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【事態は既に深刻な政治問題】児童ポルノ改正案について思うことをつらつらと【BLOG:同人用語の基礎知識】
http://www.asyura2.com/09/senkyo66/msg/602.html
投稿者 長兵衛 日時 2009 年 7 月 01 日 16:18:55: MaJgcT1FFKurk
 

(回答先: 【衆院法務委員会】児ポ法改正審議(2009年6月26日) まとめ【読めば読むほど明らかな捜査権力による恣意的言論弾圧法】 投稿者 長兵衛 日時 2009 年 7 月 01 日 16:05:25)

http://www.paradisearmy.com/doujin/pasok_childporno_stop.htm
児童ポルノ改正案について思うことをつらつらと


「児童ポルノ法改悪」 について、ものすごく個人的で雑多なイメージ

 ネット上で 「児童ポルノ法」 の改正に関する話題が盛り上がっているようです。

 先月末あたりから断続的に方々でニュースがでていますが、日本ユニセフ協会などの規制推進派が昨年からネット上で署名活動を開始したり、様々なロビー活動、マスコミへの働きかけを活発化してきて、いよいよこの6月26日から 「単純所持禁止」 を含む 「児童ポルノ法改正」(自民・公明案)の審議が開始されるようで、かねてから反対していたネット住民らの動きも急となっているみたいですね。

 この問題に関しては、1998年から膨大な量の反対の文章をこのサイトや他の場所、書籍などでずっと筆者は書いてきましたし、その考えは現在も全く変わりません。 繰り返しになりますが、「児童ポルノの定義を厳密に決めてください」「単純所持の禁止はやりすぎです」「創作物の規制には反対です」「現実の児童を守り、また実際に被害に遭った児童の心身のケアに重点を置いた法律にしてください」 の、4つだけです。

 ネット上では多くの反対の立場で活動されている有志の方々が情報をまとめたり、データを収集したり、規制派の矛盾点を突いたり、具体的に反対の意思表示をしています。 そうした方たちの活動や仕事に感謝しながら、ネットを中心に10年間愚見を書き連ねてきた売れない元漫画家でオタクな筆者が、だらだらとさらに愚考を書き連ねてみようと思います

 いつも以上に感情に任せたどうでも良いただの雑文で、他のページと内容が重複する部分も多いのですが、現時点での筆者の考えを、あけすけに書いてみたいと思います。 読む人がかわいそうです。 でも書かずにはいられません。
創作物の中の犯罪行為描写について

 なぜ多くの文芸作品で、これ以上ない人権侵害である 「殺人」 の描写がこれほど多く、またその存在が社会的に許容されているのでしょうか。

 それは 「殺人という極限状態」で初めて現れる人間の尊厳とか人の心の中にある目を背けたくなるような醜さ、葛藤、愚かさ、滑稽さ、社会のありようなどを表現として、芸術として、現実の人間を誰一人傷つけることなく真正面からえぐったり白日の下に晒すことができるからだと思います。 それは何も殺人に限らず、不倫とか変態性欲、あるいは大災害や天変地異、戦争などの、「現実に起こるのはまっぴらごめん」「巻き込まれるのはイヤ」 なあらゆる極限状態の描写にそういう要素があります。

 だからこそ、こうした極限状態を 「誰も生身の人間を傷つけず想像上の作品」として紡ぎ提示する芸術家とか作家、クリエイターと呼ばれる人たちの仕事を評価して経済的な援助や対価を支払う人がいるのだし、彼らは社会から一定の評価や時として尊敬を得て食っていけるのでしょう。 またそういう表現の営み、積み重ねが文化となり、しばしばその時々の価値観で眉をひそめたくなるような醜悪な表現をも生み出しながら、ひいては思想の発展や意識の進化にも大きく役立ってきたのだと思います。

 奇麗事ばかりいっても、世の中には醜いもの、目を背けたくなるようなものがたくさんあります。 創り手たちは、それら清濁を併せ呑んで、複雑な社会に生きる読者なり視聴者なり観客なりに日常生活ではありえない、あって欲しくもない極限の判断を擬似的に迫ったり、何かを考えるきっかけを提供したり、一時の慰めや気晴らし、暇つぶしを手渡すことができる。 平凡な毎日を送るちっぽけな人間が、歴史を追体験したり、他人の人生を疑似体験したり、はるかな未来や宇宙の果てに思いをはせたりして、生活を豊かに彩ったり、明日への生きる意欲を貰ったり、下世話な刺激や好奇心を満足させることができる。

 それこそが、創作という 「生物として食うためには別にあってもなくても良いもの」 である文芸や芸術や文化の、存在意義だと筆者は考えています。
「A」 を入力したら、必ず 「B」 が出力されるという考え方

 規制派、人権派と呼ばれる人たちに決定的に足りないのは、複雑で豊かな人間の精神に対する深い洞察力や想像力、または心からの畏怖や信頼だと思います。 彼らは、「人は変な本を読むとその影響を受けて犯罪に走る」「悪いゲームをすると心の回路が壊れる」などと、まるで人間が、スイッチを入れたら電気がついたり消えたりする機械であるかのような単純な見方をします。 人間はそんなに単純(あるいは合理的) なものなのでしょうか。 そんな簡単な 「構造」「仕組み」 だったら、凶悪犯罪なんかとっくに根絶できてやしませんか?

 フィクションのヤクザ映画を見た後は観客がその気になって肩をいからせて劇場から出てくるなんて笑い話もあるけれど、その人間に刃物を渡して、「さあこれで映画の主人公のように、気に食わない人を刺してください」で刺せるのか。 感情移入したり興奮したり仕草や格好に一時的に影響を受けることはあっても、そこから人を殺したり、あるいは実際に泣き叫ぶ子供や女性を力ずくで襲うこととは、遥かな遥かな距離があると思います。 そもそも 「強力効果論」(環境犯罪誘因説/ 創作物の影響は、それを見た者を犯罪に走らせる効果があるとの説)は、どんどん化けの皮が剥がれてきているじゃないですか。 裏付けるようなきちんとした統計データも、根拠も出てきません。

 美しいものの対極には常に醜いもの、汚いものがあるし、それは受け取る人によって、あるいは時代や国 (文化)によっても、どちらが美しいか醜いかが違います。 絶対的に正しいものなどなく、時として白が黒になったり、灰色になったりもする。 人間誰しも奇麗事だけでは済まず、どす黒い欲望も持ってはいるけど、他人に迷惑をかけず、傷つけず、こっそりと自分の心の中で処理して生きているのがほとんどだし、それは誰に文句を云われる筋合いのことでもない。 それを 「これは白だ」「いや黒だ」「有害だ」「この世に存在してはいけないものだ」と顔の見えない誰かが断定して、勝手に法律を作って、それに従わないものを牢につなぐ。 そぐわないものを炎に投げ入れる。 内面にまで踏み込んで、疑わしきを罰する。 これが 「人間性への冒涜行為」「文化に対する破壊行為」 でなくて、いったい何なのでしょうか?

 筆者の大好きな画家に、ルネッサンス時代のサンドロ・ボッティチェリがいます。 「ヴィーナスの誕生」が有名ですが、彼の健康的でエロティシズムに溢れた美しい裸婦画は、修道僧のジロラモ・サヴォナローラが行った虚栄の焼却によって、その多くが炎に焼かれました。 「ヴィーナスの誕生」など一部の作品は、郊外の別荘にあったり、時の権力者メディチ家の力などで現代に残りましたが、多くはフィレンツェの空に立ち上る煙となって消え失せました。

 サヴォナローラは後に市民らから糾弾され処刑されましたが、失われた多くの絵画は二度と戻りません。 失意のボッティチェリ、晩年の作品は精気が失せ、その頃描かれた見るも無残な痩せこけたヴィーナスなどを見ると、そのあまりの変わりように涙が出てきます。 多くの漫画家が描いてきた作品が国によって消されたり、現代の日本の漫画家やイラストレーター、クリエーターらがそんな変わり果てた絵を描く姿を、筆者は絶対に見たくありません。 またそんなことになった未来の世界を、今の子供たちに残したくありません。

 日本ユニセフ協会やアグネス・チャンらの 「子供の人権が何よりも大切」「だから性的なマンガやアニメを持つことを法律で禁じろ」という考えが、もし本心から出たものなのであれば、「人間への愛、尊崇の気持ち」 や 「深い理解」が、決定的に足りないと感じます。 そういう人間が 「自分たちだけの正義」を振りかざし法と罰で創作物、つまりは人の思想、人の考えそのものを押しつぶす時、その先に必ず多くの流血と地獄が待っているのは、これまでの人類の歴史が証明しています。

 もし本心から出たものではなく、単に独善的で宗教的な道徳観でもって「ポルノ狩りをしたいだけ」「外国の倫理観を持ち込みたいだけ」「自分たちにとって不快なものをなくしたいだけ」なのなら、恥を知れと思います。 またそうした活動を無頓着・無批判に、あるいはある種の意図を持って喧伝するマスコミ関係者を、筆者は心から軽蔑します。
「児童ポルノ法改正による単純所持禁止」 について、思うことのとりとめのない断片

 今回 (2008年提出、2009年6月審議入り) の自民党・公明党の改正案では、実際の児童が性的虐待を受けた結果撮影された画像や動画 (児童虐待の成果物としての違法ポルノ) の 「単純所持禁止」 が大きな柱ですが、将来の創作物規制 (アニメやマンガ、ゲーム) へ繋がる文言がしっかり明記されたものとなっています。 つまりこの法案が可決成立して施行されると云うのは、将来の創作物規制が既定路線に乗ることを意味します。

 規制は原則として厳しくなる一方ですが、場合によっては後で緩和されることもあるでしょう。 しかし 「単純所持禁止」となると、話は別です。 規制時点でそれ以前の創作物はこの世から消えてしまいます。 蒸発してしまうのです。 一度消えたものは、後の世で規制が緩和されても、二度と戻りません。

 規制推進派の主張は首尾一貫していて、1998年段階から、「創作物を含めた規制」「単純所持の禁止」です。 1999年段階で賛成が得られなかったので、「3年ごとに見直す」 という規定を入れて、3年ごとに 「創作物の規制」 と「単純所持の禁止」 を法律に盛り込むための運動を繰り返しています。 今回は、「両方いっぺんに通す」 のではなく、「先に単純所持禁止のみを通す」ことにしただけで、中身は10年前から変わっていません。 そしてその禁止すべき物品は、世界基準からかけ離れ極端に厳しく、また定義が非常にあいまいな、「子どもポルノ」(児童ポルノと仮想ポルノ) なのです。

 単純所持禁止ってのは、所有を禁じるって意味じゃありません。 所持を禁じる、つまり 「ちょっと手で持ってみただけ」「触ってみただけ」もダメってことです。 実際に拳銃は、それと知って手に持ってみただけで違法で逮捕だし、麻薬だって原則同じです。 単純所持禁止が法律で決まるってのは、マンガ本やパソコンのデータが、そういうものと同じになるってことです。 あまりにすごすぎて、逆に実感がわかないね。 でも法律が決まったら、そうなるんだよね。 最近では、「見るだけでも違法」 という主張も出てきました。

 自称18歳の女性がエッチなビデオに出演して、その動画を収録したDVDが付録についた雑誌が発売されて、数万部が売れた。 その後その女性が、実は16歳だったことが発覚、雑誌は回収されて、撮影したカメラマンも逮捕されるという事件がありました。 この女性は過去にも別のビデオに年齢を偽って出演していたことがあって、報道によれば、今回は2度目だったようです。

 エッチなビデオを作る人に、厳格な 「年齢確認の努力義務」はあって当然だから、女性が嘘をついていたとはいえ、確認義務を怠ったことによる過失、罪はあるでしょう。 しかしこの雑誌を買って、DVDを見た人はどうだろうか。 雑誌には18歳って書いてあるし、偽造した高校の卒業証書までついていた。 それでも本当は17歳なんだから児童ポルノになるし、単純所持が禁止となったら、この雑誌やDVDを持っている人は 「児童ポルノ単純所持違反」 で摘発されたら逮捕になるのでしょう。

 この場合、「被害者」 は年齢を偽ってビデオに出演してお小遣いを稼いだ16歳の少女1人、「加害者」は、カメラマンや雑誌の編集者の他、数万人もの読者になります。 被害者1人に加害者数万人。 バランスとしてどうなんでしょうか。 もしこれを厳格に取り締まったら、いったい何人の父親が性犯罪者として逮捕され、それによっていくつの家庭が壊されて、どれだけの子供が悲しむんだろうね。

 自由にはモラルや道徳、責任がついてまわるのは当然です。 個々人がやりたい放題では世の中が無秩序となり、社会は回りません。 しかしモラルや道徳、責任ばかり強くしても自由が無くなり、たいへん息苦しい世の中になってしまいます。 要は 「バランスが大切」なのでしょう。 「モラルや道徳、責任や公共性」が、自由より尊いもの、より上位に位置するべきものかは、バランスと、その内容によります。 外国人ばかりが前面に立ち、外から一方的に押し付ける「モラルや道徳、責任」 と、「マンガやパソコンデータを持っているだけ」 で刑務所に入れられる 「秩序」 は、得られる成果に対して 「バランス」が取れているのでしょうか。

 子供の人権は大切です。 でも、子供がこれから生きてゆく日本という国を、マンガを持っているだけで牢屋に入れられてしまうような国にしないことも、大切だと思います。 「普通のマンガはそんなことにならない」かも知れません。 けれど、手塚治虫や赤塚不二夫のマンガがバッシングされていた時代を知っている筆者には、「普通のマンガとそうでないマンガ」の区別がつかず、そんな話はとても信じられません。 「マンガはマンガ」 です。

 アニメやマンガ、ゲームも将来は規制の対象になるそうですが、フィギュアはどうなるのでしょうか? ただの絵が禁止なんだから、立体のフィギュアも規制でしょうか。 まして等身大のフィギュアはもっと禁止で規制ですよね? デパートにある子供服のマネキンはどうなりますか? 裸にしてエッチなポーズをとらせたら児童ポルノ法違反で逮捕ですか? 着せ替えドールはどうでしょうか。 え? 極論すぎて話しにならない?ご冗談を。 極論を先に持ち出してきたのは、規制派の皆さんじゃないですか。

 アニメやマンガ、ゲームが禁止される場合、小説はどうなるのでしょうか? 規制推進派の多くは、小説って言葉を絶対使わないね(一部の人は云ってますが)。 建前の上では、「姿を目で確認できないから関係がない、ポルノではない」ってことなんでしょうけど、「有害な情報を受け取ると影響されて犯罪に走る」 という彼らの主張からすると、文章を除外するのは二律背反で 「不誠実」な態度です。

 でもよほどのことがない限り、小説や文章の規制なんてことは云わないでしょう。 「小説の単純所持も禁止」なんていってしまったら、その狂気が誰の目にもハッキリしてしまって、ムード優先の運動が終わってしまうものね。 でもエッチな挿絵のあるライトノベルや官能小説なんかは、そのうち 「絵が問題だ」として言い出すかもしれない。 その場合は、その作品が文章が主で絵が従なのか、その逆なのか、あるいは文章と絵とどちらが性欲を興奮させ又は刺激するものなのか、裁判で争うことになるんでしょうか。

 1人の警察官の目の前に、児童を虐待している人と、エッチな絵を持っているだけの人がいた時、きっと多くの心ある警察官は、児童を虐待している人を逮捕するでしょう。 しかし虐待している人が逮捕しづらい状況で、エッチな絵を持っているだけの人が簡単に捕まえられる状況だったら、どっちを捕まえるでしょうか。 どっちを捕まえても、数字や書類上は同じ 「児童ポルノ犯罪者1人逮捕の実績」 です。

 エッチな絵を持っているだけの人が違法じゃなければ、警察官は限られた人数、予算の中で秩序を守るため、あるいは実績を作るため、何としてでも児童を虐待している人を捕まえることでしょう。 全ての警察官が心ある警察官であることを祈ります。

 江戸時代、お上が 「風紀を乱す」と禁止した浮世絵や春画は、ヨーロッパではジャポニズムの花を咲かせました。 今、浮世絵や春画の良質なものの多くがアメリカやヨーロッパにあって日本にはありません。 ていうか、春画に至っては、現段階でも 「わいせつ物」として美術館などの公共の場で掲示もしづらいし、出版も制限つきです。 幕府のお役人 = 現在の議員や官僚ですが、庶民文化を弾圧する時に 「風紀」と 「公益」「改革」 を必ず言い出すのも江戸時代から変わらないのですね。

 江戸時代、浮世絵や春画は何度も禁止されました。 お触れが出され、浮世絵師や版元も結構捕まって、蔦屋重三郎なんかは寛政の改革で財産没収されました。 だけど浮世絵や春画を買って 「持っているだけ」 の 「町民」までは、いちいち捕まえたりはしなかった。 江戸時代の役人ですらやらなかった規制を、民主主義国家である今の日本がやろうとしているってのは、実に恐ろしいことだとちゃんと認識しないといけない。

 しずかちゃんのお風呂シーンでドキドキした子供の頃の思い出、ちょっとエッチなマンガを見て感じたときめき、これを自分の息子に味わわせることができなくて、何の男親の価値があるんだろうか。

 絵を描く人なら分かると思いますが、人物画を描く時は、デッサンは裸で描くんですよね。 裸を描いて、それから服を描くんです。 そうでないと、ちゃんとしたデッサンになりません。 単純所持禁止となっても、よほどのことがない限り、服を着た子供の絵はたぶんセーフでしょう。 でも裸の子供の絵はアウトですね。 デッサンの途中は違法、服を描いたら合法、でも消しゴムで服を消したらまた違法、上に服を描き足したら合法。 馬鹿馬鹿しい話ですが、単純所持禁止ってのは、つまりはこういうことなんですね。

 本来は 「性的被害、虐待を受けた犯罪記録」 が 「児童ポルノ」 なんです。 だから児童人権を真剣に考えている団体などは、むしろイメージが分かりにくい 「児童ポルノ」 という言葉をやめて、直接的な 「児童虐待画像・動画」 のような、具体的な名称に改めているところもあります。

 予算も人員も限られています。 その限られた範囲で最大限の児童人権救済を行おうとするなら、「余計なもの」にかまってる暇はないわけです。 目の前で強盗事件が起こっているのに、それを放置して万引き犯ばかり捕まえても仕方ないし、ましてや「万引きするかも知れない人」「万引きの絵」 を捕まえても仕方ない。

 本来の児童人権侵害の防止や被害児童の救済に役立たないことばかり必死でやろうとする人たち、「児童ポルノ」 を 「子どもポルノ」 とか「みなしポルノ」 とかもっと分かりにくい言葉にして範囲を広げようとしている人たちは、「たぶん別の目的がある」 と判断して間違いないと思います。

 1999年以降は、18歳未満の単なるヌード、単なる裸も規制の対象に含まれるようになりました。 その種の内容を含む新しい作品はほとんど作られることがなくなり、ここ数年は皆無といっても良いでしょう。 「製造」 や 「配布」 が禁止なのだから、当然です。 これでもし 「単純所持」が禁止されたら、今度は過去の膨大な作品が消えることになります。

 これが 「わいせつ問題」なら、例えば映画の一部にそういうシーンがあっても、そのシーンだけ削除したり、映っている部分にモザイクをかけるなりすればOKです。 しかし児童ポルノ法における単純所持の禁止は 「児童の被害救済」が目的ですから、体の一部を隠しても、その目的は達せられません。 わいせつな描写が問題なのではなく、その児童 (18歳未満)がその映画で裸になっていたという事実がすでに問題になるからです。 また捕まってから 「知りませんでした」は通じませんから、「ちょっとでのその可能性のあるもの」「判断が微妙なもの」は、よほどの名作でなければ、いちいち吟味されることもなく、どんどん捨てられてしまうでしょう。

 このまま単純所持が創作物 (アニメやマンガなどの2次元に限らず、グラビアや映画なども含める) に当てはめられると、きっと想像を絶する数の映画がこの世から消えるでしょうね。

 日本の混浴や、子供が赤の他人の大人と一緒に入る銭湯、温泉を、「おかしい」「異常だ」って批判してるカナダ人がいました。 でもそんなカナダにはバンクーバーに公営のヌーディストビーチ (レックビーチ)があるし、そこでは家族が裸で遊ぶ写真が普通に撮影され、ネットにもそれがごろごろ転がっていたりもします。 Nudism とか Nudist とか Wreck Beach とかで検索したら、そういう画像がいくらでもでてくるんですね。 もちろん無修正の状態でです。

 欧米では風呂はトイレと同じ、とてもプライベートな場だから、親といえども子供が一人で入れるような年齢になったら、一緒に入るのはおかしい、父親と娘が風呂に入るのは児童虐待だ、性的虐待だになっちゃう。 そもそもお風呂に対する認識が違うし、バスルームの構造も違う(一人で入れるようになる年齢も異なる)。 だからアニメ 「となりのトトロ」でサツキとメイがお父さんとお風呂に入るシーンが問題になったりする。 写真を撮るなど言語道断、児童ポルノそのものですになったりする。

 ヌーディストビーチが健康的なナチュナリズムの発露で良くて、銭湯や温泉、家族風呂が児童人権侵害でダメってのは、もう児童云々の話じゃなく、ある種の誤解、もっというと偏見や人種差別に基づく異文化否定だと思うよ。 日本では砂浜で裸になるのはダメだし、無修正 (局部露出)はあらゆる状況でダメだけど、海外のヌーディストビーチやその記念写真を禁止しろ、参加者を逮捕しろなんて他国の文化に文句などいわない。 でも彼らはそれを上から目線の説教口調で堂々と行う。 俺たちの倫理に従え、それが国際基準だという。

 非寛容と差別・偏見は全く同じものだと思うけど、日本人がとっくの昔に到達した寛容の精神(それが雑多な文化をどんどん吸収し展開する、世界でも稀なアニメやマンガの豊かな作品群が膨大に生まれる土壌になっている)に、彼らはいつになったら達してくれるのでしょうか。

 子供が被害に遭うのを防ぐために、大人向けの年齢制限のある有害サイトや情報を規制。 青少年が悪い影響を受けないために、年齢制限のない有害サイトや情報を規制。 そして、被害にあった子供や青少年を守るために、有害サイトや情報を規制…。 方法や方向はいろいろですが、全て「子供のため」 というキーワードがお題目のように使われ、結論は全て 「有害なものを規制」。

 「有害」 か 「無害」 かのたった2種類の分類しかなく、「違法」 と 「有害」の区別はつけずに、勝手に片方は悪だと決め付けて規制。 それもフィルタリングや単純所持の禁止みたいに、「何が消されたのか」も検証できない完全なブラックボックス化がされ、「消し去る」 という方法。

 「全てか無か」「ゼロサム」 のデジタル発想がやたら多くて、そのくせ扱うのは人権とか精神とか心とか思いやりとかの「簡単に割り切れない複雑なもの」「アナログなもの」ばかり。 こういう風潮って、なんだか怖くないですか。 規制派やマスコミの非論理的な善悪二元論を見ていると、なにやらインチキ理論の 「ゲーム脳」を信じたくなる自分がいます。

 ちょっと前までG8で禁止してないのはロシアと日本だけって書いていたのに、今はG7で禁止してないのは日本だけになっていて笑った。 そんなに日本を少数派に見せかけたいんでしょうかね。 ところでG7で無修正ポルノを禁止しているのは日本だけで、売春が非合法なのも日本だけ(客引きや売春宿が禁止でも、売春婦個人が商売するのは禁止されてません)、18歳未満のヌードやエロチカが禁止されているのも日本だけなんですが、こっちは放置していいんでしょうか?

 中国の重慶にある合川信息網に2009年6月6日、いわゆるアダルトビデオ (AV)の女優を募集する広告が掲載されたそうです。 内容は 「15歳 から 50歳までの女性で、健康でAVに理解のある方、ギャラは出演作品により1,000元〜5,000元ほど」だそうです。 この募集広告以前にも募集は行われていて、すでに数名が採用、日本にこれが伝わった10日段階で撮影に入っているそうです。

 中国では15歳で、合法的にアダルトビデオに出演できるんですね。 チベットやウィグル、中朝国境では深刻な児童、幼児の奴隷的人身売買などもあるそうですが、これは 「国連による児童の権利条約」ではOKなんでしょうか? 全裸で往来に突っ伏して物乞いする少女の姿が報道されたこともありました。 すぐ隣の国の、つい最近の話です。

 チベット騒乱の際は、その騒ぎが報道されてから1ヶ月以上も経って小さなコメントを出した中国人のアグネス・チャンさん。 「(政治的なことに対して)私には口をはさめない。 歌だけで解決できないかもしれない」と、心を痛めながらも非力な自分を責める善良な世界市民のような意見を仰っていました。 その人が、日本の衆議院や議員会館、在日外国公館、国際機関などで、国家元首王妃や政府首脳、政治家らと一緒に 「法律を作れ」 とマスコミを前に声明を発表する。 これは政治的な発言ではないのでしょうか?

 ご自分の酷い有様の国を先に何とかしてくださいとは申しません。 あなたにも都合があるのでしょうし、外国のことを日本人である筆者が、ああしろこうしろとあんまり云いたくありません。 しかし子供の人権をダシにして募金や署名を募ったり、高額のギャラを貰って講演会を開いたり、テレビに出て間違いだらけの嘘を喋るのは少々控えていただけませんか? 日本は、自分の国のことは自分で決めることができる国民が住んでいる国なのですから。

 しかしあれですね、スウェーデン人やアメリカ人、イギリス人などの政府高官、有識者らが、根拠もなく「日本は児童ポルノ大国です」「日本は世界でもNo.1の児童ポルノ輸出国です、No.1の加害国です」と云われるとあっさり信じてショックを受けたり涙を流して悲しんだり怒ったりするのに、日本人の学者や一般市民が 「それはおかしい、ありえない」と調査データや統計に基づいて事実誤認をいさめる抗議をすると「中傷や脅迫めいたメールがたくさん届く」「オタクは嫌いじゃありませんが、児童ポルノのオタクは嫌いです」と全く取り合わずに門前払い。 なんなんですかね、このアグネスって人。  

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