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http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20090731-01-0901.html
「検証・民主党政権で日本はどう変わるのか」第3回
2009年7月31日 ビデオニュース・ドットコム
再分配の優しさと国民総背番号制の冷たさを併せ持つ
民主党のフェアネス政策
(ジャーナリスト 神保哲生)
「フェアネス(fairness)」とは、フェアプレー精神の「フェア」の名詞形だ。「公平」を意味する「フェアネス」は、民主党の政策パッケージ全体の理念的支柱である「オープン・アンド・フェアネス」の一翼を担うもので、諸政策に通底する理念となっている。民主党が打ち出している政策の多くには、日本社会を、より「フェア」な社会に変えていこうとする姿勢が色濃く反映されている。
一般的に「フェア」であることは好ましいことと思われているはずだ。実際に公平さという意味でのフェアネスは、民主主義という政治体制においても、自由主義経済という経済体制においても、非常に重要であることは間違いない。
しかし前回述べたように、民主党の主張する「オープン」や「ディスクロージャー」が、単に政府をガラス張りにするだけでなく、市民側にも開示された情報を活用する責任を生じさせるのと同様、フェアネスもまた、市民社会に対して厳しい課題を投げかけるものといえる。
社会全体がフェアであるためには、既得権益を放棄しなければならない場合が多いだろうし、フリーライダー(ただ乗り者)も厳しく追及されることになる。それ自体も一見良いことのように聞こえるかもしれないが、問題は自分自身が既得権益者であったり、フリーライダーであることに対して、われわれ自身が必ずしも自覚的であるとは限らないことだ。
まず、一言でフェアネスと言っても、民主党のフェアネスには以下の3種類が存在する。
1)機会均等
2)未来への責任
3)フリーライド(ただ乗り)禁止
このいずれにも、フェアであることの美しさと厳しさが同居している。フェアネスはけっしてきれい事だけでは済まされない。
機会は保障するが、結果は保障しない民主党のフェアネス
まず一番目の「機会均等」は、政治学的にも重要な概念で、これと対比される概念として一方で「結果均等(結果平等)」が、もう一方で「自由放任」や「市場原理主義」というものがある。
機会均等とは、基本的に競争原理や市場原理を肯定しつつも、誰でも市場競争に参加する機会は与えられるべきであり、競争のスタートラインにつくところまでを保障するのは政治の責任であるという考え方を指す。いざレースが始まれば、能力の高低や努力の大小などで、結果は当然変わってくるが、政治は結果までは保障しない。能力や努力の如何に関わらず、政治が結果の均等までを保障する「結果均等」とは明確に区別される。
しかし、生まれつきハンデを負っていたり、何らかの理由でレースに参加するのが難しい条件を抱えている人には、市場に一定の介入を行ってでも、スタートラインにつくところまでは政治が責任を負うべきとする。その意味では、再配分政策の顔を持っており、市場への介入を否定する「自由放任主義」や「市場原理至上主義」とも一線を画する。
民主党の政策のなかでは、子ども手当、公立高校の無償化と奨学金の拡充、保育サービスの拡充、パパ・クォータ(父親の育児休暇取得を推進する制度)、選択的夫婦別姓の導入と非嫡出子の相続差別の撤廃、インターネット選挙の解禁、首長の多選制限、国会議員の世襲禁止、相続税の増税、職業能力開発、中小企業支援などに、機会均等の理念的背景を見出すことができる(*注)。
たとえば、公立高校を無償化し、大学では奨学金制度を拡充して学費と同時に生活費まで補助の対象を拡げることで、経済的理由で進学を断念する子どもをできるだけ出さないようにする政策は、必要な教育を受けられなければ、公平なスタートラインにつくところまで保障したことにはならないという考え方に基づく。
首長の連続当選回数の制限や国会議員の世襲禁止も、そうした人々が選挙で圧倒的に優位な現状はフェアではないとの立場から、これに歯止めをかける。本人の努力や能力と関係なく、特定の人だけが有利になる制度を放置すると、そのようなアンフェアな市場には有能な人材が集まらなくなり、活力が失われるからだ。
しかし、機会均等はあくまでもレースへの参加を保障、もしくは後押しするものであるため、必ずと言っていいほど勝者と敗者が生まれる。そこで生まれた敗者に対しては、社会保障やその他の政策でセーフティネットを設けることが必要になる。一度競争に負けたからといって、奈落の底に落ちたまま這い上がれないような状態を政治が放置するようでは、怖くて誰もレースに参加しなくなってしまう。民主党の政策パッケージには、それを前提としたセーフティネットがそれなりに周到に用意されていると言っていいだろう。
フェアネスの3つの要素をめぐっては、この「機会均等」まではある程度合意形成は容易なはずだ。しかし、フェアネスを徹底するためには、残る2項目の「未来への責任」と「フリーライダー禁止」が欠かせない。そのあたりから、民主党のフェアネスが、われわれ市民に求める覚悟が何であるかが見えてくるはずだ。
*注:これら政策の具体的な中身については、筆者による民主党の政策分析集『民主党が約束する99の政策で日本はどう変わるか?』のほか、『民主党の政策INDEX2009』、『民主党の政権政策Manifesto2009』 を参照されたい。
「未来への責任」では現世代の全員が既得権益者となる
「未来への責任」は、1996年9月に鳩山由紀夫氏らが今の民主党の前身となる旧民主党を立ち上げた際の結党のスローガンだった。
これは私たちが、今この瞬間に地球上に生きている世代に対してだけではなく、未来の世代に対しても責任を負っているという意味で、環境政策や財政政策などで、未来世代に負の遺産を残すべきではないという問題意識が込められている。最近でこそよく耳にする考え方だが、民主党がこれを13年も前から主張しているという事実は、一定の評価に値するだろう。
未来世代への責任を重視する考え方も、根底にはフェアネス、つまり公平感がある。今生きている世代が物質的な豊かさや便利さを享受するために、未来の世代が生きる地球環境や財政をボロボロにしてしまえば、たしかに未来の世代に対してフェアではない。
「未来への責任」政策には、排出権取引や炭素税、再生可能エネルギーの推進と電気固定価格全量買い取り義務化制度、CO2の見える化などを通じた踏み込んだ地球温暖化対策、生物多様性の保全、個別リサイクル法とリターナブル瓶(繰り返し使える瓶)のデポジット制度、予算の組み替えや政治主導の予算編成、大型公共事業の見直し、特別会計の事実上の廃止などを通じた抜本的な財政構造改革、税ベースの持続的な年金制度の導入などが含まれる。
これらはいずれも現役世代には相当の負担や我慢を強いる政策であると同時に、政治が市場に介入することになるため、とりわけ経済界では不評のようだ。それもそのはずで、未来への責任は現世代間の再配分ではないが、時間軸上の公平な分配を行うという意味において、再配分政策の一環に他ならない。
しかし、グローバル化のうねりのなか、国際的にも国内的にも、現世代間ですでに熾烈な資源争奪戦が行われている現実を考えれば、目の前にある資源や財源を未来の人たちのために温存することは容易ではない。また、未来の心配をする前に、今この瞬間も格差が広がり、最低限の生活をすることさえ困難な人たちが国内にも大勢生まれているという現実もある。世界に目をやれば、8億人からの人々が1日1ドル以下での生活を強いられているのが、今日の世界の現実なのだ。
「未来世代への責任を果たそう」と言えば、おそらく多くの人は賛同するだろう。しかし、それが同時に、現世代に大きな痛みを受け入れる覚悟を求める政策であることは、しっかりと認識しておく必要がある。未来への責任政策とは早い話が、現世代のすべての人間を既得権益者の立場に置いた上で、その資産を未来に再配分する政策ということになる。
公平な負担を求めるのもフェアネスの一環
3つ目のフェアネスである「フリーライド(ただ乗り)禁止」はもっと厳しい。
ここに顕れる民主党の厳しい顔は、漫然とマニフェストを読んでいるだけではなかなか見えてこない。だが、その政策を注意深く検証していくと、民主党がフェアネス路線の延長で、社会的な公正感を貫徹するためにかなりの力を注いでいることが浮き彫りになるはずだ。
民主党が政権を獲得したときの日本は、自民党政権のややもすれば牧歌的な寛容さに便乗して「ただ乗り」を続けてきた人にとっては、相当厳しいものになるかもしれない。
実際、自民党政権下の日本は、毎年徴収されている税金の加算税、社会保険料やNHK受信料の未納が膨大な額にのぼることを見てもわかるように、「フリーライド」ついてはかなり寛容だった。よく言えばそれだけ余裕があった。悪く言えば、なあなあでいい加減だったということになろうか。
フリーライド禁止のフェアネスとは、たとえば、高い税金を真面目に納めている人がいるのに、税金逃れをしている人がいるとすれば、それはフェアではないという、至って明快な論理だ。年金や医療保険についても同じことが言える。これを政府側から見れば、徴収すべきものはしっかり徴収するのが政府の責任であり、そのような制度を作ることが、政治の責任ということになる。
たしかに、制度にただ乗りをしているフリーライダーのために、権利を有している人が十分な給付やサービスを受けられなくなるとすれば、こんな不条理なことはない。しかも、フリーライダーの数が一定の率を超えると、制度そのものが破綻する恐れさえある。
民主党はまず、社会保険料の取りっぱぐれを減らすことを目的に、納税者番号と社会保障番号を統合した国民総背番号制とも呼ぶべき新制度の導入を計画している。これは住基ネットと並び、個人のプライバシーが一元的に政府に握られる恐れがあるとの理由から、自民党政権下で何度も浮上しては、野党や世論の反対で見送られてきた制度だ。ところが、民主党はこの導入をあっさりマニフェスト(政権公約)に入れている。社会保険料も税金も、徴収すべき金額を判定する上で、その人の所得の把握が不可欠なため、番号の共通化によってそれを容易にするのが目的だという。
民主党は税の徴収についても、1兆円近くの税金滞納が生じている現状や、毎年個人・法人合わせて1000億円近くも加算税が発生している問題を重く見て、滞納や税金逃れに対する罰則を強化し、重加算税も増額する方針を打ち出している。
もちろん、本来払うべきものをきちんと払っている人は、これらの政策に関して何ら心配する必要はない。そういう人にとっては、むしろ歓迎すべき政策かもしれない。しかし、長年の自民党的ぬるま湯体質に慣れ親しんできた日本人が、この政策転換にうまく適応できるかどうかについては、一抹の不安を感じずにはいられない。
納税者番号制導入のリスク
ところでこの納税者番号や社会保障番号は、税や社会保険料徴収の効率化という意味ではたしかに効果はあるのかもしれない。しかし、その一方で、国民のさまざまな情報が政府に一元的に握られることのリスクについては、市民社会は警戒を怠ってはいけない。仮に自分は民主党を信用しているという人がいたとしても、この制度は民主党政権が変わってからも続くことだけはお忘れなく。
アメリカを含め、社会保障番号制度を導入している国は少なくないが、多くの国では、そのリスクをディスクロージャーの徹底によって回避している。ここで言うディスクロージャーは、政府が握っている個人情報は本人であればいつでも閲覧でき、そこに間違いがあればいつでも修正や削除ができるようになっていることを意味するのであって、個人情報をすべて公開してしまうという意味ではない。税にしても社会保険にしても、個人情報についての何らかの背番号制が導入されるのであれば、自分自身の情報を閲覧し、必要があれば訂正や削除を請求する「自己情報コントロール権」が、それと対になって導入されなければ、市民社会にとってこの制度はリスクが大きすぎる。
また、昨今の「消えた年金騒動」で自分の年金情報は随時確認しておかなければならないことを、市民社会は思い知ったわけだが、それと同様に、われわれは行政が握っている自分自身の個人情報を、随時確認しチェックする習慣を身につける必要があるだろう。民主党がディスクロージャーに力を入れているのは、そのためでもあるのだ。
歳入庁の創設で社会保険料と税の徴収を一元化
さらに民主党は、社会保険料と税の徴収を一体化することの延長として、国税庁と社会保険庁を統合し、歳入庁という新しい役所を創設する計画をぶち上げている。これは鳩山由紀夫代表が、7月27日の発表の際に「実現しなければ責任を取る」とまで大見得を切ったマニフェストにもはっきりと掲載されているので、民主党は本気だ。
歳入庁構想は単に、国税庁と社保庁という、国民からの資金徴収という同一の機能を持った二つの役所を統合する、政府の合理化策ではない。そこにはもう一つ隠された重要な意図がある。それは「マルサ」と恐れられる国税庁が長い年月をかけて蓄積してきた強力な徴税のノウハウを、社会保険料や年金の徴収にも活かそうというものだ。
いまや、保険料が給料から天引きされない自営業者の国民年金や国民健康保険の未納率は、国民年金で3割を超え(納付率が07年度の1号被保険者の納付率が63.9%)、国民健康保険でも1割を超えている(08年度)。それが、かつては世界に誇った日本の国民皆保険、国民皆年金の社会保障制度を根幹から揺るがす一因となっていることは、まぎれもない事実だ。たしかに、未納者、滞納者やフリーライダーのために、社会保障制度が崩壊してしまうのは理不尽だし、それを放置することは、そもそもきちんと納めている大多数の人に対してフェアではない。
また、フリーライダーが大勢いるに違いないと国民の多くが感じているような、制度に対する信頼が揺らいだ状態のままでは、さらに未納者やフリーライダーが増えるという悪循環が起きる。制度に対する信頼を回復させるためには、まずは厳格な徴収体制を構築し、公正感を取り戻すことが不可欠だ。
たしかに、社会保険料の徴収に関する未納者への姿勢は、地獄の果てまで追いかけていく税務署のようなしつこさが欠けていたのも事実かもしれない。それが未納率の高さにつながっているとすれば、税務署のノウハウを社会保険料の徴収に活かすのも悪くはなかろう。
だが、未納率の高さを、フリーライドの横行のみが原因だと受け止めると、大きく状況を見誤ることになる。もちろん未納者のなかには単なる便乗組も実際にはいるのだろうが、それよりも遙かに深刻なのは、年金という社会保険制度に対する国民の信頼が根底から崩れていることだ。信頼できない制度に、カネだけ払えと言われても、「はいそうですか」と言うわけにはいかない。信頼を回復せずして、歳入庁なるものを新設し、マルサよろしく徴収の強化のみを図れば、国民のさらなる反発を招くことは必至である。まずは制度への信頼を取り戻すことが、何よりも先決だ。
また、年金や社会保険料の未納率上昇の背景には、経済低迷や格差拡大が原因で、払いたくても経済的な理由から払えない人が大勢いることも、明らかになってきている。これを単なるフリーライダー問題ととらえ、強面で対応すれば解決するなどと考えていると、とんでもない過ちを犯すことになりかねない。実際、2008年4月から、国民年金と国民健康保険をリンクさせることで、各自治体は年金保険料の未納者には健康保険証を交付しないことが認められている。民主党の歳入庁構想は気をつけておかないと、税金の滞納者にも健康保険を使わせないなどの方向にエスカレートしていく可能性もある。健康保険が使えないということは、「病気になったら死ね」と言うに等しい。
民主主義国家としての、あるいは自由主義経済の国としての日本に、フェアネスという概念が欠けていたり、近年それがとみに弱まってきている面があるとすれば、民主党政権下でそれが再構築されることは歓迎すべきことだ。その意味はけっして小さくはない。筆者自身も、日本にはアンフェアなことや不条理なことがあまりにも多く、市民の多くはやや諦めムードに陥っている面があるように感じている。それは昨今の日本の元気のなさとも無関係ではないはずだ。
しかし、それと同時に民主党のフェアネス政策が、けっして単なるきれいごとでは済まされないことも、われわれ市民はあらかじめしっかりと肝に銘じておく必要がある。
プロフィール
神保 哲生(じんぼう・てつお)
ビデオジャーナリスト/ビデオニュース・ドットコム代表。1961年東京生まれ。15歳で渡米、コロンビア大学ジャーナリズム大学院修士課程修了。AP通信記者を経て93年に独立。テレビ朝日『ニュースステーション』などに所属した後、99年11月、日本初のニュース専門インターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』を設立。著書に『民主党が約束する99の政策で日本はどう変わるか?』、『ビデオジャーナリズム―カメラを持って世界に飛び出そう』、『ツバル−温暖化に沈む国』、『地雷リポート』など。専門は地球環境、開発経済、メディア倫理。
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投稿者 クマのプーさん 日時 2009 年 7 月 25 日
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