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自民党の長期政権、ついに幕引きか
経済危機が背景
21日、衆議院が解散した。来月30日に新しい議員を選出する総選挙が実施される。だが、今回の「解散・総選挙」が持つ意味は、これまでとは大きく違う。与党・自民党は1955年11月に結党されて以来、常に「衆議院の解散・総選挙」というカードを切り、長期政権を維持してきたが、解散直前の支持率が野党に逆転された状態で総選挙を戦ったことは一度もなかった。しかし今回、自民党の支持率は最大野党・民主党の半分程度にすぎない。今や、自民党の長期政権が終えんを迎えることを、多くの日本人が予想していると思える状況が訪れている。
自民党は第2次大戦後の日本を象徴する政党だ。55年2月の総選挙で、革新勢力が台頭したことに危機感を感じた保守派の二つの政党が、同年11月に合併して誕生。その後、自民党を中心とした保守派が衆参両議院の議席の約3分の2、社会党(現・社会民主党)を中心とした革新勢力が3分の1を占める政治構図が続いた。これを「55年体制」と呼ぶ。
自民党は韓国戦争(朝鮮戦争)による特需で復興の足がかりを築いた日本経済を、世界のトップクラスまで押し上げる役割を果たした。51年に日米安全保障条約を締結し、安全保障を米国に一任した日本は、防衛費の支出を国内総生産(GDP)の1%未満に抑え、節約した予算を基に経済成長を促進した。特に61年、池田勇人首相の下で策定された「所得倍増計画」は、自民党の長期政権の土台となり、その後の高度経済成長を支える大きな役割を果たした。
この時期、自民党は官僚集団と共に経済成長に関する政策を主導し、所得の再分配にもある程度成功した。資本主義国の日本が「世界で唯一成功した社会主義国」と呼ばれるようになったのも、この時代のことだ。
そんな自民党が初めて危機を迎えたのは、冷戦の終結とほぼ同時にバブル経済が崩壊した90年代初めだった。不動産や株式を中心とした資産価値が急落し、92年から3年間はゼロ成長が続いた。このとき以来、日本は「失われた10年」と呼ばれる長期不況に陥った。経済危機はただちに、自民党のリーダーシップの危機へと直結した。93年の総選挙では第1党の座を守ったものの、野党連合に政権を明け渡すことになった。それから1年足らずで再び、連立政権という形で政権に返り咲いたものの、「自民党政権が崩壊することもあり得る」ということを初めて世に知らしめた。
その後も危機は続いた。ほかの政党と連立を組まず、単独で政権を握ることは不可能になった。2001年、森喜朗内閣の支持率は歴代最低の8%まで落ち込んだ。05年には小泉純一郎首相の下、郵政民営化を争点にした総選挙で劇的な大勝利を収めたものの、その後は安倍晋三、福田康夫、麻生太郎の3人の首相が1年以上持ちこたえることができず、現在に至っている。
現在の危機の背景にはやはり、経済的・社会的な不安感がある。小泉政権の下、経済活力の回復を目的として進められた「新自由主義」的な改革は、当時は時代のすう勢として受け入れられたものの、格差社会を生む結果につながり、自民党にとっては「ブーメラン」になった。また当時、雇用に関する規制が緩和されたことにより、非正規雇用者(パートタイマー、派遣社員、契約社員など)が急激に増え、現在では労働者全体の30%を占めている。しかし一方で、いくら働いても貧困から抜け出せない「ワーキングプア」の問題も深刻だ。高度経済成長期に経済活動の中心だった高齢者には財力がある一方、若者たちは非正規雇用に依存するしかないという経済構造が続くことで、社会的な統合力も弱まりつつある。
文部科学省傘下の統計数理研究所が今月16日に発表した国民意識調査によると、「この1カ月間、生活に対する不安感を感じたことがあるか」という質問に対し、20代の63%、30代の62%が「不安を感じる」と答えた一方、50代以上で同様の回答をした人は36−42%にとどまった。不安を感じる若年層の比率が60%を超えたのは、1953年の調査開始以来初めてのことだ。若年層の自民党に対する反感や、日本の社会全体に広がる「一度変えてみよう」という空気が、自民党を追い詰めているのが現状だ。
東京=辛貞録(シン・ジョンロク)特派員
http://www.chosunonline.com/news/20090722000044
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