★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK67 > 137.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
東京都民、いや国民の怒りの奔流であろうか。
民主党に歴史的大勝利をもたらした東京都議選の結果は、この国の変革を求める凄まじいエネルギーを感じさせた。
古い自民党と、霞ヶ関の支配構造をぶっ壊して、新しい国づくりを進めてくれる。2005年の総選挙で、国民はそう信じて、小泉自民党を支持した。
ところが、引き際の美学にとらわれたナルシスト宰相が去ったあと、小泉ポピュリズムの呪縛が解けないまま、自らの哲学なき三人の首相に政権がたらいまわしされた。
その間に、古い自民党が復活し、霞ヶ関は改革を骨抜きにして、ますます自分勝手にふるまった。
2005年に国民が期待したことを、完全に裏切ったのだから、自民党政権に「ノー」を突きつける流れは当然のことと受けとめなければならない。
エッセイスト、桐島洋子さんは昨夜のテレビで「バカ殿と一緒に討ち死にする覚悟がなければ未来はない」と、いつもながら辛辣だったが、筆者もたびたび指摘したように、いまの自民党には凛とした潔さがないから、国民に侮られる。
都議選の惨敗を受け、不安にいたたまれずメダカが群れはじめたが、深刻な相談の中身とは、麻生降ろしの方法と、誰の顔に付け替えれば選挙に勝てるかという、ただそれだけのこと。
思考停止状態での思考に、どんな実りがもたらされるだろうか。
東国原は論外のこととして、たとえば、舛添要一を総裁として戦えば勝てるかどうか、将来ある優秀な自民党の若手議員諸君は、ただ一人で静かに考えてほしい。大勢で共同幻想をつくりあげてはならない。
「日本全体は舛添要一が一生懸命引っ張る」と、静岡県知事選の応援で声を張り上げたとき、舛添要一という人物の本質を垣間見た人は多かったに違いない。
これなら、常套句でも「微力ながら日本に尽くす」と言うほうが、美しい。「おはん、頼む」と、無私に徹して人の力を引き出した西郷隆盛の生きざまは、もっと美しい。
2007年8月、厚労相に就任したとき、舛添は社保庁問題に関して「盗人には牢屋に入ってもらう」と息巻いたが、すぐに厚労省官僚の代弁者になった。彼一人に何を期待できるだろうか。
「日本全体は舛添要一が一生懸命引っ張る」と、あたかも、すでに首相になったかのごとき発言をする軽薄さと、「自分が出馬したら自民党は負けません」とうそぶいた知事の傲慢さは、五十歩百歩というほかない。
昨日のブログで、「麻生首相は自らの手で早く解散せよ」と書いた。この期に及んで、解散をさらに先に延ばし、あたふたと総裁選びをするなどというのは、国民の不信を募らせ、侮蔑を誘う効果しかないだろう。
今日の産経にポスト麻生候補として、舛添のほか、鳩山邦夫、与謝野馨、中川秀直、谷垣禎一、山崎拓、伊吹文明、小池百合子らの名があがっている。
このなかに、国民の怒りの奔流をしっかり受けとめ、自民党を破壊してつくり変えるだけの力量がある人物がいるだろうか。
自己反省が少しもなく、他党のあら捜しばかりに憂き身をやつす昨今の自民党に、もう一度政権を任せろといわれても、どだい難しい。
かつて、伊東正義という政治家がいた。官房長官をつとめた大物政治家でありながら清貧の生活を送ったことで知られる。
1989年、リクルート事件で竹下登首相が退陣したあと、後継総裁に推されたが、そのときにそれを固辞した伊藤の言葉は、伝説のように語り継がれている。
「本の表紙を変えても、中身を変えなければだめだ」
この気骨が、いまの自民党に最も欠けているものだ。
小手先の戦術を捨て、難局を難局と受けとめて、そのなかでしっかり人事を尽くし、天命を待つ。その覚悟が、自民党に求められている。
▲このページのTOPへ HOME > 政治・選挙・NHK67掲示板
フォローアップ: