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6月21日19時39分配信 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090621-00000556-san-pol
天下分け目の戦いとなる次期衆院選が間近に迫っている。今の内閣支持率や政党別支持率を見る限り、自民党の必敗は間違いない。参院で与党が過半数割れしている現状では、自民党は衆院選後に政権・与党の座から滑り落ちてしまうことになるだろう。
政権・与党であり続けるために、国家の基本政策である外交・安保政策で真逆といってもいいほど差がある社民党の村山富市氏を首相に担ぎ出し、その後、小沢一郎氏が率いていた旧自由党、そして公明党と連立を組んできた自民党だが、今度ばかりは打つ手なしといったところではないか。
自民党は危機に陥ると、主流派と非主流派が交互に政権を担い、“疑似政権交代”を演出し、切り抜けてきた。歴代の内閣の中でも驚異的な高支持率を記録した小泉政権もそうした性格を色濃く持っていたといってもいい。しかし、今回は橋本、小渕、森政権をへて積もりに積もった世論の鬱積(うっせき)を受けて、「自民党をぶっ壊す」と威勢のいいたんかを切って、登場した小泉純一郎氏のような“救世主”も現れそうにない。
もちろん、「政治の世界は一寸先は闇」というように何が起きるか分からない。自民党が、高い人気を誇る大阪府の橋下徹(はしもと・とおる)知事や宮崎県の東国原英夫(ひがしこくばる・ひでお)知事などを担ぎ出し、形勢があっという間に逆転するようなことになってしまうかもしれないが…。
衆院選を前に麻生太郎首相の前に大きく立ちはだかるのが東京都議選だ。自民党内では、麻生内閣の超低空飛行ぶりに総裁選の前倒し論も出ており、都議選の結果次第では、麻生首相の進退問題に発展してしまう可能性が強い。こうした中、麻生首相は週末などを利用して、都議選の応援遊説をこなしている。遊説の現場を見ると、人だかりもでき、携帯電話で麻生首相の写メを撮ろうする人も結構多い。「マスコミが伝える内閣支持率はパッとしないが、おれの人気もまだまだ捨てたものじゃないな」。もしかしたら、麻生首相はそう思っているかもしれない。
しかし、現職の総理・総裁が来るとなったら、もちろん地元では自民党支援者や支持者らに動員をかける。普段は麻生首相には興味がほとんどなくても目の前にいるとなれば、通りすがりの人だって写メの1枚や2枚ぐらいは撮るだろう。比較するのは気が引けるが、小泉氏が橋本龍太郎氏らを破った2001年の自民党総裁選では、聴衆が小泉氏が乗った街宣車の周りに集まり何重の壁のような人だかりができ、小泉氏の一挙手一投足をみようとする聴衆が動き歓声を上げるたびに地響きがしたものだ。
こういっては何だが、都議選応援遊説の麻生首相の“人気度”は、点と線でしかなく面的な広がりがまったくかけている。もし、麻生首相やその周辺が、「世論調査では表に出てきにくい“麻生支持層”というものがあり、世論調査やそれを受けた自民党の『麻生批判』ほどあてにならないものはない」と思っているのだとしたら、完全に思い違いをしているとしかいいようがない。
ここで問いたいのは、麻生首相は一体、何のために内閣総理大臣になったのかということだ。麻生首相は2008年9月に第23代の自民党総裁に選ばれた直後のあいさつで、次のように語っている。
「今ここに立ちます時に、これは麻生太郎に与えられた天命だと思っております。思い返せば130年前の9月の27日に吉田茂は生まれております。一昨日、私も68歳になりました。今天命と申し上げるのは、われわれは今から自由民主党として、政権政党として、次なる総選挙において断固民主党と闘っていかねばならぬのだと思っております。私はその選挙に勝ってはじめて天命を果たしたということになるのだと思っております。今国民が抱えております数多くの問題、生活の問題、将来の不安、また国家国民を守る安全保障の問題など、われわれはそれを堂々と掲げ、そして、それを実行に移す力がわれわれ以外の政党のどこにあるであろうかと強く思っております。その政党は民主党では断じてありえないと思っております。自民党がその天命とその使命を全うする。それこそがわれわれに与えられた義務であり、責任であり、その先頭に立って戦う機会を与えていただいたことに心から感謝を申し上げます」
このあいさつを要約すると、(1)次期衆院選で民主党に勝つことが私の使命(2)政策を掲げて実行に移していく力があるのは自民党以外にはない−ということになるが、その後の麻生内閣の軌跡をみていると、麻生首相が力説したように展開しているかどうか、はなはだ疑問を感じてしまう。
漢字の読み間違いなどの枝葉末節なことはどうでもいいことだ。この際、脇に置いておこう。はっきり言うと、麻生首相は一体、何をしたいのか。どんな政策を実行していきたいのか。それがまったく見えてこないのだ。
「100年に一度の金融危機に対処するため、大規模な経済対策をする」「経済・雇用構造の変化や少子高齢化の進展などを踏まえて、国民が安心して生活をおくることができる社会(安心社会)を実現する」「荒廃した教育を立て直す」「海上自衛隊の護衛艦を派遣し、海賊対策で国際貢献を進める」…。確かに重要な政策には間違いないが、省庁の課長や審議官でも語ることができるような政策と言っては、言葉が悪すぎるだろうか。要するに“華”がないのだ。
あえて堅苦しい言葉を持ち出すが、宰相の印綬を帯びる者、または帯びようという者は「国家百年の計」を語らなければならないはずだ。国民の前に自らの理想を示し、国家が進むべき明確な針路を示す。たとえ、世論の反対が強くても時にはそれをねじ伏せてでも、場合によっては自らの生命が危機にさらされようとも、正しいと信じる政策を推し進めるステーツマンやそれに近い人物は日本にもいたはずだ。政治家が急激に小粒になったといわれる戦後でも日米安保条約の改定に取り組んだ岸信介ぐらいまでは、そうした気風が感じられるのではないか。だが、それ以降は経済成長優先主義と相まって、国家の根幹に関する政策は置き去りとなってしまった感がある。
冒頭で述べたように次期衆院選後に自民党は、野党に転落する可能性が強い。政権・与党であることに存在意義を見いだしてきたといってもいいとの指摘もある自民党そのものが、あまりの惨敗ぶりに雲散霧消してしまうかもしれない。政権・与党として、もしかしたら党そのものとして最後となるかもしれない衆院選を前にして、麻生首相は何に取り組むべきなのか。
私は、麻生首相の靖国神社参拝を言いたい。ただし、誤解してもらっては困るが、靖国神社参拝を衆院選の選挙公約に掲げるようなことはしてほしくない。それは選挙の争点に据えるようなことをしてしまっては、英霊に対して非礼になると考えるからだ。麻生首相はただただ静かに靖国神社に参拝すればよい。「これから参拝する」「何月何日に参拝する」などと公表する必要もない。後日、「実は何月何日に参拝していた」などと周辺や側近を通じてマスコミにリークする必要もない。
「公式なのか」「私的なのか」「玉串料は? ポケットマネーから出したのか?」「公用車を使ったのは公式参拝にあたるのでは?」などといったこれまで繰り返されてきた愚問に答える必要もない。もう一度言うが、麻生首相はただただ静かに靖国神社にお参りすればいい。周辺や側近がわざわざリークなどせずとも、麻生首相が靖国神社を参拝した事実は内閣総理大臣という職にある以上、そのうち明らかになり、ジワジワと広がっていくだろう。
中国や韓国が反対する? 当たり前の話だ。彼らは「歴史認識問題」を使って日本を押さえ込みたいのだから、「歴史認識問題」にかかわるカードであれば、理由は何だっていいわけだから。「靖国カード」が切れないなら、いわゆる南京事件や慰安婦問題などわれわれ日本を牽制(けんせい)しようとするカードには事欠かない。
北朝鮮がまたもや長距離弾道ミサイルをぶっ放しそうで、核実験も三度やるかもしれない状況下なのに、中国や韓国との連携が必要なのに靖国神社を参拝したら、協調関係が壊れる−などと訳知り顔に言う輩がいるかもしれない。しかし、北朝鮮が作り出している緊張状態と靖国神社参拝はまったく関係がない。靖国神社に参拝しなければ、北朝鮮が長距離弾道ミサイルの発射や核実験を取りやめるのだろうか。靖国神社を参拝しなければ、中国が「日本政府の対応を評価したい。われわれ中国は、北朝鮮に対する日本政府の方針を全面的に支持する。国連安保理の交渉の場などで日本政府の方針に沿った行動を取る」とでも言うのだろうか。答えはいずれも否だろう。
小泉純一郎氏は内閣総理大臣在職中に靖国神社を参拝したが、その後は行われていない。「保守層の希望の星」ともいわれた安倍氏も参拝をしていない。自民党は曲がりなりにも保守政党であったはずだ。その自負を立党以来、最大の危機を迎えているといってもいいこの時期にみせてほしい。麻生首相の靖国神社参拝の意義はまさにここにある。
本当は、麻生首相に取り組んでほしいことはほかにもある。男系をより安定化するための皇室典範の改正、日米同盟関係を強化する上で避けて通れない集団的自衛権の解釈変更、自衛隊を国軍として明確に位置づけることをはじめとした憲法改正…。
ただ、今国会の会期末は7月28日で国会日程が残り少なくなる中、皇室典範改正や憲法改正は不可能だろう。集団的自衛権の行使に関する憲法解釈は、本来ならここで論じるのもばかばかしい問題でしかない。「わが国が、国際法上、集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上当然である。しかし、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている」という今の政府解釈は、要するに権利は持っているが、その権利を行使することはできないというものだ。
まともな常識を持った人間なら、日本語としてまったく意味をなさないこんな解釈を内閣法制局が考え出し、歴代政権が内閣の一行政機関に過ぎない内閣法制局が打ち出したこの解釈を踏襲してきたということを知り、日本という国家が知的退廃を引き起こしているということにぞっとしてしまうだろう。
これに対して、靖国神社参拝は、麻生首相が誰にも相談もせず、気兼ねすることなく決めることができる。「きょうは時間の余裕があるなぁ。ちょっと靖国神社をお参りしてみるか」。これでいいのだ。麻生首相は早朝、首相公邸の周辺を散策することがよくある。公邸から靖国神社まではちょっとした距離があるから、散策ついでというわけにはいかないかもしれない。だったら、週末などに靖国神社の近くを通るようなことがあれば、「ちょっと、車を止めてくれ。このあたりを散歩したい」と何気なく境内に入ってみるものもいい。確か境内の売店には、麻生首相をイメージキャラクターにしたまんじゅうも売っていたはず。夫人の千賀子さんにおみやげとして買って帰るものいいかもしれない。
2カ月近くで、終戦記念日の8月15日を迎える。靖国神社の英霊はちゃんと麻生首相をみているはずだ。
(笠原健)
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