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【与那国町長選敗北】旧弊突き破れず〜情報過疎の壁は思いの外厚かった
http://www.asyura2.com/09/senkyo68/msg/581.html
投稿者 どなんとぅ 日時 2009 年 8 月 03 日 05:36:10: Rpgn2femNHMTY
 

一つデータを。
4年前、外間町長初当選の選挙ですが、
実は尾辻吉兼町長が病に倒れ、
闘病むなしく入院先で亡くなりました。

与那国島はごつごつしたラグビーボールといった形状の島で、
人口順に北側の祖納(そない)、西側の久部良(くぶら)、南側の比川(ひがわ)の3つの集落から成ります。
比川は最も歴史が古く、農村集落です。
久部良は、沖縄で言う糸満部落、海人(うみんちゅ)による集落で、
いわゆる移民部落です。(現在では町営団地があり、観光業なども多数存在する)
そして祖納は農業+商業+行政機関の集まった集落であり、
人口の7割程度(うろ覚えの記憶ですので、ちがっているかも知れません)がここに集中しております。

先代の尾辻町長は久部良在、
漁協長兼務で議員をしておりました。
町長就任により後任の漁協長に据わったのが
先のレポートでも登場した崎原用能現教育長です。
当時自民党籍の議員であり、以前は社会党籍の議員でした。

尾辻氏死去を承けて行われた町長選挙に、
「尾辻後継」をうたい、自民党から立候補したのが
社民党籍(ただし選挙時は無所属であったと思う)の議員〜議長を務めた外間守吉氏でした。
外間への対抗馬として革新共闘会議が擁立(ただし立候補にあたっては中立を標榜)したのが新里和夫元議長でした。
実は新里氏は尾辻1期目の町長選で対立候補として担ぎ出された経緯があり、
今回同様に出馬表明は後れを取ったのですが、
早い段階から下馬評に挙がっておりました。
これも以前レポートしたのですが、
新里氏の議員時代は自民党所属でした。
選挙結果は
当日有権者1235
外間守吉631
新里和夫569
無効・白票0
投票率97.14%

今回の結果を並べます。
当日有権者1208(測候所の閉鎖が大きい)
外間守吉619
田里千代基516
無効・白票25
投票率96.03%

これを分析するのがこの投稿の主眼です。

過疎化の進行により有権者数が27減少
これに対して外間氏の票は12票減、これだけみるとほぼ前回と同じと言うことになります(後で再検討します※)
27−12=15が有権者減少のうち田里への影響分となるはずです。
投票率の低下が票数換算で13票、
無効白票25票。
15+13+25=53
これが新里→田里の減少分になったわけです。

さて、問題は棄権票増加の13と無効票の25です。合計で38票。
このかなりの部分がヤマトゥ票であったのではないかと、にらんでおります。
そうすると、そこに狙いを定めて働きかける余地があったのではないかと考え、忸怩たる思いを抱いています。

議員定数6名中、前回選挙で外間支持であった者(当時議員でなかった者も含む)
崎原孫吉、前西原武三、糸数健一、嵩西茂則、それに小嶺博泉(小嶺は自衛隊誘致反対の立場から袂を分かつ)の5名
革新系に近い中立、我那覇武1名(今回は誘致決議棄権〜外間支援に回った)
この構成、さらに前回候補が元自民党議員・議長経験者であり、
今回の田里氏は一貫して革新派であったことを考えると、
「善戦」であったといえるでしょう。(負けてしまっては何にも成りませんが)

さて※で記した外間票の分析です。
たまたまほぼ同数の票がでたので見えにくくなったのですが、
実はその中味はかなり変動があったと思われます。
自衛隊誘致運動の先頭に立った防衛協会長・金城信浩氏は元々革新系の町議〜助役を務めた人物でした。
町長選直前の浜田防衛相への要請行動の根拠となった「町民514名の誘致請願署名」とは、その趣旨を十分に説明せず、
人口増や補助金増大といったプラス面(?)のみを喧伝し、
しかも「キビ刈りの人手確保に苦労しなくて済む」
「プールやグランドを整備して貰える」
といった根拠なしの子供だまし(しかし情報をもたない者にとっては拒むことの困難な)で集めたものであり、
しかも本人ではなく一人が家族や親戚の分までまとめて署名すると言った集め方をした、「公文書」としての体をなしていないものでした。
それでも、「自分の名前を根拠に大臣がわざわざ足を運んだ」という事実のもつインパクトはみなさんが想像する以上のものがあり、
この効果を無化するための取り組みに弱さがあったことも、
自己反省の一つになります。

元々が幾重にも困難な条件であることを承知で挑んだ闘いですから、
負けは負け。
きっちりと敗因を押さえておく必要があります。

1)誘致問題発生の過程で取り込まれていた本来の革新支持層を十分には取り戻せなかった。
2)前回の新里支持層、今回直前まで出馬の可能性を模索していた小嶺支持層といった、保守内反外間層、反自衛隊層を十分に取り込めなかった。
3)ヤマトゥ移住者や公務員、UターンIターン組など、
過去から近未来につながる島の歴史(しがらみ)から比較的自由な位置にあるそうに対して、「自衛隊」という選択肢の抱える危険性について、十分に伝達できなかった。

この3点は厳重に認識しておく必要があると考えます。

今後の展望です。
再選を果たしたものの、外間町長の前に待ち受けるのは明らかに茨の道です。
(巧妙に周囲には主張させたものの)争点各氏とさえいえるほど、選挙戦を通じて「自衛隊誘致」を表に出さなかった町長が、
8月30日以降の新政権(浜田も浅尾もいない)に対して、
「町民の意志」を盾に自衛隊配備を再要請するのは、
明確に「誘致反対」を掲げて戦った田里候補の獲得した516票(全有権者の43%)というのは重すぎる軛です。
おそらく、選挙期間中に言及したように「住民投票」なり、新たな「署名活動」で圧倒的多数の数を集めるなりしない限り、
予想される民主党中心の新政権から門前払いを食わされるのがオチでしょう。
(ただし、未だ流動的な民主党の安保防衛政策が思い切り右へハンドルを切る可能性を無しとしない。
この場合には地元の思惑如何に関わらず、自公体制以上の強引な配備押しつけの可能性すら考えられる)

どなんとぅが描いていた
田里町長誕生〜平和と交流による国境地帯の安全保障確立〜「政権交代」、自公政策の踏襲路線の排除
といったプランは頓挫したわけですが、
単に手順が変わるだけ。
BBSで何人かの方に評価して頂いたように、
今回田里氏が打ち出した自立したまちづくりのプランは、
実は立候補が決まって間に合わせに用意した作文などではなく、
田里夫人を含む2桁のメンバーが数十年前に(誤記ではありません!)ある「研究会」で検討した
「島の将来像」のグランドデザインがベースになっているのです。
自衛隊を抜きにした島の将来を構想する時、
誰がリーダーであってもこのプランに勝る政策提示はできないでしょう。
どなんとぅが現在の居住地足る石垣市においておいおい提言し、実現を図ろうとするまちづくりプランにも大いに重なっております。

是非是非、今回ご声援頂いた皆様、
この結果のみで終了と言うことにせず、
今後の八重山全体を網羅した動きにご注目下さい。
そして願うらくは全国の「主権者としての地方政治への関与」と、
強い連帯の元に情報を共有し、
一歩ずつでも確かな未来へと繋げてゆきたいものです。

最後にひと言。

しかと ふがらっさぁ(与那国語で「ありがとう」)
 

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