世論調査でも 八割以上反対 五月二十一日、麻生政権は、グローバル派兵大国建設の一環である新自由主義的統治の強化のために憲法違反に満ちた裁判員制度実施を強行した。この五月の各世論調査でも八割以上の民衆が制度に対する不安、不満、反対を表明している。しかし、法務省・最高裁判所・日本弁護士連合会推進派は、各分野から制度の違憲をはじめえん罪を生み出す危険性、重罰化の流れへの加担など様々な問題点、欠陥、矛盾が指摘され、その実態が噴出しているにもかかわらず、「市民が参加する裁判員制度」などとデマを繰り返し、なにがなんでも支配者の統治野望を貫徹するために暴走し続けている。取調全過程の録音・録画、全証拠開示、代用監獄を温存したままで起訴前保釈制度の導入、休日接見、弁護人の取調立会権の制度化も実現していない。これではえん罪が増えざるをえない。 裁判員が参加する初めての裁判が七月下旬にも開かれるという。制度が違憲のオンパレードであり、欠陥だらけなのに強行突破しようとしている。「召集令状」である現代版「赤紙」を市民に送りつけ裁判員を強要してきたが、これは憲法18条「意に反する苦役に服させられない」、第19条「思想及び良心の自由」、第13条「国民の幸福追求権を侵害」の違反である。強引に国民総動員を通して制度の定着をねらっているが、「出頭拒否」「不服従」を公然と表明する裁判員候補者が続出している。「裁判員制度はいらない!大運動」を通して裁判員候補の拒否者が断固たる決意を表明している。五月二十一日の記者会見(2面)でも候補拒否者の井上実さんは、「制度は憲法違反であり、人権を無視している。呼び出し状が来ても断る。罰則が適用されても、それはしょうがない」と表明した。このようにスタート時から制度の頓挫が始まった。制度廃止にむけた第二ステージの取り組みを強化していくことを呼びかける。 推進派の弁明 はデタラメだ 制度の欠陥を上げればきりがないが、とくに重大な問題点について再確認しておこう。推進派は、「仕事を理由に、裁判員を辞退できますか」という当然の不安感に対して「重大な支障が生じるおそれがあると認められる場合には、辞退できます」と言う。しかし、「重大な支障」とは一体どのような内容であり、認められなかった場合のことを「小声」でしか明らかにしない。呼び出されて裁判所に出頭しないと、十万円以下の過料を科せるという罰則の脅迫によって就任強要の事実を後景に退けたいのである。 裁判員の「守秘義務」も同様に罰則付きで一生秘密にせよと主張する。新聞労連は、裁判員に「過重な心理的負担を生涯負わせ、メディアが体験を広く伝え共有することを不可能にしてしまう」ことを理由に「守秘義務を見直す法改正」を要求している。制度が広く検証されるためには、どこまで情報が公開されるかが求められるのは当然である。 しかし、裁判員裁判で被害者の情報保護のガード対策があいまいなままであることも指摘しておかなければならない。とりわけ性暴力犯罪事件の場合、被害者の保護、証言時に加害者のみならず裁判員とも直接顔をあわせずにすむような措置を導入するのかも未定だ。裁判で「セカンドレイプ」の危険性もあるのだ。裁判員がジェンダー視点を否定し、家父長制と男主義に満ちた考えを保持している場合、被害者に打撃を与えてしまうとんでもない尋問さえ行ってしまうことさえありえる。被害者保護を優先した制度ではないことははっきりしている。 また事件によっては、犯行状況の把握、関連写真を見ることによって精神的打撃をうける裁判員のケースについて最高裁は、「事後ケアをする」と言うだけの無責任な対応しか考えていないのである。 このように欠陥制度が明らかになってしまったため裁判員制度導入を先頭きって引っ張ってきた竹崎博允最高裁長官は、「裁判員が参加しやすい状況を整えるため、候補者の都合を柔軟に判断し負担を軽減する」と弁明せざるをえなかった。最高検の樋渡検事総長にいたっては、「実施して、やりながら改善していくのがいい」などと無責任な発言をするほどだ。制度を三年後に見直すと言っているが、制度実施強行後の被告人の人権、被害者保護はどうなるのだ。これこそが「人体実験」のもてあそびではないか。人権軽視に貫かれた制度推進派を許すな。 拙速裁判・死刑 判決への加担 死刑判決についても多数決で決めてしまう強引な手法を選択した。しかし現在、死刑廃止の国際的流れに逆行して日本は死刑執行を増加させているのが実情だ。国連総会第3委員会(人道問題)は、死刑執行の一時停止などを求める決議案を採択(賛成百五カ国)し(08・11・20)、国連規約人権委員会が日本に対して死刑廃止へ向けた取り組みを求める勧告の最終見解を出したほどだ。しかし、このような世界的な流れを無視し、政府は裁判員制度を通して民衆に死刑判決と厳罰化に加担させることをねらっているのだ。 こんなことを許せるか。常に先頭で裁判員制度反対をアピールしてきた新潟県弁護士会は、「裁判員裁判における死刑の多数決評決に反対し、仮に、裁判員裁判を通じて死刑評決を行わざるを得ないと考える場合があったとしても、裁判体は全員一致の評議結果に至るまで、慎重の上にも慎重な量刑評議を実行する必要がある」という立場から反対決議(09年5月21日)を行った。死刑制度廃止とともに裁判員制度の廃止しかないのである。 さらに憲法第32条と第37条「公平な裁判所での裁判を受ける権利」、第76条「裁判官の独立」)についても違憲である。とりわけ公判前整理手続きは、密室で行われ、手続終了後に新規の証拠の提出を認めないのだ。つまり被告の防御権、弁護権を侵害し、争点を絞ると称してレールを敷いてしまい裁判員はおかざりの存在なのである。徹底した審理とその上に立った公正な判断が実現される裁判の否定であり、基本的人権の破壊である。 裁判員に負担をかけないと言いながら審理日程及び審理期間について再検証することも否定し続けている。広島高裁が小学生殺害事件(05年11月)で広島地裁が無期懲役判決(06年7月)を出したことに対して、「一審は審理を尽くしておらず違法」と断定し、差し戻すことを言い渡した問題(08年12年9 月)についてどのように総括しているのだ。一審裁判では裁判員裁判のモデルケースとして五日間の集中審理を強行したが、高裁は、あまりにもいいかげんな審理だったために差し戻し判決を出さざるをえなかったのである。裁判員裁判の「迅速・軽負担・平易化」がいかにいいかげんなものか満天下に明らかとなった高裁判決だった。 和歌山毒物カレー事件では、地裁段階で九十五回の公判が開かれ、判決までに三年七カ月かかっている。三日から五日程度で判決を出そうとする裁判員制度では、こういった裁判の場合は、どうするのだ。公判前整理手続きで争点絞り込むから大丈夫だというのか。超短期公判を強行するということは、それだけえん罪を作り出す危険性が増すということではないか。両ケースについて制度推進派は、沈黙を続けているが、混乱事態が続発することは必至である。ありとあらゆることが欠陥だらけなのだ。 あいまいな態度 に終始する野党 裁判員制度反対、実施延期の態度が広がっている。裁判員候補者の拒否宣言の公然化、「裁判員制度はいらない!大運動」の取り組みと「裁判員制度廃止の立法措置申し入れ」、裁判員制度を問い直す議員連盟(5月20日時点で60人〈自民党、民主党、社民党、国民新党〉)の結成と制度凍結法案作成への取り組みに入っている。 ただし08年8月には共産党と社民党が、裁判員制度の実施延期を決めたが、民主党は決まらないままだ。結局、裁判員制度を問い直す議員連盟が国会提出しようとした凍結法案は民主党の制度推進派の存在によって合意にいたらず頓挫してしまった。 共産党も制度凍結キャンペーンを展開していない。これは自由法曹団内の賛成・反対派の引っ張りあいが発生しているからだ。団長の松井繁明は、「赤旗」(5月13日)で「国会の現状からみれば、延期できるとはかぎりません。実施されたらどうするのか、を考えざるをえないのです」と言いながら、誤判と被告人の人権を守るために「積極的に裁判員として参加してほしい」と述べ制度推進派へと移行してしまった。制度の欠陥は明らかであり、ただちに凍結し、廃止するしかない。自由法曹団の制度賛成派、そして日本共産党よ、どうするんだ。主張していることと実際にやっていることが矛盾しているではないか。憲法9条改悪反対と裁判員制度凍結・廃止はセットじゃないのか。なぜキャンペーンもせず、大衆運動も取り組まないのだ。 そもそも制度導入は、アメリカ年次改革要望書による司法の規制緩和要求に基づき司法制度改革審議会(1999年)によって拙速的につくられた制度だった。グローバル派兵国家構築にむけた政治目的のために民衆に統治主体意識を持たせ、弁護士には裁判員への奉仕義務を通じて国家統合していくことがねらいだった。今日、金融のグローバル危機と世界同時不況下、支配者と資本による民衆への犠牲転化をこれ以上許さない声が大きくなっているにもかかわらず、制度推進派はなんら反省することもなく破綻した新自由主義政策を意固地に継承しようとする超反動的な立場なのである。説得力がある根拠があるわけではないし、もちろん積極的に提示することもできない。 なぜ財政破綻状態なのに裁判員名簿記載通知をはじめ制度キャンペーンに約十億円かけて大宣伝し、今後も制度維持のために膨大な無駄な財政支出をしなければならないのだ。この延長の攻撃には、自衛隊の海外派兵拡大化とセットである憲法改正にむけた地ならしである。憲法改悪反対運動の取り組みの一環として重要な闘いであることを再確認し、制度凍結から廃止を実現しよう。 (遠山裕樹)
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