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政治の“いろは”:政権交代15年説【毎日JP】
http://mainichi.jp/select/seiji/matsuda/news/20090721org00m010022000c.html
「政権交代」を懸けた総選挙は、8月30日に投開票される。
自民党が敗北を想定しながらも、突入せざるを得ない初の総選挙といえる。
政権を取り巻く霞が関の官僚群も、経済対策で政府と歩調を取ってきた経済界も、選挙結果による新政権づくりに不安を募らせている。
中曽根康弘元首相は「野党政権になった場合、日本の政治、経済、社会に大いに変化が起きよう。
政党や政治家は今から大変化への処し方、構えを備えた認識力を持たなきゃいかんでしょう」と警告を発する。
その一方で、「政権交代の変動は戦前の政友会と民政党の時代からあったが、交代で持っているものが失われる側が大げさな表現で心配そうに言う」と戦前の政党政治時代を述懐する。
自民党など与党グループは、4月末の名古屋市長選を皮切りに7月の東京都議選まで、地方選挙での敗北が続いた。
特に都議選の敗北は衝撃的だった。
4年前の郵政総選挙は東京都内の小選挙区(25)で、自民党は23勝1敗と圧勝した。
残りの1議席も公明党が勝利し、与党サイドの完勝に終わった。
だが、都議選の結果を衆院小選挙区に当てはめると、25選挙区すべてで民主党より劣っている。
公明党票を加えても、民主党の15勝10敗だ。
4年前に惨敗した都市部でも民主党の復調が著しいことを裏書きしている。
赤松広隆選対委員長は小生が出ているBS11のトーク番組「インサイドアウト」に7月中旬に出演し「遠慮気味に見ても249」と、単独過半数は確保したと自信を見せていた。
5月中旬の226から20以上も上積みされている。
保守合同による、自民党政権は、半世紀以上も持続した。
その間、93年に1度下野したものの、当時の非自民政権は8党会派の連立政権で、その弱みを自民党に突かれ、早々に崩壊した。
だが、今回は2大政党制が進み、代わるべき新政権の柱となる民主党の政権担当能力も高まっている。
食い違いが見られる安保政策、財源論などを巧みに克服したならば、無難な船出が切れよう。
来年夏の参院選に向け、後期高齢者医療制度の改変、高速道路無料化を含む公共事業の見直し、補助金対策を柱とする農業政策など、自民党政権とは異なる政策をいち早くスタートさせられるかも、民主党政権の課題だろう。
一方、長期政権下で自民党の最大の売りは「政権の座」だった。
野党に転じたならば、その効力を失う。
新たな売りを今回、打ち出すことが肝心だ。
「政権交代」か「政権担当能力」か。
総選挙結果で決まる。
発足以来、麻生政権の最大課題は解散・総選挙に勝利することだった。
そのため昨年の10月から最適な時期を麻生太郎首相も模索していたはずだ。
事実発足直後の「月刊文芸春秋」11月号に寄せた麻生の「強い日本を!私の国家再建計画」では、こう明記されている。
「私は決断した。(略)最低限必要な経済対策も、国際協調上当然のテロ撲滅の施策にすら、民主党初め野党は、聞く耳を持たぬ、ただ政局優先の姿勢なのである。
国会の冒頭、堂々と私がわが自民党の政策を小沢(一郎・民主党=当時)代表にぶつけ、その賛否を質した上で国民の信を問おうと思う」
4年前の郵政選挙で見られたように、自民党内の抗争は必ずしも国民世論にマイナスに映るだけではなかった。
古賀誠選対委員長が宮崎県の東国原英夫知事に国政への転身を勧誘した本音も、マスコミジャックで自民党への関心が高められた4年前の再来が狙いだった。
郵政解散では郵政民営化に反対した自民党現職候補を非公認にし、「刺客」と呼ばれた新人を送り込み、民主党との対立よりも自民党内の対決に関心が集まった。
だが、東国原が「総裁候補にすること」などの条件を示し、高飛車に出ながらも、古賀がそのまま明確な返答を示さず引き下がったことからすべての歯車が狂い始めた。
自民党内だけでなく国民からも反発を買った。
「東国原人気」だけを目当てにした工作で、国政への転身の必然性は東国原からも自民党執行部からも何も説明されていない。
芸能人時代の師匠、ビートたけしまでもが「とにかく謝れ」と東国原に助言したという。当然だろう。
大状況からみれば、自民党は短期政権の連続で、政策でも人事でもオウンゴールを重ねた。
その上に、民主党の成長で政権担当能力が自民党だけの専売特許ではなくなったとの自覚に欠けた。
しかも、人材も枯渇し、民主党をはなから圧倒するような存在感のある指導者の出現は期待薄な状況が続いている。
2大政党制を定着させるには、政権交代が前提条件だ。
米国のキッシンジャー元国務長官は、「日本は衝撃的な外圧を受けてから、国内でリアクションを起こすまで15年かかる」と指摘している。
ペリー率いる黒船来航による開国(1854年)から、15年後に明治維新が起きている。
高度経済成長の礎になった所得倍増計画を旗印に池田勇人内閣が発足したのは1960年。終戦の年から15年後だった。
そして今年政権交代が起きたら、その15年前を思い返してみよう。
94年は衆院への小選挙区制の導入と政党助成金支給を柱とする政治改革関連4法が成立した年だ。
前年に、55年体制発足後初の非自民連立政権が誕生したからだ
間もなくして自民党は与党の座を奪還したが、政権交代は遅かれ早かれ訪れる歴史的必然だった。
異例の長期政権だったインドでもメキシコでも政権交代が行われた。
途中経過では問題点が多すぎるが、「政権交代可能な2大政党制」の発火点は、明治維新や高度成長とは異なり、外圧ではなく純粋な国内政治状況に起因している。
外圧でないことは、大いに自負してしかるべきだ。(敬称略)
2009年7月21日
松田 喬和(まつだ・たかかず)
1945年群馬県生まれ。69年早大文学部卒、毎日新聞入社。福島支局、社会部の後、74年から政治部。サンデー毎日、メディア企画本部、政治部デスク、横浜支局長などを経て、99年10月から論説委員、専門編集員。著書に「中曽根内閣史」(共著・中央公論社)「日本政党史」(共著・第一法規)。月刊「潮」に、政治コラム「永田町鳥瞰虫観」を連載中。BS11「インサイドアウト」(月、木曜日午後10時から)のコメンテーター、BS11「本格政策対談 堂々たる日本」(日曜日午後10時)の司会者。
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