきん)」をあらかじめ積み立てる。この「引当金」は損金と認められず課税対象になる。だが、事後的に融資先が倒産し、実際に焦げ付いた段階ですでに納付した税金がその時の納税額から差し引かれる形で還付される。
分かりにくいが、将来還付される税額をあらかじめ自己資本に計上するのが「繰延税金資産」である。つまり、将来戻ってくることを見込んで、会計上税金の支払いがなかったことにできる制度だ。銀行には5年分の「繰延税金資産」計上が認められてきた。
竹中氏は「金融再生プログラム」のなかで自己資本算定ルールの厳格化を試み、「繰延税金資産5年計上」を変更しようとした。2003年3月期決算から、税効果会計の資本繰り入れ限度を米国基準と同じく中核的自己資本の1割に圧縮しようとした。銀行界は一斉に猛反発した。
当時の銀行にとって自己資本比率は死活問題だった。達成基準は国際基準8%、国内基準4%だったが、ほとんどの銀行の自己資本比率が8%を割り込み、国際業務から撤退した。保有株式含み益の45%が自己資本に組み入れられていたが、株価暴落が銀行の保有株式含み益を激減させ、自己資本比率が急低下した。 株価、地価の暴落で、すべての銀行が自己資本不足に直面した。自己資本比率を大幅に低下させるルール変更が提案された。竹中氏は会計ルールを変更して銀行の自己資本過少状態を生み出し、銀行の実質国有化、外国資本への提供を企てたと考えることもできる。
しかし、競技進行中のルール変更は「ルール違反」だ。「繰延税金資産5年以上」は適用されていたルールだ。期中のルール変更は正当化できない。ルール変更には、十分な認識、公正な決定、周知および準備のための猶予期間確保が不可欠だ。竹中氏は3週間で結論を出し、2003年3月期決算から適用する案を示そうとした。傍若無人の行政運営だ。10月22日に提案を公表する意向が持たれたが、銀行界、自民党からの猛反発で、結局、会計ルール変更は「金融再生プログラム」に盛り込まれなかった。
このプロジェクトチーム(PT)に木村剛氏が名を連ねた。竹中氏は木村剛氏から多くの知識を得たと思われる。会計ルール変更を試みた竹中氏は銀行界などからの正当な反発に直面し、譲歩せざるを得なった。竹中氏は振り上げた拳(こぶし)の下ろし処(どころ)をなくした。リベンジ(復讐)のためにいけにえにされたのが「りそな銀行」だったのだと思う。》
ここには、竹中氏が自分の意思や愛国心から仕事をしたというより、むしろ外部(=アメリカ大資本)からの指令で事を急いだ状況がありありと現れている。それと重要な点は、竹中氏が木村剛氏と結託していたという事実だ。一世を風靡した観のある木村氏だが、彼は竹中氏と強力なタッグを組むことで政・財界の中枢に食い込んでいった。
第一、私は、いままでも述べたごとく、竹中氏を、それほどオリジナリティや知性のある人とは思わない。彼はすべて、人頼みなのだ。言うなれば、同氏は、“寄生虫”のような人物だと感じる。つまり、彼はある時は本間正明氏、またある時は高橋洋一氏(*窃盗事件で書類送検された元東洋大学教授)、さらには木村剛氏や宮内義彦氏、それに西川善文氏といった具合に、自分にとって有益な「情報」を提供する共闘者を次々と変えて自らの権力を強化していった。だが、最も強力な彼の共闘者はアメリカのロバート・ゼーリック氏(小泉政権時代の合衆国通商代表)であろう。だが実のところ、ゼーリック氏は竹中氏の共闘者というよりも、むしろ彼の“ご主人さま”だったと思う。つまり竹中氏はゼーリック氏の忠実な下僕にすぎなかったと思うのだ。 上記の「竹中氏は振り上げた拳の下ろし処をなくした」という植草氏の明察に注目したい。彼は次のようにつづける。
《竹中氏は金融相就任直後にニューヨーク・タイムズ紙のインタビューに「日本の大銀行が大きすぎるからつぶせないとの考え方を取らない」とコメントした。竹中氏は弁解したが、金融市場は大銀行実質国有化に向けての政策当局の意向を敏感に感じ取った。金融市場は小泉・竹中路線が大銀行破綻を視野に入れたと理解した。これが株価暴落の原因になった。株価暴落は意図的に誘導されたとも考えられる。株価暴落とその後の株価急反発はいずれかの時点から意図された可能性が高い。重大な疑惑が広がる。
大銀行が破綻すれば連鎖的に企業が倒産し、次の大銀行破綻が発生する。破綻の連鎖が「金融恐慌」だ。1927年、関東大震災後の金融混乱のなかで片岡直温(なおはる)蔵相が「東京渡辺銀行が破綻した」と議会で発言した。これが「昭和金融恐慌」の発端になった。
2003年初頭、どの銀行も実質破綻の状況にあった。政府が景気悪化―株価下落―地価下落を推進した。銀行の自己資本比率低下は必然だった。銀行の実質破綻の責任の大半は政府にあった。銀行に「自己責任」を問うことは理不尽だった。
98年に破綻した日本長期信用銀行、日本債券信用銀行を政府は破綻するまで「健全銀行」「債務超過でない」と認定した。ところが、破綻処理後に判明した実態は長銀が3兆6000億円、日債銀が3兆2428億円の債務超過だった。
銀行の自己資本比率に実体上の意味はなかった。2003年3月末時点の銀行資産を実態に即して厳格に査定したら、大半の銀行が債務超過、破綻に追い込まれたはずだ。りそな銀行だけが危機に直面したのではない。りそな危機は二重、三重の意味で「政治的に」演出された。小泉政権批判勢力への恫喝、政府による大銀行乗っ取り、外国資本への利益供与、などの思惑によって仕組まれた危機だったと考えられる。》
植草氏の「りそな銀行だけが危機に直面したのではない」との言葉に読者も目を奪われることだろう。正直、私もショックだった。だが、それが真実なのだ。植草氏の文章はまったく無駄がなく、実に淡々とした筆致だ。とくに同氏は非常に公平・無私な学者であるから「事実」以外のことは語らないと思う。とりわけ、上記の最後の文章は日本人が深く認識すべきことだ。また、これらのことを当時の小泉政権で主導したのが竹中平蔵氏である。私は“その罪や浅からぬ”と思う。
植草氏は次のようにつづける。
《竹中氏は2002年10月の会計ルール変更の企てに挫折したのち、そのリベンジの意味を兼ねて2003年3月期決算での銀行国有化に向けての動きを本格化したと思われる。日本公認会計士協会は2003年2月25日に「主要行の監査に対する監査人の厳正な対応について」という「会長通牒」を出した。
2月24日付会長通牒プレリリースは、「『金融再生プログラム―主要行の不良債権問題解決を通じた経済再生』(平成14年10月30日金融庁)では、繰延税金資産の合理性の確認のため、また、資産査定や引当・償却の正確性、さらに継続企業の前提に関する評価については、外部監査人が重大な責任をもって厳正に監査を行うことを求めております。このために、日本公認会計士協会では、金融庁からの要請に基づき、『主要行の監査に対する監査人の厳正な対応について』を会長通牒として取りまとめ、主要行の監査人に通知いたしました」と記した。
会計ルール変更に失敗した竹中氏は、公認会計士協会会長通牒による実質的な会計ルール変更に向けて行動したと考えられる。公認会計士協会の奥山章雄会長はPT(*金融分野緊急対応戦略プロジェクトチーム―筆者注)のメンバーだった。竹中氏と奥山氏の連携によって会長通牒が出された可能性が高い。各銀行は2003年3月末の自己資本比率基準を満たすため、増資などの対応に追われた。外資系金融機関に協力を仰いだ銀行もあった。》
少し難解な内容になったけれども、要は、竹中氏が正面から不当に銀行(とくにりそな銀)を窮地に追い込もうとしたが果たせず、搦め手から奥山氏と謀議して奸計をめぐらしたわけである。
ちなみに、植草氏の文章表現の冷静さや“禁欲”に私はほとほと感心する。上記に「竹中氏と奥山氏の連携によって会長通牒が出された可能性が強い」と筆を収めておられる。私なら「連携」などとは言わず、むしろ「策謀」か「策動」を充てるところである。私は、その植草氏の“禁欲さ”(まるでマックスウェーバーを思い出すような)や中立性が同氏の実に非凡な美点だと思うのだ。
植草氏は次のようにつづけている。
《異変が生じたのは5月だった。5月5日、新日本監査法人の本部審査会はりそな銀行の繰延税金資産を5年でなしに3年とする案を決定し、5月6日にりそな銀行に伝えた。
繰延税金資産3年計上は、りそな銀行の自己資本比率が4%を割ることを意味した。この時期に指摘を受けても銀行に手だてはない。りそな銀行は「繰延税金資産5年計上」を前提に3月末を越えた。5年計上であれば4%の基準を満たした。自己資本比率4%達成が揺らぐ可能性がわずかでもあったなら、増資等の対応が取られていた。
3月末を過ぎてからの通告は「謀略」とも言える。りそな銀行と同程度の財務状況の銀行が複数ある中で、りそな銀行だけが「標的」とされたのには理由があったはずだ。
りそな銀行の勝田(泰久―筆者注)頭取が小泉政権の経済政策を批判していたことが最大の理由だったと思う。勝田氏が旧大和銀行の頭取に就任した際、就任披露の講演会が東京、名古屋、大阪で開催された。私は3回の記念講演会に講師として招かれ、「日本経済再生の方策」の演題で小泉政権の経済政策を糾弾した。勝田氏は頭取就任後、次々に経営改革案を示して大和銀行の経営は急速に活力を高めた。小泉政権に対する批判姿勢が標的にされた原因だと考えられる。
2002年4月22日、りそな銀行の監査を担っていた朝日監査法人のりそな銀行担当公認会計士が自殺した。毎日新聞記者の山口淳雄氏の著書『りそなの会計士はなぜ死んだのか』に、公認会計士死亡についての丹念な追跡が記述されている。
同書によると、りそな銀行の繰延税金資産5年計上を認めない方針を最初に示したのは朝日監査法人だった。死亡した会計士は、その方針に反対の意向を示したのではないかと山口氏は記述する。朝日監査法人は2003年3月に世界の4大監査法人の一つであるKPMGと提携した。PT(金融分野緊急対応戦略プロジェクトチーム―筆者注)に加わった木村剛氏はKPMGの関連会社の日本代表を務めていた。
竹中氏、奥山氏、木村氏が連携してりそな銀行の追い落としに関わったとの推論が浮上する。山口氏は自殺とされた会計士の死亡について、他殺説も完全には否定しきれないと記述している。
02年10月に挫折した「繰延税金資産計上ルール」変更は、監査法人主導の強引な監査と公認会計士協会会長通牒により、現実での復活が図られた。標的には小泉・竹中政策路線を批判したりそな銀行が選択されたと考えられる。また、金融処理全体に米国政府、米国金融資本が深く関与した疑いが強い。》
読者の皆さんは、死亡した公認会計士、あるいは退陣に追い込まれた勝田泰久氏の“無念”ということに思い至らないだろうか? 同時に、植草氏の無念にも思い至らないだろうか? 小泉・竹中政権はこのような方々を犠牲にすることで5年半も存続したのである。
私が、本稿の冒頭に「日本の検察や裁判所、それに警察が『正義』だなどというのは、まさに“幻想”でしかない」と書いたのは、このような現状が放置されているからである。
ところで先日、熊本市内のりそな銀行に行って、私は思わずギョッ!とした。目下、保管振替制度の愛称を「ほふり」と言う。この動詞形は「屠る(ほふる)」だ。この言葉は『旧約聖書』に出てくる生贄の子羊を切り裂くときに使う言葉だ。いかにもアメリカ大資本(=ユダヤ)の言いなりになった日本の銀行が思いつきそうな言葉だと思った。
◆竹中氏の経済政策破綻の「偽装」
植草氏によると、りそな銀行の「大胆な金融処理」とは1兆9600億円の公的資金投入によるりそな銀行救済と経営陣の刷新だった(つまり勝田泰久社長の退陣である)。
植草氏はこう明言する――《結果を見ると、りそな銀行は小泉政権に乗っ取られたと言える。小泉政権を批判した経営幹部が排除され、政権を支援する者が新経営陣に送り込まれた。りそな銀行が自民党の財布代わりになったことを数字が明白に示した。自民党の「機関銀行」になったと言える》と。
たしかに、りそな銀行は国会議員に対する融資などを通じて永田町との関係が深いと言われる。まさに、植草氏の指摘にあるように自民党の「金庫」になったと言えよう。だがこれは、小泉政権(=自民党)による民間金融機関の“簒奪”以外の何物でもない。
ところで、「りそな銀処理の闇」というタイトルで植草氏は次のように書き出している。
《2003年2月7日に見過ごせない出来事があった。竹中財相兼金融相が閣議後の閣僚懇談会で、日経平均株価指数連動型株式投資信託(ETF)について、「絶対に儲かる」「私も買います」と発言した。証券取引法では証券投資の勧誘等において「絶対儲かる」などの断定的表現を禁じている。発言が問題になった。竹中氏は何を根拠に「絶対儲かる」と発言したか。背景が問題だ。
「絶対儲かる」発言の3か月後の5月17日に「りそな処理」が発表された。「繰延税金資産3年計上」という恣意的、作為的な決定により、「小泉・竹中経済政策の破綻」は「公的資金の大胆な投入による金融処理」に偽装され報道された。多数が報道を鵜呑みにした。
02年7月に竹中氏は2002年度の補正予算編成を「愚の骨頂」と発言したが、結局、小泉政権は5兆円規模での財源調達を追加する補正予算を編成した。国債発行金額は30兆円を5兆円も超過して35兆円に達した。「国債を30兆円以上発行しない公約」と「退出すべき企業を市場から退出させる公約」の二大公約が破綻した。》
実際、「愚の骨頂」と言って植草氏を公器(テレビ)で罵倒した竹中氏の経済政策が破綻したのである。植草氏は竹中氏への糾弾の手を緩めなかった。植草氏は言う。
《私は「公的資金によるりそな銀行救済」の不当性を訴えた。本質を理解する知識人の中に私の主張を理解する同調者が現れた。公的資金による銀行救済は小泉政権が掲げた方針に矛盾する。
竹中氏は批判を感じ取ったと思われる。「足利銀行」に預金保険法102条第1項第3号措置を適用した。「りそな銀行」を救済した一方で「足利銀行」を破綻させた。「マイカル」を破綻させて「ダイエー」を救済した逆の対応が取られた。「法の下の平等」と「政策の一貫性」が欠落している。
「足利銀行」の決算は2001年3月期から粉飾されたことが判明した。担当監査法人は中央青山監査法人だった。竹中金融相が編成した金融再生プロジェクトチームのメンバーだった奥山章雄公認会計士協会会長は、中央青山監査法人の理事長を務めた。
中央青山監査法人は、「カネボウ」の粉飾決算にも関与した。2006年12月19日付の朝
日新聞朝刊は「ミサワ九州債務超過」の見出しで、ミサワホーム九州の粉飾決算を一面トップで報じた。ミサワ九州の監査法人も中央青山監査法人だった。中央青山監査法人は「カネボウ」の粉飾決算への関与を理由に業務停止命令を受け、2006年9月に「みすず監査法人」に名称を変更した。奥山章雄理事長は退任した。
2003年のりそな銀行経営危機の伏線は、2003年2月の公認会計士協会会長通牒により張られた。公認会計士協会会長の奥山氏が竹中氏、木村剛氏、KPMG、朝日監査法人などと連携して、りそな銀行実質国有化を推進したとの疑惑を否定できない。奥山氏が理事長を務める中央青山監査法人は、多くの粉飾決算に関与した。2001年3月期の足利銀行の粉飾決算は、繰延税金資産の過大計上によるものだった。2003年のりそな処理の闇を明らかにする必要がある。》
かつて、悪名を轟かせた「中央青山監査法人」。その悪辣さが世間の耳目を引いた。その理事長が竹中金融相と緊密な関係にあった。だが、奥山氏は退任したが竹中氏は何の指弾も受けなかった。検察庁が究明すべきはまさに竹中氏や小泉氏たちだと思う。植草氏の言う「巨大国家犯罪疑惑」の闇は深い。だがそれだけに、これを糾弾してこそ新生日本の夜明けがあると思うのだ。
◆「巨大国家犯罪」を糾弾しようとした植草氏
竹中、奥山、木村氏たちの謀議を注視していた植草氏は、この「巨大国家犯罪」に対して、果敢に挑戦した。事実、同氏の舌鋒は鋭い。彼は言う。
《三点を調べねばならない。2002年10月から2003年5月までの期間に、竹中金融相が米国の金融専門家とどう接触したか。竹中氏による2003年2月7日の「絶対儲かる」発言の直前に何があったか。2003年4月の朝日監査法人によるりそな銀行の繰延税金資産計上否認意思表明に向けて、竹中金融相、奥山公認会計士協会会長、朝日監査法人、KPMG、木村剛などの関係者間で、どのような連絡があったかの三点だ。 木村剛氏は、5月14日のインターネット上に、りそな銀行の繰延税金資産計上はゼロまたは1年以外あり得ないと主張しながら、17日の政府決定を一度も批判しなかった。
りそな銀行を標的に選び、大銀行破綻の風説を流布して株価暴落を誘導し、監査法人を誘導して預金保険法の「抜け穴規定」適用を指揮し、巨大なインサイダー取引を実行したなら看過できない。最終的に銀行を救済する予定で、「大銀行破綻を辞さず」と述べたなら、「風説の流布」による株式「売り煽(あお)り」に当たるだろう。株価を暴落させて銀行救済を発表し、株価急騰を誘導したなら「株価操縦」に該当するだろう。経緯を事前に知り、株式売買をしたら「インサイダー取引」だ。重大さは、「村上ファンド」の比ではない。
「絶対儲かる」発言も証券取引法の禁止行為だ。仮説だが、小泉政権の本質に関わる重大疑惑で、徹底解明が必要だ。関係者が謎の死に直面している。リスクは大きいが、国民の見地から見逃すわけにはいかない。》 植草氏は、上記のことを「仮説だが」と実に謙虚に筆を押さえている。だが、実態は植草氏のご明察のとおりだと思う。考えてみれば、竹中氏も小泉氏もその在任中にやりたい放題のことをした。そして、同政権に対する批判者や対抗者を次々と粛清していった。
ただ、両氏ともご存じのように“逃げの名人”であるので、日本にもたらした害毒がどれほど巨大であっても、“去勢された”マスメディアによって罪過はまったく問われていない。こんな日本に正義などはない。正直言って、私はこんな日本には住みたくないと思う。
私に言わせれば、無辜の植草氏を罪に陥れた輩が蠢(うごめ)く東京は、「東の京都(=都)」などではなく、まさに「頭狂(とうきょう)」だ。だが植草氏は、私のような阿蘇山を擁する血の気の多い“火の国男”とは本質的に異なりあくまで冷静かつ客観的に記述する。事実、彼の文章には正義感の強い江戸っ子としての、あるいは一人の人間としての義憤が満ち溢れている。彼は言う。
《小泉政権の政策失敗で多数の国民が傷ついた。小泉政権の実質的出発点だった2001年5月7日の日経平均株価が1万4529円、森政権発足時の2000年4月12日の株価が2万0833円だった。2003年4月28日には7606円に暴落した。株価は経済変動を反映する。経済は大混乱に陥り、多数が失業、倒産、生活苦、借金苦、自殺に追い込まれた。
利益を得たのは暴落株価で資産を買い集めた者だ。日本の個人、法人は資金力が著しく低下し、資産購入どころではなかった。政府が金融恐慌の不安を煽(あお)るなか、暴落価格で資産を投げ売りした者が多数だ。 外資系ファンドが事前にシナリオを知ったなら労なく巨大な利益を得たはずだ。日本政府が加担したなら「国を売る」行為だ。疑惑を否定できない。リスクを越えて真相を解明しなければならない。
2003年以降の日本経済改善は「りそな銀救済」が起点だった。政府による銀行救済で「金融恐慌」の可能性が消滅し、株価が上昇した。そこにフォローの風が吹いた。景気は回復に向かった。資産価格上昇が不良債権問題縮小に必要不可欠だった。資産価格上昇が金融問題を縮小させた。
私は景気回復で、税収が10兆円程度増加すると主張した。政府は、「景気が回復しても税収は増加しない。緊縮財政が必要だ」と言い続けた。小泉政権は財政赤字縮小のために緊縮財政を進めると言ったが、28兆円の財政赤字を35兆円に増大させた。
国税収入は2000年度に50.7兆円だったが、2003年度に43.3兆円に激減した。2003年以降の景気回復により2006年度の税収は50兆円に接近した。2007年度の税収見積もりは53兆円になった。税収は10兆円増加した。「成長なくして改革なし」が立証された。》
明らかに植草氏の考え方や経済分析が正しかった。だが、小泉政権時のような“邪悪な時代”では、その政権基盤を脅かす「正義の士」はさまざまな形で葬り去られた。しかし、植草氏も森田実氏も、同様な“真実”や正義を国民に訴えていた真の愛国者、より端的に言えば愛国的指導者だった。事実、2004年4月8日に、植草氏は上記の「巨大国家犯罪」を糾弾している最中、不当にも当時の政治権力者たちの毒牙にかかった。日本国民が真に「正義」を愛するというのならば、当然、植草氏の“冤罪”は晴らされなければならない。
◆むすびにかえて――植草一秀氏こそ新生日本の諸葛亮孔明
今年、『三国志(とくに「赤壁の戦い」)』の完全映画化と言われた『レッドクリフ』が脚光を浴びた。金城武氏扮する諸葛亮孔明がたいへん良かった。
さて、では今後の民主党主体の新政権で日本の「諸葛亮孔明」ともいうべき国師とは、一体誰だろう。正直、私は植草一秀氏ではないかと思う。
彼は、真に「正義の士」でありかつ本質的に“偉大な人間”であるゆえに、あのような筆舌に尽くしがたい“屈辱”を受けたと感じる。たとえば、日本の源頼朝も徳川家康も西郷隆盛もみな耐え難い屈辱を受け、さまざまな苦難を体験した。人間界最大の屈辱を受けたのは、誰あろうイエス・キリストである。だが、イエスは復活した。私は植草氏も必ず“復活する”と思うのだ。
日本がもし“神の国”あるいは「神州日本」というのなら、日本の神は、植草氏のような真の愛国者をいまのような耐えがたい境遇に放置しておられるとは思えない。きっと彼は早晩復権を果たし、相応の重職を得るだろう。
実際、彼は、いままでの耐え難い苦しみのなかで“神”を見たのではあるまいか。そして、今後の自己の使命を悟ったように感じる。
今年、NHKの大河ドラマ『天地人』が好評だ。植草氏はこのドラマの主人公のように「義と愛」のある人だと思う。たとえば彼は、官僚を批判するといっても、真面目に働いている地方公務員を決して批判しない。植草氏はさも当然のごとく「天下り」する特権官僚を徹底的に批判するのだ。同時に彼は、失業者、母子家庭の人々、障害を背負う人々、貧しい高齢者など社会の“弱き人々”に慈愛の目を注ぐ。
昔、ロンドンに将来への希望に満ちた一人の有能な若者がいた。だが彼は大学で何を学ぶか、まだ決めかねていた。ロンドンには貧民窟があった(あの『オリバーツイスト』に見られるような)。彼は思った。“全国民が職を得て幸せに暮らせるようなイギリスにしよう。そのためには、父と同様、大学で「経済学」を学ぼう!”と。
その若者はケンブリッジ大学(キングスカレッジ)に入学し、大経済学者アルフレッド・マーシャル教授の指導を受けた。この若者こそ、植草氏がこよなく敬愛するジョン・メイナード・ケインズである。私は、植草氏には、このケインズ同様、「完全雇用」を重視し貧しき人々を慈しむ精神が脈々と受け継がれていると思うのだ。
ところで、私は、自らない知恵を絞り出してこのような拙文を書いているのではない。それこそ天から「言葉」が降りてくるので、それをそのまま書き連ねているに過ぎない。文才などではない。私は単なる道具に過ぎないのだ。
民主党が政権を担当しようとするのなら、有能な知識人を顧問にすればよい。経済に関しては菊池英博氏、紺谷典(ふみ)子氏、門倉貴志氏、政治に関しては山口二郎氏、飯尾潤氏、後房雄氏、対米外交では副島隆彦氏、寺島実郎氏、リチャード・コシミズ氏など、まさに多士済々である。また民主党内にも、櫻井充議員、長妻昭議員、原口一博議員などすばらしい政治家もいる。だが私は「諸葛亮孔明」に値するのは植草一秀氏だと感じる。
植草一秀氏の一日も早い名誉回復を心から祈りつつ本稿を擱筆したい。
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