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北京の蝶
http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2009/06/post_195.html
「今の日本は事実上権力不在の状態である」。「今の総理は解散権すら行使できない」。「解散は国民が仕組むしかない」という趣旨を前回書いたら、「どう仕組めば良いのか」というお尋ねが寄せられた。それほど難しいことを言ったつもりはない。
「解散権は総理にしかない」と考えるからひたすら麻生総理の一挙一動を見守る事になる。しかし国民が主権者だと考えれば、総理であっても国民の意に逆らうことは出来ない。一人の国民が「早く解散しろ」とつぶやき、それを聞いた国民もまたつぶやき、それが伝播していけば必ず解散は実現する。例の「北京で一羽の蝶が羽ばたけばニューヨークで嵐が起きる」という話である。一羽の蝶にはそれほどの力がある。
「麻生政権・権力の本質」というコラムで指摘したように、自民党総裁選挙で麻生氏が当選できたのは圧倒的に地方の党員票による。その党員票には「小泉構造改革を転換して欲しい」との願いが込められていたと思う。総裁選挙で小泉構造改革の継続を訴えた小池百合子氏に麻生氏は地方票で大きな差をつけた。
もとより参議院選挙の惨敗を小泉構造改革のせいだと明言していた麻生総理である。その総理と「かんぽの宿」を批判した鳩山前総務大臣とは同じ問題意識を共有していた筈である。鳩山氏が暴露したようにある時期までは麻生総理の指示で「西川辞任」は動いていた。ところがある時点で麻生総理は豹変した。要するに「西川辞任」のシナリオが「西川続投」のシナリオに敗れたのである。続投のシナリオを書いたのは小泉純一郎氏である。
つまり小泉構造改革を批判して権力を手に入れた人物が、小泉純一郎氏に屈服したのである。麻生総理は続投を認める時に、「民間会社の人事に政府が介入することは宜しくない」という理屈を吐いた。原則的な理屈である。麻生氏がそのような原則を持っている総理なら、初めから「西川辞任」の問題は起こらなかった。鳩山前総務大臣がいくら進言してもその時点で首を横に振った筈である。
ところが事態はそうではない。だからこの理屈は麻生総理が屈服したときに相手から言われた理屈なのである。麻生総理は人から言われたことをオウムのように言っているにすぎない。どのような手段で屈服させられたかは知らないが、その理屈を言われて麻生氏は反論が出来なかった。屈服させられた時には「衆議院の三分の二は誰のおかげだ」と言われたかもしれない。「誰のおかげで再議決が出来るのだ」と。それに対して麻生総理は反論しなかった。自分がどのような票によって権力者に成り得たのかを言わなかった。それは自らを権力者に押し上げた人々に対する裏切りである。その人物が権力者で居られるはずはない。
麻生総理は「解散は私がしかるべき時に決める」といまだに同じせりふを繰り返し、メディアも相変わらず解散権が総理にあるかのように報道している。しかしいったん権力闘争に敗れた総理に決定する力などあるはずがない。あるように見せかけているだけの話だ。総ては周囲の力関係で決まっていく。
19日に予算関連法案が成立した時点で解散していれば、まだ「一連の景気対策を仕上げて国民の信を問う」という解散の大義名分はあった。しかしその機を逃した後での解散に大義名分はあるのだろうか。19日が麻生総理にとって最後の解散のチャンスだったと私は思っている。これからはどんな大義名分を掲げようが、任期満了に近づいたからとしか受け取られない。解散権が行使されたとは誰も思わない。そして問題は突出した権力がない状態は、日本の政治が何も決められずに時間だけが経過する可能性があることだ。
オバマ大統領が行った最近の一連の外交演説を聞いていると、それが実現するかどうかは別にして、世界が大きな構造変化の時を迎えている事を感じさせる。その時にこの国の権力不在が長引く事は極めて不幸なことである。国民の富を守るのが政治家の仕事だが、その仕事が機能不全を起こすからだ。だから国民は「早く解散しないと私の財産が減っていく」とつぶやき続けるしかないと思うのだ。冗談ではなく政治が立ち直らないと日本の富は間違いなく減っていく。
投稿者: 田中良紹 日時: 2009年06月21日 00:05
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