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2009年8月 6日 (木)
ライシャワー大使元特別補佐官の「核密約」証言、なるほど、だった:「日本政府は早く密約認めよ」とも〜日経新聞09年8月6日朝刊
日経新聞09年8月6日(木)朝刊2面[密約外交 インタビューB]はジョージ・パッカード米駐日大使元特別補佐官。<密約認め機器の協議を>の見出しだが、ライシャワー大使時代の補佐官だった方らしく、ライシャワー氏が「密約」をしゃべった理由などを今になってはっきりとしゃべっていて、納得がいった。こういうインタビューはいいインタビューだ、と思う。
面白いインタビューなので、全文を写しておこう。小見出しは<米は公表認めず>、<「三原則」触れぬ>だった。
ジョージ・パッカード氏は1932年生まれ。1963〜65年までライシャワー駐日大使の特別補佐官。ジョンズ・ホプキンズ大学高等国際問題研究大学院(SAIS)学長、国際大学(新潟県)学長などを経て現在、米日財団理事長、とあった。
<核持込など一連の密約問題をどう考えるか。識者らに聞いた。>
という前文。簡潔この上ない。日経新聞らしいいい前文だ。
<――日米安全保障条約改定が1960年。63年から当時のライシャワー駐日大使の特別補佐官でしたね。>
<「核搭載艦の寄港を認めるかどうか国会で問題となった時、日本政府が認めないと発言した。ライシャワー氏はこのままでは条約が守られないと懸念し、密約を表に出そうと考えた。しかし、本国の考えは違った。結局、大平正芳外相をこっそり朝食会に招き、密約の文書を示して説明した。大平氏はうなずいて、うまく処理しますと答えた」>
これだけでも資料的価値のある発言なのではないか? もう既に出ている話なのか? その辺はよく分からないが、私にとっては初めての話だった。
<――ライシャワー氏は1981年に密約の存在を証言しました。>
<「記者会見場までの車中では『日本人は賢明だから、なぜこの密約が必要だったかを理解するだろう』と言っていた。日本で大騒ぎとなったことを知って、相当ショックを受けていた。>
これが毎日新聞のインタビューのことなのか?
<――なぜ証言したのでしょうか。>
<密約は時限爆弾だと言っていた。早く明らかにした方がダメージは少ないと思ったのだろう。何よりも歴史家だった。歴史家は遅かれ早かれ事実は明らかになると信じている。後世、嘘つきだと言われるのだけは嫌だ、という純粋な学者の思いだった。>
なるほど、である。なぜ微妙な問題を曝け出したのか、米本国の意向はどうだったのか、日本側も分からなかっただろう。学者の良心の問題だった、というのは最も筋が通っている話だ。これが本当なのかもしれない。
<――日本政府は非核三原則(持たず、作らず、持ち込ませず)を打ち出し、ますます密約は表に出せなくなりました。>
<「ライシャワー氏は(核搭載艦船などの日本寄港を事前協議の対象外とする)密約は非核三原則に抵触するとは考えていなかった。核を上陸させるわけではないからだ。しかし、1966年4月、(搭載している核兵器が陸上に移動する可能性がある)揚陸艦が岩国基地の近くで停泊を繰り返していたのを知ったときには激怒した。彼は何年もその事実を知らされていなかった。すぐに在日米軍幹部を呼んで確認し、ラスク国務長官に電報で『90日以内に解決しないと大使を辞任し、安保条約違反だと公に非難する』と伝えた。その年の8月に退任する予定だったが、家族には『予定より早まるかもしれない』とも言っていた。非常に正直な人だった」。>
このエピソードはいかにもライシャワー氏らしい。面目躍如というところか。
<――日本政府が今後、密約を公表した場合、何が起きるでしょうか。>
<「何も起こらないだろう。私も日本の有権者を信じている。今の政府がやるべきなのは密約を認めることだ。密約を克服して先に進み、国内や日米間で北朝鮮情勢など本当の問題について話し合うことが必要だ」。>
その通りだと思う。「あれは冷戦時代のことだった」と言ってしまえばいいのだ。首相官邸の決断次第なのに、なぜできないのか。外務省に変に遠慮することなどないし、米国のコンセンサスはパッカード氏の発言に近いだろうと思う。民主党政権に任せるのではなく、麻生太郎首相がやるべきだ。
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