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13日都庁は異様な雰囲気に包まれた。記憶が正しければ複数のスポーツ紙を除いて朝日のみ記載を見たが、 報道陣を前に慎太郎が怒りを込め吠えた看過できない一言、今回の都議選について「.....2週間程前から選挙を始めた候補者が自民党のエース候補を破る異常な状況と........」
異常な状況がなぜ起きたのか?慎太郎氏には理解できないのは理明の理。
1975年美濃部亮吉(71才)都知事3選に立候補、慎太郎氏42才で都知事選に初チャレンジ、この時早くも看過できない一言、脳が軟化した70才すぎの老人に都政は任せられないと。この時はいかに人気絶頂な慎太郎氏も落選の憂き目に。
そして1999年、青島都知事が不出馬を表明、この時立候補したのは2月17日出馬表明柿沢弘治元外相、2月19日明石康元国連事務次長、その他に元労連議長三上満、舛添要一、鳩山邦夫、他
文壇に居場所が無くなり、総理の目もなく都知事に活路を探っていた慎太郎氏は見事な後だしジャンケンを見せ候補者が出揃ったのを見計らい公示日3月25日、4月11日投開票の公示日ぎりぎりの3月10日、あと出しで出馬表明見事当選、この時の2週間前と慎太郎の怒り、今回吠えた2週間前とどれほど違うのか?
慎太郎氏の本心に都政よりも大事なものがチラチラ見える、自身の野望総理の椅子がもはや叶わぬと知り、異常な息子愛?に総理の座を夢見ているが今回の大敗でその目に霧がかかった事の怒りではないのか。
「解剖.石原慎太郎」島田昭浩著のプロローグに次のような記述がある、2002年5月、慎太郎「もう一回4年やったら、オレは東京でうまくやって見せる。ただ誤解しないでほしいが、本当は二年総理をやってまた東京に戻って来たい。そうすれば事はすむだろう」 あれから4年は大きく越えた、今年は2009年だ都庁での苛立ちは東京銀行他糾弾される失政は多いが、本心は息子の都連会長辞任表明そして息子の総理への道に雲がかかったためではないのか、都政投げ出しに注意が必要だ。
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