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【事実上自民党一党独裁終焉w】選挙:衆院選 自民党政権の54年−転落の軌跡 民意くむ回路、失った果て
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投稿者 官からアメリカ人へ 日時 2009 年 8 月 31 日 09:45:19: Dx5sTVjBq/alo
 

選挙:衆院選 自民党政権の54年−転落の軌跡 民意くむ回路、失った果て


1955年11月に結党され、今日まで54年間、ほんの一時期(93年8月から10カ月間)を除き、政権政党であり続けた自民党が30日投票の衆院選で、第1党の座を奪われた。圧倒的多数を得た野党・民主党が、これまでの巨大与党・自民党にとって代わるという戦後初の本格政権交代となった。ここまで自民党が落ち込んだのは、冷戦が崩壊し、イデオロギー政党としての目標を失ったことや、右肩上がりの経済成長が終わり、官僚とスクラムを組んだ利益配分型政治が立ちゆかなくなったことなどが挙げられよう。海部俊樹元首相、中山太郎元外相ら自民党ベテラン議員の落選も相次ぎ、自民党の終焉(しゅうえん)を強く印象づけた。【中川佳昭、犬飼直幸】

 ◆振り子の論理

 自民党が旧自由党と旧日本民主党の合併で誕生したのは、戦後の東西冷戦下、日本を共産主義勢力からの防波堤にするという米国の要請が大きかったためと言われる。米ソ冷戦構造の国内版が「55年体制」だった。当時は強力だった社会党を抑え込む中で、自民党は外交は日米同盟を基軸とし、内政では経済優先主義で政権運営にあたった。

 自民党発足当初は「10年は持つだろう」(三木武吉氏)程度の観測がもっぱらだったが、タカ派、ハト派入り乱れながらの柔構造が逆に幸いし、自民党は政権政党としての安定性を増していった。

 長年、「自民党総裁=首相」という構図が続いたのは、絶妙な首相交代の産物だった。60年安保で、岸信介首相が世論の猛反発を受けて退陣すると、「所得倍増」を訴える池田勇人首相が登場。官僚出身政治家の代名詞と言われ、7年8カ月もの長期政権を維持した佐藤栄作首相の後は、高等小学校卒の田中角栄首相が国民の喝采(かっさい)を浴びた。田中氏が自らの不明朗な金脈事件で退陣すると、政治倫理に厳しく「クリーン政治」を標ぼうした三木武夫氏が首相に就任した。

 右から左、金権からクリーンといったタイプの違う首相への交代は「振り子の論理」と言われた。自民党離れをしかねない世論の目をそらせる巧妙な自己保身術と言える。

 55年から93年(55年体制崩壊)までの衆院選を見渡すと、76年のロッキード事件や83年の田中元首相有罪判決後の衆院選で、有権者は自民党に多少のおきゅうをすえた(議席減)が、自民党支配が大きく揺らぐことはなかった。93年に下野したものの、社会党と組む離れ業で政権復帰した。ただ、冷戦の終焉は、自民党だけが保守政党である必然性を喪失させ、新進党、民主党などの強力な野党を生み出すことにつながった。

 ◆中選挙区制と派閥

 与野党の政権交代が実現しないため、その分自民党内の派閥領袖による「権力闘争=自民党総裁選」が激化した。

 55年の党結成から01年の小泉政権発足まで、自民党は「派閥連合体」の政党だった。派閥が閣僚、党役員ポストや政治資金の配分機能を持ったことから、派閥が自民党内の各政党と化し、「党内派閥の合従連衡=自民党政治」という状況が続いた。派閥はトップを党総裁(首相)に押し上げるとともに、選挙の際は新人や若手議員の面倒を徹底的にみる集団だった。

 党内権力抗争の原動力となる派閥が機能したのは、中選挙区制が長く続いたためだ。中選挙区(定数3〜5人程度)では、1選挙区で複数の派閥から候補者が出馬することが可能だった。最大派閥を率いた田中元首相は83年「派閥をやめろというのは一つの選挙区から1人を選ぶ小選挙区制を前提にした発言だ」と中選挙区=派閥を強調したこともある。

 小選挙区制に移行した96年衆院選以降、派閥の機能は確実に低下した。小選挙区制下では、田中氏が指摘した通り、派閥間の争いは意味をなさなくなり、他の政党との競争の色彩が濃くなった。小泉純一郎首相は組閣の際、派閥からの閣僚推薦を完全に無視、善くもあしくも自民党の基幹だった派閥の活力を大幅にそぎ落とした。自民党政治家も世襲が増え、リーダーとしての器量が小粒化した。

 ◆小泉改革の明暗

 自民党の力の源泉は、田中氏が蔵相(62年)、党幹事長(65、68年)、首相(72年)と進む過程で作り上げた「地方に公共事業をばらまく利益誘導政治」にあった。右肩上がりの高度成長下、田中氏は「日本列島改造論」を提唱し、高速道路や新幹線などの建設を推進。「ばらまき」で潤った建設業界を中心とする自民党の集票マシンを完成させていった。田中氏につながる金丸信元副総裁、竹下登元首相らは公共事業と補助金の再分配を徹底させる「経世会政治」を自民党の中軸に置くことに成功した。

 ところが90年代初頭にバブル経済が崩れ、不動産価格が急激に落ち込んだ。国内消費は冷え込み、膨大な不良債権が金融機関を苦しめるようになる。一方、田中型ばらまき政治は膨大な財政赤字を生み、財政破綻(はたん)をもたらした。現在の国と地方の借金は860兆円にも膨れ上がっている。

 そうした田中型の選挙スタイルに強い違和感を持っていたのが、田中氏の政敵・福田赳夫元首相の直系だった小泉氏。小泉氏は01年4月、下馬評を裏切って党総裁選に勝利し、首相に就任すると、「改革なくして成長なし」を唱え、構造改革路線を突き進んだ。補助金カットなどを行い、田中型の政治家には「抵抗勢力」というレッテルを張り、政権中枢から退けた。05年には、小泉氏が「小泉改革の本丸」と位置づけた郵政民営化のための衆院解散に踏み切った。

 ただ小泉改革は、市場原理主義を標ぼうしすぎたため、地方経済の疲弊を招いた。自民党選挙の集票マシンだった農協、医師会などの支持組織も自民党にそっぽを向いた。

 05年の衆院選(郵政選挙)で自民党に296議席もの大量得票を許すなど、一時は小泉政治に熱狂した国民も、小泉政権が終わると自民党を見放した。「小泉後」の安倍晋三、福田康夫、麻生太郎3首相の政権たらい回しは、政権政党・自民党の「信用力」を大きく失墜させた。

 安倍、福田氏とも就任わずか1年で政権を投げだした。福田氏が退陣記者会見で、質問した記者に「私は自分自身を客観的に見ることができるんです。あなたと違うんです」と語った場面はテレビなどで繰り返し伝えられ、国民に強い違和感を抱かせた。麻生氏の度重なる失言や漢字の誤読も国民の失望感を加速させた。ひ弱な3首相の醜態が、自民党政権崩壊への決定打となったと言える。安倍氏は30日「選挙結果を厳しく受け止めている。自民党の立て直しをしていくことで責任を果たしたい」と語ったが、自民党再生の道は極めて厳しい。

 ◇システム変革不能下野は当然−−北岡伸一・東大院法学政治学研究科教授
 民主党が言ってきた「政権交代」について、自民党は「政権交代ではなく、問題は政策だ」と言っているが、やはり政権交代は重要だ。デモクラシーは、政治の運営に失敗したグループは排除される、あるいは下野させられるのが大原則だ。これまでそれがなかったのがおかしいのだ。冷戦が終わった後、事実上、経済成長はゼロだ。自民党はいろんな意味で失敗している。政権から降ろされるのは当然のこと。これまでは政権の危機をいろいろな形で取り繕ってきただけではないだろうか。

 最初は村山富市社会党委員長(当時)を首相に擁立することで、敵であるはずの社会党を動かして、10カ月で政権復帰した。その次は小泉純一郎氏という自民党の異端児を首相にして、一時を糊塗(こと)した。小泉内閣以降は、首相を取り換えるという得意技を立て続けにやったが、さすがにそれもうまくいかなくなった。

 問題は、今まで自民党がやってきた政治のモデルがうまくいかなくなったということだ。かつての自民党政治のポイントは、(1)官僚制がさまざまな分野の国民の利害、意見をくみ上げる(2)政治家も個々の地方や業界などで国民の声を吸い上げ、政治に反映させる−−の2点だった。それはそれなりに機能してきた。パイが拡大したからだ。これが拡大しなくなったら、大胆なスクラップ・アンド・ビルドをしなきゃいけない。しかし、官僚・自民党モデルではできない。ゼネコンなどとの関係も、利益還流を前提にしたシステムだから。還流してこなくなったらうまくいくわけがない。自民党を一般企業に見立てれば、この20年間、不採算部門をそのまま維持し、有望部門も大して力を入れなかったということ。それではゼロ成長も当然だ。

 小泉改革はこうした状況にメスを入れようとしたのだと思うが、これは非常に中途半端なものだった。小泉さんがやったのは、たかだかって言ったら何だが、郵政民営化だけだ。

 この10年間、支持母体に創価学会という巨大な組織を持っている公明党との連立を見ていると、公明党が本気で自民党を支援しているときは、公明党支持者の9割が自民党候補に入れていることが分かっている。自民党支持者が自民党候補に入れるより高い割合だ。公明票はそれぞれの小選挙区で2万〜3万ある。その票が来るか来ないかは大きいから、自民党が本当にやりたい政策を公明党に遠慮してやらずにずるずる譲歩してきた面があるような気がする。(談)

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毎日新聞 2009年8月31日 東京朝刊

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090831ddm010010058000c.html  

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