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http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20090815k0000m070116000c.html
発信箱:忘れられた追悼式=伊藤智永(外信部)
敗戦を炎天の夏に迎えた偶然は、日本人にとって幸いであったと思う。これが花咲く春や実りの秋であったなら、日々の暮らしがせわしすぎただろうし、冬は身も心も縮こまりすぎただろう。
夏は海の青色濃く、空に大雲の神々しくわき立つ様が、人の想念を自然と遠くへ運んでいく。先祖に祈るお盆の習わしも重なって、無念の死を強いられた多くの人たちの運命と、心静めて向き合う季節にふさわしい。
戦後、「利口な奴(やつ)はたんと反省するがいい。俺(おれ)はバカだから反省などしない」と言った高名な文芸評論家がいた。戦時中、古典に沈潜し、「記憶するだけではいけない。思い出さなくてはいけない。でも、心を虚(むな)しくして上手に思い出すことは非常に難しい」と説いた人だ。それこそ反省という営みであるはずなのに、本当は利口なので、いち早く虚心を捨てたらしい。
評論家ばかりを責められない。全国戦没者追悼式が始まったのは1952年5月、独立回復の4日後、場所は東京の新宿御苑だった。占領中は戦死者の追悼もはばかられたというが、1回きりで式典は途絶えた。今度は冷戦の一方の陣営に加わった恩恵の下、稼ぐのに忙しかったのだ。
8月15日開催が恒例となったのは、東京オリンピックを翌年に控えた63年、場所は日比谷公会堂だった。ところが64年は靖国神社境内(!)に移り、日本武道館に落ち着いたのは65年からである。
実は59年3月、靖国に祭られない無名兵士のための千鳥ケ淵戦没者墓苑竣工(しゅんこう)に併せ一度復活したが靖国の横やりで再び途絶えた経緯がある。だからだろう、政府は式典回数を明示しない。上手に思い出すのは何と難しいことか。
毎日新聞 2009年8月15日 0時22分
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