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【神州の泉-高橋博彦】
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2009/08/post-d252.html
2009年8月 2日 (日)
労働者派遣法改悪と企業献金はダイレクトにリンクしている
昨年暮れから今年の春にかけて失職し、失業給付金を受けてきた人たちが、給付の期限切れに遭い、次々に路頭に迷う人たちが続出しているようだ。その多くは非正規雇用労働者であり、中には生活保護に移行するケースが増えている。
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(2009年8月1日 読売新聞より一部引用)
7月27日朝、東京都豊島区のハローワーク池袋。失業給付を扱う雇用保険給付課の窓口が開いて1時間で200人以上が列を作った。
5歳の息子と2人暮らしの板橋区の女性(38)は、5月からの給付が8月で終わる。ホテルのパート社員だったが、4月にリストラで同僚十数人とともに解雇された。約10社を受けたが不採用。児童手当などを含めた収入は月約15万円で、月約11万円の給付を失えば「仕事が見つかる前に生活が成り立たなくなる」と話す。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090801-OYT1T00642.htm?from=main5
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昨年12月31日〜2009年1月5日まで、住む家が無い派遣労働者や元派遣労働者らを支援するため、派遣村という一時救済施設が、日比谷公園に設置されたことはまだ記憶に新しい。非正規労働者は失職すると、ネットカフェ難民となるケースが増えており、持ち金が底を尽きると、住所不定者や路上生活者になる悲惨な状況が続いている。1999年から始まって、小泉政権の2004年と2006年に自民党が行った労働者派遣法の改正は派遣労働者の生活権、生存権、人格権を破壊した。
小泉政権は格差社会を造ったと言われるが、その格差の具体的な内訳の一つに、派遣労働を含む非正規労働者の急激な拡大がある。大企業本位の労働者派遣法の改正によって、働く人々の3分の1以上が非正規労働者で占められ、年収200万円以下のワーキングプアと呼ばれる人々が1000万人を越えてしまった。簡単に「派遣切り」にあって大量解雇された派遣労働者の当面の生存を確保するために、民間の有志が日比谷公園に“派遣村”という臨時的な救護施設を設けたことは、小泉政権の本質を語る上で、象徴的な事象と言えるだろう。
昨年の6月に、秋葉原の歩行者天国に小型トラックで乗り付け、五人をはね飛ばした上、通行人12人を次々と殺傷した「秋葉原連続殺傷事件」は、25歳の派遣労働者が起こした。まさに白昼のテロ事件であった。この事件を社会事象として分析すると長くなるから、私が考えた要点だけを述べてみる。
佐藤優氏の「テロリズムの罠」(副題:新自由主義社会の行方)では、この事件を秋葉原という、現下日本の構造的な力が偏在する特別な場(トポス)が攻撃されたケースだと言っている。彼はこの事件はテロだと言っている。私もそう思う。秋葉原はメイドカフェや、世界的に有名な電気街があり、ある意味日本の優秀な電気製品とメイドさんという一種の平和的なサービスがイメージされる街である。
この街は高度経済成長期が終わっている今日でも、潤沢な資本を象徴し、若者が集まる街である。新自由主義が生んだ造語である「勝ち組、負け組み」という二分法で言うなら、勝ち組が集う街の象徴にもなっている。犯人の青年が置かれた精神世界とは、派遣労働者という身分が、将来の保障も、昇給も、社会的貢献感覚も、夢も、希望も、青年が抱きたがっているすべての肯定的な要素が捨象されてしまった無機的な空間に置かれたものと言えるだろう。
青年は、若者が享受するはずであったすべての夢さえも剥奪されてしまったという意識に襲われた。そういう環境に、自分が置かれていることに気づき、生存リアリティが極度に希薄化したと思われる。彼が17名の死傷者を出したことは許し難いことだが、彼が置かれた社会的身分の非道性には深く同情する。彼の犯罪の凶悪さと、彼が殺傷行為にいたった背景は峻別して考えるべきである。
青年は自分が置かれた生存環境と、秋葉原に集う多くの人間集団に、けっして到達できない場(トポス)の格差を熾烈に感じ、苦吟したに違いない。派遣労働者という自分の身分を固定化し内面化した瞬間に、青年の心は圧倒的な虚無感に占められ生存感覚は分裂の危機を迎えたと思う。その状態で生存し続けることの苦痛に耐え切れない気分になったのだろう。
青年は自分が置かれた地獄の状況が、小泉政権と大企業(大資本家)が結託して行った労働者派遣法の改悪のせいだと思ったどうかはわからないが、自分が認識する圧倒的な格差の現実が政治だということは気づいていたと思う。青年は極度なリアリティの希薄化に向かい自分を見失ってしまう寸前に、気持が完全に折れてしまう寸前に、それまで鬱積していた憤怒を行動として解放することに思い当たった。
攻撃の対象として、秋葉原という金銭的自由を象徴する場を選んだということだと思う。青年の中では秋葉原は勝ち組連中が集まる、許し難い汚穢(おわい)の場所となっていた。小泉政権が行った典型的な新自由主義路線は、派遣労働者を完全に企業の調整弁として扱い、必要な時は躊躇なくパージできる対象としてしか見なくなった。派遣労働者は企業の使い捨ての駒、消耗品としての意味づけしかなくなってしまった。ほとんどアメリカ建国時の黒人奴隷と同様な社会的身分である。手かせ足かせがないだけである。
秋葉原連続殺傷事件はテロであるが、このテロを誘発したものこそ、小泉政権が行った「聖域なき構造改革」そのものであった。聖域なき構造改革は、聖域なき無秩序な規制緩和である。そしてこの規制緩和は、経済効率を上げて景気浮揚を行うというよりも、大企業と外国資本を可能な限り優遇するものであった。大企業・外国資本に富が傾斜した分、国民への再配分が絞られてしまった。これが派遣労働者の奴隷化を生み出した。
聖域なき構造改革とは、小泉政権が行った国民に対するテロ行為なのだ。つまり、犯罪政権と断定してまったく差し支えない政権だったことになる。大企業寄りの労働法制の改悪はその底流に、戦後からの政治献金があることは疑いようのない事実だ。これについては、かっちょさんの直近の記事を参照されたい。このまま自公政権が存続すれば、国民生活の逼迫のみならず、秋葉原無差別殺人テロのような大事件が頻発するだろう。
労働者派遣法の改悪は、直接的には小泉政権が遂行したアメリカの命令による新自由主義政策がもたらしたものだが、間接的には戦後慣習的に続いてきた企業献金も、その大きな因を為していることは疑いようもない。今後の日本はアメリカの桎梏から離れることが最重要だが、企業献金を全面禁止することは、政治を国民に取り戻す第一歩なのである。
労働者派遣法については、副島隆彦氏の「気軽にではなく重たい気持ちで書く掲示板」に、渾身の思いで書いている記事がある。タイトルは『[1287]急いで、労働者派遣法を改正して、10年前1999年)に戻さなければならない。』である。この記事に私はとても強く共感した。堂々と植草さんを支援していただいている副島氏は、あらためて凄い人だと思った。彼は労働者派遣法についてこう書いている。
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私は、ここの重たい掲示板に、「昔の労働法に戻せ」と、この10年間に何度か書いた。雇用関係の法律を、正しく、1999年の元にもどさなければならない。経営者が、いつでも従業員(被雇用者)の首を切ることができるような法律を許してはならないのだ。
各国の労働法(レイバー・ラー)が、人材派遣業という、人類の古代(アンシャント・エイジ)以来のユダヤ人の所業、悪事 を厳しく禁圧してきたのには深い根拠がある。 人材派遣法は、人身売買の法であり、人間の奴隷化であり、古来、労働斡旋(あっせん)は、日本でも、暴力団の専売であり、ニコヨンと呼ばれる日雇い労働者への、口利き・仲介業は、禁圧すべきものとして、近代労働法は、築き上げられてきたのである。
就職先の紹介業や、雇用のあっせん業は、職業として成り立たせてはならず、公共職業紹介所以外では、禁止しなければならないものなのである。そのために、ヨーロッパ近代(モダン)500年の成果があるのだ。 雇用・労働関係からのピンハネ、中抜き、手数料徴収は、それは、明らかに奴隷売買、人身(じんしん)売買だ。人肉売買だ。女郎売買(女衒、ぜげん)だ。
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副島氏は人材派遣業界をひと言で言えば、ヤクザな業界だと言っている。それは文学的な意味ではなく、実際にヤクザが強く絡む業界なので有識者はここまではっきり言えなかった。それにしても副島氏は勇気がある。是非その記事を読んでいただきたいと思う。
アメリカはアフリカ系黒人を奴隷にしたが、このまま行くと日本は、同胞を合法的に奴隷化する奴隷制度が成立するかもしれない。そう思えるほど、小泉政権以降の国政は国民毀損の原型を有している。小泉政権を諸手を挙げて稼動させた政治家は許してはならない。
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