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厚労省分割をめぐる懲りない茶番
http://ameblo.jp/aratakyo/entry-10271404205.html
単なる偶然か、気のせいか、今月27日、読売新聞一社だけに、「鳩山代表に質問です」という自民党の意見広告がデカデカと掲載されてから、麻生首相に対する他のマスコミの風当たりが強くなったように感じる。
例の厚労省分割案を出したり引っ込めたりした件。麻生さんのブレブレの持病が、久しぶりでひょっこり顔をのぞかせるや、一斉にもぐらたたきのごとく、批判を浴びせはじめた。
つらつら、どうしてこういうことになったのかを考えている。昨夜、一風呂浴びて、水を口に含んだとき、なぜか「伝言ゲーム」という言葉が頭に浮かんだ。人から人に真意を伝えていくのは難しい。
ゲームとするなら、参加者は、読売グループ会長の渡邉恒雄さん、与謝野馨さん、そして、もちろん麻生さん。実際にはそれぞれの秘書らも含まれるだろう。
ナベツネさんは、意見広告のお返しでもあるまいが、どこか危なっかしい麻生さんのために一肌脱ごうと、老骨に鞭打って選挙用の計略をめぐらせた。そして、出来上がったのが厚労省分割案だ。
「何かと不評の役所をお白州に引き出し、喝采を浴びたかっただけではないか」という、昨日の天声人語の表現は、ライバル紙に君臨するマスコミ界のドンへの、あてつけも含まれていると考えればいっそう興味深い。
それは5月15日、首相官邸における安心社会実現会議で始まった。まず、ナベツネこと、渡邉恒雄さんの発言から。
渡邉恒雄 「あまりに厚労省が肥大化している。雇用・年金省と医療・介護省に分割してはどうか。総理の意見を伺いたい」
橋本行革の省庁再編でむりやりくっつけた労働省と厚生省を再び分離再編して、旧労働省が担当していた雇用に厚生省の年金業務を加えた「雇用・年金省」と、医療つながりの「医療・介護省」をつくったらどうか。そのさい、文科省所管の大学病院等も移管して一本化してはどうか、という提案だ。
これに対する麻生首相の答えは、賛成なのかどうかよく分からない。
麻生 「国民生活に力を入れるための省をつくればいいと思っていた。単に厚労省を二つに分割ということではなくて、国民の安心を所管する省を考えてみてはどうか思っている。検討してもいいと思う」
国民の安心を所管する省とは何か。まったく説明がないから、中身がわからない。分割するのか、新たにつくるのかも不明だ。そして、何を検討するのか、渡邉案なのか、それとも自説をか。
渡邉氏は詳しい提案内容を書いた資料を配布していた。出席していた与謝野財務大臣は、自らを政界に引き入れてくれた恩人、ナベツネさんの主張をしっかり読んで理解したことだろう。
さて問題はこのあと、どう麻生首相が与謝野大臣に指示し、与謝野さんがどうそれを解釈したかだ。
与謝野さんは5月19日の経済諮問会議後、会議中に首相から指示された内容を次のように報告している。
「厚労省の仕事の切り分け、すなわち組織の分割、幼保一元化は与謝野大臣が案を出してくれというご指示がありました」
そして、麻生首相が話したこととして以下のような内容を伝えた。
「安心社会実現会議で厚労省分割の話があった。少子化とかの問題を一緒に国民生活省として束ねたらどうかとそのときは発言した。タイミングとしては今が決断のときである」
ナベツネさんの提案を受けた麻生さんが、独自解釈で国民生活省をひねり出し、麻生さんの発言を与謝野さんが記者団に伝えるという、その過程で、ナベツネ案は変質していったように思える。
ナベツネ案の「雇用・年金省」と、「医療・介護省」というのは、役所の中身がわかりやすく、それなりのアイデアではあった。
消費者庁もそうだが、民主党への対抗心からか、とにかく自民党には「生活者重視」のポーズをとるクセが定着したようだ。
「具体案を出してくれ」と頼まれた与謝野大臣は当然、分割案作成に動き出す。
ところが、予想通り、肥大化した厚労省の権限、予算をそのまま維持したい族議員は分割そのものに猛反対。
渡邉案にはなかった幼保一元化には文教族が黙っちゃいない。文科省所管の「幼稚園」を死守するかまえを見せた。
党内の不穏なムードに恐れをなしたのか、麻生さんはどんどん軌道修正を始めた。そして最後には「最初からこだわっていない。読売の渡邉さんが最初に言った。分割の話ばかりしておかしい」ときた。
しかたなく与謝野さんは、首相の指示についての自らの報告を「正確性を欠いていた」と訂正したが、いまも諮問会議のHPには前掲のままレポートが掲載されている。
以上が、毎度のようにくりかえされる茶番劇の顛末だ。それにしてもハラの据わっていないトップに仕えるのは大変なことだ。
さて、筆者が言いたいのはここからである。省庁を分割しようと、くっつけようと、基本的には何も変わらないということ。
課ごと、局ごとに、組織の単位をそっくりどこかに移動させても、各単位がすでに握った人事や、予算、運営方針など既得権限は手放さない。細胞のように自己保存と増殖の本能を発揮する。
つまり、たとえ幼稚園と保育所の担当省庁を一元化したとしても、文科省チームと、厚労省チームが、バラバラに仕事をする縦割り構造を変えるのは、よほどの意識変革がないと難しいだろう。
2001年に、1府22省庁が1府12省庁に再編されたのは行政改革が目的だったが、役所の看板の数は減っても、肝心の中身である局や課の数は減らないのだから、行政の簡素化とはほど遠いものだった。
つまりは、省庁合体や分割も、時の政権の「改革」ポーズのために考え出されるのが現実で、逆に頭のいい官僚たちは改革を利用して自己増殖を図るのがつねである。
これまで、「改革」と銘打ってなされた数々の政策が、いつの間にか官僚と族議員によって骨抜きの憂き目にあってきている。
政官のもたれあい構造を、土台から崩さない限り、国民目線の改革など絵に描いた餅といえよう。
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