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1.自公政権はどこに目を向けているのか。
2.日本の国民をいずこに世界に導くつもりであるのか。
3.自公連立の10年間の政権で、担ってききた政治政策等の成果の中で、今まで国民にとって、感謝されたような政策があったのか。
4.どの政策を眺めても、中途半端である。
5.公明党の100年安心の公約は、どうなってしまったのか。実現されたのか。
6.まるで、郵政民営化で、西川人事を他人事のようなコメントする公明党の議員は。その責任がないかのようである。無責任極まりない。
7.自公政権は、選挙にかけては、日本一の努力を惜しまないが。これも本末転倒なことである。日常の政治・経済政策について、主権者の国民が納得できる政策を実行していたなら、大半の国民がその政策に信任して、国民の支持力も安定したものになっていたであろう。
8.自公の議員が直接的に社会的に裁かれるような悪いことをして、不祥事や刑罰を受けて、国民の信頼を裏切ってしまったのであるか。このようなことも。特に見当らないのである。
9.国家の基本的な、日本の政治・経済政策が世界の流動的な要因でかく乱されて。その政策が機能しないかったからなのか。これがすべての原因で国民の信任をえることができないのか。
もし、このことを自公政権が。これを理由にするならば、国民に負託に対する責任を回避する口実に過ぎない。
10.この自公連立政権の10年間で、着実に政策上の成果をあげてきたのであるならば、現在のよう自公政権の支持率がこのように、みじめになるほどの支持率になってこなっかったであろう。
11.本末の政策の立案と実行がなされていないと国民は判断しているのである。
12.国民から強い要望のある本末の経済、財政、行政の制度改革を省みず、自己満足的な目先の対策でしのごうとする浅はかな方法でしか、対処してこなかったのである。
13.日常の政治、社会のコメントにおいても、主権者の国民の声が自公政権の議員に届いていないかのようなピンとはずれのような鈍い対応の連続であり、無責任なものが多く感じられるのである。国民の声を懸命に政治政策にあげるような意気込みも、すでにうしなって、空蝉のようである。また日常の政策上の不謬に対する説明責任も不十分である。
14.このような、政治姿勢では、自公政権に信頼を置く人々でも、不信になるであろう。
15.このことに対する謙虚な姿勢と反省が、現在の自公政権に失われているのである。
16.批判され、叩かれながら、その連続的な謙虚な反省の中から、新しい新鮮な政策が生み出されて来るはずである。そのような不断の努力と明確な政策意思を国民に示さねばならない義務と責任があるのである。 国民が満足できる政策がなされたなら政局のいずれなど国民にとってはどうでもよいことなのである。
17.このような確固とした姿勢がないから、国民からみたら支離滅裂な、目先の、巧言のような国民を懐柔するような政策になってしまうのである。
18.現在の自公政権にはこれがみられないのである。自公政権に顕著にあるのは、自画自賛的、自己満足的な政策姿勢である。ある種の傲慢さである。 現在の社会的な経済的な危急や国民の生活・経済や社会的な閉塞感の原因は、野党の責任ではないのである。野党の責任を主張する前に、国民から批判が出ないような十全な政策を、日常の中で、実行してこなかったことへの反省が、自公政権から生まれてこないことが不思議なことである。
20.いずれにせよ。国民から能力不足と思われているのである。
21.まずは、主権者の国民のを直接的に耳を傾ける姿勢は、与野党の議員にかかわらず基本的なことである。これをしないような議員は議員になる資格などないのである。
22.自公政権の議員は、出直して、これを改めよ。 もっと国民の中でもまれて苦労せよ。
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