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http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090818/202739/?bvr
かつて、元首相の竹下登が率いた自民党の最大派閥「経世会」は、その数の力を背景に、常に政局の中心にいた。経世会を無視した政局運営などありえなかった。 その経世会で「宝」とも呼ばれていた選挙参謀がいた。その名を鈴木精七という。 吉田茂の懐刀だった大物国会議員の息子 当選請負人として永田町でそこそこ名前が売れ始めた頃、ある候補者から選挙参謀の依頼が舞い込む。1968(昭和43)年のことであった。 鈴木の前に現れた候補者は弱冠26歳の幼さが残る顔立ちの青年だった。 41年前の小沢一郎(現民主党代表代行)である。当時、小沢は日本大学大学院に籍を置き、司法試験を目指す学生だった。 小沢の父、佐重喜(さえき)は吉田茂の懐刀と呼ばれた大物国会議員だった。 運輸大臣、建設大臣などを歴任。1960(昭和35)年には、時の首相、岸信介が批准に執念を燃やした日米安全保障条約で、岸から直々に特別委員長に任命され、大きな役割を果たした。 1946(昭和21)年、戦後初の衆議院議員選挙で初当選して以来、小選挙区制導入を唱えていた佐重喜は1968(昭和43)年に急逝した。それを受け、急きょ、一部の後援者に背を押されて後継者として立候補を宣言したのが息子の一郎であった。 典型的な2世議員のパターンである。 田中角栄に選挙のイロハを学ぶ ところが、先に「一部」と書いた通り、小沢佐重喜後援会、親族、小沢系県会議員、そして自民党本部の意向はそれぞれバラバラで、小沢擁立で一本化されていなかった。 鈴木によれば、後の小沢一郎からは想像できないほど選挙戦は“逆風”そのものであり、当選する確率は50%ほどしかなかったという。 事実、自民党本部の意向を取り付け、地元をまとめ上げようと小沢を伴って自民党本部の幹事長室を訪ねた時、こんなことがあった。 対応したのは、後のロッキード事件で逮捕される田中角栄(元首相)の秘書、榎本敏夫である。挨拶もそこそこに榎本は鈴木らに向かい、小沢とは別の後継者の名前を挙げ、さもそれが党本部の決定のような口ぶりで話した。 こんな状況から勝ち上がった小沢は、時の幹事長、田中の格別な寵愛を受け、政治のイロハを学ぶ。現在の政治家の中で最も全国の選挙区事情に通じ、選挙戦の表も裏も知り尽くす小沢の師匠は田中であり、恩人の鈴木なのであった。 小沢は地方選挙の有力者の子弟たちの結婚話や、その相手の人柄といった地元民でなければ知り得ないような情報にも通じている。 どの候補者が朝の演説会、いわゆる「朝立ち」を続けているか、はたまた手を抜いているか、ポスターをどれぐらい配っているのか、選挙スタッフたちの活動具合はどうかなど、どの議員より把握しているとされる。 小泉が指示した選挙戦と酷似 今から数週間前、小沢は新聞への選挙広告の出稿を依頼しに来た大手新聞社幹部らと食事を共にしていた。 広告出稿の話もそこそこに、小沢はその大手新聞社幹部らに言うのだった。 「1回は(全国紙の広告出稿に)付き合うけど…。1回きりだ。何と言っても選挙戦は地元紙の影響力が強い。特に今、(自民党と)競っている選挙区には惜しみなく資金を投入する。都市部なんかには1銭も使うつもりはないんだよ」 自民党が圧勝した郵政選挙。その際、首相だった小泉純一郎は郵政民営化に反対する造反組に対し、容赦なく“刺客候補者”を立て、徹底的に白黒を選挙民に求めた。 今回の小沢が指示する民主党のそれは、小泉が指示した選挙戦と酷似している。 自民党の大物議員には若い女性候補者をことごとくぶつけ、メディアが切れ目なく報道せざるを得ないようにする投入の仕方だ。そして、選挙民に徹底して求めているのが「政権交代」の是非だ。 今のムードが選挙戦終盤まで続けば、民主党圧勝は必至。そして見逃せないのが、その結果、膨張する小沢系議員の数である。 現在、小沢系とされるのは、衆参合せておよそ50人。それが次回の総選挙では落選中の元議員や、小沢の薫陶を受け立候補している新人などを合せると、優に50人は超える。 そうした候補者たちが勝ち上がってくれば民主党という枠を超えて小沢系議員は100人を超える。かつて小沢が所属し、時の政権をコントロールしていた経世会規模の大派閥の誕生である。 「国家戦略局」の実力やいかに マニフェストの発表などとともに誕生するであろう民主党政権の全貌が明らかになりつつある。 “脱官僚政治”の目玉とともに、政権の心臓部となるのが予算や社会保障などを仕切る「国家戦略局」と呼ばれる組織である。 数の上では自民党をはるかに凌駕する政策通がこの組織に参集し、もう1つの売りである「官邸主導」を実現させていくというのだが…。 何やら、“政策新人類”と呼ばれた議員たちだけが官邸に集まったものの、結局、何も決められぬまま瓦解した安倍晋三政権を思い出させる。「政策通」は多かったが、政治家がいなかった。その結果であった。 では、国家戦略局を創設し、「官邸主導」をうたう民主党はどうなのか? 本当に政治日程を読み切り、官僚の本質を見抜き、他党の議員の政治的な背景を知り、適切な妥協点を見つけ出せる政治家がどれほどいるのか? 「民主党には現状を壊せる政治家が必要」 2003年、現在の民主党の原型となった「旧民主党」と「自由党」の合併。そのシナリオを書いたのがかつて福田派(現森派)の大幹部で「政界の寝業師」とも評された元防衛庁長官、松野頼三である。鳩山由紀夫の側近の1人、松野頼久の父だ。 当時、松野は合併を渋る鳩山(妻の幸子が強行に反対もしていた)に諄々と説いた。 「民主党には政治家がいない。だから、民主党には現状を壊せる政治家が必要なんだ。それができるのは小沢しかいない。そうすれば、あんたは総理になれるよ」 松野が晩年まで事務所として使っていた永田町の「パレロワイヤル」に鳩山を呼んでは、粘り強く小沢との合流を説いた。その松野の予言がまさに実現しようとしている。 小沢は衆院選後に見えてきた民主党政権について一切語っていない。不気味なほど選挙に集中している。 自民巻き込んだ政界再編「最終版」 そんな小沢が最近、こんなことを漏らした。 東京都議会選挙で大量の民主党議員が誕生した。だが、その一方で、風に乗っただけで当選し、選挙区の町名さえ知らぬ都会議員が多数誕生した。 「都議会議員選挙ほどじゃないけど、訳の分からない議員が100人くらい生まれてくる。その数があるうちに次を考えないと…」 1993年に細川護煕首班の細川政権を誕生させてから16年。民主党内「第2次経世会」を誕生させる小沢の目は、早くも来年の参院選挙を視野に入れている。 鳩山政権誕生後の“ネジレ”を背景に、自民党を巻き込んだ政界再編「最終版」を目論んでいることは間違いないようである。 |
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