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[希望のトポス]『小泉ヤクザ改革劇場』と『B層作戦=竹中平蔵式バカの作り方』のアンチテーゼ
<注記>
お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090829
(プロローグ)
◆持続的資本主義のカギは「民衆(国民)と法の下の企業」への回帰にある
我われは、1901年12月3日の議会で、セオドア・ルーズベルト(共和党員ながら平和主義者で独占資本規制主義者でもあった)が次のように述べたことを想起すべきである(出典:ラリー・エリオット、ダン・アトキンソン共著:市場原理主義の害毒、p348)。
『 企業が法人の形態でビジネスを行う権利を政府(国民の代理たる)から与えられた以上、(中略)国民を誠実に代表してビジネスを行うべきであるが、これは財産権や契約の自由の原則を意味するものではない。(中略)優れた企業はわが国の法律により創造され保護されているからこそ存在できるのだ。したがって、企業がこれらの法律に沿って運営されているかどうかを見届けるのは、我われ(国民)の権利であり義務である。』
【画像】ウイーンの風景、ア・ラ・カルト(2009.3.23、撮影)
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Sarah Brightman - CANTO DELLA TERRA in Vienna Stephansdom
[http://www.youtube.com/watch?v=kU5rmBMe3QU:movie]
Sarah Brightman & Fernando Lima, Passion in Vienna Stephansdom
[http://www.youtube.com/watch?v=7gtp3POWgB4:movie]
[“2009-08-11toxandoria の日記 /『自民党=暴政&寄生虫論』”のご案内、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090811”へのコメント&レスの転載]
江梨子 2009/08/23 06:06
「国民は程度の低いバカだ」とあざ笑う自民党は、まんまと国民をだましおおせて郵政私物化をやった。
国民の幸福を奪い取って、実際に幸せになったのは郵政財産 をクイモノにしたヤクザだったのだ。
こっそりと国民の財産をタダ同然で、小泉竹中西川宮内らのヤクザ仲間が山分けしたのだ。一夜にしてホテル王になったり 莫大な利益を手にした小泉ヤクザ同盟の凶悪犯は笑いが止まらない。
今度は外国のハゲタカと共謀して、おやじの推薦状一枚でアメリカの大学へタダ留学させた 落第息子に地盤カンバンかばんを譲ろうとしている。代々のヤクザが首相になったのをいいことに横須賀ではヤクザが選挙を取り仕切って四代目組長を代議士に するつもりである。
国民を強制的に虐待しておきながら、暴力団の跡継ぎだけが優雅に暮らしている自民党を退治しましょう!
toxandoria 2009/08/23 16:40
江梨子さま コメントありがとうございます。
代々のヤクザ稼業が堂々と選挙を仕切ってきた“横須賀・近代史”の実態には呆れています。
そればかりか、実は日本の隅々で進行してきたのが日本国民の弱みに付け込んだ同様の“任侠政治”ではなかったかと思います。
しかし、余りにも図に乗り過ぎたコイズミ一派は、『政治権力が持つ魔性』に溺れて自家中毒となり、漸く、妖怪のように醜悪な尻尾を曝け出しました。
本来、民主主義を標榜するからには、この『政治権力が持つ魔性』の調教こそが肝心で、選挙権の行使は、そのための貴重な機会だと思います。
[“2009-08-25toxandoriaの日記/ 米国民『オバマ国民皆保険』拒否の謎、“ランディアンカルト感染症“への警戒の勧め、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090824”へのコメント&レスの転載]
もえおじ 2009/08/26 15:53
米国では自由競争こそが「公平」なのであって、その過程で格差が拡大したり大量の貧困者が発生することは仕方がないとされています。 多くの米国人は「社会 主義的政策は、結局は経済の停滞をもたらす」と考えており、医療皆保険制度が社会主義的であるとして敬遠されるのは納得できます。
彼らの 主張する医療皆保険制度の問題点は、主に 『 1.財政負担の大幅な増大をもたらす 2.疾病には自己責任もあるので、健康人には不公平である 』 のようですが、その背景には、医療従事者の利益を抑えられたくない医療・製薬業界の凄まじい圧力があるのではないでしょうか。 所詮は、医療を与える側の 利益が優先されているのが米国の現実です。
米国でこうした強欲資本主義が成立しているのは、移民・巨大な貧困層・若年人口増加による低賃 金労働力供給が続いているという背景があるからです。 彼らは稼いだ分はすべて消費するので、経済は動きます。 反対に、日本での社会保障の縮小は、むし ろ経済の停滞に拍車をかけることにつながるのではないでしょうか。
toxandoria 2009/08/26 19:51
もえおじ様 コメントありがとうございます。
なによりもオバマの医療保険改革が“悲劇的”だと思われるのは、アメリカの自由原理主義(自由競争原理主義)が、カルト同然と見なすべきほど『頑固なイデオロギー』と化して過半の米国民層の精神に染み込んでいることです。
この問題は、アメリカで「全米ライフル協会」のロビー活動によって銃規制が不可能となっていることと根が同じです。まさに、それは“米国型・自由原理主義の病理”だと思います。
この問題をより深刻化させている背景には、ペイリンらの共和党員が、これを機会にタウンミーティングでオバマをヒトラーに喩えるなどのあくどい手練手管を駆使しながら、無垢の一般国民層向けに更なるヒステリックな反応を煽っていることがあります。
オバマが救いの手を差し伸べようとする約15%の人々(5,000万人弱)は全くの政治的弱者ですが、残りの強者は、自らもいずれ嵌る可能性がある<恐るべ き医療リスクの拡大>(=65才以上か低所得者いがいは民間医療保険に加入するしかないが、もはや掛金が高額で実際はそれに加入できなくなりつつあること)に気付いていません。
グローバルに見れば、ポストモダンは、もはやイデオロギー闘争の時代ではない筈ですが、過半のアメリカ人は、カ ルト信者同然の共和党員(アメリカン保守層のリーダーたち)と強欲資本主義の亡者たち(ゴールドマンらの金融業界、医療保険・製薬等関連の医療産業界な ど)が方便として操る“黴が生えたイデオロギー”に踊らされ、目がスッカリ曇ってしまっています。
このような観点から見ても、小泉純一 郎・竹中平蔵・田中直毅らの米国型・自由原理主義の信者たちが煽りまくった新自由主義(トリクルダウン)政策を、ソックリそのままの形で日本へ導入するの は余りにも危険過ぎます。今回、仮に8/30の総選挙で政権交代が実現したとしても、この深刻な問題は何も解決していません。
[2009-08-27toxandoriaの日記/自民崩壊の必然=医療保険改革で“弱者”を凝視するオバマ、“弱者” をホンネで見捨てる麻生、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090827“へのコメント&レスの転載]
山 2009/08/27 19:54
ライフル協会と医療保険業界と大銀行のいいなりのアメリカより、ヒトラー政権下のほうがマシなのでは。負けない相手とだけ戦争をしていた時のヒトラーと、ソ連や中国とは戦争をしないで、弱い国だけに攻め込むアメリカと、どこが違うのか。
toxandoria 2009/08/27 21:13
“山”さま、コメントありがとうございます。
巨視的な立ち位置から政治・経済史的に見れば、おっしゃることは鋭いご指摘だと思います。なぜなら、新自由主義思想にせよ、アメリカン保守がカルト化したネオコンにせよ、彼らに纏わる独特の胡散臭さはナチス的なもののアンチテーゼと見ることも可能だからです。
そ の意味で、現代世界は未だに第二次世界大戦を卒業していないとも言えます。つまり、現代世界は重篤な「政治・経済体制の病理」(political and economical integrationのアキレス腱)を抱えたままということになる訳で、これに気付くことが現代世界の政治リーダーの必須条件だと思っています。
もえおじ 2009/08/29 18:43
ポストモダンについて何か書こうと思ったのですが、長くなりそうなのでどうしようかと考えているうちに機会を逃してしまいました。 手短かに結論だけ言え ば、冷戦や資本主義/社会主義イデオロギー対決が終わった(本当か?)後には、混沌と強欲資本主義が待っていたということになります。
そもそも「ポスト モダン」は、弁証法的にヘーゲル主義を乗り越えるためにポスト構造主義者たちが考えた理想郷だったのですが、一般人が理解するにはあまりにも高尚であり、 資本主義も社会主義もプラグマティズムも理解していない人たちには通用しない概念です。それ以前に、カルトや全体主義の恐ろしさ事態を説こうにも、物事 の理解の基本が出来ていない社会では議論になりません。
また、現実の経済世界は完全に工業社会(いわゆるモダン社会)に漬かったままであ り、工業社会の発展型としての「脱工業社会」であるポストモダンの考え方も完全に頓挫しているようです。これは自分の領域でないので詳しくないのです が、理想郷としてのポストモダンの考え方が現実と接点を持てない困難さに関しては、やっかいであると言わざるを得ません。
toxandoria 2009/08/29 20:21
“もえおじ”さま、コメントありがとうございます。
“冷戦や資本主義/社会主義イデオロギー対決が終わったというのは本当か?”・・・は同感です。
一体全体、この対決の正当なジャッジたる資格が誰(どの国)にあるのか?・・・つねづね疑問を持ち続けています。
“ポストモダン“という用語についても、同感というか、それと似たような感じがあります。
例えば、今回の総選挙で仮に民主党が圧勝するとしても(未だ分かりませんが・・・)、それは“ポストモダンなるもの”と何の関係もあり得ません。
ただ言えることは、現レベルの庶民意識(ランディアン・カルトも、全体主義も、プラグマティズムも、市場原理主義も意味不明 or 消化不良)のままである限りは、あの余りにも軽薄な“小泉劇場”が反転したというだけのことです。
問題は、そのような「庶民意識のアバウトな結果」を如何にこれから充実させて行けるのか?・・・、それこそが、これからのアカデミズムとメディアの重要な役割であり、本来の仕事だと思います。
ところで、日本の“ポストモダン”を自負する政治学者の一部に“疑似的な米国型の超格差社会を敢えて日本に創造し定着させて、米国の<共和党vs民主党>に 似た本格的(シビア)な二大政党政治を実現すべきだ”というアイデアが芽生えていることを知り、驚いています。敢えて、出典は伏せておきますが・・・。
ポストモダンの希望どころか、このようにナチス・ヒトラー的なファシズムの芽生えがアカデミズム(政治学)の場面に、恰も<近未来の希望の星の如き媚態>で芽生えつつあるのは恐るべきことだと思っています。
その先には、“アウシュビッツ現象”が、この日本でも出現しかねないと思っています。
(エピローグ)
Disinfection1:Celine Dion - Just Walk Away
[http://www.youtube.com/watch?v=QB-kr0EbQew:movie]
Disinfection2:Lara Fabian - For Always
[http://www.youtube.com/watch?v=GUdRkDWCEAs:movie]
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