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足利事件再審開始決定について―【郷原信郎】コンプライアンス研究センター定例記者レクでの発言概要(メルマガ)
http://www.asyura2.com/09/senkyo65/msg/522.html
投稿者 クマのプーさん 日時 2009 年 6 月 16 日 18:01:16: twUjz/PjYItws
 

http://www.comp-c.co.jp/mailmag/list.html

[Compliance Communication] (09年6月15日号)
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第63回コンプライアンス研究センター定例記者レクでの発言概要
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6月11日に開催した第63回コンプライアンス研究センター長定例記者レクでの郷原
センター長の発言の概要をお送りします。6月13日(土)に出演した朝日ニュースター
「愛川欽也のパックインジャーナル」での発言等も関連箇所に加筆しております。
当日の記者レクのテーマは下記の通りです。

<テーマ>
◎政治資金問題第三者委員会報告書について
 http://www.dai3syaiinkai.com/pdf/090610report01.pdf
◎足利事件再審開始決定について

【6月11日記者レク概要】
http://www.cc.toin.ac.jp/crc/news/090611reku.pdf

以下転載します。

2009.6.11
第63回定例記者レク概要
名城大学コンプライアンス研究センター 郷原信郎


昨日、政治資金問題第三者委員会の報告書を公表しました。いろいろ新聞でも書いてもらっていて、社説でも取り上げられていて、だいたい批判的なことが書いてあるようです。昨日の記者会見でも説明はしましたが、時間の関係もあって言い足りないところもあったので、まずその報告書の内容について若干補足的に説明をしたいと思います。

会見の場でも説明しましたが、もちろん全体が委員会としての報告書ですけども、ある程度の執筆、原案作成の分担というのがあって、そういう意味で第1章と第5章を私が担当しました。この第1章が新聞でもいろいろ言われている、検察批判というか、今回の政治資金の事件に対する疑問、疑念というのを指摘している部分なんですが、今回のこの委員会というのは、別に新たな事実調査をやったわけではありませんし、新たに関係者のヒアリングをやったわけでもありません。今まで公開されている資料にもとづいて、あるいは報道にもとづいて、我々の方で議論をして問題点を整理した、そして指摘したということです。

その公開されている資料というのは、政治資金に関してはまずは政治資金収支報告書、それから、ある意味では幸いなことに、この問題の事実関係について西松建設の内部調査報告書というのが公表されましたので、これも非常に貴重な資料になりました。あとは報道された内容が中心で、そういう資料にもとづいて、まず法解釈上の問題、そもそも違反と言えるのかどうかという問題、それから、この事案が本当に政治資金規正法の罰則を適用すべき、重大で悪質な事案と言えるのかという問題、呼び出した当日の午後にいきなり逮捕するという捜査手法が適切なのかどうかという問題。そして、同じ西松建設の関連団体から献金を受け取っていた自民党議員側の取扱いとの間の比較が問題になります。そもそも違反ととらえることに問題があるわけで、両方が揃っていればいいという問題じゃないんですけども、少なくとも小沢氏側と自民党議員側とで結論において違ってくるということを合理的だと言えるような理由があるんだろうかという観点からは検討しました。それから、もう1つ、意外と陰に隠れてしまう問題ですが、19日に第一回公判が始まる西松建設側の捜査には問題はないんだろうか――捜査処理、捜査処分には問題がないんだろうか、というところも検討してみました。

まず、法解釈上の問題については以前からいろんな場で述べてますし、いろんなところにも書いてきたことですが、今回は図まで使って、そもそも解釈上何が問題なのかということをここに書いてみました(報告書本文4頁の図)。
Aという人が自分のお金を出して、Xという政治団体に寄附をしようと思ったんだけども、
直接自分が寄附をしたというかたちにしたくなかったために、Bという人にお金を渡して、Bから、Bの名前でXに寄附をしてもらったという事例を想定した場合に、この場合に政治団体Xの会計責任者は寄附者をAと書くべきか、Bと書くべきかと。これは非常に単純な問題なんですけども、このときにどう書くべきかということぐらいはっきりしないと、「どっち書けばいいのかは自分で考えろよ」と言われたんでは、会計責任者としては立つ瀬がないと思うんですね。これを第三者委員会の関係当局のヒアリングで総務省の担当者から聞いたんですけども、ついにお答えいただけなかった。とにかく「法に則って、実態に照らして自分で考えてくれ」ということしか言わないわけです。そして、検察の方の考え方も質問書に回答していただけなかったので、結局不明です。ただ、刑事局長が国会答弁した内容からすると、どうも法務省が言っているように、実態に即して、そして裁判所が最終的に判断することで、とにかくAかBと聞かれても、どっちとも言えないというのが法務検察の答えのようでもあります。

今の関係の場合、重要なのは政治資金規正法上、寄附がどう定義されているかということです。4ページの下から2番めのパラグラフの一番上に書いています、「金銭・物品、その他の経済的利益の供与または交付」と定義されているわけです。ここに供与だけではなくて、交付というのが含まれている。ここが非常に重要なポイントです。先ほどの事例でいくと、Aが実質的にXに対してお金を政治資金としてくれてやろうということは、点線で書いてあるように供与ですね。Aが政治資金をXに供与しようとしたわけです。その手段としてAがまずBに交付し、そしてBがXに交付するというふうにして移転していったと。そういう形態なんです。そのときに、もし「寄附は経済的利益の供与だ」と定義されているのであれば、これはAを書けということになります。供与したのはAですから。だから、供与者が誰かということを確定してAと書くべきだということになります。

しかし、交付も含まれるわけですね。ということはA、Bも交付、B、Xも交付。そして、政治団体Xの会計責任者はまず自分の方に持ってきた人間を先に認識できるわけですから。しかもBが自分の名前で寄附をしてきたということであれば、そのBが交付した行為、これが寄附に該当するわけですからBを寄附者と書けばいいということになる。これは当たり前のことじゃないか。私はこの点については、こういう解釈しかしようがないと思ってますし、だからこそこういうふうに書いてあるわけです。この政治資金規正法上の寄附の定義は供与または交付と。交付と書いたことの意味はそういうことなんですね。この場合はBが自分の名前でXに交付をしてきた以上、そのBを書けばいいということを明確に政治資金規正法は定めているわけです。

ところが、原口衆議院議員から質問趣意書を総理大臣に対して出したのに対する回答が、これがまた供与と交付を区別する必要は必ずしもなく、要するに財産上の利益を相手方に付与する行為を指すものと考えられる、どっちでもあまり関係ないんだということを言ってるんですが、これは内閣として出してきた解釈としては考えられないですね。その点については、49ページの補論のところに書いてるんですが。実は政治資金規正法と性格の
似た、六法全書では1つ前に出て来ている法律、公職選挙法というのがあります。公職選挙法では「供与」と「交付」というのは明確に区別されているわけです。「当選を得る目的で選挙人または選挙運動者に対して金銭、物品、その他の財産上の利益を供与する行為」が禁止されている。それ以外に「運動者が交付を受け、その交付を要求し、もしくはその申込を承諾する行為」も禁止している。これは「供与」とは別なんです。いわゆる買収は供与です。くれてやるんですから供与です。それ以外に運動員同士とか、あるいは候補者と運動員との間で、「お前にやるんじゃないよ。これは買収資金だから、買収資金として使ってくれ」という趣旨で渡す場合もあるわけです。これは供与ではなく「交付」です。交付罪と供与罪が明確に区別されています。この考え方と政治資金規正法上の考え方は当然同一でなければおかしいわけです。この質問趣意書に対する回答書はいったいどういうことなんだろうか、内閣で閣議決定までして出してきたものとは思えません。私にはまったく理解できません、。

ということで、質問主意書でこういうことは言ってるけれども、私は当然解釈上、寄附の定義に交付が含まれているということから、自分の名前でお金を寄附として交付してきた場合には、その交付者を寄附者として書くべきだ。図の場合であればBを書くべきだと考えるべきだと思います。ところが、なぜか、そのことがずっと曖昧にされたままです。いっさい明確にされてないわけです。そのことに大変な問題があるように思います。これは2章の政治資金規正法のあり方について、これは桜井教授の原案作成の部分でも問題にしています。

とは言っても、それじゃ本件の場合、西松建設が実質的にお金を出してとは言っても、直ちに西松建設が寄附者だとは言えない。形式的に政治団体が自分の名前で寄附をしているというのであれば、これは原則としてその政治団体の方の寄附として収支報告書に記載すべきだというふうに言えると思います。とは言っても実体如何によっては、この政治団体というのがまったく実体がなくて、本当にAからXに金を流すためのトンネルのようなものだったとい場合、Aと書くべきということもあり得るわけですから。そこで実体についてもある程度検討しないと、これは結論が出せないということをここでも言っているわけです。しかし、我々は実体を知りようがないから、これ以上は書きようがないと思っていたところ、先ほども言いましたように西松建設の内部調査報告書というのが出ましたので、これはちょうどいい資料が手に入ったということで、我々なりにこの西松建設の内部調査報告書に書いてあることにもとづいて、実体からするとどうだろうかということを検討してみたということです。

「この報告書によってダミーであることがはっきりした」ということで、いかにも検察の捜査にとってプラスになる事実ばかりが書かれているかのように扱われている新聞もあったんですけども、よく見てみると、決してそうではないのです。この内部調査報告書の49ページに書いていますけれども、「この政治団体の会員とする社員は当時の幹部社員が全国の支店を回って一人ひとり勧誘し、会員となるのに了解を得ていたと述べている」と
書いてあります。政治団体の加入は強制じゃなくて、社員が自発的に会員になる、それを会社側が働きかけていたということです。だから「西松建設という会社の社員らによる政治団体」だというふうに普通は言うんじゃないかと思います。しかも、ボーナスを会費分上乗せしてたから、だから西松建設が実質的に資金の出資者だというようなことが言いたいようなんですけども、報告書によると金額は全然釣り合っていません。実際に上乗せされた金額の半分強ぐらいしか政治資金として渡ってない。ということはボーナスの上乗せというのは他の趣旨も含めて上乗せしていたんじゃないかとしか思えません。ここに実際に書いているように賞与が特別賞与加算というかたちで加算されていたようですけども、具体的な上乗せ金額は本人には知らされず、政治団体の加入の勧誘を受けた際には賞与で上乗せするから寄附をしてくれというようなことを言われるだけだったと書いてあります。こういったところからすると、少なくとも西松建設の内部調査報告書に書かれている実体からしても、どう考えても政治団体の実体がなくて、寄附者が西松建設だとは言い難いのではないかというのが、我々の報告書の中で書いている検察捜査への疑問点です。
それから、悪質・重大と言えるかというようなことについて、これは今までいろんな新聞とか週刊誌などに私の名前で書いてきましたが、今回、既に公表されている資料から、我々が認識していなかった重大なことがわかってきました。

寄附を隠す効果という面で考えるんですけども、巧妙な方法と言えるかということで、7ページから8ページに書いてます。我々、先ほど言いましたように、収支報告書にもとづいて、最低限この西松建設の関連団体からいったいトータルでどういうところに寄附が、政治献金がわたったのか。その中で小沢氏の関連する政治団体とか支部にはどのぐらいが寄附されたのかというような、小沢関連政治献金の位置づけみたいなものを知ろうと思って、95年の設立当時から全部収支報告書上で西松の政治団体からの寄附を確認しようとしたんです、どこに行ってるのか。これが残念ながらできませんでした。この経緯は資料編の抜粋を付けてますけども、この一番最後、「西松建設関連政治団体の献金先調査経緯」ということで書いてます。

要するに、昨日の会見でもお話したように、新政治問題研究会という名称の政治団体がもう1つ、同じ千代田区に存在しています。橋本龍太郎氏が代表を務めていた政治団体です。官報に掲載される政治家の資金管理団体とか、それに関連する政党支部の収支報告書で、寄附者は全部公開されるんですが、団体の名称と区までの所在地までしか記載されません。ですから、この新政治問題研究会から何年にいくらの寄附を受けたと書いてあっても、橋龍さんの団体からなのか、西松建設の団体からなのかがわかりません。ということは、橋龍さんからお金をもらう可能性のある政治家については、どっちからかがわからないので寄附の事実を確認しようがないわけです。橋龍さんからお金をもらう可能性がないところはわかるわけです。橋龍さんから小沢さんの方に政治資金の寄附をすることは普通はないでしょうから。同じ名前でも小沢さんの側に対してはまったく隠す意味がない。逆に自民党議員側には隠す効果が非常に大きい。ある意味では新政治問題研究会という名称
にしたことによって、寄附の公開ということに関して迷彩を施すことになる、と考えられます。だから、これが意図的なものだったかどうか、これはもちろんヒアリングも何もしてませんからわかりませんけども、普通に考えたら、そこの辺がかなり大きな意味があったのではないか。自民党議員側への寄附を隠すということがこの団体を設立した大きな目的だったのではないかということです。

そして、これはもう記者の皆さんはもうわかっておられたようなので、今さら私から言うこともないほどかと思いますけども、この私自身も今回の調査に入るまで勘違いしてたのは、陸山会への寄附というのは、この団体の設立当時からずっと続いていて、それが全部時効にかかって、たまたま2003年以降のものだけが時効にかからないで残っていた。その金額が2100万だと私は思いこんでました。でも、違ってました。陸山会への寄附は2003年から始まっているものであって、それ以前はまったくありません。初めて知りました、少なくとも私は。皆さんはご存じだったのかも知れません。2002年までは小沢さんの個人の資金管理団体ではなく、自由党とか新進党という政党の政治資金団体であった改革国民会議宛に献金が行われていて、それが2003年にほとんどそっくりそのままの金額で振り替わっただけなんです、陸山会宛に。ですから、そのときにどういう政治資金収支報告書上の処理をするかという処理を考えた末に、政治団体から資金管理団体への寄附だから、「これでいいや」と考えたということなんじゃないかと思います。それ以上のものではないのではないか。それ以前はとにかく政治家個人ではなくて、政党宛の寄附ですから何の問題もなかったわけです。しかも、この自由党という政党には小沢さんだけじゃなくて、二階さんという人も入っていたわけです。これはちょっと無視できない事実じゃないかと思います。

捜査手法に関しても、先ほども言いましたように、はたして呼び出した日の当日の夕方に逮捕するということが相当と言えるような事案なんだろうか。この後の自民党議員に対する取扱いとの比較にも関係してきますけども、少なくともこの事案、どういう罪証隠滅の恐れがあるのか、私にはあまりよくわかりません。今の法解釈を前提にすると、まさに政治団体として実体があったのかどうかということが最大のポイントであって、その点は客観的な事実ですから、罪証隠滅のしようなどないわけです。そう考えた場合にはたしてそういう捜査手法が適切なんだろうか。いろいろ関係者の方から出てますように、そもそもこれは収支報告書の訂正で足りる事案なんじゃないかと考えられるわけです。

それについては後で補論の方で引用している、堀田先生が『中央公論』での私との対談の中で言われていたことですけども、収支報告書を訂正すると企業からの資金管理団体への寄附の受領ということで犯罪を認めることになるので、訂正で足りる問題ではない。自首、自白なんだと。だから、それはそもそも訂正という手続は取り得ない事案だというふうに言われるんですけども、これはまったくおかしいですね。だって、犯罪というのは犯意があって、初めて成立する者であって、この間の麻生首相が言ったような、「正しいと思
っていてもあとで間違っていたとわかったら逮捕される」ということじゃないわけです。犯意があって、初めて自白になるわけです。もし、この収支報告書を作成する段階では、実体はよくわからなかった。そして、仮に西松建設と書くべきだったとしても、その時点では政治団体からの寄附と認識していたのだとすれば、犯意がないということで犯罪は成立しないわけです。

あとで実体が明らかになって、西松建設と書くべきだとわかったとしたら、収支報告書には真実を書かないといけない、最終的に真実が開示されないといけないということからすると、当然訂正をする必要があります。しかし、そこで訂正されたからと言って、遡って最初の段階で犯意があったとされるわけじゃないし、犯罪が成立するわけでもなんでもないわけです。ここは非常に根本的なところです。訂正のしようがないので刑事事件にするのが当たり前だというような話ではないのです。ほとんど通らない理屈だと思います。
というようなことを考えますと、全部公開されている事実で、皆さんご存じかと思いますけども、ますます私は「なんでこの事実が起訴できるんだろうかまったくわからない」というのが正直なところです。というふうには書けないので疑問があるということにここでは表現としてはそうなってますけが、私の本音を言わせてもらうと、なぜこれが起訴できる政治資金規正法違反事件なのかよくわからないということです。

そして、自民党議員との寄附の取扱いの比較からしても、本来片方が起訴できて、片方が起訴できないという、漆間さんが言っているような話というのはあまり関係ないですよね。この場合、最大のポイントは政治団体の実体です。この実体は変らないんですから、片方が起訴できて、片方が起訴できないということはちょっと考えられない。

そうすると、あとは重大性、悪質性に差があるのかという話なんですが、これ、公表資料上、小沢氏側への寄附というのは資金管理団体に限って言えば、2100万円だけです。そして、さっき言ったように政党の政治資金団体、改革国民会議だとか、あるいは民主党の岩手県連とか、そういった関連しているところも全部含めて計算しても、この12年間で小沢氏に関連するところに行った献金は23%弱ぐらいです。とにかく自民党側にはどこにどれだけ行っているのかまったくわかりませんけども、これが一体どういう意味を持つのか。自民党側に対してはトータルで考えてみても、時効にかかっているものを考えてみても、無視していいほどの金額しか政治献金が行われていない。小沢さんのところだけが突出して多いという評価がはたしてできるんだろうか。そういったところに問題があるんじゃないかという指摘をしたわけです。

それから、この2章、3章、これは私の直接の担当部分ではありませんが、もちろん委員会の中でいろいろ議論した結果が書いてあります。読売の社説の中で、「法務大臣に捜査中止の指揮権を発動を求めるかのような表現が盛り込まれている。一方的に小沢氏の側に立った報告書と言われても仕方あるまい」と書いてあるんですけど。報告書をもう少しじっくり読んでもらいたいですね。そんなこと言ってるわけじゃないんです。これは実は私
というよりも、行政法学者的な観点から桜井教授が、こういった場合こそ指揮権発動というのが制度上考えられているとも言えるんじゃないかという指摘をして、みんな「なるほどな」と思ったんです。制度との関係で1つの大きな問題提起になったんではないかということを、制度のあり方として論じてみたということなんです。そういう話です。そういう前提で考えてるわけです。

要するに、法務省と検察庁との関係を考えるとき、この法務大臣の指揮権という問題は避けては通れないということです。検察庁は、一応法務省に所属する官庁ですが、独立性が認められていて、通常の事件については、検察庁の捜査や処分に対して、法務省が口を出すことはありません。しかし、重大な事件については、検察庁から法務省に報告が行われています。その唯一の根拠規定が、この法務大臣の指揮権ということなんです。検察庁と法務省とを一体と考えてしまうと、法務大臣だけが政治家で孤立した立場のように思えますが、本来は、検察庁は、法務省という一般的な行政官庁からは独立した立場で権限を行使する立場で、その法務省が唯一、検察庁の具体的な事件の捜査・処分に関与できるという根拠になるのが、この法務大臣の指揮権ということなのです。

そういう意味で、今回、第三者委員会の検討の中で、法務省と検察庁との関係を取り上げたわけですから、法務大臣の指揮権の問題に触れるのは当然だったと思います。

第1章で述べたところからすると、やはり今回の検察捜査にちょっと無理がある。本当に違反が成立するかどうかすら問題がある。仮に問題がないとしても、これだけの程度のもので、こんな総選挙が近い時期に、こういう捜査によって国民の政治選択、政権選択に重大な影響を与えることが、はたしてこの国にとって、この国のシステムとして本当に正しいのかという観点から、法務大臣がちゃんと法務省の組織的な検討も経た上で、総選挙前に、このような事件で野党民主党の党首に重大なダメージを与えることは、差し控える、総選挙後までは見合わせるという選択肢もあり得るのではないかということです。野党に対する捜査は与党にとっては有利になって、本当だったら大変助かるけれども、自分たちはそんなことで助けられたくはない。国民の政権選択の機会を最大限に尊重すべきだと、政権内部の法務大臣が判断して指揮権を発動したら、それは、法務大臣として極めてまともな考え方と言うべきではないでしょうか。

その前提としているのは、捜査の対象は小沢氏側だということです。自民党サイドにも波及する可能性があると言っても、それは一応おいておいて、現時点まで実際にやられてないんだから、野党第一党の党首である小沢さんの側に対して、総選挙を半年以内に控えた時期に逮捕という強制捜査を行うことの問題です。今までは指揮権発動というと与党側の政治家である法務大臣が、その与党に捜査の手が伸びないようにするために指揮権発動する。造船疑獄事件での犬養法務大臣のがそういうかたちだったと受け取られているわけです。それが検察の正義を阻むものとして「とんでもない」と言われてきたわけですが、今回の問題は、与党側の法務大臣だから、指揮権をあえて発動していたら、党利党略ということではなく、本当の意味で、検察捜査と民主主義との関係を真剣に考えた末というこ
とになるわけです。もし、それをやられたら、法務大臣の客観的で公正な立場からの判断という評価ができるのではないかと思います。

それによって、今私が第1章で問題にしている検察の捜査に関する問題は表面化しないで、検察捜査によって摘発されるはずだった小沢さん側が与党側の法務大臣によって救われたというような印象が残るのです。これによって一番ダメージが大きかったのは逆に小沢さんの方、民主党の方じゃないかということも、報告書には書いてませんけど、委員会の雑談の中で話しました。だから、そこら辺が全然読んでもらってないようで、一方的に小沢氏の側に立った報告書だと言われても、私もなんとも言いようがないですね。

このように、「指揮権発動」という言葉を出しただけで、新聞などがこれだけ反応するというのは、ちょっと異常な感じがします。それは、例の「造船疑獄事件」での犬養法務大臣の指揮権発動によって「検察の正義」を政治がねじ曲られたというイメージが定着し、指揮権発動が封印されてきたからだと思います。しかし、そもそも、その造船疑獄の指揮権発動自体にも、そのような単純なものではなくて、むしろ、捜査に行き詰まっていた検察の方が、吉田首相の側にうまく働きかけて指揮権を発動させて、検察の正義が政治によって阻まれたような形にして検察の威信を保ったものだという有力な見方が出てきているのです。それは、2005年に出された元共同通信記者の渡邊文幸氏が書いた「指揮権発動」で、当時の法務省幹部などの証言や資料に基づいて詳しく書かれています。

そうだとすると、この事件の指揮権発動が、国民にはまったく実態に反する形で伝えられたことで、その後の国民の検察の正義に対する見方や、検察と政治の関係にも大きな影響を与えたということになります。

それから、第4章の「報道のあり方」のところ、ここは会見の席でも言ったように、主として担当したのはメディア論の専門の服部立教大学教授で、我々もいろいろ議論した結果、書かれてるんですが。この報道に対する批判のことについて、朝日新聞で「報道批判に答える」という、すごく大上段に振りかぶった反論が書かれてるんですが、若干反論させていただくと、公人だということと有罪視報道とがどう関係してくるんでしょうか。別に決めつけるとは言ってないけど、でもそれが当然の前提になっているような報道が多かったということを言ってるんだと思うんです。公人だということ以上に、私はむしろ政治的に非常に大きな影響を生じるだけに、言ってみれば私がこの第1章で書いたような様々な、この捜査に対する疑問が提起されてるのであれば、そういう疑問もバランスよく書くというのが公正中立なんじゃないか。それと比べると、有罪視報道と言われても仕方がないという意味で、ここのところが書かれているんだと思うんです。そういう意味では、あまり反論になってるとは思えません。

それから、政治家はまた反論の機会は圧倒的に多いと書いてあるんですけど、これ、後でもお話しますけども、刑事事件の当事者にされていることは変わりないわけです。自分の資金管理団体の政治資金の処理が問題にされていれば、その発言如何では刑事事件で有罪の根拠にされる可能性だってあるわけです。そのことは忘れてはいけないと思うんです。
説明しろ、説明しろと言うんですけども、一方で当事者には事件については黙秘権というものがあるわけです。そこには配慮しないといけない。例えばこの後、小沢さんのヒアリングの関係なんかも話しますけども、検察の方が解釈を明らかにしてない。法務省も解釈を明らかにしてない。そうすると、どういう解釈でやってこられるかわからないわけです。その状態で、どんな解釈に立っても絶対に当事者として不利益にならないような言い方って非常にむずかしいと思います。そういったところは当然の前提として考えておかないといけないのではないかという感じがします。「詮索しない」ということの意味も、後で、小沢氏のヒアリング結果について説明するように、マスコミが一方的に書いているような、「金の出所を詮索しない、西松建設から来た金だとは知らなかった」という意味ではないはずです。しかし、そこのところを詳しく説明すれば、検察や法務省が、収支報告書に記載すべき「寄附者」の定義について説明しないので、刑事事件の当事者としてはあまりにリスクが大きいということになります。私が弁護人であっても、そこのところは発言しないように助言すると思います。

それから、「工事受注に関連」、「歪曲」という表現が少しどぎつかったのかも知れませんが、言ってみればゼネコン各社による談合組織と岩手県を地元とする小沢氏の事務所との関係というのは、歴史的に見ると、いろんなものがあったと思います。それは変ってきているわけです。どの時点で、どういうことが行われたかということを具体的に確定していかなければ、どういう問題提起なのかということがはっきりしない。ところが、それを全部一把一からげにしてやってるところに、私は大変な問題があったんじゃないかと思います。少なくともゼネコン業界の構図は3年前から大きく変っているわけです。そういうことはほとんど報じられなくて読者は知りません。

今、昔と同じような構図がずっとこれまで続いているかのごとく報道されて、その点については、今日もここに見えている横田一さんが非常に詳しいわけです、ジャーナリストとして。横田さんはずっとこの問題を追いかけられて、『こんな小沢金権支配を許していいのかと』いう本まで書かれていたわけです。その当時はそういう問題には検察は何も手をつけようともしなかったし、マスコミだって別にそのときに小沢金権支配をそれほど問題にしたかと言ったら、大して問題にしてないわけです。それがほんとに出し遅れの古証文のような世界になってから、過去にずっと遡っていろんなことをさも最近のことのように書くというのは、歪曲報道と言われても致し方ないんじゃないかなというのが、私の率直な感想です。

そして、小沢事務所と談合に関する取材でマスコミの方々は大変ご苦労されたようですけども、この世界はそんなに単純な、薄っぺらなものじゃないです。談合をめぐる構図というのは。誰か一人がこんなことを言ってくれた、小沢事務所はこんなふうにとんでもない、という一言だけでわかるような、そんな単純なものじゃありません。私は90年代から2003年ぐらいまで検察の現場にいて、ずっとこのゼネコンをめぐる談合構図の問題は自分のライフワークにして追いかけてきたものです。その私が見て、今回の報道には全
然ピンと来ないところだらけだった、ということは間違いないです。表面的にしかとらえてない。およそその実体を的確にとられて、読者に伝えているとは私はまったく思いません。

それから、第5章が危機管理という部分なんですが、危機管理の面からしか批判してないと言って、ずいぶん小ぶりな批判しかしてないように言われているんですけど、私はけっこう大変な思いしてここを書いたつもりなんです。もうちょっとしっかり読んでもらいたいなと思います。この危機管理というのは、私がいつも使ってる言葉で言えば、クライシスマネジメントです。このクライシスマネジメントというのは、私がテーマとしているコンプライアンスの一環なんです。社会の要請に応えるという、私のコンプライアンスのとらえ方、それが危機的な状況で現れるのがクライシスマネジメント。そういうふうに考えたときに、私は今回、民主党にとって、そして小沢氏にとって危機的な状況というのは、まさに民主党という存在、そして小沢氏という存在そのものを根本的に問われる事態だったと考えてるわけです。だから、そういう政党の危機管理の観点から分析をしているわけです。

本音をいわせてもらうと、この第5章で終わってよかったんですが、いろんな事情があって第6章もありますけど、ほとんど第5章で書き尽くしているつもりです。それだけ私としては、この第5章に本質的なことを書いてるつもりです。

なにより重要なことは、危機管理の観点から考えると、今回のこの民主党の対応、小沢氏の対応には重大な問題があった。その重大な問題というのは、まず、この問題が小沢氏の資金管理団体の政治資金の処理の問題にあるにもかかわらず、最初からそれを民主党の代表、民主党の問題のようにして対応した。ということで、小沢氏という政治家個人と民主党とが渾然一体となってしまったために、事態を客観化できなかった。だから、結局第1章で言ってるような問題は外野席から私のような人間が言うしかなかったわけです。こんなことは小沢氏本人、そして民主党もちゃんと客観的に事態を把握、分析して、世の中に訴えかけていたら、もっともっとそれはパワフルなものになっていたであろうし、それができなかったのは最初から渾然一体になってしまったからです。

そしてそういう事態を招いた最大のポイントは3月4日の小沢代表のあの会見。あれをなぜ党本部でやったのかということです。しかも、役員室という民主党のスタッフが全部段取りをしてやった。このやり方に私は最大の問題があったと、書いています。これは当然、小沢氏の個人事務所でやるべきです。実際に、過去の例を調べてみると、小沢氏の事務所費問題、何億という金、政治資金を使って、不動産を買ってるじゃないかということが問題になって、あのときも相当厳しい批判にさらされましたが、あのときの会見は党本部でやってません。あのときはたしか議員会館かなんかでやってるはずです。なぜあのとき議員会館でやったのを今回党本部でやったのか。私はこれは小沢氏はちゃんと考えた上でやったんじゃないかと思います。やはり党本部で代表としてやって、民主党の組織全体で検察に立ち向かって行かないと、相手が今度は検察だから戦えないと思ったのではない
か。それだけ個人事務所の体制が弱かったからかも知れませんが、それは私は間違いだと思います。そういう体制で臨んだために、却ってその後、いろんな問題を残すことになってしまった。適切な対応ができなかった。

そういった分析にもとづいて、最後に書いてあること、40ページのまとめです、やはりなんと言ってもそういう意味で今回こういう問題で総選挙を控えた時期に党首の辞任という事態に至ってしまったこと。これは国民のそれまでの支持からすると、大きく期待を裏切るもので、民主党にとっての危機管理の失敗そのものです。それについて弁解する余地はないわけです。それはもちろん検察の捜査に問題あるし、メディアの報道にも問題はあるけども、結果としてそうなったことはやっぱり民主党に大変な反省すべき点だと思います。

問題はなぜそういうような危機管理の失敗をしてしまったのか。これ最後に書いてることです。なぜ当事者の立場と民主党の党首としての立場を切り離すことができなかったのかというと、最初にも言ったようにクライシスマネジメントの失敗というのは、これはクライシスの場面における失敗じゃないんです。普通は。やはりその組織の、まさに社会に対してどういうふうにして要請に応えていくかということに関する根本的な組織のあり方、根本的な姿勢、そういったところの問題がここに現れるんです。そう考えると、私は結局、問題は民主党の日常的な党活動の体制において、強烈な個性をもったリーダーの指導力、その一方で、党としての判断や対応を客観化するシステム、この2つをうまく調和していかないと、民主党は政党として国民の支持を受けて、国民の期待に応えていくことができない。そういう体制づくりが十分にできていなかった。だから、3月4日のような会見のやり方になり、それから先の党の執行部のような対応になってしまった。そこに根本的な原因があるんじゃないか、という問題の指摘をしているつもりです。

あとは第6章は飛ばして、「終わりに」のところで最後で言いたかったことは、もうこの問題というのはいろいろあるけど、民主党は第1章の問題は頭に入れた上で、これは小沢さんの当事者の問題なんだから、小沢さんという刑事事件の当事者的に立場に立たされた人がきちんと対応していくべき問題で、民主党としては2章、3章で書かれているような、こういうような第1章の問題が発生した構造的な原因、背景になった、そういう要因について目を向けて、これから先の民主主義を支える、そういうシステムづくりの方にむしろ取り組んでいってもらいたいということです。そういう意味ではいつまでも被害者的な感情を残すべきではないと。むしろ2章、3章のような問題に気づかせてもらった。そういう意味では大変貴重な機会であったというふうに、考え方、発想を転換したらどうか。それこそが民主党が今までのような政党から、政権を担う得る責任政党に脱皮していくためのもっとも近道じゃないかということを、この報告書の最後で言いたかったわけです。

もう1つは、小沢さんのヒアリングのことがかなり新聞などでも出てますし、この小沢さんのヒアリングというのがどういうような意味合いなのか、なかなかここに書かれてい
る言葉のやり取りだけではよくわからないところがあると思うんですが、1つ言えることは先ほど言ったように、やはり刑事事件の当事者的な立場にある、ということは我々としても当然配慮せざるを得ないということです。これは私も法律家の端くれですから、そのぐらいの配慮をするのは当然だと思っています。私は検事で調べをしたわけではありませんから。調書をとったわけでもなし、追及をするという立場でやったわけではありません。しかし、するべき質問はしたつもりです。ただ、そこには、間もなく始まるであろう刑事事件の公判を控えているということの配慮は当然必要だと思っています。そこが、例えばこれまでいろんな今回の事件について、小沢さん側の主張をしてきたけれども、それが世の中からは却って批判の対象にされているんじゃないか。「その点についてどうお考えですか」ということを聞いたわけです。

ページがふってありませんけれども、ヒアリング記録の2ページ目の真ん中辺、「政治資金の問題について私からおうかがいします」と。この点について、ほとんど今までと同じ説明を繰り返しているということなんですが、ただ、私の方から、ここのところは実は若干、その主旨についての確認をさせてもらってます。例えば、ここで言ってるお金の出所などをお聞きするということは甲に対して失礼なことなので、そのような詮索をすることはない」と言ってる、この「詮索をしない」という言葉が、「西松から来たことなんて知りませんでしたよ」という、そういう弁解を小沢さんがしているというふうに世の中受け取ってるんじゃないですか。「ほんとにそういう意味ですか」というようなことは私の方から重ねて聞きました。しかし、私はこういうことじゃないかと思いましたし、おそらく小沢さんの言ってる趣旨もたぶんそういうことだろうということで、実質的にはそういうような受け答えと受け取ってるんですが、ただ、はっきりとそう答えられたわけじゃないという、その答えというのは要するにどこから来たお金かと言えば、これは西松建設の関連団体だからということぐらいは当然、秘書は知らないわけはないでしょう。秘書は少なくとも。当たり前ですよ、そんなこと――と私が言って、けっしてそれを否定はしなかった。「そんなことは当然でしょう」と。

しかし、それじゃ西松の関連団体がいったいどういうふうにしてお金を集めているのか、資金を得てるのかというお金のつくり方の問題です。そんなことまで具体的に詮索するか。社員の人が金出してるのか、役員の人が出しているのか、給料を上乗せしてるのか、ボーナスを上乗せしてるのかと、そんなことをいちいち詮索することはない。これは当たり前のことでしょう。当たり前のことを言ってるだけ、というふうに私は小沢さんの言ってることの意味を理解しました。まったくその通りだというふうに概ね頷いたような表情だったんですけども、それは刑事事件の当事者ですから、それを、小沢さんがもしもろに口にして、それをヒアリング記録として表にだしたら、検察はまだ見解を明らかにしてないので、どういう見解にもとづいて絡め取られるかわからないじゃないですか。それはやっぱり小沢さんとしては慎重に言葉を選んで対応しているなということで、そこの部分の問い自体も削りました。そういうことです。

それから、ゼネコン業界からの政治献金の話は、正直言ってこれは私との間の会話では、当然その前提となっているとの認識があって、それを前提に私は雑談の中で質問したんです。その認識というのはほとんど小沢さんの認識と私の認識は共通だなと思いました。具体的な工事の対価というような性格のものではなくて、やっぱり地方では政治家の秘書の活動と、公共工事の施工とか下請発注とか、いろんなことが密接に絡み合っている。これはどこの世界でもそうです。長崎もそうだし、広島もそうだし。そういったことのなかで、ゼネコンとしてはいろんなかたちで秘書とかにお世話になることがあるわけです。そういうお世話になることに関して、ちゃんと失礼のないように挨拶はしないといけない。これは私が言っているところの挨拶の構図です。その挨拶の構図の中で年に一回はそういう政治活動に対してご支援をするというようなことが昔から続いていれば、それはその通りにやっていくというようなことになるのは別にそんなに突出して、何か工事と具体的に対価関係があるというような話ではないと私は思ってますし、具体的な対価関係があるんだったら、こんな桁数の金額じゃないですよね、どう考えても。全然性格の違うものではないかと思います。

そういった主旨の話は、実は私は十分に小沢さんの考え方はわかりました。わかりましたけど、これは小沢さんが言ったことじゃないから、そこには書いてません。ですから、「ゼネコンから長年にわたって多額の政治献金をもらい続けてきた理由は何か?」と問われたら、答えるとすれば、今私が言ったような答えだと思います。そういう答え以外にはあり得ない。しかし、それはあえて口に出して言えるような単純な話ではない、ということじゃないかと私は思っています。といったところが、小沢氏ヒアリングの関係です。
それから、先ほども述べたように、読売新聞の社説、「的外れだ」と言われていますが、少なくとも報告書が法務大臣の指揮権発動に言及した趣旨を誤解されているように思います。この部分を取り上げて一方的に小沢氏の側に立った報告書と言われるのは的外れじゃないかなという気がします。

それから産経新聞です。こちらの方は、報告書をもう少しじっくり読んで頂き、政治資金規正法はどういう制度かということをもう少しよくご理解されてから書かれたほうがいいのではないかと思います。真ん中辺ですけども、「形式的真実の記載で足りるという前提に立っている」ということが今回の事件でそもそも違反が成立するか否か疑念があるということに短絡的に結びついているように書かれていますが、そういうことではないんです。「法律解釈について1つの見解を示したもの」と括られてしまうようなものではありません。と、いったい何なのかという感じがします。だからと言って、「今回の起訴を形式犯とみなすのは一方的な見解ではないか。」と言われますが、この形式犯と言っていることの意味もよくわかりませんし、何が言いたいのかをすこし整理をして言われないと、どう批判されているのか、意味がわからないというのが率直なところです。


もう1つ、今非常に注目を集めている足利事件の再審開始決定の問題ですけども、まず1つはこの問題がこういうえん罪を起こさないために裁判員制度が必要なんだというふう
な見方をしている人がいるようですけども、大変な間違いだと思います。再審を裁判員制度にもとづいてどうして行くのかというのは、まだ未解決の論点です。「そんなことすら考えないで、よく始めたね」というのが本当のところです。どうするんでしょうかね、これ。こういうような事件がもし裁判員制度の下で起ったら、再審なんて言ったって、新証拠がどうのこうのと言っても、裁判員制度になると、今みたいな具体的にかちっとした証拠にもとづいて認定するわけではありませんから、「裁判員も含めた裁判体がこう判断しました」でお終いですから、再審なんてもう無理です。一生出て来れませんね、たぶん。しかも、このようなテレビで語っている菅家さんのように、ほんとに話を創りあげてしまって、こうやって自転車で連れ出して、こうやって女の子を殺したんですということを具体的に言っていることが前提になると、普通どう考えたって有罪という方向に行っちゃうじゃないかと思います。こういう間違いが裁判員制度の下で是正されるなんていうことはあり得ません。むしろ再審による是正は不可能だったと言えるのではないか。そういう意味ではこの事件というのは、裁判員制度という制度自体の問題を一層鮮明にした。裁判員制度という制度をこのままほっといてはいけないということを端的に示す事件ではないかと思います。

そして印象的だったのは、昨日、最高検の次長検事が謝罪をしたということ、きわめて異例のことです、前代未聞のことです。今まで、裁判終わってもいないのに検察が謝ったなんていうことはなかったし、検察は裁判が終わっても謝ったことはほとんどありません。そういうことになってるんです。無罪になっても裁判が不当だと言っていれば良かったのです。でも、今回は謝らないといけなかったわけです。これは検察の歴史の中でも非常に重大な出来事だし、今、検察をめぐって大きく環境が変っているということを示しているんじゃないかという気がします。今までは検察は正義を独占してましたから、刑事局長がいつも国会で答弁するように「法と証拠にもとづいて適正に処理されている」ということですべて一般的に片付けられていたわけです。その「適正に処理されている」はずの事件について、客観的に100%有罪じゃないということを認めざるを得なかったから、途中で身柄も釈放せざるを得なくなった。そして謝罪までしなくちゃいけなくなった。これは検察にとって非常に重大な出来事だと思います。もちろん菅家さんにとってはそんなことを目の前じゃなくて、全然知らないところでやってもらったって、まったく意味がないと言って怒られるのも無理はないと思います。しかし、検察の組織にとってみたら、これは非常に大変なことだったんじゃないかと思います。

今まではこうやって100%無罪の立証というのが行われることはなかったんです。疑いはあっても、1%でも2%でも、まだ反論できる余地があったら、それは見方の問題だということで謝らないで済ませてきたわけです。今まで検察は。それができなくなるというのは科学的、客観的な立証というのがこのDNA鑑定によってどんどん採り入れられてきた結果が逆の方向に出てしまった。そういう意味で検察の歴史にとって非常に大きな出来事だと思います。(終了)  

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