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まるで「違憲のデパ―ト」――欠陥だらけの裁判員制度を延期すべきである
西野喜一 (新潟大学大学院教授、元判事)
陪審制賛成派と反対派の妥協の産物
二〇〇九年(平成二一年)五月からの施行が既に本決まりになっている裁判員制度とは、重大犯罪の刑事事件については、裁判官三名に、有権者から抽選で選んだ裁判員六名を加えた合計九名で審理判断しようという制度で、一種の参審制である。陪審制とは異なり、裁判員は、裁判官と共に、事実認定だけでなく、法の適用にも量刑にも関与する。
裁判員が関与するのは一審(地裁)のみである。評決は多数決によるが、有罪の認定にも刑の決定にも、その中に少なくとも一名の裁判官が加わっていることが必要とされている。
我が国の刑事裁判史上例のないこのような制度ができたのは司法制度改革審議会の答申(二〇〇一年)の結果による。同審議会は、第二次大戦直後にできた今の司法制度を、施行半世紀を経て見直すとして、裁判の制度にも法律家の制度についてもさまざまな提言を行ったが、その目玉の一つがこの裁判員制度であった。
導入の目的は、審議会の意見書によれば、司法の国民的基盤を強化し、国民の司法に対する理解・支持を深めるため、とされているが、審議会で実際にそういう議論をしていたわけではなく、これはただの妥協の産物であった。審議会では、陪審制を導入すれば誤判が減ると信じ込んでいた陪審派と陪審制ではかえって誤判が増えると主張した反陪審派が激突した結果、双方が折れ合い、重大犯罪についてのみこのような陪審制でない形での国民参加を取り入れるという結果となったのである。
審議会での議論は国民参加の熱に憑かれた粗雑なもので、国民は参審制を求めているのか、この制度で刑事裁判のどこがどうよくなるのか、これで審理や判決が粗雑にならないのか、この制度は国民にどのような負担をもたらすのか、この制度が現行日本の既存の法体系に調和するのかどうか、というような重要な論点を全く議論していないという驚くべきものであった。
国民がいつこんな制度を求めたのか
裁判員制度は欠陥だらけであるというのが私の意見であるが、私がとくに看過できないと考えているのは次の四点である。
(1)国民がこのようなものを求めたことはなく、実施の必要性、必然性がない。
(2)この制度は我が国の骨格を定めた憲法に違反し、憲法の体制、価値が揺らぐ。
(3)この制度の下では審理も判決もきわめて粗雑なものとなり、真実の探求が果たされなくなる結果、誤判の増加が避けられない。
(4)この制度では、裁判員として裁判所に引っ張られる国民に多大な迷惑が及ぶ。
右(1)については、世論調査の結果によって明らかである。周知が進めば進むほど、こんな制度は要らないという声が増えており、施行までもう一年もないというのに国民の約八割が参加に消極的である。
右(2)については、条文の解釈という専門的な話になるので、本稿では省略するが、関心がある方はぜひ拙著をご覧いただきたい。余りに憲法違反の点が多すぎるので、そこでは私は本制度を「違憲のデパート」と呼んだ。
以下では右(3)と(4)について述べる。
重大事件の審理を数日で終わらせる無謀
現在の我が国の重大刑事裁判の特色は、「精密司法」と呼ばれることもある通り、審理も判決も非常に丁寧で、真実の探求を重視していることである。裁判員審理の対象となる重大事件の審理の公判は、自白事件でも平均四回(四日)、否認事件では平均九回(九日)を要していることはそれを表している。我が国では刑法の定める法定刑の幅が非常に広いので、量刑が重要で、自白事件でもその背景を十分調べることが必要なのである。まして、否認事件なら慎重な審理は当然のことである。
しかし、裁判員法が成立して以来、最高裁判所は、呼び出された国民がその負担の重さから出てこないことを恐れ、大部分の事件の公判は「数日」で終わると言い続けてきた。これは、真実の探求などはもう要らない、審理は手を抜いたものでよい、ということであるが、それでは被告人も犯罪被害者もたまらない。どんな重大事件でも公判を「数日」程度に圧縮しては、いったいどんな審理、どんな判決になるのであろうか。
また、評議についても、義務教育修了だけを要件としてくじで選んだ裁判員が六名いるわけであるから、これまでのように、細かい疑問点を残らず追及、判断するような徹底的な評議はもう無理で、評議もそれに基いた判決も、これからは「骨だけ」のものでよい、もうそうするほかはない、ということは、すでに裁判所関係者によって承認されている。
さらに、途中から新しい裁判員が入ってくるという手続更新制度、複合事件の場合には裁判員をチーム制にできるという部分判決制度など、他の国民参加諸国では考えられない乱暴な制度まで予定されている。
自分の仕事より他人の裁判を優先できるか
他方、「数日」であっても、突然裁判所に引っ張られる国民にとっては大きな迷惑である。自分の仕事や商売を放り出して裁判所に来いというわけであるから、会社をクビになるとか商売が潰れるという事態が発生する恐れが大きい。とくに今、景気の調節弁に過ぎない非正規労働者が急増しているが、そういう人たちにとって、自分の仕事より他人の刑事事件を優先することの危険性は論を待たない。
そのうえ、誠実につつましく暮らしていた人が、毎日法廷に端座させられてえんえんと公判につき合わされ、トラウマになりそうな証拠写真を見せられ、どこの誰とも知らない人と不愉快な議論をさせられ、この被告人を死刑台か刑務所に送るべきかどうかおまえの意見を言えと迫られ、そしてここで知ったことは一生誰にも話してはならない、もし話したら罰金か懲役だ、というのが裁判員の義務である。
税金の中から多額の報酬を出して裁判官を雇用しているのは、普通のまっとうな国民がこんな苦労をせずに済ませるためである。
模擬裁判でわかってきた数々の問題点
審議会でここで書いたようなことを議論せずに制度の導入を決めていたということ自体驚くべきことである。また、法律成立後、準備のために模擬裁判を繰り返してきた結果、審議会段階では予想もできなかった問題点がどんどん明らかになってきた。
さらに、今のこの時期にこういう新制度を強行すべきなのかという問題がある。驚くほどの格差の拡大と、労働条件や個人営業状況の急激な悪化によって、国民の間から安定感や社会構造に対する信頼感が急速に失われ、人心の荒廃が進んでいる。今は無作為抽出の国民に被告人の運命を委ね得るだけの社会の安定を欠いている時代というべきであろう。
刑事司法という国家の根幹が揺らぐことのないよう、制度の施行を焦らず、素人中心の審議会では検討を怠ってきた問題、そしてこの準備期間中に噴出してきた問題点を改めて検討し直すべきことは明らかである。
西野喜一
1949年福井県生まれ。東京大学法学部卒。ミシガン大学ロースクール修士課程修了。博士(法学)。東京地方裁判所判事補、札幌地方裁判所判事補、新潟地方裁判所判事などを経て、現在、新潟大学大学院実務法学研究科教授。裁判員制度の問題点を元判事の視点で、その成立背景からわかりやすく解説した『裁判員制度の正体』が話題に。他の著書に、『裁判の過程』『司法過程と裁判批判論』『法律文献学入門』、共著に『要件事実の証明責任・契約法』などがある。
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