韓国、台湾、中 国からの参加 八月八日、東京・上野水上音楽堂で「平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動2009〜東アジアからヤスクニを見る〜コンサート&証言」集会がキャンドル行動実行委員会の主催で行われた。前日の国際シンポジウムに引き続く連続行動であった。 この集会には、台湾の色とりどりの民族衣装をまとった複数の原住民族五十人、八月八日から十日、「中国人強制連行殉難者のための慰霊と公道を求める八月行動」のためにやってきた中国人七十人、韓国からやってきた反ヤスクニ行動の人たちそして日本で戦後補償や反ヤスクニ行動を行っている人たちが参加した。 最初に、今村嗣夫さん(キャンドル行動実行委共同代表)が「一九七八年に靖国神社になぜ一方的に合祀するのか問いただしたところ、靖国神社は『植民地人、内地人はすべて日本人として戦いに参加してもらったので合祀した』と答えた。先の戦争についての反省がまったくなく、同じことを繰り返す。合祀を拒否する人がいる限り止めるべきだ。キャンドルで訴えよう」と主催者あいさつを行った。 家族にも知ら せずに「合祀」 三組の遺族が証言を行った。最初にドキュメンタリー映画「アンニョン、さよなら」の主人公でもある韓国の李煕子(イ・ヒジャ)さんが証言した。 「一九四四年二月、私の父親は私がまだ生まればかりの十三カ月で強制徴用され、それっきり帰ってこなかった。どこでどのように死んだのか分からなかった。 一九五九年に靖国神社に合祀されたことが分かった。家族に知らせず、なぜ合祀したのか。解放された民族にもかかわらず、侵略神社に日本名で合祀するとは何事か。靖国神社は霊璽簿から父の名前をはずせ」。 次に熊田郁子さん(平和遺族会・キリスト者遺族会会員)が証言した。 「私が小学二年生の時、真珠湾攻撃があり、校庭で祝賀のちょうちん行列を行った。帰宅すると父が『お前ら喜んでいるがなあ この戦争は敗ける戦争なんだバカッ』と怒鳴った。三年後の五月に父に召集令状がきた。父は『これ一枚で靖国の神にされてしまうんだよ。お互い今が見納めぞ、よく父さんを見ておけ』と言った。沖縄を死守するということで沖縄に向かう途中で撃沈され約四千人が死んだ」。 熊田さんは戦後、靖国の遺児ということで差別されたいへんな思いと生活をしたことを話し、自ら戦争がなんだったのか、靖国の役割が何であったのかを勉強し、理解するようになった。「戦争の実態を知らなければならない。朝鮮や台湾の人々の悲憤を思ってみなければならない」と語った。 台湾の張嘉 、張雅舜さん姉妹が高砂義勇隊について証言した。 「私たちはタイヤル族です。山の家での暮らしは楽しいことばかりでした。叔父が一人いますが実は叔父さんは一人でないことを二〇〇二年に知りました。母が遺族として公道を取り戻すために靖国神社を訪れるにあたっての記者会見で、母親の家族に起こった悲惨な歴史を知りました」。 「日本の警察が、老いた母親の面倒を見るために一人だけを残して、他の三人は高砂義勇隊に志願させられ、南洋に送られ二度と帰ってこなかった。三人のうち二人(有村健三、有村武夫)が靖国神社に合祀されていることが分かった。母は断固として合祀を止めるように要求したが、靖国神社は頑なに拒絶したままです。山の部落では母親のような受難の家庭が多くあります」。 「日本政府は未だにこの間の歴史を隠蔽し、間違いを認めず、謝罪も賠償もしようとしていません。侵略者を祀る靖国神社への合祀は消すことのできない、耐え難い苦痛です。母親はよくこう言います。昼と夜が併存することなどあり得ない。加害者と被害者の魂を同じところに合祀すべきではない。母の決意を我がものとし、『反靖国、還我祖霊』の闘いを引き継ぎます」。 各国のアーチスト 競演で盛り上がる 証言の後、日本、韓国、台湾のアーチストによるコンサートが行われた。月桃の花歌舞団、生田卍、寿。韓国から金元中(キム・ウォンジュン)さん、孫炳輝(ソン・ビョンヒ)さん、権海孝(クォン・ヘヒョ)さん。台湾から台湾立法院議員の高金素梅さんのアピールと飛魚雲豹音楽公団の歌と舞踊。韓国の歌手のコンサートの最後に、各国の参加者が舞台に並び、手をつなぎ、反ヤスクニ、国際連帯をアピールした。また台湾の原住民族の踊りと歌は会場のみんなの心を一体にし、会場もいっしょに輪になって踊った。 コンサートの合間に、中国強制連行生存者・遺族の七十人が参加し、八月八日から十日の行動の報告をした。韓国の十八の大学連合〈希望〉が連帯のあいさつを行った。高金素梅さんが「七年間闘ってきた。最初は少なかったが、韓国、沖縄と次々と参加してくれた。今年は中国からもやってきた。靖国神社や日本政府は反省も謝罪もしていないが、あきらめることなく団結して闘っていこう。ヤスクニNO!」とこぶしを突き上げた。会場も一体となった。 韓国の共同代表のイさんが「日本が侵略の歴史を反省することが第一だ。第二に戦争体験を記憶し共有しなければならない。そしてアジアに二度と戦争を起こさせないために、国際的連帯をつくっていかなければならない。来年は日韓併合百年になる。今回を倍する人を集めて来年も反ヤスクニ行動を成功させよう」と訴えた。証言とコンサートの集いの後、御徒町に向けて六百人でキャンドル行進を行った。台湾の原住民たちは民族衣装に身をまとい、「平和の光をヤスクニの闇へ」と書いた「みこし」をかつぎアピールした。途中、「在特会」などの右翼が排外主義的言辞をはき妨害行動を行ったがそんな敵対をものともせず、道行く人々にアピールを行った。アジアの人々の共同の反ヤスクニ行動は「アジアの平和」をつくっていく上で極めて大きな意義のあるものとなった。 (M)
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