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第64回・65回コンプライアンス研究センター定例記者レクでの発言概要
〔6月19日〕
◎西松建設事件第一回公判について
◎郵便不正事件での厚生労働省局長逮捕について
◎「法務大臣の指揮権」をめぐる問題について
〔6月25日〕
◎オリエント貿易の関連団体から与謝野経済産業大臣側への違法献金疑惑について
◎西松建設公判での検察側「立証」と小沢氏秘書公判での立証との関係
【6月19日・25日記者レク概要】
http://www.cc.toin.ac.jp/crc/news/090619reku.pdf
第64回・65回定例記者レク概要
名城大学コンプライアンス研究センター 郷原信郎
6月19日に西松建設前社長の国沢幹雄被告と元副社長の藤巻恵治被告の第1回公判が開かれて、即日結審しましたが、手続的なことや審理の内容に関していろいろな問題が指摘できます。
まず非常に重大な問題だと思われるのが、この公判は一体何のための公判なのかということです。西松建設側の国沢被告と藤巻被告のための公判なのに、どうも他の目的でこの公判の審理、検察側の立証が行われたような気がしてならないのです。冒頭陳述は全体のうち外為法に関係することは2ページぐらいですが、図も入れると9ページ以上が政治資金規正法違反に関係することです。そもそも本件の逮捕事実は、外国為替・外国貿易法違反の7千万円の現金の無許可持ち込みです。この事実と、500万円の他人名義の寄付、政治資金規正法違反とではどちらが重いかというと、外為法の方だというのが普通の見方ではないでしょうか。ところが、政治資金規正法違反についての方が圧倒的に詳しく書かれていいます。ここに書かれていることが本当に国沢被告の刑事責任の程度を明らかにするための事実なのかと思うほど詳しい内容です。
求刑は藤巻被告が懲役6月、国沢被告が禁固1年6月でした。外為法違反は懲役6月程度なのですが、国沢被告への求刑を考えると、外為法よりも政治資金規正法違反の方が重いと考えているようです。国沢被告が禁固刑で、禁固の方が重いからこちらに合わせたのだと思います。検察がそのように考えたのであれば、それはそれで1つの考え方かもしれません。しかし、先日検察審査会で「起訴相当」の議決が出された、二階派の政治資金パーティ券を他人名義で購入した事実について、東京地検は国沢被告を起訴猶予ということで不起訴にしたのです。もし、もう一回「起訴相当」の議決が出されれば、起訴せざるを得なくなります。
それ以外にも、第三者委員会の報告書でも指摘していますが、西松の関連団体から自民党議員側への寄付で、明らかになっているが時効にかかっていないものは合計で300万円あります。西松建設の国沢被告の犯罪事実は、小沢氏側へは500万です。一方、自民党議員側へは二階氏側のところのパーティ券購入で約340万円。そしてさらに300万円の寄付があります。合わせると340万円、どちらが重いかは明らかです。これらの自民党議員側への寄附やパーティー券購入を起訴猶予にできるわけがないはずです。
起訴猶予にできる理屈があるとすれば、政治資金規正法違反より外為法違反の方が圧倒的に重いということぐらいですが、その理屈を持ち出すのであれば、今日の冒頭陳述のボリュームの割合もおかしいし、禁錮1年6月とした求刑もおかしいということになります。どちらかが説明不能になる、論理破綻に陥ってしまうのではないかと思われます。今回の公判の検察側の立証、求刑にはこの点に大きな問題があると言わざるを得ません。
そして、このような事実上共犯関係にあって、起訴事実を認めている一方の当事者の公判で、何も反論を受けないことを良いことに、検察側冒頭陳述で言いたい放題いろいろなことを言って、それがそのまま報道されたわけです。起訴事実について争っている被告人は完全に蚊帳の外に置かれます。世の中にはそういうイメージができてしまいます。このようなやり方が裁判員制度の下で許されることになると、世の中はみんなそれで有罪だと思ってしまうのですから、共犯事件は一人が認めたらもう争ってもだめだということになります。これは重大な問題だと思います。
仮に検察がそういう立証を行ったとしても、それを伝えるかどうかを判断するのはマスメディアの側です。他の公判に与える影響や政治的影響を考えると、一方の当事者の話だけを前提にして、もう一方の当事者に弁解や反論の機会を与えないで行われる審理をそのまま世の中に詳細に伝えるというのは重大な問題だと思います。
次に、冒頭陳述の内容についての問題ですが、そもそも手続的に大変問題があると思われるので、内容に詳しくふれても仕方がないのですが、少なくとも、先日、政治資金問題第三者委員会で指摘した検察の捜査・起訴に対する重大な疑念を晴らすものにはなっていません。
今回の事件の事実関係は、西松建設の内部調査報告書に書いてあるとおりだろうと思われます。ただ、それが主観的に脚色されて、架空だとか、何々名義でこういうふうにしたなどと表現されています。
そうであれば、西松建設の内部調査報告書に基づいて、我々が指摘したことは、今回の冒頭陳述の事実に関しても全て当てはまるはずです。例えば、会員の集め方については、西松建設の報告書には、担当の役員が全国の支店に勧誘して回ったと書いてあります。このようなことで嘘を書いても仕方がないので、一人一人勧誘して会員となる旨の了解を得ていったことは間違いないのだろうと思いますが、冒頭陳述では表現がだいぶ違っています。「参事以上の資格を有する幹部社員で堅く信用できる者を選んで、新政研・未来研の名目上の会員として、本人及びその家族の名前を借りることを了承させた上」と、一方的に会社の方が口の堅い者を選んで無理やり了承させたように書いてありますが、生の事実としては、西松建設の内部調査報告書に書いてあるとおりのはずで、冒頭陳述は、それを検察が都合の良いように表現したということではないでしょうか。
これは全く意味不明なのですが、「賞与への上乗せ額は会費相当額と、これに対する税額の合計額であり、賞与の形態を使って、一旦社員に交付した手取額相当額の会費名目で西松建設に戻させることによる裏金にして」とあります。内部調査報告書では「会費」ということになっているのですが、冒頭陳述では、会費の支払いが「裏金」と表現されています。政治団体として届け出が行われ、収支報告書も提出されている団体への会費支払を「裏金」と呼ぶのは、検察は、最初からこの団体がダミーで実体がない、ということを前提にしているからです。西松建設の社員がどのように会費を負担していたのかが、団体が実体があるかどうかの判断の根拠になるはずなのに、最初から、「実体がない」ことを前提としているから、社員が「会費」を負担したのではなく、社員が出した金を「裏金」にした、ということになるのです。一種の「循環論法」です。
しかも、「会費名目で支払わせる金額については社員の資格において一律にして」とありますが、これは会費ですから同じなのは当たり前です。その会費に応じて税額相当額を加算して、賞与への上乗せ額がいくらと書いてあります。例えば、理事については24万円の会費で上乗せ額が42万円、参事1級は18万円の会費で上乗せ額が32万円、参事だと12万円の会費で上乗せ額が21万円となっています。しかし、これが実際の税率と合うでしょうか。全然合わないと思います。例えば参事では12万円の会費で、賞与の上乗せ額が21万円ですが、このレベルの人は40何%も税金を払わされるのでしょうか。
それから、なぜこの団体を設立したのかという目的に関連することですが、故橋本龍太郎氏が代表を務めていた「新政治問題研究会」という同名の団体が存在していました。これが非常に大きな意味をもっていると考えられると我々は指摘しました。その点について冒頭陳述では、「既存の政治団体名を参考にして考案した」と書いてありますが、なぜ既存の団体名を参考にしないといけないのかわかりません。別に同じ名称にしないで少し変えてもいいし、適当に考えてもいいはずなので、全く同じ団体名称であったことには、報告書で指摘したように、自民党議員への寄附に迷彩を施すという特別な意味があったと思われます。それについては冒頭陳述では何も書いていません。
それから、西松関連の政治団体をつくって、こういうやり方で政治献金を行っていたことが非常に悪質だというのであれば、やはりその全体像を明らかにしなければならないと思います。一体どういうところにこの政治団体からの寄付が行われていたのかという全体像を明らかにしようとしないで、小沢氏の政治団体、資金管理団体への寄付に関連するところだけが殊更に強調されています。そして、ここだけに談合の対価的な目的があるように書いてありますが、小沢氏側への寄付の金額の割合は、全体からすると、旧新進党や自由党の政治資金団体であった「改革国民会議」を含めても20%ぐらいにしかなりません。そういう割合については全く触れられていません。
そして、なんといっても問題はなのは、ニュースや新聞記事でいろいろと出ていますが、検察が使った「天の声」という表現です。今回の公判でこれが何を意味しているのかがわかりません。
先日、『日経ビジネスオンライン』に「『天の声』とは、いったい何を意味するのか」というタイトルの論考を書いて、業界用語としてこれまで談合に関して「天の声」と言われてきたものは何だったのか、どういう背景で「天の声」という言葉が出てきたのかということを説明しました。従来使われてきた「天の声」の意味からすると、今回の検察側冒頭陳述で使われた「天の声」という言葉の意味は不可解です。なぜ「天の声」という言葉がほとんど説明もなく使われているのでしょうか。
「天の声」という言葉が談合問題に関して初めて使われたのは、ゼネコン汚職事件の仙
台市長ルート、1億円の賄賂が石井仙台市長に贈られたとされる事件の頃です。私は財政班の検事として応援に行き、どういう便宜供与を伴う賄賂であるのかを捜査しました。最初は表の発注手続の過程で指名選定や規格に関して便宜供与があったのではないかという想定で捜査が行われました。しかしそうではなく、この市長が大型工事について全て意向を示して、その通りに受注者が決まっていく談合構造が背景にあることが解明されたのです。「天の声」という言葉は、「発注者のトップである自治体の首長の意向」を意味しました。
当時は「天の声」談合が非常にがっちりと行われていました。仙台市では工事の規模に応じて何億円以上は市長、その下は助役、その下は局長というふうに非常にはっきりと担当も分かれていて、全て「天の声」で決まっていたということが当時の検察側冒頭陳述などで明らかにされているはずです。そのような形の「天の声」型談合がなぜ行われるようになったかというと、それ以前の歴史的な経緯があります。
元々談合が当たり前のように行われていて、業界内の民主的な話し合いで受注者を決めてきた時代がありました。建設業協会の会議室でみんなで話し合って、1社に絞り込んでいました。しかし、日米構造協議でのアメリカからの要求により独占禁止法の運用が強化されて、談合に対する風当たりが非常に強くなりました。公取が摘発を強化して、刑事罰まで談合に適用されるようになり、そのような業界内での研究会方式、懇親会方式の談合は急速になくなっていきました。
ところが、談合をしないでもよくなったかというとそうではなく、受注者を話し合いで決める構造はそのまま残っていました。ですから、表に出ない形で、隠れて受注予定者を決めざるを得なくなりました。みんなで集まらないで、個別に情報交換しあって1社に絞り込もうとしますが、みんな工事が欲しいので、なかなかうまくいきません。そこで出てきたのが「天の声」型談合です。発注者側の首長に「天の声」を出してもらうと簡単に決まるということで、全国の談合が首長の意向を聞き出すという形態に変わっていきました。
しかし、ゼネコン汚職事件で「天の声」型談合が摘発されたことで、ここでまた大きく談合の形態が変わりました。いまだに「天の声」型を基本的に維持しているところもありますが、その場合でもやり方がかなり巧妙になっています。「天の声」を出す人間、つまり首長が直接出すのではなく、とんでもないところに声を出すキーマンがいます。私が地方で扱ったある政令指定都市の談合構造、これは実際に事件にはしませんでしたが、この事例では、その隣の隣の県の某会社の社長が意向を出していました。その人と首長との間にどういう接点があったのかは全くわかりませんが、その人のところにこの市の発注工事についての情報が集まり、お金も行っていました。よくわからないけど、おそらく裏でつながっていたのです。
市レベルではこういう形での「天の声」型談合が続いているところはあるし、中にはいろいろな有力者の意向や声が入り交じる形で調整されていくケースもあります。我々はこれを「あいさつの構図」と呼びました。県レベルではいろいろな有力者がいて、彼らの意
向を踏まえて、どこが一番受注者にふさわしいかというコンセンサスを形成していく形の談合が多いと思います。これがゼネコン汚職事件以降の、より複雑化した談合システムです。私は仙台ルートの捜査以降、東北地方のことには全くかかわっていないのでわかりませんが、恐らく後者の方でしょう。いろいろな有力者の意向が複雑に交錯する中で受注予定者が決まっていく構図ではないかと思います。その中の有力者の1人が、おそらく小沢事務所だったのではないかと推測しています。
なぜ小沢事務所にそのような意向を尊重してもらえる力があったのか、実際のところはわかりません。ただ推測できることは、やはり小沢事務所というのは非常にたくさんの秘書を抱えていて、秘書が地元に密着した活動をしている。そうすると、下請け業者を紹介するとか、建設資材会社をどこかから引っ張ってくることに関して、いろいろ紹介や斡旋をすることはあっただろうと思います。それから、工事では必ずいろいろな所に文句を言う人が出てきますが、彼らとの間で話をまとめたり収めたりすることも工事を円滑に進める上で不可欠です。そのように、工事を施工する段階で地域に対して諸々の影響力をもっている人の意向は無視できません。
そういうところにそれなりの政治献金をしないと具合が悪いのではないかと誰かが言いだすと、ゼネコンにはお金はありますから持っていくわけです。あそこが持っていっているのなら、うちもやっておこうということになる。西松建設以外のゼネコンがどのくらいの政治献金を行っていたかはわかりませんが、そういう形で毎年同額ぐらいの政治献金が行われていたということは十分考えられます。
今回の公判では、「天の声」という言葉が出てくる実態がどのようなものだったのかがよくわかりません。こういう欠席裁判のような形の西松建設側公判で公判立証が行われたのは、非常に大きな問題だと思います。この問題は、今年の秋頃に大久保秘書の公判が始まったときに一層顕在化してくるでしょう。今回と同じような内容の冒頭陳述を大久保秘書の公判で行うことを予定していると思いますが、本当にそれが可能なのかということです。大久保秘書の公判でこのような内容で行うと、実体とかなり違っていると思われますから、大久保秘書の弁護人側は、調書の大部分を不同意にすると思われます。しかし、今回の冒頭陳述の内容のかなりの部分は、起訴事実と直接的な関係はありません。裁判所がこのような事実の立証のための証人尋問を認めるでしょうか。
90年代まで遡って、この工事について「天の声」が出ていたとか出ていないとかあやふやな話を調書で立証しようとしてもそれが不同意になり、証人尋問をしようとしてもおそらく裁判所が認めないのではないでしょうか。今回の冒頭陳述の大部分は、大久保公判ではそもそも立証の対象外になってしまう可能性があります。今回の公判では、秋に始まるであろう大久保公判を先取りしただけではなく、大久保公判でできないことを欠席裁判で行ってしまったという気がします。
次に、第三者委員会の報告書で触れたところ、新聞などで大変なご批判をいただいた、法務大臣の指揮権発動問題についてですが、先日、『日経ビジネスオンライン』に「『法務
大臣の指揮権』を巡る思考停止からの脱却を」という記事を書きました。報告書の趣旨を改めて説明するとともに、法務大臣の指揮権問題について世の中に大変な誤解があることを指摘したかったのです。
改めて思うのは、これは検察の正義をどう考えるかということに直結する問題であるということです。たしかに検察は正義でなければならないと思うし、正義を守り抜いてもらいたいと思います。しかし、やはり権力をもった機関の正義については、単に信じているというのではダメです。民主主義国家、近代国家において権力に対する抑制システムというものを考えるのは当たり前のことではないでしょうか。
ところが、なぜか日本の検察の問題に関しては、造船疑獄事件に対する犬養法務大臣の指揮権発動が、検察の正義の行く手を阻んだ政治的圧力で許すべからざることのように世の中に受け取られたことから、この部分が封印されてしまいました。そこには重大な誤謬があります。
「法務大臣の指揮権」を定める検察庁法14条但し書というのは、特別なものではなく、具体的な事件に関する法務省と検察庁との関係を定めているものです。日頃から検察庁は重大事件について法務省に受理報告や処分報告を行います。なぜこれを行うかというと、法務省のトップである法務大臣が検事総長に対する指揮の権限をもっているからです。法務省の側から検察庁に対して、具体的な事件についての助言や指導が行われることもあります。ですから、この検察庁法の規定は死文化してるものでも、隅っこの方に置いておかなくてはいけないものでもないのです。
それなのに、なぜ法務大臣の指揮権が特別なものとして扱われたかというと、造船疑獄事件の際の犬養法務大臣の指揮権が、検察の正義に対する不当な政治的介入のように受け止められたからなのですが、それは歴史上の事実としては実は大変な誤解があります。
造船疑獄の際、検察の捜査は完全に行き詰まっていました。そこから先にはとても前に進めない状態になっているが、なんとかして収拾を図らなければならない。しかし、そのことを表に出すと、検察の威信は地に落ちてしまう。
そこで、一計を案じたのが馬場東京地検検事正ではないかと言われてるのですが、その辺りが中心となって吉田首相側に指揮権発動を働きかけて、首相から犬養法務大臣に指揮権を発動するように法務大臣に指示を出してもらった。検察は、捜査の方がとんでもなかったのではなく、捜査はまともに行われていて自由党の佐藤栄作幹事長にまで及ぶだったのに指揮権発動によってその道を塞がれたとように報道されました。検察の方は、それによって国民からシンパシーを受けて、そういう政治的介入を受けることが二度とないようにして、どんどん正義を実現していってもらいたいと応援されることにつながり、逆に政治家に対しては、二度とこのような汚い手は使うな、二度と法務大臣の指揮権など使わせてはならない、この部分は封印しなければならないということになり、議論すらできなくなってしまいました。
このような造船疑獄の史実は司法関係者の間ではほぼ定説になりつつありますし、元共
同通信記者の渡邉文幸氏が4年前に『指揮権発動』という本を出しましたが、この中でも当時の刑事局長の証言に基づいて、このような経過について詳細に述べていますその後、朝日新聞の村山治編集委員が2006年6月14日付『朝日新聞夕刊』「ニッポン人脈記 秋霜烈日のバッジ」の中で、改めて当時の東京地検特捜副部長の神谷尚男氏や、特捜部の検事だった栗本六郎氏などに話を聞いたところ、やはり同じような話だったと書いています。
こういう形で私の方から反論したのは、単に報告書に対する批判が少し的外れではないかということを言いたかったこともあるのですが、それ以上に今回の西松建設、小沢前代表秘書の事件は、まさに民主主義において政治資金規正法を巡る制度はどうあるべきか、とりわけ政治にからむ事件の捜査、捜査権限の行使について、検察のあり方、それに対する法務省の関わり方をこれからどのようにしていけばいいのかということを議論するきっかけにしたいということです。
政治資金規正法違反の問題に関連して、次に、6月24日付『毎日新聞朝刊』が報じた、与謝野財務・金融・経済財政担当相に対する商品先物取引会社「オリエント貿易」の関連政治団体「政経政策研究会」(政経会)からの寄付の問題を取り上げます。こういう報道こそ政治資金規正法違反、政治資金規正法の主旨に沿う報道だと思います。第三者委員会の報告書などで報道のあり方についていろいろと苦言を呈しましたが、このような独自の調査報道が今後行われていくといいと思います。この記事には杉本修作氏の署名が入っています。この記者は、第三者委員会で元検事の堀田力氏に対するヒアリングを行ったときにも話題にしましたが、既に昨年の1月に、西松関連の政治団体が西松建設そのものだということを調査報道で指摘していました。
この問題は、実際に事件にできるかどうかはともかくとしても、小沢氏側への違法献金事件と比較して、政治資金規正法上重大な問題だと思われます。『毎日新聞』の報道によると、この政治団体は、オリエント貿易の社長自身が代表を務めていて、同社とグループ4社の幹部社員らの給与から天引きした寄付金を政治献金の原資にしていたということです。一方的に天引きされていたということで、西松関連の政治団体とはやり方が違います。西松関連の政治団体の場合は、内部調査報告書によると、担当役員が幹部社員に会員になってくれと働きかけていって、同意した者が任意に加入して、会費を振り込んでいたそうです。会員になった者は自分で会費を払うことになるが、その分が賞与へ上乗せされて、実質的には損にならないよう補填されていたそうです。一方、
オリエント貿易関連の「政経会」は与謝野氏が総務相に届け出ていた後援団体で、所得税の寄付金控除制度により、寄付金の約4割が確定申告後に還付されていたということです。グループ4社の幹部社員には天引きされた寄付金分の給与への補填はありませんでしたが、オリエント貿易の幹部社員にだけは寄付金と同額が給与に補填されていたらしいので、確定申告で還付された分を儲けていたことになると思われます。
寄付金の原資は会社のお金なので、政治団体の寄付のための資金がトンネルをくぐって政治団体から政治家の方に流れていたということになります。この形態の寄付の場合、寄
付者を誰と考えるかということが問題になります。資金の拠出者が会社であっても、ただちに寄付者が会社になるわけではないのですが、このように、単に資金が通り抜けていったのであれば、政治団体は実体がないということで、寄付者を会社と認定する余地があるのではないでしょうか。政治団体の実体という面から考えると、オリエント貿易関連の政治団体の方が、一層実体がなかったという認定がしやすいと思います。
オリエント貿易が他人名義の寄付の政治資金規正法違反にあたるかどうかということですが、西松建設の事件に関しては違反の成否にいろいろ問題があるということを指摘してきましたが、オリエント貿易の事件ははそれよりもさらにやり方が巧妙で、オリエント貿易そのものが寄付者だと認定される可能性が高いと思いますが、05年で寄付が終わっていて、罰則は禁固3年ですから、3年以上経っていて時効になっています。しかし、受け取った側、つまり、与謝野氏と、自民党を離党した渡辺善美元行革担当相の側の虚偽記入の問題は残ります。政治資金収支報告書の虚偽記入の問題については、05年から5年後が時効ですから、まだ時効が完成していません。
与謝野氏の問題については彼自身が弁解しているように、「どのように資金集めをしていたのか全く知らない」ということであれば、つまり、この政治団体に実体がなく単にトンネルのようなものだったということを知らなかったのであれば、犯罪が成立しないと思われます。それは小沢氏の秘書の事件でも同じことです。大久保秘書が逮捕された翌日の記者会見で小沢氏が、「資金の出所など詮索しない」と言って、マスコミや自民党の方からかなり批判されましたが、同じ理屈をここに適用すると、資金の出所は会社だということは当然分かっているのではないかということは、そのまま与謝野氏にも当てはまるのではないでしょうか。実際はそのレベルで違反が成立するのではなく、与謝野氏自身が言っているように、資金の集め方や、団体の実体などがわかっていたのかどうかということが問題です。ただ、与謝野氏によるとかなり昔からの知り合いで、「政治家として育てたいと応援してもらった」ということですから、もし私が検事であればその関係を追及します。追及していけば、団体の実体についての認識の根拠のようなものが出てくる可能性があります。検事としての経験から言わせてもらうと、この事件の方がはるかに筋がいいと思います。
今まで西松建設の事件に関していろいろなことが問題として指摘されてきましたが、それがそのままオリエント貿易の問題にも当てはまるわけですから、やはりこの問題を政治資金規制法の問題として、政治家の政治資金に対する責任の問題として説明を求めていかなければなりません。また、こういった政治資金のルールの問題については取り扱いの公平さが求められますので、今後どういう形でこれが刑事事件として捜査の対象になるのかということを注目したいと思います。この件だけではオリエント貿易の方は時効ですが、この問題が明らかになった以上、任意で聴取をして事実関係を明らかにして、西松建設の問題とどこにどういう違いがあるのかを明らかにすべきではないでしょうか。
もう一つのテーマは、郵便不正事件で厚生労働省の局長が逮捕された件についてです。まだ事件の全貌がよくわかりませんが、一つ言えることは、この事件の背景には、郵政事
業を巡る民間の業者とは少し違う特殊なコスト構造があるということです。ご存じのように、郵便局、郵政の仕事というのは、年賀状で大半を稼いで、あとは一年間ほとんど赤字を垂れ流すというような事業構造です。大量の年賀状をさばけるだけの設備と人員を確保しておいて、それが1年間だいたい余っているような構造です。
企業のDMについての郵便料金ですが、正規料金では120円のところが、今度問題になっている低料の第三種郵便だと8円と極端に安い。基本的には郵便配達のキャパシティは十分にあり、郵便配達さんはいつもほとんど空車で運んでいますので、低料の第三種郵便の仕事を受けても大したコスト贈にはならないと思われます。クロネコヤマトなどの業者がDMを発送するのとは前提条件がかなり違うということです。
そもそも郵便事業というのは民間の事業とはコスト構造が違うので、料金設定についての意識が希薄になりがちなところがあると思います。今回の事件での教訓は、こういったことを招いた郵便事業会社のコスト構造をどうしていくのかということです。これから本格的に民営化していくのであれば、日本郵政社長の西川氏はこのことを考えていかないといけないと思われます。
この件に関して、現在の局長が関与したかしなかったかということが問題になっていますが、逮捕された局長は完全に否認しているそうです。部下の係長が言っていることばかりが報道されますが、本当に大丈夫なのだろうかという印象をもちます。それが真実なのかどうかよほど慎重に考えないといけません。係長の供述だけではなく、どこかに証拠がなければ局長の関与を認定するのは難しいと思われます。その辺について大阪地検特捜部がどれだけ緻密な捜査をしているのかがこれから問われてくるでしょう。
それから、国会議員の関与が問題にされていて、障害者団体と認定する証明書発行のための口利きをしてもらったのかということですが、私は一番のポイントは、その国会議員が障害者団体に実態がないこと認識していたかどうかだと思います。その認識がなければ、いろんなことを頼まれる中で、「少し早くやってあげてくれよ」「頑張ってやってくれよ」というように気楽に声をかけただけということも考えられます。そうではなく、実態のない障害者団体の証明書を作成してもらうことを承知した上で厚労省側に働きかけたのであれば、これはとんでもないことで、お金をもらってそういうことを頼んだとすれば場合は斡旋収賄の可能性があります。しかし、ゼネコン汚職事件での中村喜四郎氏の事件でも、そのような不正の斡旋をしたかどうかということが最大のポイントになりました。贈収賄の事件でも非常に立証が難しい問題です。それを考えると、この件で本当に国会議員を非難できる証拠があるかどうか、そこには大きなハードルがあるように思います。
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