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難しいことはよくわからないけど、ニュートリノという物質を使えば、
核兵器を無能力化できるらしい。
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全核兵器消滅計画
http://shop.kodansha.jp/bc/books/hon/0508/index01.html
『全核兵器消滅計画』。こんなタイトルの書籍を出版することになるとは一年ほど前には想像もしていなかった。しかもこれはノンフィクションなのである。
米国の原爆開発プロジェクト「マンハッタン計画」を調べている時にも予想は覆された。原爆開発には超一流の科学者、研究者が駆り出されたとは聞いていたが、改めて調べ直すと、彼らは日本人の常識をはるかに越えた規格外の天才の集まりだった。
例えば、イタリアの天才科学者エンリコ・フェルミ。彼はスウェーデンのストックホルムでノーベル賞を受賞したその足で大西洋を渡り米国に亡命した。一九三八年に起きた科学史上、例をみない世紀の逃避行である。
国内ではムッソリーニ政権によるユダヤ人への迫害が強まっていた。彼の愛する妻はユダヤの家系の出身だった。ドイツ圏からは優秀な科学者が次々と連合国側に亡命してもいた。フェルミの目にはストックホルムで開催されるノーベル賞の授賞式は、亡命の絶好の機会に映った。
この時期、フェルミは自然界で最も重い元素であるウラン(原子番号92)に中性子をあてて原子番号が一つ大きな新しい元素を創り出す夢を追っていた。
ところが米国に到着したばかりの彼に意外な知らせが届いた。中性子と衝突したウランは、新しい元素に変わるどころか、なんと既知の元素二つに分裂した、というのだ。フェルミのライバル、ドイツのオットー・ハーンが突き止めた核分裂現象である。
フェルミは、直ちに事の重大さを見抜いてしまった。ウランが核分裂を起こすというなら、その際に発生した中性子は周囲のウランに次々とぶつかり核分裂反応は連鎖的に拡大する。こうして生じるエネルギーは新型爆弾に応用できるのではないか——と。
日本が真珠湾を奇襲してからたった一年しかたっていない一九四二年末、シカゴ大学のフットボール場のスタンド下の空間に直径六、七メートルほどの球状の物体が現れた。フェルミがつくった世界初の原子炉「シカゴ・パイル1号」だ。制御棒を引き抜くと核分裂の連鎖反応が始まった。
米国はフェルミの手を借りて、ついにここに脅威の核分裂反応を掌中におさめたのだった。そして三年後の一九四五年の夏、日本で惨劇が起きる。原子爆弾が広島と長崎に投下されたのである。
超人はほかにもいる。それはハンガリー生まれのフォン・ノイマン。情報科学をかじった人にとって彼は「コンピューターの父」と呼ばれた人物だし、ビジネスマンにとって彼は経済学の分野で著名な「ゲームの理論」の考案者でもある。
そのノイマンはまた、原爆の開発でも決定的な「仕事」をやってのけた。数学の才をいかんなく発揮し、「爆縮レンズ」というプルトニウム原爆のキーパーツの配置の仕方を突き止めたことである。
一九四四年の夏、「マンハッタン計画」は暗礁に乗り上げていた。新設されたロス・アラモス研究所に集った研究者たちは濃縮ウランを使って広島型の原爆を首尾良く開発したものの、長崎型のプルトニウム原爆ではとことん苦しんだ。未熟爆発という怪現象が発生していたのだった。
一部の専門家以外にはほとんど知られていない未熟爆発とはプルトニウムが起こす未成熟な爆発のこと。競泳のスタート時に起きるフライングのように、早期に小規模な爆発を起こしてプルトニウムがバラバラに飛び散り、設計通りの大爆発を起こせなくなってしまう。
このためプルトニウム原爆は根本から設計変更を余儀なくされてしまった。二つの核物質の塊を火薬の爆発で合体させ核分裂を開始させる砲弾式(ウラン原爆で採用)から、球状の爆弾容器の周りに点火栓を配置し、火薬爆発で生じた衝撃波を内側のプルトニウムに浴びせる爆縮式への変更である。
あたかも光をレンズで集めるように衝撃波を中心部に集めれば、理屈の上ではプルトニウムは瞬時に圧縮されて核分裂がスタートする。この仕組みを研究者たちは爆縮レンズと呼んだ。だが爆縮式は砲弾式と比べ設計・製造が非常に難しい。爆縮レンズをいったい何個、どのように配置すればプルトニウムを大爆発へと導けるのか見当がつかなかったからだ。
多くの理論科学者が懸命に計算に取り組んだ。そして最後に突破口を切り開いたのがノイマンだった。解は「三十二」だった。球状の原爆を正五角形と正六角形を組み合わせた三十二面体のサッカーボールに見立て、その各面に爆縮レンズを配置するのである。ノイマンの編み出した秘策はソ連への流出を避けるため最高レベルの軍事機密に指定された。
ノイマン以上の才能を示したのはハンス・ベーテとリチャード・ファインマンかもしれない。ファインマンは一九六五年に朝永振一郎らとともにノーベル賞を受賞し、ベーテは太陽で起きる核融合反応の研究で一九六七年にノーベル賞を受賞した英才科学者だ。
彼ら二人の凄い能力は核物質の「臨界量」の計算に発揮された。ウランやプルトニウムはある量以上になると、核分裂の連鎖が始まり爆発を起こす。ただし量が少ないと連鎖反応は起こらず爆発は起こらない。これがすなわち臨界量。現在ではウランの臨界量は約二十二キロ、プルトニウムは約五キロとされている。
臨界量が「キロ」レベルにとどまると判明したことで米軍は勢いづいた。原子爆弾は十分に「小型・軽量」で爆撃機に搭載できる見通しがたったからだ。臨界量が「キロ」ではなく「トン」レベルだったら逆に、マンハッタン計画は軍事面での意味を喪失していた。当時の日本にとっては最悪の目が出たといえるだろう。
歴史に「もし」という言葉は禁句だ。だが、もしフェルミがイタリアから米国に亡命していなかったら、ノイマンが爆縮レンズの配置法を見いだせなかったら、そして核の臨界量がもっと大きければ歴史は変わっていた。日本には恐らく原爆は落とされることはなかっただろう。
それから六十年。「核消滅構想」という驚異のプランを提唱する研究者が日本に現れた。総合研究大学院大学理事の菅原寛孝。素粒子物理学の総本山、高エネルギー加速器研究機構(つくば市)のトップを十年以上務めた世界でも指折りの理論物理学者である。
例えば、地球のある場所に危険な核兵器が隠匿されているとしよう。その核兵器に向けて巨大な粒子加速器から超高エネルギーのニュートリノを発射する。こうすれば核兵器はバラバラになってしまい、事実上、核を消滅できる、と菅原はいう。
いったい、どんな仕組みで核は消せるのか。菅原が着目したのは、マンハッタン計画を一度は挫折させかけたあの未熟爆発という奇怪な核の早期爆発現象だった。
東京大学名誉教授の小柴昌俊がノーベル賞を受賞したことで一躍、世間の関心を集めたニュートリノは幽霊のような素粒子で、普段は私たちの頭の上に大量に降り注いでは何もしないで体の中を素通りしていく。しかし加速器で大きなエネルギーを与えれば核を未熟爆発させられる、と菅原は見抜いたのである。
ニュートリノと核兵器を結びつける発想の斬新さ。巨大な加速器を使ってニュートリノを発射するスケールの壮大さ。菅原から、この構想を初めて聞かされた時、私は「SF小説よりはるかに面白い」と舌を巻いたものだった。
菅原の試みはいわば、かつての日本を圧倒した超エリート科学者たちに時代を超えて挑んだ戦い。今、世界ににらみを利かす二万発もの核兵器を無力にしてしまえるなら、日本人にとってこれほど痛快なできごとはない。
(なかしま・あきら 科学ジャーナリスト)
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