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(回答先: 密約文書に署名、外務省元局長が陳述書 沖縄返還訴訟(中国新聞) 投稿者 クマのプーさん 日時 2009 年 8 月 26 日 12:55:44)
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200908260166.html
密約文書に署名、外務省元局長の陳述書要旨 '09/8/26
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東京地裁に提出された吉野文六よしの・ぶんろく・元外務省アメリカ局長(91)の陳述書の要旨は次の通り。
▽返還交渉の概要と背景
1969年11月の日米共同声明から、72年5月の沖縄返還協定発効後1年ぐらいまでの間、日米関係に甚大な影響を与えたのは(1)ベトナム戦争の終結が遅れ、米国の政情が悪化した(2)日本の対米通常輸出とベトナム特需の急速な増大で米経済が予想外に苦しんだ(3)日米繊維協定の妥結が予想外の難関に遭遇し、米国が日本を出し抜いて中国と正常化するなど日米間の感情的もつれに発展した―だった。
米国ではニクソン大統領が日本の化学繊維の米国への輸出規制を公約して大統領に選出されていた。私は繊維交渉を担当していたが、ソロモン国務次官補は「ニクソンは対日規制を公約しているから相当厳しい要求をしてくるだろう」と忠告してくれた。米議会内にも「繊維交渉をまとめないまま、ベトナム特需で莫大ばくだいな利益を得ている日本に沖縄を返還する必要はない」との声も上がっていた。
佐藤栄作首相は沖縄返還の見返りに化学繊維の輸出規制を実現しようと、田中角栄を通産相に選任。織機を政府が買い上げるという方法で業界を説得し72年、自主規制を実現した。私は71年にアメリカ局長に就任し、返還の詰めの交渉を担当したが、ラジオ局「ボイス・オブ・アメリカ」(VOA)の移転費用(1600万ドル)や土地補償費(400万ドル)をどのように負担するかが問題になった。
▽甲1号証について
この文書のBYというイニシャルは私が書いたもので間違いない。文書は米軍が使用していた土地の補償費用として400万ドルを日本が負担するというもの。米国はベトナム戦争で財政が逼迫ひっぱくした状況下で、日本側も佐藤首相が「沖縄は無償で返ってくる」と発言していたので支払いは難しかったが、大蔵省の柏木雄介財務官から、日本側が負担することで処理してほしいと要請された。
返還協定に盛り込まれることが決まっていた米国への支払額は3億2千万ドルだったが、そのうち7千万ドルは核撤去費用だった。核撤去にそんなに費用がかかるはずがなく、米国が自由に使えるものだった。つまり日本が渡した3億2千万ドルの一部400万ドルを米国が沖縄市民への補償費に充てればいいので、大蔵省が負担してよいというなら外務省は反対する理由はなかった。
こうして日本が3億2千万ドルには補償費は入っていないと説明し、米国は議会を秘密会にして開催、実際には日本が負担すると説明することになった。ところが米国から、そのことを認める覚書を作成するよう求められた。愛知揆一外相がロジャース国務長官との会談で「文書が公表される可能性があるなら表現もより慎重に考えたい」と話したら、国務長官は「可能と思う」と述べた。事務方の責任者の私が甲1号証に署名した。
▽甲3号証について
私とスナイダー公使が署名し、VOAの移転について合意したもので、イニシャルはないが、コピーするときに欠落したと思う。日本には電波の自主権があり、外国の放送局を沖縄に残すわけにいかなかった。5年後には移転するよう交渉したが、なかなか承諾しなかった。VOAは単なる放送局ではなく、諜報ちょうほう機関だ。公使は対岸の中国の兵隊の靴音まで聞こえると言っていた。だから移転を簡単には承諾しなかったのだろう。結局、移転費用として1600万ドルを限度に日本が負担することで決着した。
▽合意の存在を認めたこと
私はアメリカ局長当時、国会で400万ドルの合意について存在を否定した。その後、裏付ける電信文が横路孝弘議員から示された。その件が刑事事件になった後も、私は沖縄返還がスムーズに行われるよう存在を否定し続けた。しかし米国側で文書が公開され、事実と違うことを主張し続けることに疑問を感じるようになった。多くの記者から質問され事実を答えるようにした。秘密交渉も一定期間を過ぎれば公開するべきだ。少なくとも相手国が公開したような文書まで秘密にする必要はない。
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