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「電通」と自民党・公明党・CIA、「電通」を取り巻く、日本でいちばん醜い利権の構図
〜エゴポイントも、東京オリンピックも、世界陸上も、自民党・公明党の広告宣伝費も、みーんな「電通」の利権です!〜
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(第1章)「電通」と自民党・公明党・CIAの歴史
参考
http://www.h3.dion.ne.jp/~b-free/siranai/siranai-3/d-23-1.html
http://www.h3.dion.ne.jp/~b-free/siranai/siranai-3/d-23-2.html
http://www.h3.dion.ne.jp/~b-free/siranai/siranai-3/d-23-3.html
http://www.h3.dion.ne.jp/~b-free/siranai/siranai-3/d-23-4.html
http://www.h3.dion.ne.jp/~b-free/siranai/siranai-3/d-23-6.html
http://blog.goo.ne.jp/nande_ya/e/efaf6c4fa9c64880684b4423f94d753b
1895年(明治28)
11月、瀬木博尚によって教育雑誌の広告取次店として「博報堂」が創業。
社名の由来は、瀬木博尚の経営理念「博く、華客に奉仕報酬する」から付けられた。
1901年(明治34)
広告代理業「日本広告株式会社」の併設機関として、通信業「日本電報通信社(電通)」を創立。
≪黎明期の電通≫
http://list.jca.apc.org/public/aml/2005-September/003431.html
1935年(昭和10)の2.26事件が起きる前年、吉田秀雄は上海に渡り、排日運動が熾烈をきわめる中で、
邦字新聞、日系漢字新聞など、中国市場の媒体の殆どを電通扱いにしている。
この吉田秀雄の快挙の背後には、
当時の中国市場、ことに情報機関を完全に掌握していた日本軍との、何らかの連携があったに違いないが、
そのあたりのことは、現在の「電通」幹部は、全く知らないようだ。
ただ一つ、はっきりしているのは、この時、上海で吉田秀雄は塚本 誠なる人物と懇意になっている、ということだ。
この人物は、戦後、吉田秀雄に迎えられて「電通」に入社し、取締役になっている(1975年8月死亡)。
塚本 誠は、元憲兵大佐であり、戦前は、上海で有名な影佐禎昭大佐の「梅工作機関」など、いわゆる特務機関と連携し、
或いは特務機関の束ね役として、反日運動などの弾圧の指揮をし、汪精衛の南京政府づくりの舞台裏でも活躍したようだ。
実は、吉田秀雄が上海で塚本 誠と懇意になったのは、
こうした時代、つまり塚本 誠が中国市場の情報関係の人間たちに絶大な力を持っていた時代なのだ。
尚、塚本 誠は、東条英機が政権をとると憲兵特高課長に迎えられているが、
一方では近衛文麿と、彼をとりまく学者、ジャーナリストたちとも親しく、憲兵特高課長という顔の他に、
ジャーナリズムとの根回し役もつとめていたようだ。
この時代、吉田秀雄は、「読売」の正力松太郎、「同盟」の松本重治、「毎日」の吉岡文六、田中香苗、
そして、「朝日」の団野信夫、宮崎世龍などと懇意になっている。
1936年(昭和11)、2.26事件が起き、日独伊防共協定が締結されるなど、日本が、破滅への途を選んだ運命の年だが、
「電通」にとっても、大きな選択を、それも無理矢理に強要された年だった。
報道管制が行われ、日本政府、そして日本軍は、報道調整という言葉を使った。
報道を掌握するには、情報チャンネルの一元化が必要で、そこで先ず、新聞に内外の情報を提供する通信社を統合して、
単一の国策通信社をつくることを考えたのである。
国家にとって都合の悪い情報は遮断する。情報整理、そして情報操作。
1936年(昭和11)1月、政府は、地方新聞など反対派を強引に封じ込んで国策通信社である社団法人・同盟通信社を発足させた。
そしてこの時から、「電通」は、通信社部門を失い、広告代理行専業の会社になったわけだ。
1906年(明治39)
「南満州鉄道」設立(初代総裁は、後藤新平)。
後藤新平は、現NHKの初代総裁であり、正力松太郎に資金援助し読売新聞を買い取らせた人物であり、
通信社を独立させ、翌年には逆に通信社が広告会社を合併。
「電通」はこの年、ロスチャイルドと関係の深い「ロイター(1871年、既に長崎・横浜に支局開設)」と契約。
1907年(明治40)
「満鉄調査部」設置、米国に創立された「UP(現在のUPI)」と契約。
1931年(昭和6)
満州事変が勃発
→注.謀略で起こされた満州事変とメディア(「満州国通信社」)pdf
http://maechan.sakura.ne.jp/war/data/hhkn/08.pdf
1932年(昭和7)
満州国建国。国策通信社「満州国通信社」初代社長には、里見 甫(さとみはじめ)が就任。
里見 甫は、裏社会とつながりがあり、満州国高官だった岸 信介の命によって、
アヘンの密売であげた巨額の利益を、関東軍の資金にする犯罪行為の一端を担っていた人物。
「満州国通信社」は、当時の軍国主義下の国策通信社であり、その阿片マネーから、児玉誉士夫、笹川良一といった人間に繋がり、
阿片を利用し戦争指揮をとった東条英樹、「満州は、私の作品」と豪語する岸 信介、そして、日本の右翼勢力とも元々密接な関係があり、
更には、中国の裏社会(マフィア)との繋がりもあった。
1934年(昭和9)
後に「電通」第4代社長に就任する吉田秀雄は、上海にて中国進出し、中国市場の媒体の殆どを「電通」扱いとした。
1936年(昭和11)
「日本新聞聯合社(聯合)」と「電通」の通信部門合併により、「同盟通信社」を設立。
その際、「電通」の広告部門は、「日本新聞聯合社(聯合)」の広告部門を吸収し、広告のみを扱うという現在の姿の原型が完成。
同年10月に、岸 信介が、満州国の国務院(満州国における行政機関。満州国は議会を持たなかった為、国政の最高機関であった)
の実業部総務司長に就任している。
1945年(昭和20)
敗戦に伴い、「同名通信社」は解体され、
政治、社会、一般ニュースを扱う「社団法人共同通信社」と、経済報道を扱う「株式会社時事通信社」に分社化。
しかし現在では、「共同通信社」、「時事通信社」、「電通」は株式を持ち合い、設立当初の寡占状態を回復している。
1947年(昭和22)
吉田秀雄が「電通」第4代社長に就任。
この頃から、「日本電報通信社(電通)」は戦前の準特務機関としての性格を生かし、政府・GHQに食い込むことに成功する。
吉田秀雄は、戦犯として公職追放された政財界人、満州や上海から引き上げてきた旧軍人、満鉄(満鉄調査部、満州国通信社)関係者などを
大量採用し、これが、「電通」が“満鉄調査部の後身”と言われる所以である。当時の電通ビルは、“第二満鉄ビル”と呼ばれていた。
彼らは、広告のノウハウは無かったものの、実質フィクサーとして活動し、現在の日本支配の礎を築きあげていった。
また、吉田秀雄はこの頃から、米国式広告=“プロパガンダ”手法を導入。
≪終戦直後の電通≫
http://list.jca.apc.org/public/aml/2005-September/003431.html
1947年(昭和22)5月、前社長の公職追放により、吉田秀雄が社長となった。
この経営危機の時期に、吉田秀雄は、何故か旧軍人、軍属、或いは「満州鉄道」関係者をどんどん採用しているのである。
市川 敏(満州国弘報処長)、小沼治夫(陸軍少将)、島崎千里(産業経済新聞)、高橋 渡(満州日報業務局長)、
高橋威夫(満鉄文書課長)、塚本 誠(憲兵大佐)、松本豊三(満州日報理事長)、古賀 叶(満鉄錦州鉄道局長)、
高田元三郎(毎日新聞社)、森山 喬(大陸新報理事)、森崎 実(満州日報編集局長)、芝田研三(南満州鉄道)、
金沢覚太郎(満州電信電話)、古瀬甲子郎(満州日報営業局次長)、峯間信太郎(天津米穀統制会理事長)、
白川威海(毎日新聞社)、山名文夫(資生堂意匠部)、蜂谷輝雄(台湾総督府外事部長)、東郷青児(画家)、
中西寅雄(東大教授・陸軍嘱託)、宮崎博史(三越宣伝部長)、小滝 彬(外務省情報部長)、新田宇一郎(朝日新聞社取締役)、
新保民八(花王石鹸取締役)
広告業界の連中は、誰もが「電通」ビル(旧電通ビル、中央区銀座七−四)を「第二満鉄ビル」と呼んだ。
あまりに満鉄関係者が多かったからである。
吉田秀雄は、経営が危機に瀕していた時期に、何故、広告のことを皆目知らない、言わば使いものにならない連中をこれ程集めたのか、
吉田秀雄は、旧軍人、満鉄関係者たちを社員として採用しただけではなく、公職追放となった政治家や財界人、新聞人などの為に、
「旧友会」という、言わば“サロン”をつくって、彼らが、月一回集まって食事をしながら、心置きなく談笑出来るように設え、
そればかりではなく、彼らの為に「ユニバーサル広告社」という会社までつくっているのである。
戦後、「電通」が大きく躍進出来た原因の一つが民間ラジオ放送で、もう一つが民間テレビ放送だと言われている。
テレビに執念を燃やしたのは、吉田秀雄よりも正力松太郎(読売新聞社主)のほうで、ついに「日本テレビ(読売)」開局に漕ぎつける。
NHK編の『放送五十年史』は、正力松太郎のテレビ計画を、
「講和、独立を控えた特殊な情勢の下で、米国の極東戦略に深く関連しながら、全国のテレビ網を一挙に手中に収めようとした」
と、極めて含みの多い表現で説明している。
正力松太郎のテレビ計画の周辺を取材すると、旧軍人たち、それもGHQとの関わりの深い情報プロたちの影が、何人も浮かび上がってくる。
そして、旧情報将校たちが米国に足繁く通う中で、折から、公職追放中だった正力松太郎が、何故か突如追放解除となり、
それをきっかけに、テレビ開局計画が急ピッチで具現化するのだが、そのキーマンとして動いたのが、カール・ムントという人物なのである。
カール・ムントは、米上院議員であり、カール・ムントは、1951年4月、米上院で、次のような演説を行っている。
「共産主義は、“飢餓”と“恐怖”と“無知”という三大武器を持っている。こうした共産主義に対する闘いにおいて、
米国が持っている最大の武器はテレビである。我々は『米国のビジョン』なるテレビ・ネットワークを海外に普及させる必要がある。
それを最初に試験的にやるべき地域は、ドイツと日本で、
例えば、日本の隅から隅まで行き渡らせる為のテレビ網建設費は460万ドル。これはB29爆撃機を2機つくるのと同じ金額である」
テレビは、共産主義勢力に対する武器としては軍事力などより遥かに強力で、しかも安いというわけだが、
このムント構想が打ち出されるや、直ちに正力松太郎の密使が米国に飛び、ムント議員と接触している。
その密使が、柴田秀利(後に日本テレビ専務取締役)である。
柴田秀利は、GHQの新聞課長インボデン少佐にも、関係者たちの話では、「かなりどろどろした手段を使って」深く食い込み、
正力松太郎を、共産主義殲滅の代理人にさせる、との約束を取りつけたようだ。
「米国が、直接行なうと、情報支配の形があまりに露骨で、日本人の神経を逆なでする。日本人の手でやらせた方が遥かに効果的だ」
との柴田秀利の説得が功を奏したものらしい。
「電通」が、戦後、初めて商売として政治と関わりを持ったのは、1952年10月、日本が独立した最初の総選挙の時だった。
吉田 茂(麻生太郎の祖父)自由党としては、国民に対して大PR作戦を展開することにし、その大きな柱の一つとして、
戦後初めて全国の主要新聞に大々的な広告を打つことになったのだが、そのプロデューサー役を演じたのが「電通」だった。
関わりが深まるにつれて、政治は次第に、吉田秀雄「電通」にとって、商売の対象だけではなくなってきたようだ。
それが、一つの頂点に達したのが、1960年の安保騒動だった。
革新陣営に「これで新聞は死んだ」と嘆かせた、所謂、「七社共同宣言」のフィクサーも、実は吉田秀雄だったと言われている。
「七社共同宣言」とは、東大生だった樺美智子が殺された直後、1960年6月17日に、
全国紙五紙(「朝日」、「毎日」、「読売」、「日経」、「産経」)と「東京新聞」、「東京タイムズ」の七紙が、
「暴力を排し議会主義を守れ」との声明文を掲載したもので、この共同宣言は、反安保の盛り上がりに水を浴びせる役割を果たした。
≪不起訴により釈放され、裁判を免れたA級戦犯被指定者≫
青木一男、安倍源基、天羽英二、安藤紀三郎、石原広一郎、岩村通世、岸 信介、葛生能世、児玉誉士夫、後藤文夫、
笹川良一、正力松太郎、須磨弥吉郎、高橋三吉、多田 駿、谷 正之、寺島 健、梨本宮守正王、西尾寿造、本多熊太郎、
真崎甚三郎、近衛文麿(自殺)、小泉親彦(自殺)、橋田邦彦(自殺)、本庄 繁(自殺)、徳富蘇峰(不起訴により自宅拘禁解除)
尚、A級戦犯に指名されながら、釈放された者は少なくとも70名強存在するが、網羅的な資料が存在せず、その人数は確定出来ない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/A%E7%B4%9A%E6%88%A6%E7%8A%AF
1952年(昭和27)
10月の総選挙で、自由党・吉田 茂首相が「電通」にキャンペーンを依頼したことが発端となり、「電通」と吉田 茂、「電通」と自民党の関係が深まっていく。
元々、旧軍が中心だった「電通」の人脈は、政党政治家に拡大していき、「電通」は反共・安保擁護の為の保守体制に組み込まれることになった。
更には、吉田 茂を介した政界浸透や、「電通」で採用していた旧軍人・満鉄関係者の公職追放解除に伴う政府要職復帰、
コネ採用による有力者の子弟の取り込みなどにより、電通人脈は更に強力に、日本中に張り巡らされていくことになった。
こうした吉田秀雄の人脈戦略は大きな成功を収めることとなり、「電通」は総理府の宣伝予算をほぼ独占、
“影の情報局” “築地のCIA”と呼ばれるほど威力を拡大し、現在に至っている。
1953年(昭和28)
「電通」は、テレビ放送開始に着目し、多くのラジオ局・テレビ局の設立に関与、吉田秀雄は、幾つかの放送局で取締役に就任。
中でも「TBSテレビ」は吉田秀雄の関与が深く、現在でも、民放で最も電通と親密だと言われている。
何故、日本テレビの社名は「日本テレビ放送網」となっているのか?「網」の字にはどんな意味があるのか?その理由は設立時の秘密にある。
実は、日本へのテレビの導入は、米国による情報戦の一環だった。テレビ放送網は、そのまま「反共の防波堤」であり、
更に軍事通信網にもなるはずだったのである。
「テレビの父」である正力松太郎のテレビ構想は、米国側に巧みに利用されたものに過ぎない。
CIAは正力松太郎に、「ポダム」という暗号名まで付けていたのである。
http://shadow-city.blogzine.jp/net/2007/11/post_9600.html
結局、ラジオ・テレビ化の流れにいち早く対応出来た「電通」、そして少し遅れて進出した「博報堂」が、
戦後広告業界の1位2位として固定し続けることになる。
1950年代始めは、現代の広告代理店業界地図の枠組みが出来上がった時期と言える。
3S政策とテレビ放送
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060315
1955年(昭和30)
「森永乳業」の粉ミルクに砒素が混入する事件(砒素ミルク事件)が発生。
死亡者は138人、被害者は1万人以上を数えたが、「電通」は、クライアントだった「森永乳業」を守る為に報道統制を行ったが、
後にそれが明るみに出て、「電通」は世論の激しい非難を浴びることになった。
何故、電通がメディアの報道を統制出来たか?といえば、1951年に「新聞用紙割当統制」が解除された結果、
新聞紙の自由競争時代に入り、新聞社・雑誌社間の広告獲得競争が厳しくなったことに起因しており、
競争が激しくなった結果、多くのメディアは「電通」の存在に依存するようになり、自力での広告獲得能力を失ってしまった。
「電通」は、広告主の“宣伝” “媒体探し” “広報対策”を引き受ける一方で、
マスメディア側の“広告集め” “広告主対策”なども一手に引き受けていた為、広告業のノウハウ・情報が一元的に「電通」に集まってしまった。
その為、新聞社の中には、朝日新聞のように「電通」と資本関係を結んで、緊密な関係になるものまであった。
こうなった最たる原因は、「電通」が余りにも巨大になり過ぎたことにあり、
更には、関連会社の「共同通信」と「時事通信」が、新聞記事のネタ元になる通信記事を配信しており、
広告だけでなく、ニュースにおいても寡占状態にあることがこれを後押しした。
その上、メディアは本格的なテレビ時代を迎え、徐々に放送内容への「電通」の介入が当たり前のことになっていった。
http://www.h3.dion.ne.jp/~b-free/siranai/siranai-3/d-23-3.html
1961年(昭和36)
現在広告代理店業界4位の「東急エージェンシー」が、東急グループ総帥五島昇の肝煎りで設立。
「電通」が「第九連絡局」を介して官僚から仕事を取るのに対して、「東急エージェンシー」は首脳間のやり取りに負うところが大きい受注の構造
http://www.h3.dion.ne.jp/~b-free/siranai/siranai-3/d-23-5.html
1964年(昭和39)
「電通」は東京五輪の広告主の協賛活動の支援を行い、国策イベントであるオリンピックに深く関与。
この経験を基に「電通」は、スポーツ・ビジネスの可能性を開拓し、
1980年のロスオリンピック以降、五輪そのものが商業化したことと併せて、スポーツ・ビジネスを確立させていった。
現在、「オリンピック」、「ワールドカップ」、「アジア大会」、「世界陸上」、「世界水泳」など、テレビ放映している主だったスポーツ大会の殆どで、
「電通」は諸権利を有しており、一方で、「博覧会」という新たなイベントにも関与を深めている。
http://www.h3.dion.ne.jp/~b-free/siranai/siranai-3/d-23-3.html
1965年(昭和40)
「大正製薬」の風邪薬ショック死事件が発生、
「電通」は、1955年の砒素ミルク事件と同じように、クライアントだった「大正製薬」を守る為の報道統制を行った。
「電通」にとっての大きな金づるであった「大正製薬」の、自社生産の風邪薬を飲んでショック死した人々についてのニュースを「電通」が検閲し、
内容を変えさせたことが発覚したが、森永砒素ミルク事件ほどの社会的ムーブメントにはならなかった。
1970年(昭和45)
「電通」は、この年の大阪万博を皮切りに、沖縄海洋博覧会・つくば科学万博・大阪花博に参画。
愛知万博(愛・地球博、別名・“トヨタ博”)も「電通」が取り仕切ったが、愛知万博の成功の背景には、「電通」と「トヨタ」の二大企業のタッグがあった。
報道管制力を持つ「電通」と、巨額の広告費を持ち、批判はクライアントタブーである「トヨタ自動車」が組めば、マスコミは完全に沈黙してしまう。
1971年(昭和46)
「公共広告機構(AC)」の前身となる、任意団体「関西公共広告機構」が大阪市で設立。
発起人は、佐治敬三・サントリー社長(当時)で、当初の活動は、近畿地方が中心だった。
設立時に模範とされたのは、米国のアド・カウンシル(Ad Council)。
1973年(昭和48)
「電通」、取扱高世界一を達成
1975年(昭和50)
「電通」の取扱高が3000億円を突破、
高度成長の波を受け、「電通」は名実ともに巨大資本としてマスコミ界に君臨。
任意団体「関西公共広告機構」が社団法人化され、「公共広告機構(AC)」と改称し、全国組織となる。
主な業務内容は、様々なメディアを通した公共広告により啓発活動を行うこと。
広告を取り扱う企業を会員とし、会員から集めた資金で運営されており、会員社数は、放送業界・新聞業界・広告業界など1356社(2004年度)。
1986年(昭和61)
同年4月、「テレビ東京」が踏み切ったのをきっかけに、各放送局が自粛していた消費者金融の広告・放送が解禁された。
最後まで自粛していた「TBSテレビ」も2001年から流している。
新聞でも、「朝日新聞」が最後まで抵抗していたが、結局、解禁した(この時の「電通」側の人物が成田 豊)。
消費者金融の最大手である「武富士」の年間広告費は、2002年度が151億円で、この大半を「電通」が取り扱った。
「電通」の“天皇”成田 豊と、武富士の創業者である“天皇”武井保雄は、一緒にゴルフをする仲だった。
また、同年10月、読売グループの「第一広告社」と、セゾングループの「エスピーエヌ」が合併し、「I&S」となった。
1993年(平成5)
8月9日、細川護煕・日本新党代表を首班とする、非自民・非共産8党派連立内閣(細川内閣)が発足される。
9月16日、日本新党と民主改革連合が、参院会派「日本新党・民主改革連合」を結成、
更に11月18日には、新生党も加わって、参院会派「日本・新生・改革連合」を結成する。
この年、羽田孜・小沢一郎ら羽田派(改革フォーラム21)らの賛成もあって、宮澤内閣へ不信任決議が可決され、
第40回衆議院議員総選挙で自民党は過半数を割った。小泉純一郎は、宮澤の責任や退陣を閣僚懇談会でも要求し、郵政大臣の職を辞職。
郵政民営化は、小泉純一郎の自論などではない
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2009/06/post-468f.html
http://www.asyura2.com/09/senkyo66/msg/1045.html
1994年(平成6)
4月25日、細川内閣総辞職。新生・日新・民社・自由党・「改革の会」が衆院会派「改新」を結成。
4月26日、社会党が連立政権から離脱。
4月28日、羽田 孜内閣発足するが、2ヶ月の6月25日には総辞職となる。
6月30日、自民・社会・さきがけによる村山富市内閣が発足し、日本新党は下野する。
12月9日、日本新党は解散、翌日10日、新進党結成される。
「自民・社会・さきがけ」の枠組は、第2次橋本内閣改造内閣が終了する1998年(平成10)半ばまで引き継がれる。
1996年(平成8)
同年4月、電通グループの広告制作会社「電通テック」が設立。
この「電通テック」の前身となったのは、
1943年(昭和18)に設立された、広告イベント・スペース・CM・映像制作会社「電通プロックス(旧電通映画社)」と、
広告印刷会社「電通印刷株式会社(電通アクティス)」と、広告製本会社「電通コーテック」の3社である。
「電通テック」は、広告プロダクションとしては世界最大規模と売り上げを誇る、文字通り、世界最大の広告制作会社。
「オリンピック」、「ワールドカップ」、「愛知万博」など、メガイベントの実制作も手がけている。
1997年(平成9)
→注.オムニコムグループの参入は、郵政民営化をはじめとする規制緩和・民営化を後押しする為のものと考えられる。
同年10月、現地法人「フライシュマン・ヒラード・ジャパン」が設立。
「フライシュマン・ヒラード」は、1946年(昭和21)に創設され、本社をセントルイスに置き、現在世界35ヵ国、33の現地法人を含む
83に及ぶPR拠点を持つグローバルなコミュニケーションコンサルティング会社。
「フライシュマン・ヒラード」は、米国の大手広告代理店グループである「オムニコムグループ」傘下の会社である。
http://fleishman.co.jp/hc/unit/index.html
1946年と言えば、吉田秀雄が「電通」第4代社長に就任する前年であり、
その頃から、「日本電報通信社(電通)」は戦前の準特務機関としての性格を生かし、政府・GHQに食い込むことに成功する。
郵政選挙における「電通」・「BBDO」・「フライシュマン・ヒラード」の関係と役割
http://amesei.exblog.jp/2879210/
http://amesei.exblog.jp/9729548/
1998年(平成10)
同年3月、「I&S」(1986年参照)が、米国の大手広告代理店グループである「オムニコムグループ」と資本提携・傘下に収まり、
同年6月、「オムニコムグループ」傘下の「BBDOワールドワイド」と業務提携。
2000年4月には、オムニコム/BBDOグループの明確化の為に、「I&S/BBDO」に社名変更する。
2003年4月には、「BBDO」ネットワーク統一ロゴマーク導入により再度社名変更し、現社名の「I&S BBDO」になる。
(但し、現在も「読売グループ」・「セゾングループ」との資本関係は続いている)
「BBDO」という広告会社は、現在、日本では「電通」・「博報堂」と並ぶ広告代理店「アサツーDK(ADK)」を吸収する形で日本に進出しており、
この会社のクライアントには、自民党もしっかりと入っている。森田 実氏の話では、電通もこの「BBDO」に乗っ取られつつあるということだ(2006年時)。
尚、「アサツーDK(ADK)」は、1991年に中華人民共和国の「新華社」と業務提携している。
http://adv.yomiuri.co.jp/ojo/02number/199812/12toku1.html
郵政選挙における「電通」・「BBDO」・「フライシュマン・ヒラード」の関係と役割
http://amesei.exblog.jp/2879210/
http://amesei.exblog.jp/9729548/
1999年(平成11)
同年5月、与野党ともに「郵政民営化」がタブー視されていた当時、超党派の国会議員で構成される「郵政民営化研究会」が立ち上げられた。
会長を小泉純一郎(神奈川県横須賀市、清和会)が、事務局長を松沢成文(現・神奈川県知事、松下政経塾)がそれぞれ務め、
メンバーには中田 宏(前・横浜市長、松下政経塾)、前原誠司(松下政経塾)、堂本暁子、上田清司らの名前があった。
「郵政民営化研究会」では、郵政民営化の実施計画として、
郵政持株会社の傘下に郵便会社、地域別の郵貯銀行、地域別の簡保会社をそれぞれ設ける案を提示していた。
郵政民営化の正体
http://www.asyura2.com/09/senkyo66/msg/1045.html
「米国年次改革要望書」と「日本道路公団の民営化」の関係
http://www.asyura2.com/09/senkyo69/msg/485.html
「郵政民営化研究会」再結成の動き?
http://www.asyura2.com/09/senkyo68/msg/884.html
手鏡事件と郵政民営化
http://www.asyura2.com/09/senkyo69/msg/526.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%B5%E6%94%BF%E6%B0%91%E5%96%B6%E5%8C%96
2000年(平成12)
青木幹雄、野中広務らの支持により、幹事長だった森 喜朗が自民党の総理・総裁に就任。
同時に、清和会所属議員である小泉純一郎が、「清和政策研究会(当時、森派)」の会長に就任。
小泉純一郎は、“加藤の乱”を潰した功績によって、自民党内での評価を上げた。
http://www.asyura2.com/09/senkyo69/msg/590.html
2001年(平成13)
森 喜朗が退陣した後を受け、同年4月の自民党総裁選で、小泉純一郎が自民党総裁に選出され、
4月26日の首班指名で第87代内閣総理大臣に就任。
「構造改革なくして景気回復なし」をスローガンに、道路関係四公団・石油公団・住宅金融公庫など特殊法人の民営化など、
小さな政府を目指す改革(「官から民へ」というスローガン)と、国と地方の三位一体の改革(「中央から地方へ」というスローガン)を含む、
「聖域なき構造改革」を打ち出し、とりわけ持論である郵政三事業の民営化を「改革の本丸」と位置付けた。
郵政民営化の正体
http://www.asyura2.com/09/senkyo66/msg/1045.html
「米国年次改革要望書」と「日本道路公団の民営化」の関係
http://www.asyura2.com/09/senkyo69/msg/485.html
「郵政民営化研究会」再結成の動き?
http://www.asyura2.com/09/senkyo68/msg/884.html
手鏡事件と郵政民営化
http://www.asyura2.com/09/senkyo69/msg/526.html
同年10月26日、「博報堂」は、「大広」・「読売広告社」と経営統合し、「博報堂DYホールディングス」を設立。
1兆円グループとして、国内第1位の「電通」や海外広告会社と対峙している。
また、経営統合に伴い、「博報堂」を含め3社のメディア枠仕入れ部門は、「博報堂DYメディアパートナーズ」に移管された為、
「博報堂DYグループ」の1社として、媒体社に対してより大きな影響力を持つこととなった。
2002年(平成14)
日韓共同開催の「ワールドカップ」で「電通」は、スポンサー権の国内販売権を独占、
更には公式マスコットなどキャラクターの商品化権(ライセンス)に関する代理店契約を結んでいる。
長野五輪の中継番組はCMも含めて、「電通」の一括買い取りだった為、メディアも「電通」へのゴマすりに必死となった。
12月には、劇団四季専用の劇場が、電通本社ビルにオープン。
劇団四季創設者の一人で芸術総監督である浅利慶太は、中曽根康弘のブレーンとしても知られていた。
2003年(平成15)
「ホンダ」、「日本マクドナルド」といった企業が、「博報堂」「ADK」などの複数社の扱いから、事実上、「電通」の一社扱いになった。
「ホンダ」を「電通」にとられた「博報堂」では、“ホンダチーム”が解体された。
サラ金大手の「武富士」の盗聴事件が発生。
警察が、収集した個人情報を「武富士」に渡していたという、情報漏洩事件の取材を行っていたジャーナリストたちが、
「武富士」によって盗聴されていた、として告訴合戦に至った事件。
「武富士」は、武井保雄会長が盗聴で有罪確定となる前から、一部のマスコミに“盗聴疑惑”で叩かれたが、
「電通」は、“武富士報道潰し”に動いていた。
2003年初め頃、武井保雄に頼まれた成田 豊は、2003年4月に「電通」から数人を「武富士」に出向させた。
しかし、2003年12月2日に武井保雄が逮捕されたことによって、「武富士」のCM放送中止が相次ぎ、
在京の民放各局は同日2日、広告代理店などの要請で、同社CMの放送を当面取りやめる方針を相次いで決め、同日以降のCMを差し替えた。
「武富士」側も、世間を騒がせたとして、新聞広告やテレビCMをしばらくの間、自粛すると発表。
後に、「武富士」のCM自粛は解禁され、再び放送されるようになったのだが、これを許したのが、日本経団連という構図のようである。
同年4月には、、「I&S/BBDO」が、「BBDO」ネットワーク統一ロゴマーク導入により再度社名変更し、現社名の「I&S BBDO」になる。
(但し、現在も「読売グループ」・「セゾングループ」との資本関係は続いている)
「BBDO」という広告会社は、現在、日本では「電通」・「博報堂」と並ぶ広告代理店「アサツーDK(ADK)」を吸収する形で日本に進出しており、
この会社のクライアントには、自民党もしっかりと入っている。森田 実氏の話では、電通もこの「BBDO」に乗っ取られつつあるということだ(2006年時)。
尚、「アサツーDK(ADK)」は、1991年に中華人民共和国の「新華社」と業務提携している。
2004年(平成16)
「セブンイレブン・ジャパン」が、「東急エージェンシー」から「電通」に移った。
「電通」の連結売上高が、1兆9104億円に達する。
8月20日、東京の築地本願寺で田原総一郎の妻の通夜が営まれ、
小泉純一郎首相(当時)をはじめとする政財界の有名人、「サンデープロジェクト」の出演者などが駆けつけていた。
その中にの姿もあったが、成田 豊の場合は、この葬儀を仕切る「葬儀委員長」として築地本願寺にいたのであった。
つまり、それは田原総一朗と成田 豊の親密な関係を意味する。
田原総一朗
「成田さんには僕が頼んだ。何故かというと、顔が広いから。
まさか政治家に頼むわけにはいかないし、いろいろな人が来た時に、彼ならみんな知っているだろうし、挨拶が出来る人がいいと思って頼んだ。
但し、「電通」で来たのは成田さんだけ。具体的に仕切ったのは「テレビ朝日」のスタッフだった」
2004年(平成16)
同年10月21日、「電通」は、2004年9月中間期の単独経常利益が、前年同期比35%増の252億円になったと発表した。
従来予想を30億円上回った。五輪効果で広告事業が好調だった上に、粗利益率も期初見込みより0.2ポイント改善。
IT(情報技術)関連の開発費が計画より少なくなり、販管費を抑えたことも寄与した。
http://mediainsight.jp/clip/2004/10/35.html
2005年(平成17)
日韓友情年
「電通」は、「韓流ブーム」を盛り上げるなど、メディアミックス的戦略を展開。
「電通」の“天皇”成田 豊が、日韓友情年の副委員長が務めていた。
総選挙となる8月5日の3日前の8月2日、
米国の広告代理店業界のドンである、アレン・ローゼンシャイン Allen Rosenshine が、突如首相官邸を訪れ、
小泉純一郎首相と極秘会談を持った。
http://amesei.exblog.jp/d2005-08-11
この年、郵政解散・郵政選挙が行われた。
総選挙実施日が米国同時多発テロ事件(2001年)が起きた9月11日であることなどから、“自爆テロ解散”、
自民党が分裂選挙で大敗するとの予想から、“やけっぱち解散”などと揶揄されたが、選挙後は“郵政解散”というネーミングで定着。
投票率は、小選挙区が67.51%(前回衆院選59.86%)、比例代表が67.46%(同59.81%)と上昇した。
期日前投票は、8,962,955人(有権者のうち8.67%)と国政選挙で最高を記録し、国民の関心の高さを窺わせた。
開票結果は、与党が327議席(自民党が296議席・公明党が31議席)と圧倒的勝利を収めた。
一方、野党は、民主党が113議席と選挙前の177議席から大幅に議席を減らす惨敗を喫し、
党代表だった岡田克也は責任を取って辞任し、後任には、民主党内の最右派・前原誠司(郵政民営化研究会、松下政経塾)が就任。
また、同年、「オリンピック」の肖像権が選手個別に管理されることになり、
選手が「日本オリンピック委員会(JOC)」と契約せず、CM出演など、より自由な商業活動を希望した場合は認めることになった。
また、それまで広告代理店4社と契約していたマーケティング活動は、2005−2008年の次期システムでは、
36億円の収入を最低保証として提示した「電通」を基本的に専任とすることで一致した。
http://www.47news.jp/CN/200311/CN2003112801000339.html
2006年(平成18)
同年8月、「博報堂」は、世界最大の広告会社グループである「オムニコムグループ」の系列会社「TBWA」と共同出資し、
外資系広告代理店「TBWA/Hakuhodo」を東京に設立。出資比率は、「TBWA」が40%、「博報堂」が60%。
http://ja.wikipedia.org/wiki/TBWA%5CHAKUHODO
また、同年10月24日から携帯電話番号ポータビリティが実施された。
携帯の番号継続制度は「KDDI」の独り勝ちと言われているが、収益面から見ると、独り勝ちと手放しで言えるような状態ではなく、
本当の勝者は、急増したテレビCMなどの広告を一手に引き受けた“電通”である。
更に、「ソフトバンク」がブランド変更を契機に広告会社を「電通」に変えたことに加えて、番号継続制度導入による広告量の急増で、
収益面でも大幅な上積みがあった。
2007年(平成19)
「日本郵政株式会社」のグループ会社である「郵便事業株式会社(日本郵便)」と、
「電通」及び「電通テック」が、新しい郵便メディアの開発と関連事業の展開の為に、合弁会社を設立することで同意。
http://markezine.jp/article/detail/2080
同年6月30日、「日本 eスポーツ協会設立準備委員会」が発足。
この委員会は、「電通スポーツ事業局」企画業務推進部長の平方 彰が委員長補佐を務めており、
特別顧問には、「日本体育協会」会長である森 喜朗・元総理も参加している。
http://www.negitaku.org/news/10926/
また、同年12月、
「日本テレビ放送網」、「セブン&アイ・ホールディングス」、「電通」、「セブン・イレブン・ジャパン」、「イトーヨーカ堂」、「セブンアンドワイ」の6社は、
「メディアと消費の融合」をテーマに、テレビ・インターネット・小売業を結びつけた次世代型の「ショッピングポータルサイト」を運営する会社
「株式会社日テレ7」を共同出資で設立。
資本金は4億8000万円で、筆頭株主は、株式の51%を保有する「日本テレビ」である。
これまでにない番組視聴スタイルや商品購入スタイルを創造し、新たな販促&コミュニケーション市場を開拓するとしており、
2008年4月より、本格的なサービス開始が始まった。
尚、「セブン&アイ・ホールディングス」とは、2005年9月、
「セブン・イレブン・ジャパン」、「イトーヨーカ堂」、「デニーズジャパン」の3社が株式移転により、3社の持株会社として設立した会社。
2008年(平成20)
社団法人「公共広告機構(AC)」を「ACジャパン」と改称すると発表、
それに伴い、ロゴの下にあった「公共広告機構」の文字を「よりよい社会をめざす民間の広告ネットワーク」に変更。
改称の理由は、「公共広告機構」という官庁の組織のような名称によって生じる「公共広告機構は政府の機関である」という誤解を払拭する為。
企業広告を放送しない「NHK」も「ACジャパン」の会員企業であり、
2000年には「NHK」との共同による啓発キャンペーンとして公共広告を放送した実績がある。
尚、「NHK」で放送する場合に、ACのロゴは「公共放送 NHK」や「NHK環境キャンペーン」等に差し替えられるか、カットされる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E5%85%B1%E5%BA%83%E5%91%8A%E6%A9%9F%E6%A7%8B
2008年5月、「博報堂」は、赤坂サカスにある赤坂Bizタワーに本社を移転。
先に移転を完了していた「博報堂DYメディアパートナーズ」との連携を強めた。その後も、グループ企業が赤坂に集結している。
その後、同年11月、「博報堂」は、障害者団体の定期刊行物に適用される郵便料金割引制度を不当に利用し、
家電量販店のチラシを2年半にわたり計約1100万通送っていたことが判明。顧客から「問題があるのでは」と指摘され取りやめた。
この制度の利用は、「博報堂」関連会社である「博報堂エルグ(福岡県本拠)」が提案し、勧めた為、企業が採用したが、
その後、大阪地方検察庁特別捜査部によって、翌年春にこの事案に関与した幹部らが逮捕起訴された。
これを受けて、内部処分も同時に行われた。
2009年(平成21)
6月3日、政府は、省エネ家電の購入支援策「エコポイント」の運営事務局に「電通」や「凸版印刷」などによる6社連合を選定した。
運営事務局に決まった「グリーン家電普及推進コンソーシアム」は、
「電通」、「凸版印刷」、郵便事業会社の子会社「JPメディアダイレクト」、「JP物流パートナーズ、コールセンター大手の「ベルシステム24」、
「トランスコスモス」で構成する。
事務局には7件の応募があり、第三者による評価委員会が審査して決めたという(が、恐らく随意契約)。
併せて、エコポイントと交換出来る商品の募集も、6月1日から始めた。
商品券やプリペイドカードのほか、地域産品、省エネ・環境に配慮した製品の提供事業者を11日まで募集し、
第三者委員会が6月中旬に決定する。
7月10日、2016年夏のオリンピックが米国になることを見越してか、「電通」は、ニューヨーク州に新会社「電通スポーツアメリカ」を設立。
http://markezine.jp/article/detail/7793
また、同年5月、「電通」は、連結子会社の「サイバー・コミュニケーションズ(CCI)」を完全子会社化する為、
株式交換契約を結んだ。
「CCI」は、「電通」と「ソフトバンク」の合同出資で1996年に設立。
→注.お父さん犬も、「電通」生まれ
http://www.j-cast.com/2007/12/07014303.html
http://journal.mycom.co.jp/articles/2009/07/24/dentucm/index.html
インターネット広告を手がけるメディアレップ(代理店)事業を展開し、メディアと広告主を結び付けてきた。
電通グループは、インターネットを中心とするデジタル事業領域を重視し、激化するインターネット広告の競争に本格参入。
これとまったく無関係ではないと思われるが、
同年8月の衆議院総選挙では、与党である自民党・公明党の圧倒的不利が伝えられる中、
本来、公職選挙法142条で禁じられているはずの、選挙運動でのインターネット活用を公然と行っている。
劣勢が伝えられる自民党は、民主党を痛烈に批判する所謂、「ネガティブ・キャンペーン」をホームページ上で展開、
18日の公示後も更新を続けている。
また、これらの誹謗中傷を書き連ねた資料は、党公認候補の事務所や、演説会で配布したり、
各選挙区のマンションなど、戸別にまで投函するなどして配布している。
また、ネット上では、新しい動画CMを公示後に流している。
http://www.yomiuri.co.jp/net/report/20090825-OYT8T00569.htm
共産党以外の各党は、献金以外にも、政党交付金を毎年受け取って党運営を行っているが、政党交付金は税金(贅金ではない!)である。
つまり、我々一般国民から徴収した税金で、このような悪質で陰湿なエゴに塗れた宣伝物(汚物)を、
「電通」と自民党が作って、ばら撒いているのを思うと、本当に許せない気持ちになります。
==--==--==--==--==--==--==--==--==--==--==--==--
【2005年までの10年間に各党が受け取った政党交付金】
自由民主党 1470億2100万円
民主党 619億5000万円
社会民主党 266億5400万円
公明党 211億1800万円
その他政党(二院クラブ、新社会党、新党護憲リベラル、自由連合、無所属の会など) 558億5400万円
※日本共産党は、政党交付金(政党助成金)の受け取りを拒否している。
【2005年の政党交付金支給額】→郵政選挙の年ですから、当然、選挙資金になってます。
自民党 157億7951万4000円
民主党 117億6529万8000円
公明党 29億4374万1000円
社民党 10億2242万2000円
自由連合 1億1950万5000円
国民新党 6094万7000円
新党日本 4003万円
【2006年の政党交付金支給額】()内は前年比
自民党 168億4600万円(+14億2700万円)
民主党 104億7800万円(−17億1400万円)
公明党 28億5800万円(−1億1300万円)
社民党 10億600万円(−2200万円)
国民新党 2億6600万円
新党日本 1億6000万円
【2007年の政党交付金支給額】
自民党 165億9583万7000円
民主党 110億6382万4000円
公明党 28億0607万円
社民党 9億6822万3000円
国民新党 3億2940万3000円
新党日本 1億7863万9037円
【2006年の日本経団連から政党への献金】
総額は26億1000万円で、前年より1億3000万円増加した。
自民党向けが25億3000万円(前年比1億1000万円増)、民主党向けが8000万円(同2000万円増)だった。
http://blogs.yahoo.co.jp/sekaiisanjapan/36935394.html
【2007年の日本経団連から政党への献金】
日本経団連から政党への献金総額は、前年比3億9000万円増の29億9000万円に伸びた。
但し、自民党向けが29億1000万円と大半を占め、民主党への献金は8300万円と、ほぼ横ばいに留まった。
http://sankei.jp.msn.com/economy/business/080913/biz0809130025004-n1.htm
ネット選挙運動解禁の可能性
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0509/05/news013.html
【2007年の政党献金を自民党と民主党で比較】
2007年の政党献金を自民党と民主党で比較すると、
自民党が、総額224億円、民主党 総額40億円で、その差額は約184億円にもなる。
また、企業献金と個人献金の内訳で比較すると、
自民党が、企業献金168億円、個人献金56億円であるのに対し、民主党は、企業献金が18億円、個人献金が22億円となる。
企業献金の差額は、なんと150億円にもなり、また、個人献金はそれと比べれば開きは少ないが、それでも34億円の差額がある。
尚、日本経団連加盟企業を通じる企業献金を、自民党と民主党の比較で見てみると、
自民党が29億1000万円にも上るのに対して、民主党は8000万円と圧倒的に少ない。
日本経団連と自民党の癒着構造については、日本経団連の公式サイトの、国民意識に反した政党評価にもよく顕れている。
日本経団連が金で買う、政治への発言力
http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/seiji.html
【2003年〜2008年 自民党・民主党に対する日本経団連から献金額と評価を比較】
http://www.sasaki-kensho.jp/gijiroku/download.php?f=upfile/1246725951-1.pdf&n=090702siryou.pdf
日本経団連が金で買う、政治への発言力
http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/seiji.html
日本経団連の政治献金は贈収賄にあたらないのか?
http://www.amakiblog.com/archives/2007/12/12/
自民党と民主党の台所比較(グラフ表示)
http://www.jiji.com/jc/v?p=ve_pol_politics-jimin080911j-05-h420
≪補足≫
http://list.jca.apc.org/public/aml/2005-September/003427.html
Karel van Wolferen著『日本/権力構造の謎 上巻』(1994年)から、記事を以下引用します。
尚、現在、中曾根康弘は政界引退後、「電通」の顧問になっています。
民主党の広告は、以前は「博報堂」がやっていましたが、今はたぶん外資系の広告代理店だと思います。
→注.現在も「フライシュマン・ヒラード」?
以下の文中に登場する「視聴率調査会社」は、
この文が書かれた頃には外資系の「ニールセン」と「電通」の子会社「ビデオ・リサーチ」の2社がありましたが、
現在は、「電通」の子会社「ビデオ・リサーチ」1社しかありません。
「電通」ほど一手に、直接或いは多数の下請けを使って、大衆文化を作り出している企業体は世界中どこを探しても、他にない。
「万国博」やローマ法王訪日時の準備など、主要イベントもこの会社が総合企画・演出の陣頭指揮に立つ。
「電通」は、日本の全テレビ・コマーシャルの3分の1の直接責任者であり、ゴールデンタイムのスポンサーの割り振りに関して
実質的に独占的決定権をもつ。
約120の映像プロダクション、400以上のグラフィック・アート・スタジオがその傘下にある。
午後7時〜11時の時間帯の番組にコマーシャルを出したい広告主(クライアント)は、電通を通すしかない。
スポンサーの選定と放送番組の内容の大部分を、「電通」が握っているからだ。
日本では、扱い高が即、政治力になるので、「電通」はこうした役割(事実上の編成局)を演じられるのである。
その結果、「電通」の影響力は、日本のテレビ文化の内容まで左右し、世界中どこにも類例が見られないほど、
強力なマスメディアを通しての、社会統制になる。
そして、このことには重大な政治的意味がある。テレビという麻薬が、日本ほど見事に利用されている国は他にない。
「電通」の広告扱い高は、日本の総広告費の約4分の1に当たる。
大手新聞の広告の5分の1強、主要雑誌の広告のおよそ3分の1が「電通」扱いである。残りの4分の3を、約3000社の中小広告代理店が分け合っている。
「電通」が、これほど無敵の存在になれたのは、その人脈のおかげである。
同社の社員採用方針で常に目指してきたのは、
テレビ界や出版界のトップ・クラスの管理者や幹部役員、及び特別な広告主、プロの黒幕などの息子たちや近親者からなる人材プールを維持拡充することであった。
彼らを指して、大きなスポンサーと良好な関係を保つ為の“人質”だとは、「電通」のある役員が例え話に言った言葉である。
「電通」出身者の落ち着き先(天下り先)の1つは、テレビ番組の人気度を評価する視聴率調査会社「ビデオ・リサーチ」社である。
管理者たちに不評なテレビ番組を解除するのにも活用される。
論争の的になる時事問題(例えば、部落問題、文部省による教科書検定、税制など)を扱った『判決』という番組は、
低視聴率という口実をもって、放送が打ち切られた。
「電通」は、消費者の追及から大企業を庇ったりもする。
「電通」のある幹部は、米国の消費者運動活動家ラルフ・ネーダーを日本に招いた「読売新聞」が、
「電通」の警告に応じて、同紙の予定していた、ネーダーについての二面抜きの特集記事を小さな記事に分割し、しかも調子を落としたと、
スピーチで誇らしげに語った。
また同じ頃、「毎日新聞」が、これも「電通」の指示のもとに、消費者運動についての記事を穏当なものに変えた。
「電通」は、報道媒体に強大な圧力をかけ、「電通」の広告主(クライアント)の名声に傷がつくような出来事は、
報道させないか、報道に手心を加えさせることも出来る。
1955年、森永乳業の砒素入りミルクについてのニュースを電通が統制したケースは有名である。
また、1964〜1965年には、
大正製薬が製造した風邪薬を飲んでショック死した人々についてのニュースを、「電通」が検閲し、内容を変えさせた。
「電通」が報道関係を巧みに検閲出来るのは、財政的な力に起因するだけではない。
1936年から1945年まで、独占的な政府の宣伝機関だった「同盟通信社」と一体だったこと、
また、どちらも戦時中の「同盟通信社」の末裔である「共同通信社」と「時事通信社」という、
日本の二大通信社と非常に緊密な関係にあることにも起因する。この繋がりは、株式の相互持ち合いによって強化されている。
「共同通信社」が扱うニュースについては、常に「電通」に情報が入る。
「電通」のもう1つの機能は、官僚及び自民党のPR活動をしたり、世論調査を通して国民の“伝統的な価値”を支えることである。
「電通」は、総理府及び自民党が必要な情報を収集し、偏った意見調査を通して“世論”を作り上げる手伝いをする。
自民党の選挙キャンペーンという最も手の込んだ部門は、「電通」が引き受けている。
原子力発電所の安全性の宣伝や、様々な省庁の企画に関する宣伝なども扱っている。
1970年代後半に、一連の野党系市長や知事を退陣させる政治的策動を取り纏め、
政治的に重大な地方消費者運動や反公害運動に対抗する反キャンペーンを展開したのも、「電通」である。
このような官庁及び自民党の為の仕事は、主に電通の「第九連絡局」でおこなわれ、
ここには、建設省、運輸省、農水省、郵政省、文部省、大蔵省、総理府の各省を担当する別々の課がある。
公式には民営化されたが、実際には以前と殆ど変わっていないNTTやJRなどの公共企業も、この局が扱っている。
この「第九連絡局」は、総理府の広報予算の3分の1以上、他の省庁の同40%を吸収する。
また、自民党の広報宣伝予算についても、「電通」が独占に近い形で自由に使っている。
自民党と「電通」とが、このような親密な関係を保てる理由の一つは、
「電通」は寡占によって、実業界の顧客から非常に高い手数料を取れる、
従って、いつも政治資金の足りない自民党は、安くしてもらったり、支払いを急がなくてもよいからである。
「電通」の「第九連絡局」は、1972年、田中角栄内閣発足直後に作られた。
その一年後に、電通は注目すべき『自民党の広報についての一考察』という報告書を刊行し、
その中で、自民党は既に「記者クラブ制度」を通じて、大手新聞、テレビ、ラジオの記者とはかなり有利な関係を保っていたが、
新聞社発行以外の主要週刊誌との関係は、まだ十分に決められたルールに基づくものではなかったと、よく引用される主張をしている。
「電通」のおよそ40%に当たる売上高を持つ、日本で2番目に大きい広告代理店「博報堂」もまた、
管理者、とくに財政金融界の管理者たちの間に安住している。
この会社の社長が二代続いて、また他にも数名の取締役が大蔵省からの天下りであるから、当然ともいえる。
だが、もう少し小規模で、官僚の為に宣伝活動を展開して、最も興味をひくのは、非常に積極的な「東急エージェンシー」である。
「電通」は、通常、官僚を通じて仕事の注文を受けるのだが、
中曾根康弘が首相在任中は、彼自身が直接、「東急エージェンシー」に電話をかけて指示した。
このような緊密な繋がりがあるのは、東急グループの総帥で、1987年まで日本商工会議所の会頭だった五島 昇(1989年死去)が、
東大の同期生・中曾根康弘を、彼の人脈の頂点に置いていたからである。
「東急エージェンシー」が担当した最大の仕事は、中曾根康弘が戦後のタブーを排除する計画の一部として遂行し論争の的となった、
建国記念の日に関連する祝賀イベントである。
対象範囲が更に広いものとしては、中曾根康弘の行政改革案に関連し、全国で展開された宣伝キャンペーンがある。
このキャンペーンでは、主婦組織などから参加者を募って圧力団体を作り、市中行進や国会前デモを組織した。
1983年3月には、15000人のデモ隊動員に成功している。
このような大きな仕事を担当して、金銭的には損失があったが、人脈の繋がりがいっそう強固なものになったおかげで、
「東急エージェンシー」は急成長する広告代理店になった。
自民党政府が次々と出す「政策要綱」は、大抵、広告コピーのように聞こえるのだが、
それは具体的な政治理念の代わりに出てくるスローガンが、前記の代理業者のどれかで作られたものだからである。
(下記、追加)
戦後、GHQとの関係をきっかけに、
CIAとも綿密な関係を持つに至り、「電通」は、日本国内の最大最強のCIAエージェント(諜報機関)とも言われており、
また、山口組を始めとする暴力団との裏のコネに豊富で、「電通」の“実力行使”の為に、
毎年かなりの金額が暴力団に第三者を通じて流れている、と言われています。
http://ofureko.exblog.jp/9158601/
「日本を思うように動かす為には、先ずマスコミを掌握しなければ」
その結果、現在、「電通」を媒介にして米国による民放支配はほぼ完了しました。
公共放送である「NHK」は、米国も直接支配が出来ないので、政府・自民党を通じて、「NHK」の政治報道に圧力をかけつつ、
もう一方で、大新聞・民放テレビ・雑誌ジャーナリズムを使って、「NHK」を解体させようとしているようです。
小泉純一郎首相は、ジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領にとって、最良のパートナーでした。
その小泉政権下で、日本の広告独占体(電通)は“ブッシュ世界戦略”の道具と化し、
米国と、日本の広告巨大独占体(電通)は、各テレビ局と大新聞に対して、小泉を勝利させる為に総力をあげるよう工作、
各テレビ局と大新聞は、この要求を受け入れ、全力をあげることを誓わされました。
日本の民放テレビ、大新聞は、広告巨大独占体(電通)の指導のもと、
郵政選挙で小泉政権を勝利させる為に大キャンペーンを行い、同時に、郵政民営化反対派に対する、ネガティブキャンペーンを行いました。
Benjamin Fulford氏などによれば、郵政選挙でCIAが「電通」に対し多額の資金を注入し、
「電通」が各マスコミに働きかけることで、小泉純一郎を全面的にバックアップしたと言われています。
http://benjaminfulford.typepad.com/benjaminfulford/2008/03/post-11.html
藤原 肇著『朝日と読売の火ダルマ時代』より、「秘密の鍵はニューヨークにある」
http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200410030000/
http://ofureko.exblog.jp/9076799/
また、2000年7月16日付「琉球新報」によると、
1968年11月に行われた、沖縄の日本“返還”後初の「沖縄知事選挙」において、
米国CIAが、自民党の知事候補に選挙資金を援助し、自民党を勝たせるように裏工作していた事実が報道されています。
この記事では、
米国大使館から出された「自民党にCIA資金を選挙の裏金として渡すよう」指示した、1968年8月16日付の電文がスクープ掲載されています。
尚、この「沖縄知事選挙」で、自民党幹部職員として選挙を担当していた金尚氏によると、
CIAの代理人として、沖縄でCIA資金2000万円の授受を担当していたのは、小泉純一郎・元首相その人です。
(週刊文春2002年8月15日、22日合併号)
つまり、このことから小泉純一郎・元首相は40年前から既にCIA工作員であった、ということが窺えます。
(第2章)米国の占領政策
第二次世界大戦直後の米国による日本占領政策は、3R、5D、3S政策と言われました。3Rは基本原則、5Dは重点的施策、3Sは補助政策です。
3Rの第1は、復讐(Revenge)。第2は、改組(Reform)。日本の従来の組織を抜本的に組み替えること。
第3は、復活(Revive)。改革したうえで復活、つまり独立させるということです。
5Dの第1は、武装解除(Disarmament)。第2は、軍国主義の排除(Demilitalization)。この2つが憲法九条の目的です。
第3は、工業生産力の破壊(Disindustrialization)。軍国主義を支えた産業工業力を打ち壊すというもの。
第4は、中心勢力の解体(Decentralization)。財閥の解体。内務省を潰す。警察を国家警察と地方警察に分解する。
第5は、民主化(Democratization)。日本の歴史的・民族的な思想や教育を排除し、米国的に民主化する。
その為に日本帝国憲法を廃棄し、天皇を元首から降ろす。新憲法を制定して、天皇を象徴にする。
皇室、国家と緊密な関係にあった神道を国家から切り離す。国旗の掲揚を禁止し、教育勅語を廃止する。
以上の5D政策を円滑、或いは活発に行わしめる補助政策として、3S政策というものがあります。
第1のSは、セックスの解放。第2のSが、スクリーン。つまり映画・テレビ等を活用する。音楽もこれに含まれます。
第3のSが、スポーツの奨励。
これらを楽しんで、大衆は無知蒙昧なままでいろ。政治に関心を持つな、という政策でもあり、今の日本人は3S政策にすっかり
嵌ってしまっています。まさに「電通」が生業としているのが、この3S政策の分野なのです。
日本占領政策の一環として、今ある社会の娯楽があることを理解して物事を見れば、それまでと違った感じ方が出来るように
なるのではないでしょうか。
これらの日本占領政策の最終目的は何でしょうか?
それは、次に紹介するサイトに答えがある気がします。その中でも、このページが“洗脳”の理由としてわかりやすいのではないかと
思います。
『私たちは気づかぬうちに搾取されている』、『新階級社会へ』、『至高の武器“おカネ”』、『私たちに何が出来るのか?』
http://www.anti-rothschild.net/main/08.html←重要です。
日本はサンフランシスコ講和条約で独立国として承認されていなかった!?(苫米地英人著『脳と心の洗い方』より抜粋)
http://www.anti-rothschild.net/material/36.html
もし、「自分は物知りだ」と思っている人間君は、一度振り返ってみて欲しいワン。
実は、自分が得た知識って、殆どがテレビや本など、マスコミを通して知ったものばかりのはず(最近はインターネットも多いらしいね)。
自分の持っている知識のうちの何パーセントが、自分が実際に見たり体験したりして得た知識だい?
実はその殆どは、実際に自分で見聞きしたモノじゃないでしょ?
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20061212
日本独立の気概は、どこで失われたのか?
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20070329
CIAの「日本のTV放送監視機関」→CIAは米国の対外諜報機関なので、当然と言えますが・・・
http://alternativereport1.seesaa.net/article/120037441.html
「CIA(Central Intelligence Agency)」とは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E6%83%85%E5%A0%B1%E5%B1%80
(第3章)「電通」と東京オリンピック誘致、世界陸上などの利権
◆「電通」と東京オリンピック誘致の利権
2016年夏のオリンピック招致にむけて東京都(不本意な石原都政)が、「電通」に委託事業費の86.5%を独占させていたことが
2009年3月11日、東京都議会予算特別委員会で明らかとなり、
その結果、2006年度から2008年度にかけて東京都(不本意な石原都政)が発注した委託事業費30億1059万円のうち、
「電通」に、26億345万円(全体の86.5%)を発注したことが判明。
また、東京都(不本意な石原都政)の招致本部が「電通」との契約を、競争入札なしで特定の企業の指定を行う「特命随意契約」で行い、
他企業に発注出来るはずの都バス車体広告、機運を盛り上げる為のTOKYO体操の企画まで「電通」に委託していたことが明らかとなった。
知事本局が2005年11月に、オリンピック招致事業の基礎調査の発注にあたり、
「博報堂」など他の広告大手と企画競争をさせず、「電通」のほか人材派遣会社など四社を指名した企画提案の審査の結果、入札なしで「電通」に発注。
これを契機に都招致本部は、重要な委託事業をすべて「電通」に特命随意契約で発注してきた。
更に、都生活スポーツ局の事業委託でも、「電通」の占める割合が51.8%(7億1000万円)もあったことが判明した。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2009-03-12/2009031201_04_0.html
北京オリンピックの視聴率の結果、オリンピック・各大会の放映権料と視聴率を比較
http://d.hatena.ne.jp/longlow/20080825
2004年10月21日、「電通」は、2004年9月中間期の単独経常利益が、前年同期比35%増の252億円になったと発表した。
従来予想を30億円上回った。五輪効果で広告事業が好調だった上に、粗利益率も期初見込みより0.2ポイント改善。
IT(情報技術)関連の開発費が計画より少なくなり、販管費を抑えたことも寄与した。
http://mediainsight.jp/clip/2004/10/35.html
2005年、「オリンピック」の肖像権が選手個別に管理されることになり、
選手が「日本オリンピック委員会(JOC)」と契約せず、CM出演など、より自由な商業活動を希望した場合は認めることになった。
また、それまで広告代理店4社と契約していたマーケティング活動は、2005−2008年の次期システムでは、
36億円の収入を最低保証として提示した「電通」を基本的に専任とすることで一致した。
http://www.47news.jp/CN/200311/CN2003112801000339.html
2016年夏のオリンピックが米国になることを見越してなのか、
2009年7月10日、「電通」は、ニューヨーク州に新会社「電通スポーツアメリカ」を設立。
http://markezine.jp/article/detail/7793
◆「電通」と世界陸上の利権
参考
http://olympico.cocolog-nifty.com/olympic_plus/2007/08/post_d525.html
http://olympico.cocolog-nifty.com/olympic_plus/2006/06/w_5e5d.html
下記、一部引用、
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≪IAAF 世界陸上2007 大阪大会 組織委員会 理事・監事≫
最高顧問:森 喜朗 財団法人「日本体育協会」会長
最高顧問:御手洗冨士夫 社団法人「日本経済団体連合会」会長
名誉会長:青木半治 財団法人「日本陸上競技連盟」名誉会長
理事(会長):河野洋平 財団法人「日本陸上競技連盟」会長
理事(副会長):井上 弘 株式会社「東京放送」代表取締役社長
理事(副会長):太田房江 大阪府知事
理事(副会長):下妻 博 社団法人「関西経済連合会」会長
理事(副会長):關 淳一 大阪市長
理事(副会長):帖佐寛章 財団法人「日本陸上競技連盟」名誉副会長
理事(副会長):俣木盾夫 株式会社「電通」代表取締役会長
(以下略)
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日本で「世界陸上」を独占中継しているのはTBSであり、1999年のセビリア大会から5回目となる。
IAAF国際陸連とTBSが直接交渉したのは、最初の1999年だけであり、以後はTBSではなく「電通」が直接の窓口になっている。
1999年に「電通」は、国際陸上競技連盟(IAAF)主催の全47大会の、2000〜2009年の10年分の国内放映権を一括して獲得。
その金額は80億円〜90億円と推定されており、放送権は、地上波に加え、衛星、ケーブル、ラジオまで含んでいる。
「電通」は、スポーツの放送権を長期で獲得し、国内で転売するビジネスを強化しており、商社のように放送権を転売することによって儲けを出す仕組みだ。
「世界陸上」は奇数年に開催されるが、これは、偶数年の「夏季五輪(オリンピック)」や「サッカー・ワールドカップ」が開催されない年にいかに稼ぐか、を考えてのことだ。
電通が持っているIAAF主催の国際大会の権利は、「世界陸上」以外には次のようなものがある。
「世界室内陸上選手権」、「ワールドカップ陸上大会」、「世界ジュニア選手権」、「世界ユース選手権」、「グランプリ・ファイナル」、
「世界クロスカントリー選手権」、「世界ハーフマラソン選手権」、「ワールドカップ競歩選手権」
IAAFにとってみれば、売り難い商品を抱き合わせにして一括で売っている訳で、こうした大会は、実はTBSで誰も見ていない日曜の深夜などに放送されている。
昨年2006年3月には、読売新聞に次のような記事が載った。
==--==--==--==--==--==--==--==--==--==--==--==--
「電通」は18日、「サッカー・ワールドカップ」の2010年南アフリカ大会と、2014年の大会(開催地未定)に関する、
(日本を除く)アジア地域での放映権を獲得したと発表した。国外での放映権取得は初めて。国内分は既に2005年3月に獲得している。
2007〜2014年に行われるFIFA主催のすべての大会の放映権も含まれている。契約金額は公表していない。
対象となるのは、テレビ、ラジオ、インターネット、携帯電話に関する分野。
1999年に「電通」がIAAFと契約したときには明記されていなかったインターネット、更には携帯電話がはっきり明記されていることに注目したい。
==--==--==--==--==--==--==--==--==--==--==--==--
1979年の「ワールドユース」で、初めて国際放送権の交渉も手がけた。
そして現在、「電通」は、国際サッカー連盟(FIFA)のマーケティング部門の一翼を担っている。
1990〜1998年の3大会の放送権は306億円だったが、2002、2006年の放送権は、2大会で計2500億円と言われる。
「電通」は、2014年大会までの国内向け放送権を既に獲得済である。
「夏季五輪(オリンピック)」テレビ放映権料(1998年〜2008年)、「サッカー・ワールドカップ」テレビ放映権料(1974年〜2006年)
http://olympico.cocolog-nifty.com/olympic_plus/2006/06/w_5e5d.html
◆「電通」と北京オリンピックの利権
参考
http://markezine.jp/article/detail/2014
http://markezine.jp/article/detail/2527
下記、一部引用、
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「電通」アメリカは、2007年10月29日、米国と英国に拠点を持つ、広告代理店「ATTIK」を買収したことを発表。
「ATTIK」は、1986年にSimon NeedhamとJames Sommervilleの2人が英国に設立。
活動を始めた当初は、James Sommerville氏の祖母の家の屋根裏(attic)にある寝室が彼らのスタジオだったという。
その後、マッキントッシュを使った斬新なグラフィックデザインによって注目され、米国にも進出。
ニューヨーク、サンフランシスコ、ロサンジェルスに拠点を持つ。
「ATTIK」は、「Ford」、「NIKE」、「Adobe」、「AOL」、「トヨタ」などのグローバル企業を多数クライアントに持ち、
中でも、「トヨタ」の小型車Scionについては、ブランディングから広告クリエイティブまでを担当。
広告業界情報サイト「AD WEEK」は、
日米「トヨタ」の役員から2006年に「電通アメリカ」のCEOに就任したTimothy Andree氏が今回の買収に動いたと伝えている。
また、「電通」と中国屋外広告最大手の「分衆伝媒(フォーカスメディア)」傘下の「華光広告(香港)」は共同出資で、
ネット広告企業「電衆数碼(北京)」を2008年3月、北京で設立することで合意。
新規合弁会社の役員会メンバーは「電通」より任命され、既存の北京市・上海市のネット広告業務を新規合弁会社に移転させる予定。
2007年12月時点での中国ネット利用者は、前年比53.3%増の2億1000万人に達し、
インターネット広告市場は2007年には約1400億円、2010年には約4000億円に成長することが見込まれている。
中国「電通」グループ(北京電通・上海東派・北京東宝日海)の3社は、
ソリューション向上やメディアとの交渉力を高める為に、新しく設立するインターネット広告の専門会社に業務を集約。
中国「電通」グループのインターネット広告事業の作業委託・集約先として機能すると同時に、直営業による新規得意先の開発などを行う。
新会社は北京市に設立し、株式の比率は、「電通」67%、「分衆伝媒」傘下の「華光広告(香港)」33%となっている。
今回、共同出資社となる「華光広告」の親会社「フォーカスメディア」は、
米ナスダック市場に上場し、屋外メディア、インターネット広告、モバイル広告の3分野で事業を展開。
「フォーカスメディア」グループが開発したインターネット広告の配信ソフトの市場シェアは、80%を超えるという。
「電通」グループは2007年、デジタル化とグローバル化への取り込みが不可欠として、「オプト」社との資本業務提携の強化、
米・英「アティック」社の経営権の取得を進めてきたが、今後も引き続き多面的な投資や事業拡大を図るとしている。
http://markezine.jp/article/detail/2392
---引用終わり---
参考
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/marketing/article/111
下記、一部引用、
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『ロイター』の報道によると、「IOC(国際オリンピック委員会)」が手にする北京オリンピック関連の放映権料は、25億ドル(約2600億円)。
前回のアテネ大会における「IOC(国際オリンピック委員会)」の収入総額は40億ドル、そのうち53%の21.2億ドルが放映権料収入だったと報告されており、
15%の値上がりとなっている。
更に、2012年に予定されているロンドン大会の放映権料は、30億ドルを超すと見込まれており、高騰が続く傾向にある。
1984年のロサンジェルス大会が、オリンピック・ビジネスの幕開けと言われており、
この大会から「IOC(国際オリンピック委員会)」にも、開催地域にオリンピックにより収益が期待出来るようになった。
スポンサーを1業者1社に絞り、清涼飲料水メーカーで、オリンピックマークを使えるのは世界で1社のみとしたことで、
コカコーラとペプシコーラが競い合ってスポンサー料金が高騰。他にも様々な施策を行って、1セントも税金を使わずにオリンピックを成功させた。
このロス五輪から、アテネ五輪までで、放映権料はおよそ5倍に膨らんだ。
「サッカー・ワールドカップ」ドイツ大会では16億ドルの放映権が「FIFA」に入った。
参加選手数も多く、毎日たくさんの競技が行われているだけに「オリンピック」の放映権が高いのも頷けるが、さすがにここまで高騰するとなると、
TV局にとっての負担は相当なものだ。
日本は、オリンピックを放送するのに、198億円を「IOC(国際オリンピック委員会)」に支払っているのだが、
放映権は、「ジャパン・コンソーシアム」が、「IOC(国際オリンピック委員会)」から放映権を一括購入して、
加入放送局と協議をして、放送協議の振り分けなどを行っている。
また、「ジャパン・コンソーシアム」は、「オリンピック」だけでなく、「サッカー・ワールドカップ」の放映権購入も行っている。
この198億円は、「IOC(国際オリンピック委員会)」の代理人を行っている「電通」に、「ジャパン・コンソーシアム」が支払っている。
「電通」が、オリンピック放映権販売手数料をいくらとっているかは不明。
「電通」は、この高い放映権料金を回収する為の、CMスポンサー探しも行っている。
「電通」はオリンピックの放映権だけで、CMスポンサー→TV局、TV局→「IOC(国際オリンピック委員会)」と2度手数料を得ることが出来る。
ソウル大会以降の放映権料、他のスポーツとの放映権料の金額の比較
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/marketing/article/111
---引用終わり---
他、上記内容とは前々関係ありませんが、「電通」のスポーツ事業では、次のような問題点の指摘もあります。
異議っ! ジャニーズだらけのスポーツ中継
http://www.cyzo.com/2008/04/post_468.html
◆石原慎太郎と「電通」
参考
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10129698842.html
2009年8月19日の「日本経済新聞」朝刊『私の履歴書』に、
「電通」の“天皇”成田 豊による、33年前の石原慎太郎・都知事選出馬(落選)での広告戦略の裏話が掲載された。
http://ameblo.jp/garbanzo04/image-10129698842-10086171887.html
1975年4月12日、都知事選の前日に、当時はまだリベラルだった「朝日新聞」に対して、
石原慎太郎を優勢にする為の、プロパガンダ広告を掲載させるように工作(相談と書いてありますが)をして、
そこに深く絡んでいたのが浅利慶太であり、その後、浅利慶太は記事にあるように、長野オリンピックで開会式を演出した。
浅利慶太は、劇団四季創設者の一人で芸術総監督であり、中曽根康弘のブレーンとしても知られていた。
その劇団四季と言えば、2002年12月、劇団四季専用の劇場が、電通本社ビルにオープンしている。
東京の都市計画と、築地立ち退きの関連年表
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10125747752.html
(第4章)「電通」とエゴポイント
◆煩雑化することによって、天下り法人を潤わせ、利権を作るという賤しさ
(こいつらが貪っているのは、緊急であるはずの補正予算であり、しかも、国の借金です!それを後々、消費税大増税で補うなど
絶対に許すべきではない!)
どうやら、エゴポイントをわざわざ煩雑なシステムにし、利益をいちばん貪っているのは、他ならぬ「電通」のようです。
http://www.eco-action-point.go.jp/index.php5?var=vote/Z02
http://www.eco-action-point.go.jp/business/2009/dentsu_21.html
「電通」が考えた大義名分がこれか?例のB層狙いの資料と殆ど同じレベルだ
http://www.eco-action-point.go.jp/download_data/ecopoint-dentsu.pdf
比較参考、
http://tetsu-chan.com/05-0622yuusei_rijikai2.pdf
==--==--==--==--==--==--==--==--==--==--==--==--
エコポイントの登録・商品交換申請手続き(個人)[エコポイント事務局HP]
http://eco-points.jp/EP/apply/index.html
エコポイントの登録・商品交換申請手続き(法人及び個人事業主の方)[エコポイント事務局HP]
http://eco-points.jp/EP/information/090728_1.html
上記、2つの手続きを前提とした、基金設置法人及び事務局の事務費用の見込み
◎基金設置法人:環境パートナーシップ会議基金管理及び事務局指導監督業務(3年間分)→1億2000万円
◎エコポイント事務局(グリーン家電普及推進コンソーシアム 主幹事は「電通」)→68億円
【68の内訳】
・事務局費(事務局人件費、事務所・作業所等賃料)→4億4000万円
・申請処理等業務費
(申請受付・入力・通知費、交換商品の受付・発注経費、コールセンター関係費、
申請書・通知ハガキ・交換商品リスト等印刷物制作費、システム関係費、広報関係費等)→57億4000万円
・交換事業者への支払関係経費(振込手数料)→3億円
・消費税→3億2000万円
http://www.env.go.jp/policy/ep_kaden/090601a.html
→注.大体、このエゴポイント用のHPだって、いくらかかっているのかわかったもんじゃない。
http://www.exblog.jp/blog_logo.asp?slt=1&imgsrc=200809/07/02/f0180002_1052677.jpg
==--==--==--==--==--==--==--==--==--==--==--==--
2009年6月3日、政府は、省エネ家電の購入支援策「エコポイント」の運営事務局に「電通」や「凸版印刷」などによる6社連合を選定した。
運営事務局に決まった「グリーン家電普及推進コンソーシアム」は、
「電通」、「凸版印刷」、郵便事業会社の子会社「JPメディアダイレクト」、「JP物流パートナーズ、コールセンター大手の「ベルシステム24」、
「トランスコスモス」で構成する。
事務局には7件の応募があり、第三者による評価委員会が審査して決めたという(が、恐らく随意契約)。
併せて、エコポイントと交換出来る商品の募集も、6月1日から始めた。
商品券やプリペイドカードのほか、地域産品、省エネ・環境に配慮した製品の提供事業者を11日まで募集し、
第三者委員会が6月中旬に決定する。
http://japanimate.com/Entry/956/
電通が2009年6月9日に纏めた「夏のボーナスの使い道調査」
http://www.business-i.jp/news/ind-page/news/200906100042a.nwc
エゴポイント、怪しいよ
http://fujifujinovember.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-1622.html
エゴポイント、「日本経団連」と政府の深い癒着
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=210204
国策エゴポイントが胡散臭い
http://ameblo.jp/aobadai0301/entry-10241627420.html
仕組みを複雑にすればするほど仕事が増える、ということ
http://blog.goo.ne.jp/thiroi/e/3522b6bfa6323be78b236f1ab706511c
「セブンイレブン」のみの「NANACO」がよくて、青木や九十九等やヤマダ電機全店等で使える「YAMADA」のポイントがダメというのは何故?
http://reveryearth.blog.so-net.ne.jp/2009-06-21
→注.「セブン・イレブン・ジャパン」の広告代理店が「電通」だからです。
エコポイントにダマされるな!テレビを買っても庶民は4万円も損をする
http://gendai.net/?m=view&g=wadai&c=050&no=19804
(第5章)「電通」と自民党・公明党の政府広報費
聖域なき「構造改革」の聖域は、内閣・政府広報費
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/36c99b217fef54cf354548d387564fb8
http://www.exblog.jp/blog_logo.asp?slt=1&imgsrc=200809/07/02/f0180002_1052677.jpg
(第6章)満州国―岸 信介―阿片ビジネス=?ミャンマー、「電通」、小泉進次郎、タレント事務所、みーんな疑ってみよう
→注.この章は前回、編纂した『「酒井法子容疑者」の事件と「押尾 学容疑者」の事件と、森 喜朗の、点と線』に繋がります。
相互に補完する二本立てにする為に、今回、「電通」に関する資料を纏めました。
http://www.asyura2.com/09/senkyo69/msg/590.html
アヘン戦争の再来という妄想
http://sensouhantai.blog25.fc2.com/blog-entry-72.html
◆安倍晋三の祖父であり、清和会の源流である、CIAのエージェント・岸 信介が麻薬取引に関与していた可能性
参考
http://taygeta.sagafan.jp/e6883.html
http://anarchist.seesaa.net/article/18290735.html
下記、一部引用、
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北朝鮮による覚醒剤密輸事件が新聞を賑わしているが、大日本帝国が侵略地中国において行ってきた阿片ビジネスと比べれば、カワイイものだ。
以下、久保井規夫著『戦争と差別と日本民衆の歴史』より引用、
ケシ類未熟果実に傷をつけて、滲出する乳液を乾燥乾固したものが、阿片だ。
阿片に含まれているモルヒネは、鎮痛・鎮静・催眠・快楽をもたらす薬剤となる。末期癌患者に使用されることが多い。
しかし、連用すると中毒となり、常用しないと禁断症状に苦しむこととなる。
モルヒネにアセチルを化合したのがヘロインで、薬効・中毒作用は、更に強くなる。
中毒に陥ると、増量して使用しないと禁断症状を起こして死亡するし、常用すれば衰弱して早死にする恐ろしい麻薬だ。
この阿片の中毒作用を利用して儲けようとする悪いやつは後を絶たない。
国家自体が関わって、中国へ密輸したのが、オランダと英国、そして日本なのだ。
1840年、英国は、中国(清王朝)への阿片密輸を禁止されたことに、貿易の自由を妨害したなどという口実で阿片戦争を仕掛けた。
中国は敗北し、英国の阿片の毒牙は、ますます中国民衆を蝕んでいった。
中国の弱体を見て、欧米列強は、清王朝に対して不平等条約を強要し、清王朝は、阿片亡国・植民地化の危機に陥ることとなる。
麻薬中毒の恐ろしさに、1912年に「ハーグ阿片条約」、1925年には国際連盟による「ジュネーブ阿片条約」が結ばれたが、
欧米の帝国主義者たちは、自国への阿片の弊害を防いでも、中国への阿片密輸は続け、それに日本も加わっていった。
中国の阿片中毒者(隠者)は増加し、消費される阿片は900万貫(当時5億円)に上った。
輸入額を減らそうと中国国内のケシ栽培を認めたが、かえって阿片中毒者を増やすこととなった。
1912年、辛亥革命後の中華民国による阿片禁止も、軍閥との抗争や内乱で進まず、そこへ日本の侵略が始まってしまった。
日本は、阿片戦争に驚き、当初は、ケシの栽培や阿片の輸入を厳禁した。
しかし直ぐに、医薬品としての鎮痛・麻酔剤としてモルヒネ・ヘロインが必要となり、日本は、阿片の製造・売買や輸出入を政府の許可・専売制とした。
やがて、中国侵略に伴い、中国の阿片問題に介入していくのである。
日清戦争後に、台湾を領有したことで、日本は阿片中毒者対策で阿片を必要とし、ケシ栽培と阿片輸入は本格化することとなった。
大阪府三島郡福井村の二反長音蔵(にたんおさおとぞう)は、
台湾で必要な阿片の殆どを輸入に頼っている貿易赤字を改善する為、内務省の後藤新平の支持で、ケシ栽培に取り組んだ。
モルヒネ純度の高いケシの品種改良に成功して、
大阪府・和歌山県・京都府・岡山県・福岡県の医薬品原料の商品作物として、農村の収益を高めた。
更に、遼東半島・山東半島・満州そして上海租界地では、日本陸海軍の特務部が、治外法権の特権を利用して阿片の密売を公然と進めた。
医薬品や中毒是正の目的とは無関係となり、
中国人相手の阿片・麻薬販売の利益を得ることと、中国民衆の阿片中毒による弱体化が主目的となったのである。
この時、陸海軍の手先として活躍したのが笹川良一、児玉誉士夫たちだ。
戦後右派の黒幕となり、日本を動かしていく曲者たちは、阿片で莫大な財産を手中にする。戦後、岸 信介などが作った自民党は、
元々は阿片の金で動いていた麻薬党なのである。
拡大した市場は、もはや英国の阿片密売の比ではなく、大規模なものとなっていった。
植民地だった朝鮮半島でも、中国への阿片輸出の為、
3万〜8万人が従事して、毎年、約8千haのケシを栽培し、毎年、約4万キロもの阿片を製造することとなった。
阿片・麻薬の需要は増大し、「三井物産」と「三菱商事」が、ドイツ・イラン・トルコ・シンガポールの阿片・麻薬を一手に輸入していた。
英国とフランスによって、中国華僑の活躍した東南アジアにも阿片の弊害は及んでいったのだ。
実に欧米に成り代わった日本は、大東亜阿片圏と言うべき阿片の毒牙をむき、三井・三菱の阿片船がアジアを往来した。
「三井物産」は上海へ、1938年4月に約3万トン、1939年1月に約7万トンもの阿片を運び込み、南京維新政府の財政を助けた。
「三菱商事」は、「三井物産」の3.5倍もの量を1939年2月に満州の大連へ運び込んでいる。
南満州進出、21カ条要求、満州事変と中国への日本の侵略は拡大、更に日中戦争へと突入する。
日本は、中国の占領地に満州帝国を始めとする傀儡政権を次々とデッチあげていく。
これらの傀儡政権や親日の軍閥は、日本軍の擁護の下に、阿片を政府・地域の許可・専売制として、阿片・麻薬の利潤を日本軍と分け合った。
傀儡政権の満州・内蒙古では、堂々とケシが大量栽培されていた。
満州帝国では、約3000万人が20万貫の阿片を吸引し、毎年4万貫の阿片が輸入され、約7万町歩のケシ栽培が行われていたと言われている。
阿片王と呼ばれた二反長音蔵(にたんおさおとぞう)は、満州の長白・臨江・安図へ3回、また満州の熱河省へと指導に赴いている。
長白市だけでもケシ栽培は216万坪にもなっていた。
中国軍閥の張宗昌(阿片将軍)は日本軍と組んで、吉林・黒竜江省で50〜60万貫のケシ栽培を扱ったという。
内蒙古の山西・チャハルの傀儡政権「蒙古連合自治政府」でも阿片が製造され、張家口には阪田組のヘロイン製造工場があった。
阿片・塩・鉱山物が、政府の重要な財源となっていたのだ。
日本の占領地経済を纏めていた興亜院が、阿片・モルヒネを製造・輸入・販売を管理する組織となり、中国民衆を阿片漬けとしていったのだ。
日本軍の占領地で、日の丸を掲げて商人が阿片も販売した為、中国人が、日の丸を阿片販売の商標だと思っていたという笑えない話も残っている。
さすがに、日本政府による阿片販売は国際問題とされ、国際連盟の議題となっている。
国際連盟阿片諮問委員会議事録には、エジプト代表ラッセル・パッシャの陳述も残っているが、
なんとも酷い、日本による阿片汚染の実態である。これが大東亜共栄圏の実態である。
安倍晋三の祖父・岸 信介は、1936年10月、
満州国国務院実業部総務司長(満州国における行政機関。同国は議会を持たなかった為、国政の最高機関であった)に就任。
満州時代、関東軍参謀長の東条英機や日産コンツェルンの総帥鮎川義介ら軍部や財界要人と関係を結んでいった。
阿片による莫大な金が岸 信介に動いたことは容易に想像出来る。
---引用終わり---
更に詳細について書かれているのが下記、
戦後秘史、伏せられ続けた日本帝国軍の中国「阿片戦略」の詳報
http://www.jca.apc.org/~altmedka/ahen.html
里見 甫は、A級戦犯として巣鴨プリズンに入りながら、無罪で釈放された。そして言葉少なに、こう語っているという。
「米国の関係者が、利用価値があると見て、釈放してくれたのではないか」
「法廷に提出されたのは供述調書の1部で、阿片取引の収益金の具体的な用途、とくに軍の情報謀略工作関係については、大部分が隠蔽された」
http://www.jca.apc.org/~altmedka/ahen-7.html
阿片と聞いてはじめに思い浮かべたのは、ミャンマー、タイ、ラオスにまたがる世界有数の麻薬生産地である「黄金の三角地帯」で
長らく「麻薬王」の異名を取ってきたクン・サーだった。
http://blog.livedoor.jp/timeless01/archives/50393047.html
◆「黄金の三角地帯」
「黄金の三角地帯」とは、東南アジアのタイ、ミャンマー、ラオスの3国がメコン川で接する山岳地帯で、ミャンマー東部シャン州に属する。
別名「黄金の三角地帯(Golden Triangle)」といい、
アフガニスタン・パキスタン・イラン国境付近の「黄金の三日月地帯(Golden Crescent)」と並ぶ世界最大の麻薬・覚醒剤密造地帯であった。
現在では、経済成長や取締強化により、タイやラオスでの生産は減少傾向にあり、
逆にミャンマーのシャン州では、いくつかの軍閥が麻薬生産ばかりでなく、覚醒剤の製造も行ない、更には合法ビジネスを行うなど二極化の傾向にある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%87%91%E3%81%AE%E4%B8%89%E8%A7%92%E5%9C%B0%E5%B8%AF
http://park10.wakwak.com/~asian_travel_1/Northern_Thai/sub11_5_03.htm
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Oasis/1850/essays/02.html
バンコク週報、
タイ商工会議所が実業家を対象に実施した世論調査によれば、麻薬一掃キャンペーンの支持率は84.75%にのぼった。
http://www.bangkokshuho.com/archive/2003/daily/03archives/030303.htm
2009年7月30日、日本政府、ミャンマー難民キャンプにおける職業訓練を支援
http://www.th.emb-japan.go.jp/jp/jis/2009/0945.htm
対ミャンマー援助で日本政府が困難な立場に
http://www.afpbb.com/article/politics/2295836/2222650
『ミャンマーの軍事政権の背後に居るのは誰か?』オルタナティブ通信
http://alternativereport1.seesaa.net/article/61925826.html
下記、一部引用、
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中国とミャンマーの国境線に沿い、
監視カメラ、通信衛星、赤外線センサー等を組み合わせた「電子監視所」が多数、設置され始めた。
通信衛星を使用していることは、言うまでもなく欧米政府(主に米国)がこの件に深く関与している事を示しているが、
この国境地帯は、アフガニスタンに次ぐ世界第2位の麻薬生産地帯であり、
栽培されている阿片盗難防止と、中国・ミャンマー両国政府間で推進されているこの地域のガス田開発の警備強化が、「電子監視所」設置の名目となっている。
これはまた、ミャンマーの軍事政権からの弾圧を逃れ、中国への亡命者が多発していることを示している。
同時に、ミャンマーの軍事政権と中国政府が、この地域の麻薬を資金源として来た事実、
その麻薬を近年「盗んで売り、資金源とする」反政府勢力(つまり、スーチー女史の勢力)が出てきていること、
政府と反政府の間で、麻薬の「奪い合い」が起こっていることを示している。
ここには、麻薬を支配した者が政治資金を支配し、政治権力を握るという、中国、ミャンマーの「権力メカニズム」が明確に出ている。
そして、麻薬盗難の監視が、ガス田開発の警備として行われていることは、麻薬の売上がそのままガス田開発に注入されている構造が透けて見える。
この中国政府、ミャンマー政府の強力なバックアップで、と言うよりも、中国政府・ミャンマー政府“そのものとして”、
麻薬生産、ガス田開発を担当し、「電子監視所」を次々設置、運営している「ガス会社」が、「キッシンジャー・アソシエーツ」社である。
1977年、ヘンリー・キッシンジャーは、フォード政権の国務長官を退任後、国際コンサルティング会社「キッシンジャー・アソシエーツ」を設立し、社長に就任。
同社には、ジョージ・ブッシュ(父)政権で国務副長官を務めたローレンス・イーグルバーガー(後に国務長官)や、
国家安全保障担当大統領補佐官を務めたブレント・スコウクロフトなどが参加している。
また、バラク・オバマ政権で財務長官に就任したティモシー・ガイトナーも、一時同社に籍を置いていた。
最近では、ジョージ・ウォーカー・ブッシュ政権において、指南役として活躍した。
ジョージ・ウォーカー・ブッシュは、キッシンジャーとは定期的に会談の機会を設けており、政権外で最も信頼する外交アドバイザーであった。
キッシンジャーは、ブッシュ政権下で行われているイラク戦争も基本的に支持していた。
http://www.afpbb.com/article/politics/2541782/3548905
◆小泉進次郎と、CSIS(戦略国際問題研究所)と、ミャンマー
小泉純一郎の後継者、次男・小泉進次郎は、大学卒業後、フリーターをしながら英語を学び、
米国コロンビア大学に留学、
2006年6月〜2007年6月まで、ワシントンのシンクタンク・CSIS(戦略国際問題研究所)に補助調査員として勤務。
CSISは、クリントン、ブッシュ両政権の元幹部が勤務する他、日本から官僚が出向する日米両政府と緊密な関係にある。
小泉純一郎と旧知の間柄である、米国国家安全保障会議アジア上級部長だったマイケル・グリーンが、
CSIS日本部長に就任しただけに、コネ就職ではないか?と取り沙汰された。
http://amesei.exblog.jp/4035138/
政治評論家・有馬晴海は、
「小泉氏の息子というのは受け入れ側にとって非常にメリットが大きいことを考えると、コネと考えるしかない」と指摘。
「小泉氏が一々関与しているとは言わないが、小泉家が戦略的に進次郎氏を再生させる道を作り、
それが成功したと言えるだろう」と分析する。
ワシントンのジョージタウン大学内にある、CSISは元々、エドマンド・ウォルシュ外交学院と言う名前で創立された。
エドマンド・ウォルシュは、ナチス・ドイツの地政学者カール・ハウスホーファーの弟子であり、
ナチス地政学を米国に“移植”する為、CSISを創立した。
CSISは、ヘンリー・キッシンジャー、ブレント・スコウクロフトが、顧問として名前を連ねており、
ズビグニュー・ブレジンスキー(バラク・オバマのブレーン)が理事を務めている。
小泉進次郎とミャンマーの線について、中田安彦さんの『ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報』から下記、抜粋、
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今日の『日刊ゲンダイ』に「小泉Jr.が書いた怪しい英語論文の中身」と題する記事。
要するに、マイケル・グリーンと小泉首相の次男・進次郎が共同執筆論文を発表したと内容。
論文といってもpdfで9ページ程度のもので「ブリーフィング・ペーパー」のようなもの。研究員として何かのノルマがあるのでしょう。
小泉Jr.が「CSIS(戦略国際問題研究所)」で働き始めたのは今年の6月。
内容は、『ゲンダイ』で天木直人さんが言っているようにたいしたことはないのだが、一点だけ気になる記述を発見。
それは、レポートの後半にある「イランとミャンマー」という項目。
この中でイランについては、例のアザデガン油田について述べており、
「日本はイランの各開発問題のゆえに、実質的な油田権益を守ろうとする方向からシフトしつつある」と述べているのだが、
問題はミャンマーのところ。
最近、「アッキー」こと安倍昭恵さんが、
月刊誌や女性週刊誌で「アジアのミャンマーに学校を作る運動に参加している」という記事がいくつか出ていますが、
日本のミャンマー戦略というのは小泉Jr.とマイケル・グリーンが書いたペーパーによれば、
「この6月末の会談で、麻生外相とコンディ・ラス国務長官は、国際社会はミャンマーの民主化を進めることで圧力を一致して掛けなければならない」
と一致したという。
9月15日には、米、英、仏を含めて日本はミャンマー問題を国連の議題に挙げることで一致、
その背景には「法と自由の民主主義の原則を徹底させる」という小泉・安倍内閣の一致したスタンスがあると指摘している。
そんなにミャンマーに拘るのは何か理由があるのか?と思って調べてみました。
ミャンマー、天然ガスへの依存を強めるミャンマー経済
http://www.ide.go.jp/404jp.html
その他、レアメタルとしてのニッケルの産出もあるようですが、
基本的には天然ガスのパイプラインを中国に向けてだけ引かせるわけには行かないという判断でしょう。
東南アジアで中国の資源戦略に楔を入れておくという意味があるようです。
→注. ミャンマーにおける鉱物資源と投資動向(pdf)
http://www.jogmec.go.jp/mric_web/kogyojoho/2001-09/2001-09-04.pdf
また、植物資源国でもある
http://www.jica.go.jp/myanmar/activities/project/12.html
→注.ビルマ(ミャンマー)の歴史
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/25782658.html
小泉Jr.のレポートは後半は4枚ほど日米関係のここ数年の出来事一覧表が載っておりまして、事実上このレポートは5枚ということになりますな。
マイケル・グリーンもこんなJr.の指導係を引き受けさせられて大変だなあと思います。
(略)
----引用終わり---
小泉純一郎の後継者、小泉進次郎の正体
http://alternativereport1.seesaa.net/article/107318894.html
地政学
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E6%94%BF%E5%AD%A6
ロバート・ゲーツ元CIA長官と、ブレント・スコウクロフト
http://www.nikkei.co.jp/neteye5/sunohara/20061110n99ba000_10.html
◆世界最大の麻薬販売企業CIAと、世界の麻薬王ブッシュ(小泉純一郎の親友?)
http://alternativereport1.seesaa.net/archives/200611-1.html
下記、一部引用、
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1. 「ゴールデン・トライアングル」と呼ばれるタイ、ラオス、ミャンマー国境の麻薬生産地帯、そこを支配する麻薬マフィアのボス「クンサー」は言う。
「生産した麻薬は全て米国政府が買い取ってくれる」。
クンサーの言う米国政府とはCIAの事で、中国共産党に追放された中国国民党を武装させ、中国共産党を倒す為、
再び中国政府と台湾政府、そしてゴールデン・トライアングルの反共産軍に戦争を行わせる。
その武器購入の資金源としてCIAが、この地域で50年前から麻薬生産を推し進めてきた。
かつて、世界最大の麻薬生産地帯だったゴールデン・トライアングルを育ててきたのはCIAであり、
その中心、アジア麻薬の父が、ブッシュの前国防次官リチャード・アーミテージである。
同様の事は、かつてソ連と米国が戦ったアフガニスタンでも行われた。米国側ゲリラの武器購入費用捻出の為、CIAがアフガンで麻薬生産を推進して来た。
現在では、ゴールデン・トライアングルを上回る麻薬生産地であるアフガンも、CIAが育成して来たのである。
(トウ賢著「ゴールデン・トライアングル秘史」NHK出版 P144、154、167、177)
2. 米国に大量に麻薬が流入し始めた70年代、
コロンビアからの麻薬密輸業者であり、マネーロンダリング(麻薬資金洗浄)の草分け的存在でもあった伝説の人物、アイザック・カッタンは、
銀行デューク・ベレラの全米支店を利用し、麻薬密売の代金を回収していた。「ベレラ」社は麻薬資金と知りながら、カッタンに協力し続けていた。
(ロバート・ポウィス著「マネーロンダリング」西村書店 上巻 P110〜113)
3. 「ベレラ」社の創立者ニコラス・デュークは、CIAの創立者であり、デュークは第二次大戦中、児玉誉士夫と共に中国でアヘン売買を行っていた。
アヘン密売業者がCIAを創立し、米国の麻薬の黎明期、麻薬密売代金を回収して来たのもCIA創立者の銀行だった。
(アルフレッド・マッコイ著「ヘロイン」サイマル出版 上巻 P19)
4. デュークは、同時に世界最大の産金業者、南アフリカの「ニューモント・マイニング」社の創立者であり、
ブッシュ一族の経営する「ハリマン銀行」は、「ニューモント・マイニング」社の傘下企業である。
(メンシコフ著「アメリカ金融寡頭制の構造」ミネルヴァ書房 P363)
5. 父ブッシュは、麻薬商人ベレラの「ニューモント・マイニング」社のカナダ支部バリック・ゴールド社の取締役である。
ブッシュの大統領補佐官ブレント・スコウクロフトは、「ニューモント・マイニング」社の取締役であると同時に、
ブッシュの経営する軍事産業投資会社カーライルの取締役である。
スコウクロフトは、「ライブドア」の親会社「リーマン・ブラザース」の取締役でもあり、次期大統領候補コンドリーザ・ライスの恩師・先生である。
つまり全員、麻薬業者、CIA創立者の傘下に居る事になる。
6. 70年代から30年間に渡り、ゴールデン・トライアングルから麻薬を米国に運んでいたのは、CIAの輸送会社「エア・アメリカ」だった。
この会社は、ブッシュの部下オリバー・ノースが経営していた。
父ブッシュは90年代、大統領命令でベネズエラから1トンもの大量のコカインを米国に輸入し、街頭で販売していた。
(ジェフリー・ロビンソン著「マネーロンダリング」三田出版会 P388)
7.「エア・アメリカ」で運び込まれる麻薬は、CIAの銀行「BCCI」で支払いが決済されていた。
この銀行を使い、CIAは世界に米国製武器を密売し、麻薬資金を回収し、テロリスト、ウサマ・ビン・ラディンに資金を提供していた。
現在、インターネット上でのやり取り、電話の会話を盗聴している軍事衛星エシェロンに使用されているバックドア付き(盗聴システム付き)の軍用ソフト「プロミス」も、
この銀行を通じ、ブッシュとCIAにより世界中に販売されて来た。
(ジョナサン・ビューティー著「犯罪銀行BCCI」 ジャパンタイムス刊)
8. ブッシュとCIA、「BCCI」の武器密売が明るみに出たのが、89年のイラン・コントラ事件だった。ブッシュとCIAは、敵国イランとニカラグアに武器を売り、
代金を受け取っていた。代金は一部現金で「BCCI」に振り込まれ、特にイランからは麻薬の形で代金が支払われた。
イランから支払われた麻薬は、ブッシュとCIAにより米国の街頭で若者に販売された。
(ジャン・ジグレル著「スイス銀行の秘密」河出書房新社 P155〜157)
9. ブッシュとCIAの下部組織として麻薬を街頭で販売しているのが、イタリア・マフィア、「コーサ・ノストラ」である。
第二次大戦中、イタリアのムッソリーニと戦う米軍のイタリア系兵士が、祖国イタリアに忠誠を誓い、米軍の軍事情報をムッソリーニに横流する事態が横行した。
困った米軍はCIAに依頼し、イタリア・マフィアにイタリア系兵士多数の身辺監視を依頼した。
それ以後、CIAと「コーサ・ノストラ」は一体化する事になる。互いの利益は麻薬販売という点で一致した。
「コーサ・ノストラ」は、麻薬の利益をCIA銀行「BCCI」から本国イタリアの「アンブロシアーノ銀行」に送金し続けた。
(リチャード・ブルム著「オフショア市場の犯罪」東洋経済新報社 P294)
10. 銀行を支配する持ち株会社「インター・アルファ・グループ」の中に、「アンブロシアーノ銀行」とブッシュの「ハリマン銀行」はあり、
この2つの銀行は、同一組織の手足である。(布目真生著「ユーロバンキング」日本経済新聞社 P133〜135)
11. 世界最大の麻薬販売企業はCIAである。
アフガン戦争は、麻薬生産を拒否するタリバン政権を倒し、米国内の麻薬不足、CIAの裏金不足解消も目的の1つだった。
(Alfred. W. McCoy The Politics of Heroin:CIA Complicity in the Global Drug Trade. Lawrence Hill Books. P18〜19. 162〜163. 222〜223. 436〜437)
---引用終わり---
(第7章)「電通」と各テレビ局、各新聞、クライアント(外資企業、日本経団連企業)、報道規制、言論封殺、世論操作、圧力など
参考
http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1143887
「電通」について語る際、どうしても外せないのがこのコネ入社の実態だ。その大半が政官財の有力子弟または関係者だといっていい。
『噂の真相』が1990年代に調査しただけでも、
「西友」、「資生堂」、「カネボウ」、「レナウン」、「味の素」、「ライオン」、「日立製作所」、「三菱自動車」、「野村證券」、
「グリコ協同乳業」、「JAL」、「第一生命」等々、日本の一流企業と言われる幹部の子息が勢揃いしたかのように、「電通」に席を置いた経験があるのだ。
自民党の安倍晋三の妻である(森永製菓社長令嬢)も、「電通」に勤務していた過去がある。
広告主企業だけではなく、マスコミの舎弟も積極的に取り込んでいる。
「電通」の顧問には、成田 豊をトップに、中曽根康弘・元首相が政界を引退後、密かに就任している。
「電通」が手がけた沖縄サミットで、警備の責を担った元警察庁警備局長の金重凱之も2001年6月に顧問に就任。
2001年の東証上場に際しては、日銀理事・日本輸出入銀行副総裁を歴任した南原 晃を社外顧問に迎え入れた。
ロサンゼルスオリンピックの組織委員会委員長を務め、現在は米オリンピック委員会の専務理事であるPeter Ueberrothという人物もいる。
テレビ界では、「テレビ朝日」と「TBSテレビ」に対する「電通」の資本投下が露骨である。
2003年の『会社四季報(東洋経済)』によると、
「電通」による出資は、「テレビ朝日(証券コード:9409)」で1.2%、「TBSテレビ(証券コード:9401)」で2.5%(=日マスト信信託口)となっている。
各テレビ局の広告収入における「電通」の占有率を見ると、
「TBSテレビ」、「テレビ朝日」、「日本テレビ」、「テレビ東京」、「フジテレビ」という順番になっている。
各キー局単体の売上高に占める割合は、「TBSテレビ」・「日本テレビ」・「テレビ朝日」は40%を上回り、「フジテレビ」でも33.4%になるという。
この収益構造からして、民放テレビ局は実質的に「電通」の支配下にある、と言える。国内第二位の「博報堂」ですら、電通の半分から3分の1に過ぎないらしい。
→注.「電通」が2007年 日本の広告費を発表、テレビは2兆円を切る。同時に2008年も、新聞・テレビ広告などの減少傾向は続くと見ている。
http://news.livedoor.com/article/detail/3519013/
→注.「電通」日本の広告費を発表、2007年総広告費は7兆円台、ネット広告費は前年比124%の6000億円突破。(わかりやすい図解あり)
http://markezine.jp/article/detail/2749
→注.2008年はネット利用者の伸びについては以前ほどの伸長はなく、インターネットの総PV数の伸びは鈍化の傾向。
しかし、その一方で動画視聴などは増加して総利用時間は延びるといったこれまでとは違う質的な変化が見られるようになった。
一般的な傾向としては、PC よりもモバイルの伸長率が高く、またバナーなどのディスプレイ広告に比べて検索連動広告の伸長率が高い。
但し、2008年の年末になってからは、景気後退の影響を受けて全般に成長の鈍化が見られるようになったようだ。
http://japan.internet.com/wmnews/20090224/4.html
そんな「電通」の実力を垣間見るのが、企業絡みのスキャンダル、批判を報道する際の圧力だろう。
大手企業のスキャンダルに際し、広報に取材を申し込んだ途端、何故か企業の広告担当者だけでなく、「電通」からも担当者がすっ飛んでくる、
というエピソードは日常茶飯事、掃いて捨てるほどよくある話だ。
「勿論、企業絡みの記事に関し、現在でも「電通」からの直接の圧力はあります。
しかし、今では「電通」絡みの大スポンサーに関する事件なんて、余程の大事件でないとこちらも記事はおろか、取材さえもしませんよ。
どうせ取材しても潰れるだけですから、自粛しちゃいます。まあ、警察発表があったり、検察が動くような企業事件だけは別ですけどね」
(現役週刊誌記者)
広告主に絡む不祥事があった場合は、マスコミは報道出来ない、或いは自粛せざるを得ない、という話である。
不祥事を葬り去るのも、「電通」担当者の仕事のうちだ。
→注.宣伝費でマスメディアを支配する影武者「電通」の視えないタブー
http://www.asyura.com/0502/senkyo8/msg/662.html
「もし、50年後や100年後の歴史家が、今のテレビ番組を1週間分見たとする。彼らの目に映るのは、恐らく、今の世にはびこる退廃と現実逃避と隔絶でしょう。
アメリカ人は裕福で気楽な現状に満足し、暗いニュースには拒否反応を示す。それが報道にも表れている。
だが、我々はテレビの状況を見極めるべきです。テレビは人を欺き、笑わせ、現実を隠している。
それに気づかなければ、スポンサーも視聴者も製作者も、きっと後悔することになる」
エドワード・R・マロー(映画『グッドナイト&グッドラック』、1958年 E・マローを讃える会でのスピーチより抜粋)
◆「TBSテレビ」
「電通」は、テレビ放送開始に着目し、多くのラジオ局・テレビ局の設立に関与、吉田秀雄は、幾つかの放送局で取締役に就任。
中でも「TBSテレビ」は吉田秀雄の関与が深く、現在でも、民放で最も電通と親密だと言われている。
「TBSテレビ」と「フジテレビ」が「電通」との関係強化の為、
「電通」株を3万株ずつ取得、「電通」株の2005年12月1日の終値は1株33万8000円、取得金額は各100億円程度、
「電通」への出資比率は、それぞれ1.44%、1.37%になった(2005年12月1日)
http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe5300/news/20051201i212.htm
◆「日本テレビ(読売)」
何故、日本テレビの社名は「日本テレビ放送網」となっているのか?「網」の字にはどんな意味があるのか?
その理由は設立時の秘密にある。
実は、日本へのテレビの導入は、米国による情報戦の一環だった。テレビ放送網は、そのまま「反共の防波堤」であり、
更に軍事通信網にもなるはずだったのである。
「テレビの父」である正力松太郎のテレビ構想は、米国側に巧みに利用されたものに過ぎない。
CIAは正力松太郎に、「ポダム」という暗号名まで付けていたのである。
http://shadow-city.blogzine.jp/net/2007/11/post_9600.html
◆「フジテレビ」
「TBSテレビ」と「フジテレビ」が「電通」との関係強化の為、
「電通」株を3万株ずつ取得、「電通」株の2005年12月1日の終値は1株33万8000円、取得金額は各100億円程度、
「電通」への出資比率は、それぞれ1.44%、1.37%になった(2005年12月1日)
http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe5300/news/20051201i212.htm
◆「テレビ朝日(朝日)」
「報道ステーション」の番組のスポンサー獲得も、全面的に「電通」が行なっている。
湾岸戦争が米国の謀略であることを裏付ける「CIA密約文書」の存在を報道したのは、テレビ朝日『ザ・スクープ』(1991年7月26日放送)だけだった。
アドルフ・ヒトラー曰く、
「戦争を始める為には、それがいかに正義であるかということを、繰り返し述べねばならぬ。一旦勝ってしまえば、その戦いが正義であったか否かを
問い質す者はいない」
(1991年頃はまだ、今のような「テレビ朝日」の読売化は進んでいなかったようだ)
http://www.jca.apc.org/~altmedka/gulfw-19.html
◆「読売新聞社」
政府広報でも「電通」がダントツで、政府御用達広報を殆ど独占しており、
新聞広告の圧倒的なものは「電通」を仲介にして、もたれ合いで安易な営業をしています。
そこには読者なんて存在しておらず、広告を受け取り宣伝を流す対象として、マスに対してのメディアがあるだけです。
「読売新聞」や「毎日新聞」の幹部の子弟たちが「電通」社員、
「朝日新聞」の中江社長の息子も「電通」に入社しているが、飛び降り自殺をした事件が起きた時も、「電通」が工作して新聞記事にならなかった。
それくらい日本のメディアは、「電通」に押さえられ、世界有数の発行部数を誇る大新聞でも、手も足も出ない状態なのである。
「読売新聞グループ」本社の株主構成は、非公開なので詳細はわからないが、取締役社主である正力 亨(正力松太郎の長男)が大株主か?
◆「朝日新聞社」
政府広報でも「電通」がダントツで、政府御用達広報を殆ど独占しており、
新聞広告の圧倒的なものは「電通」を仲介にして、もたれ合いで安易な営業をしています。
そこには読者なんて存在しておらず、広告を受け取り宣伝を流す対象として、マスに対してのメディアがあるだけです。
「読売新聞」や「毎日新聞」の幹部の子弟たちが「電通」社員、
「朝日新聞」の中江社長の息子も「電通」に入社しているが、飛び降り自殺をした事件が起きた時も、「電通」が工作して新聞記事にならなかった。
それくらい日本のメディアは、「電通」に押さえられ、世界有数の発行部数を誇る大新聞でも、手も足も出ない状態なのである。
「朝日新聞社」の株主構成(2005年3月31日時)は、以下のようになっている。
村山美知子 元「朝日新聞社」国際本部副部長 神戸市東灘区 36.46%
上野尚一 東京都目黒区 12.82%
村山富美子 大阪市北区 8.57%
朝日新聞社従業員持株会 8.19%
上野克二 「日本放送協会」金沢放送局長 神戸市東灘区 3.34%
上野信三 「電通サドラー&ヘネシー」取締役相談役、多摩大学大学院客員教授 東京都渋谷区 3.34% ←
朝日新聞社役員持株会 2.18%
小西勝彦 鎌倉市二階堂 1.11%
塩谷律子 東京都世田谷区 1.03%
御覧のように村山家と上野家の「私物」になっているのが朝日新聞の実態だが、3.34%を所有する上野信三氏の経歴に注目したい。
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慶応義塾大学法学部卒業。シラキュース大学大学院ジャーナリズムスクール修了。
「電通」で新聞局、営業局を経て、「電通コーポレーション・オブ・アメリカ (DCA)」執行副社長、
「電通ヤング&ルビカム(DY&Rネットワーク 日米合弁多国籍広告会社)」米国本社執行副社長、
「電通ヤング&ルビカム(DY&Rネットワーク 日米合弁多国籍広告会社)」アジア太平洋リジョナルディレクター、
「電通ヤング&ルビカム(DY&Rネットワーク 日米合弁多国籍広告会社)」ワールドワイド会長、
「電通サドラー&ヘネシー」社長・会長を歴任。
2005年時、「DY&Rネットワーク」名誉会長、兼「電通サドラー&ヘネシー」取締役相談役。多摩大学大学院客員教授。
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「電通」の超エリートのようだ。「電通」の生え抜きエリートが、「朝日新聞」の大株主になっているわけだ。
◆「日本経済新聞社」
「日本経済新聞社」の株主構成(2005年2月21日時)は、
『My News Japan』によると、社員とOBだけで全株式を保有。株式の流通を目的とした「日本経済新聞共栄会」があり、株式の約15%を保有。
http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1143887
企業の叩き売りに加担した「日本経済新聞」、滑稽で悲惨なIT関連記事
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20070401
日本を「安値」で買う為の構造改革(上記記事と関連して)
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060627
◆「毎日新聞社」
「毎日新聞社」の株主構成(2005年2月21日時)は、以下のようになっている。
「毎日新聞社」従業員持株会 12.96%
株式会社「下野新聞社」 3.61%
「毎日新聞」東京懇話会持株会 3.32%
株式会社「王子製紙」 3.13%
株式会社「UFJ銀行」 3.13%
株式会社「毎日放送」 2.89%
株式会社「日本製紙」 2.72%
株式会社「東京三菱銀行」 2.65%
株式会社「毎日広告社」 2.38%
株式会社「みずほコーポレート銀行」 2.17%
◆クライアント(外資企業、日本経団連企業)
先ず、広告業界、放送業界、新聞・出版業界、イベント業界、インターネット業界の背後には、「広告代理店」が存在する。
この「広告代理店」の基本的な企業形態は、
“各種のメディアの広告枠を必要とするクライアントに売り、手数料をとるという業態”で、“広告そのものを制作する”こともある。
日本で有名なのは、「電通」、「博報堂」、「読売広告社」、「大広」。
日本では、第二位の「博報堂」の倍の売上げがある「電通」が寡占・独占し、マスコミ、マスメディアをほぼ支配下に収めている。
日本に限らず、マスコミ・マスメディア業界の全ての経営は、広告部門の収益営によるもので、広告収入が経営の全ての鍵を握っている。
よって、報道部門さえも、スポンサーの意向に背けないという構造がある。
日本におけるそのスポンサーは、今やすべて、経団連と米国の巨大ハゲタカファンドであり、
巨大ファンドと通じている米国・ネオコンからの支配を受けているようである。
「電通」はクライアントを三つに分けている。
A.広告売上げが年に100億円をこえる企業。トヨタ自動車(年に1000億円)、松下電器産業、花王、NTTなど。
→これらの企業の為には、「電通」はエース級の社員でチームを編成し、全社をあげて取り組む。
B.大塚製薬、明治乳業、三共製薬、KDDIなどの中堅どころの企業。
→このランクがもっとも層が厚く、「落としても、代わりの社を取れば問題なし」という扱い。
C.いつ関係が途切れるかわからない会社。
→「電通」は粗利を支える為、躊躇うことなく引き受けるものの、
テレビ局にとっては「電通」が最優先であり、スポンサーが降りるなどして空きが出た場合、テレビ局は、先ず「電通」用にスポット枠をとっておく。
一方、ニュースの問屋と言われる通信社は、日本では、社団法人の「共同通信社」、民間の「時事通信社」などがある。
現在、「時事通信社」は経営が悪化し、「共同通信社」にシェアを譲っている。
また、株式会社「時事通信社」と社会法人「共同通信社」は、電通株をそれぞれ、12.4%、10.6%持ち、1、2位を争う株主であり、役員を派遣している。
近年の通信社の経営状況は、外資系通信社との競合や加盟社からの収入源により、かなり厳しくなっているので、
経営状況のよい「電通(年間売上1.4兆円以上)」が、電通株を手放せない通信社(資本金5億程度)に対して、
報道やニュースソースを制御することは安易である。
こうして「電通」は、広告、新聞・出版、放送業界、また、報道を掌る通信社全般を、背後の米国ファンドの力を借りて統制をとっている、
という構造が理解出来る。
一般企業の広告枠を牛耳るのも「電通」であり、その広告枠を統制すれば、企業は「電通」に頭を下げざるを得ない。
また、視聴率調査会社で知られる株式会社「ビデオリサーチ」も「電通」グループであり、民放で「電通」の出資の多い放送局は、TBSである。
株式会社「ビデオリサーチ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%87%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%81
財団法人「日本世論調査協会」
http://wwwsoc.nii.ac.jp/japor/index.htm
株式会社「電通リサーチ」
http://www.dentsuresearch.co.jp/privacy/policy.html
(第8章)「電通」と創価学会
「電通」と公明党
http://plaza.rakuten.co.jp/atsushimatsuura/diary/200712170002/
残念ながら、この章は未完とさせていただきます。単に時間の不足によるものです・・・。
代わりと言っては何ですが、「地検特捜部」について、第9章を追加しておきます。
これは、以前、別のHPの掲示板に投稿させていただいたものです。
(第9章)麻生太郎の祖父・吉田 茂とGHQによってつくられた、「地検特捜部」について
「地検特捜部」は、麻生太郎の祖父・吉田 茂とGHQが、赤狩りを目的として創設した機関であり、
そもそも反体制分子を取り締まる為の、極めて権力に迎合した政治的な機関なのです。飼い主には決して噛みつきません。
「地検特捜部」とは、敗戦後の翌々年、1947年(昭和22年→総理は吉田 茂)に
旧日本軍の軍需物資の隠匿を取り締まるという名目で、軍需物資を接収する為に、実質GHQが創設した組織である。
当時、敗戦国の日本は、GHQ(連合国軍総司令部)の管理下にあった。
GHQとは、無条件降伏した日本に対するポツダム宣言条項を執行する為に1945年(昭和20年)から1952年(昭和27年)まで
日本に設置された連合国の機関である。つまり、占領下において「地検特捜部」はつくられた。
→注.日本は「サンフランシスコ講和条約」で独立国として承認されていなかった?(苫米地英人著『脳と心の洗い方』より)
http://www.anti-rothschild.net/material/36.html
「地検特捜部」は、1947年(昭和22年→総理は吉田 茂)、「隠退蔵物資事件」を契機に、
「隠匿退蔵物資事件捜査部(通称「隠退蔵事件捜査部」)」として発足した。
「隠退蔵物資事件」とは、
敗戦後、軍需物資の燃料・アルミ・銅・貴金属・食料約2400億円相当(現在の数十兆円)が行方不明となった事件であり、
それを受けて、
1947年(昭和22年→総理は吉田 茂)3月、日本自由党の世耕弘一(清和会・世耕弘成の祖父)が、
「日銀の地下倉庫に隠退蔵物資のダイヤモンドがあり、密かに売買されている」と発言。
この発言を契機に、GHQ経済科学局長のマーカット中将の指揮の下、日銀の地下金庫を捜索してダイヤモンドや貴金属類を押収し、
「(衆議院)不当財産取引調査特別委員会」は実態を調査することになった。
「不当財産取引調査特別委員会」が調査を開始したところ、その金の一部が大物フィクサー・辻 嘉六に渡り、
大物政治家に金をばら撒き、政界への発言力を増して、自身に有利な事業展開を図ったことが判明した。
この事件を契機に、
GHQの指揮下にあった検察庁に、「隠匿退蔵物資事件捜査部(現・特別捜査部)」が設置された。
「地検特捜部」から発動される指令を制御する背後組織は今も昔も変わらず、「地検特捜部」の本質は、CIAの出先機関ということだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%8D%9C%E6%9F%BB%E9%83%A8
≪地検特捜部が言う“正義”とは、“絶対権力による指令”のことか?≫
(田中派→経世会)田中角栄 ロッキード事件で逮捕 ←東京地検特捜部
(経世会)竹下 登 リクルート事件で失脚 ←東京地検特捜部
(経世会)金丸 信 佐川急便献金・脱税で失脚、逮捕 ←東京地検特捜部&国税
(経世会)中村喜四郎 ゼネコン汚職で逮捕 ←東京地検特捜部
(経世会)小渕恵三 急死
(経世会)鈴木宗男 斡旋収賄で逮捕 ←東京地検特捜部
(経世会)橋本龍太郎 日歯連贈賄事件で議員辞職 ←東京地検特捜部
(経世会)小沢一郎 西松不正献金事件 ←東京地検特捜部
(経世会)二階俊博 西松不正献金事件 ←東京地検特捜部
http://www.forum-j.com/article073.html
http://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/94dc6a673f6e11740fd34aaf18c040bb
対して、
(清和会)岸 信介 ダグラス・グラマン事件 ←安泰
(清和会)福田赳夫 ダグラス・グラマン事件 ←安泰
(佐藤栄作の周山会)松野頼三 ダグラス・グラマン事件 ←安泰
(清和会)安倍晋太郎 リクルート事件 ←安泰
(清和会)中曽根康弘 ダグラス・グラマン事件、リクルート事件 ←安泰
(清和会)森 喜朗 日歯連贈賄事件、西松不正献金事件 ←安泰
(清和会)三塚 博 国際航業事件、博栄会によるゼネコン疑惑、日歯連贈賄事件 ←安泰
(清和会)塩川正十郎 外交機密費と官房機密費との流用、日歯連贈賄事件 ←安泰
(清和会)小泉純一郎 日歯連贈賄事件 ←安泰
(清和会)尾身幸次 西松不正献金事件 ←安泰
CIAの方針は、「民族主義者(愛国者)を潰せ!」である。
田中角栄元首相は、中国との国交回復をし、更には日本独自の中東外交を展開しようとした。だから抹殺された。
意に反する者は簡単に潰されるのだ。
摘発された中には、自民党の有力派閥で親米、タカ派の「清和会(現在の町村派)」のメンバーはいない。
「清和会」が品行方正なのか、それとも「地検特捜部」の手が緩いのか?
「ロッキード事件」では田中角栄が逮捕され失脚となった。
一方の「ダグラス・グラマン事件」では、「清和会」の岸信介、福田赳夫、中曽根康弘などの名前が挙がっていたが、
起訴はおろか事情聴取すらされなかった。
また最近では、
CIAのエージェント(諜報員)だったことが、米国外交文書の公開によって発覚した岸 信介元首相など、
国益を著しく損なったであろう前代未聞な事件で、「地検特捜部」は知らぬ顔をしていたことになる。
「西松違法献金事件」をみても、怪しい自民党議員は多数いるが、メディアを通じた“小沢潰し”の動きが顕著に見える。
→注.自民党側が仕掛けた策略であることが、ありありとわかる。
http://www.forum-j.com/article073.html
http://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/94dc6a673f6e11740fd34aaf18c040bb
小泉純一郎元総理はかつては福田赳夫の秘書であった。
安倍晋三、福田康夫は、岸 信介>福田赳夫>森 喜朗に続く系統である。
“郵政民営化”は、貯金の行方や「かんぽの宿」など、大がかりな何かがありそうだが、未だ事件にはなっていない。
共同通信記者出身のジャーナリスト・春名幹男さんの著書に、「秘密のファイル CIAの対日工作(上・下)」(共同通信社)がある。
下巻第八章「政界工作」第1節に「日本情報機関の父・吉田 茂」とある。
吉田 茂首相は、第三次吉田内閣が発足して1ヵ月半後の1949年(昭和24年)3月、
GHQ参謀第1部チャールズ・ウィロビー少将宛てに以下の内容の書簡を送っている。
「日本の共産主義者の破壊的かつ反逆的な行動を暴露し、彼らの極悪な戦略と戦術に関して国民を啓発することによって、
共産主義の悪と戦う手段として、
私は長い間、米議会の非米活動委員会をモデルにした「非日活動委員会」を設置することが望ましいと熟慮してきた」
時代は米国で赤狩りのマッカーシー旋風が吹き荒れているころのことだったという。
この延長上に1952年(昭和27年)7月、「破壊活動防止法(破防法)」公布と同時に、「公安調査庁」が発足し、
同時期に「内閣調査室」が発足した。
「内閣調査室」は、吉田 茂首相が自分の元秘書官で警察官僚の村井 順に命じて設置した情報機関であることが、上記著書に記されている。
同書は更に、「公安調査庁、内閣調査室とも、米中央情報局(CIA)との友好的な協力関係を今も続けている」、
「CIAとこれら日本の情報機関との協力関係の基礎をつくったのが吉田 茂である」と記述する。
●世耕弘成とはどういう人物か?
世耕弘成・自民党議員の祖父である、世耕弘一・元経済企画庁長官は、
吉田 茂とGHQが検察特捜部を作るために、隠退蔵物資事件を演出した人物です。
その後、吉田 茂とGHQ(→撤退後はCIA)のやりとりが記載された公文書公開により、
“赤狩り”の為に特捜部が創設された事実が、明らかとなっています。
また、世耕弘成・自民党議員の伯父である、世耕政隆・元自治大臣は国家公安委員長を兼任していました。
国家公安委員会もGHQ(→撤退後はCIA)によって創設された機関です。
「世耕弘成」自民党議員は森派、つまり「清和会」の一員であり、「清和会」はいまは町村派と名乗っています。
2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙で、自民党広報本部長代理及び自民党幹事長補佐として、
自民党の“メディア戦略”を担当した、ということで注目されました。
総選挙後の雑誌のインタビュー(論座』2005年11月号)では、
民間の広告会社と協力しながら、マスメディア対策を事細かに指揮していたことを明らかにしました。
これらの活躍から、“自民党のゲッベルス”との異名で、呼ばれていたそうです。
また、党の「コミュニケーション戦略チーム」で広報戦略・IT戦略を担当し、
ホームページ上で募集している後援会員組織「チーム世耕」を擁しています。
おそらく、麻生政権においても、世耕弘成が暗躍しているのでは?と思われます。
(表向きはどういう党内相関図を演じているかわかりませんが・・・)何故なら、郵政選挙と手法があまりにも酷似しているからです。
小泉家しかり、吉田―麻生家しかり、こうした血脈をどう捉えるか?はそれぞれの解釈だと思いますが、
個人的な見解としては、
「つまり、こうやって“CIAの飼い犬”としての血脈は脈々と続いていくんだな」というのが正直な感想です。
政略結婚でつながった売国奴一族に、
いつまでも日本を支配されて、騙され続け、「借金奴隷」として搾取されていくのは不愉快極まりない思いです。
今の「清和会」自民党と創価学会党による国民を欺く策略政治、
政府の広報機関である「電通」と経団連・外資スポンサーに牛耳られたマスメディアの世論操作、
“赤狩り”の為に創設され、現在は、“愛国者”を貶める為の機関「特捜部」による国策捜査、など、
「米国年次改革要望書」と官僚の利権の為の、“改革” “景気対策”を見ていると、ナチス・ドイツのゲッベルス宣伝大臣の言葉を思い出します。
「嘘も100回繰り返せば真実になる」
ゲッベルスが発明したナチス・ドイツの“国民洗脳技術”は、戦後CIAに引き継がれました。
そして、ブッシュ共和党政権下で、
「大量破壊兵器」「テロとの戦い」「ならずもの国家」などナチスを手本としたプロパガンダの手法を手本としたのです。
そのCIAとつるんで売国奴政治を続けてきたのが、「清和会」自民党なのです。
小泉政治によって国民の借金は増大しました。
それなのに、「消費税増税は必要」というのはどうかと思います。
おそらく、次の選挙で政権交代が果たされなければ、消費税を大増税したのに借金が倍増した、なんてことになるのでしょう。
国民のお金はどこに消えたのでしょうか?
世耕弘一
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E8%80%95%E5%BC%98%E4%B8%80
隠退蔵物資事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%A0%E9%80%80%E8%94%B5%E7%89%A9%E8%B3%87%E4%BA%8B%E4%BB%B6
ヨーゼフ・ゲッベルス
麻生太郎首相の消費税こだわりの裏に財務省との「密約」あり?
http://www.news.janjan.jp/government/0812/0812254159/1.php
岸 信介元首相がCIAに買収されていた事実が証明された!
http://www.news.janjan.jp/government/0902/0902107157/1.php
http://blogs.yahoo.co.jp/posutoman21/37196410.html
小泉純一郎は岸信介と同じくCIAのエージェント
http://alternativereport1.seesaa.net/article/114475849.html
(文章終わり)
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