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【神州の泉−高橋博彦】
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2009/08/post-145e.html
2009年8月22日 (土)
最高裁判事国民審査、それでも全員弾劾する!!
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ある無記名の方からこういうコメントが寄せられた。最高裁判所裁判官国民審査についてである。
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自分たち裁判官が何よりも大切にすべき、
「司法権の独立」という考えを自覚せずに、ひたすら、
自分たちに給料を払ってくれる法務省という“お上(かみ)”
の方しか見ない癖くせ)が終生抜けない裁判官は、
国民の多数意思で罷免しなければならないのです。
今度の選挙は国民審査もあります。
罷免したい裁判官は×をつけてください。
自分が冤罪の被害者にならいないためにも
ぜひ投票に行きましょう!
近藤崇晴 (こんどうたかはる、東京大学法学部卒 、裁判官)
植草一秀氏の「痴漢えん罪事件」と防衛医大教授の
痴漢えん罪事件裁判官です。
防衛医大教授の痴漢えん罪事件では、判決の「補足意見」の中で、
「被害者の供述は、たやすく信用し、被告人の供述は頭から
疑ってかかることのないよう、厳に自戒すべきだ」
とか、「やったかどうかわからない以上、『無罪の推定』
原理により、被告人には無罪を言いわたすべきなのである」
と言っておきながら、植草事件では、
まったく正反対の高裁判決を支持するとした矛盾ある判決を
下した裁判官です。
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(以下管理人)
司法の独立性についてひと言
上記コメントについては、管理人もまったく同じ思いである。特に近藤崇晴(こんどうたかはる)裁判官については、痴漢冤罪被害の多発する同一性格の案件に対し、一方では「推定無罪」の原則を適用して置きながら、植草事件に対してはまったく反対の裁定を行っている。これは司法の権威について重大な失墜を招く行為であり、国家秩序の観点から言っても許し難い愚挙と言わざるを得ない。
それから、裁判員制度を導入した竹崎博允(たけさき・ひろのぶ)裁判官も許し難い。裁判員制度原案は、百パーセント、アメリカの手による制度設計である。これを日本の司法を預かる裁判官が積極的に導入したことは、国益に反する行為である。
実は管理人は、裁判官の国民審査については、考えたり書いたりするのはとても気が重い。その理由だが、司法の独立性について考えていくと、必ず国家論が眼前に屹立するからである。司法の独立というと、われわれ一般人は、すぐにモンテスキュー由来の、司法、立法、行政という三権分立からそれを認識するが、実は司法の独立性については、もっと深い文脈から言うべきことがある。
それは、司法権の独立性こそが、国家の権威の最後の砦だからである。この意味はすこぶる重要である。これを三権分立の流れだけで捉えてしまうと、自動的に民主主義原則の範囲内に収斂させた思考で捉えてしまうことになる。日本の権力構造のすべてを“主権在民”で捉えることは無理があるということだ。これは厳密に言えば司法の独立性と強い関連がある。
民主主義とは、個人の人権である自由・平等・参政権などを重視し、多数決原理によって意思決定をするという、人民による体制支配を原則とする政治思想である。国家統治論の原理原則から言えば、あらゆるものに主権在民を適用することは原理的に無理がある。というか不可能である。国家はどこかに主権在民の多数意見から、少数意見を完全に防御できるシステムを温存しておかないと、国家足り得ないからである。単純化して言えば、多数意見は常に暴力性を帯びる危険があるので、国家統治論的にはこれを制御する装置をどこかに用意しておかねばならない。それが司法権の独立なのである。
民主主義の多数決原理が、のべつ幕なしにあらゆる場所に適用されてしまうと、それは一種の恐怖政治を現出させる。民主政治も独裁政治も、少数か多数かの違いはあるが、基本的にはそういう暴政に移行する危険がある。その場合、少数意見を防御して多数意見にフィードバックする機構を作っておかないと社会の安寧はおぼつかない。この意味でも、司法があらゆるパワーから超然として屹立することは重要なことなのだ。ところが戦後教育で国家統治論を喪失した日本人は、司法の権能さえも民主主義の範囲で捉えようとする大きな過ちをおかしている。
戦後政治、あるいは戦後教育等、すべての戦後なる要素のベーシックは、アメリカがもたらした民主主義思想で営まれてきた。この基本の柱は主権在民と平等主義である。だが、ここには最大の致命的欠陥が存在している。それは体制側や国民に正当なる国家統治論が欠落していることだ。個人の権利はいくらでも善として拡大されていったが、公共概念の最大値としての国家論は人々の心から消えつつある。
中には国家や国籍などなくてもいい、市民的権利が守られているゾーンであれば無国籍でも構わないと本気で思っている人も出てきている。恐ろしい話である。この世界観が国民の大多数を占めた時、国家は内側から崩壊する。三島由紀夫が生前に言ったことを思い出した。
「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このままいったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るであろう」。(昭和45年7月7日、産経新聞、「私の中の二十五年」より)
戦後日本はGHQが敷いた国家観なき教育のせいで、主権在民という個人権利の膨張ばかり強調し、共同体感覚や公共感覚を喪失するというベクトルを持った。それだけではない。国民が持つべき正当な国家意識を憎悪するように条件付けられた。これこそが戦勝国による精神的な刀狩りの真骨頂だ。それでも戦前教育を受けた者が残存していた間は、この公共感覚の溶解は比較的緩慢に進んだ。だが、彼等が次々とこの世を去り、平成になってから加速的に共同体感覚は消滅した。その結果、三島が予言したように、日本人個々は他者と切り離された空っぽでニュートラルな存在に堕してしまっている。
緩慢な国家観の喪失から急激な国家観の喪失、この連続性の中で小泉政権は誕生した。国民の側にも新自由主義を受け入れ、小さな政府論を受け入れてしまう素地は出来上がっていたのだ。新自由主義の日本社会への完全な適用とは、日本の無国籍化を目論むことに等しい。弱肉強食の無機質な日本が現出したことは間違いないが、現実はすでに三島の予言さえもはるかに凌駕した状況に及んでいる。それはアメリカの属国化が露骨に表層レベルに出始めたからである。
有識者でさえ、アメリカから離れたら中国の属国になるしかないじゃないか、それならまだアメリカの属国のままでいた方がいいと本気で考えている者もいるようだ。そんな主体性のなさで国家が存続できるのか。アメリカにも中国にもロシアにも従属しないというスタンスを日本は取り戻すべきなのだ。ところが、国家観が溶解している今は、水に漂う水草のように、定点を持たないまったく頼りない状態にある。
国家観が溶解してアメリカに洗脳され、国益を損なう政治家や官僚が大勢を占めてきた今の日本は真に危機的な状況にある。これは司法関係者にも言えることだ。司法関係者こそ、国家のエリートとして、ノーブレス・オブリージュ(注:貴族の高貴な義務であるが、ここではエリート層の国家的義務)を発揮しなければならない現在の重要な局面で、国のことをまったく顧みずに米国の要求に奴隷のように従う者が出てきた。
裁判員制度を導入した判事もそうだし、国益派の経済学者である植草一秀さんに有罪判決を下した判事もそうである。管理人は司法の独立性については、書きたいことをかなり抑制したが、それでも、上記を踏まえたうえで、今の最高裁判事はまったく信用できない。
管理人は国家論的に、司法は民主主義に影響される存在ではないと、その独立性を強調したが、戦後教育の負の遺産はあまりにも凄まじく、ノーブレス・オブリージュを発動する最後の砦としての司法が腐蝕の構造を持ってしまった。
それならば、一時的に緊急避難措置として、主権在民の直接行為である国政選挙の投票行為によって、現今最高裁判事を全員弾劾するしかないと思う。副島隆彦氏が掲げた四名の判事は弾劾に相当する強い理由を持つが、今の裁判における独立性の自主的破棄(検察や内閣府との癒着という意味で)を見れば、最高裁判事全員を刷新するという方法が適していると思う。
管理人は9名全員を×にすることに決めている。
第21回国民審査の対象となる 最高裁の裁判官 (9名)
×●那須 弘平(なす・こうへい)
佐藤優(さとうまさる)氏の 最高裁への上告を、この7月1日に棄却(ききゃく)した
×●涌井 紀夫(わくい・のりお)
×●田原 睦夫(たはら・むつお)
×●近藤 崇晴(こんどう・たかはる)
植草一秀氏の「痴漢(ちかん)えん罪事件」の上告棄却(じょうこくききゃく)をした裁判官。
×●宮川 光治(みやかわ・こうじ)
×●櫻井 龍子(さくらい・りゅうこ)
×●竹内 行夫(たけうち・ゆきお)
小泉政権の外務次官時代、小泉首相のイラク戦争支持に猛然と反対した天木直人(あまきなおと)氏を解雇した。
×●金築 誠志(かねつき・せいし)
×●竹崎 博允(たけさき・ひろのぶ)
反国益的な悪法「裁判員制度」を実現させた立役者
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