★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK68 > 781.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
毎年8月を迎えて、新聞やテレビで原爆の被害、平和の訴えを目にするたびに、説明のできない違和感を俺は覚えてきた。原爆の犠牲者になった広島、長崎の方々。その被害は当時生存していなかた人々にまで広がる。今年はNHKはハリウッドスターとやらの渡辺謙さんで盛り上げるようだ。NHKも民放も、このパターンの原爆特集はとてもお好きなようだ。しかし、「ノーモア・ヒロシマ」、「ノーモア・ナガサキ」は何かが違うのではないか。
この違和感は戦中の従軍慰安婦などの、日本の戦争責任の問題と重なると余計に強くなってくる。何かが違う...
東京裁判には「人道に対する罪」とやらがあった。実際には、この罪で罰せられた日本軍人はいなかったようだが、米軍占領下のイラクのフセイン裁判ではフセインは「人道に対する罪」とやらで有罪とされ、処刑された。
フセインに死刑求刑、イラク住民殺害で人道に対する罪
http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe4500/news/20060619i214.htm
日本に対する原爆投下は、この「人道に対する罪」そのものではないのだろうか。それも最大級の犯罪であり「超」がつく。従軍慰安婦を軽く見ているわけではないが、彼女らの被害は一代だけ、実質的には彼女たちだけだ。しかし、原爆による被害は、当時子供で戦争が何であるかも理解していない、また当時生存していなかった世代にも及んでいる。これを「人道に対する罪」と言わずに何というのだろうか。
日本政府は、また被爆者団体は、従軍慰安婦と同じように、なぜ米国政府を、日本への原爆投下に関わった者たちを「人道に対する罪」で告発しないのだろうか。なぜ賠償請求訴訟を米国で起こさないのだろうか。なぜ、この問題を米国の法廷に持ち出さないのだろうか。俺が知る限り、これを実際行った例はない。
もし、日本政府や被爆者団体が本当に原爆の悲惨さを世界に訴えたいなら、米国の法廷に持ち出し、争うのが世界にその悲惨さを伝える最善の方法ではないだろうか。俺には、日本人に責任を求めるかのような「ノーモア・ヒロシマ」は国内向けのまやかし、プロパガンダに見える。
自民歴代首相のアホらしさ
http://ootw-corner.asablo.jp/blog/2009/08/06/4482082
▲このページのTOPへ HOME > 政治・選挙・NHK68掲示板
フォローアップ: