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http://www.news-pj.net/npj/kimura/010.html
第十回 「裁判員制度を根源から問い直す
──後世に禍根を残さないために(上)」
1 裁判員制度導入を直前に控えた異常な状況
裁判員制度が5月にスタートすることを受けて、この裁判員制度をめぐる推進・反対両勢力の動きが活発化しています。裁判員法の付則に施行3年後の見直し規定が盛り込まれていることに伴う措置の一環として、最高裁の 「裁判員制度の運用等に関する有識者懇談会」 が今年1月15日に初会合を開いたのに続き、法務省も同制度の見直しを検討するための有識者会議を設置して、裁判員制度の見直しの是非などについての検討を始めようとしています (2011年秋をめどに検討結果を法相に提言する予定)。
また、新潟県弁護士会と栃木県弁護士会が延期や見直しを決議したばかりでなく、「裁判員制度はいらない! 大運動」 (作家の嵐山光三郎さんや映画監督の崔洋一さんら11人が呼び掛け人) や 「裁判員法の廃止を求める会」 (事務局長・平田文昭氏) など数多くの市民グループが発足して裁判員制度に懸念や反対の意思を表明しています。
そうした中で、二つの注目すべき出来事がありました。一つは、参院本会議で警察や検察による容疑者の取り調べの全過程での録音・録画 (可視化) を義務づける、民主党提出の刑事訴訟法改正案が4月24日に民主、共産、社民の賛成多数で可決されました (日本弁護士連合会も 「画期的な意義がある」 と評価していますが、与党が多数を占める衆院で成立する可能性は残念ながら低く、否決か継続審議になる見通し)。
もう一つは、「裁判員制度を問い直す議員連盟」 (代表世話人が国民新党幹事長の亀井久興衆議院議員、事務局長が保坂展人・社会民主党 衆議院議員) が超党派の国会議員30名の参加で発足し、元東京地検の検事で弁護士の郷原和郎氏を講師に4月1日に、「裁判員制度を問い直す勉強会」 が開催されたことです (その後も、伊藤真氏/伊藤塾塾長・弁護士、大久保太郎氏/元東京高裁判事・弁護士を招いて勉強会を連続して開催)。
この二つの出来事は、5月21日の裁判員制度導入を前に、裁判員制度の問題点を浮き彫りにしてその根本的見直しを求める重要な動きであると評価できると思います。しかし、すでに裁判員制度開始に向けて国民の理解を深めるという名目で、最高裁・法務省による大がかりな宣伝活動が血税を使って展開されているばかりでなく、日本弁護士会 (以下、日弁連) もそれに積極的に同調する動きを示し、大手メディアが裁判員制度の問題点をほとんど報道しないという、ある意味で異常な状況が進んでいます。
そのような状況の中で、1年後に実施を控えた2008年8月に日本共産党、社会民主党が裁判員制度の実施の延期を表明し、国民新党、日本新党、新党大地も裁判員制度の実施延期を求めています。さらに、民主党の小沢代表は、裁判員制度は日本の風土にはあわないと廃止を含めた検討を示唆しました (『毎日新聞』 2008年8月16日付)。これまでの各種世論調査でも8割以上の国民が裁判員制度の導入に消極的 (死刑を含む極刑の量刑判断を迫られることに不安を覚える、心身の拘束時間による仕事・生活への負担など) か、積極的反対 (憲法違反であるとの主張も含む) の意思表明をしています。
そこで、今回の論評では、このような賛否両論が渦巻き国民の理解も十分に得られない中でも、予定通りに実施されようとしている裁判員制度の本質をその導入の経緯と裁判員制度の真の意味・狙いやその影響などを根本的に考えてみたいと思います。
2 裁判員制度導入までの不可解な経緯
裁判員制度は、1999年6月に内閣に司法制度改革審議会が設置され、司法制度全般にわたる検討・議論が行われ、 2001年6月には意見書という形で内閣に提出されました。そこでの裁判員制度設置の提言を受けて、2004年3月に裁判員法案が国会に提出され、わずか3ヶ月弱の超スピード審理で同年6月に成立しています。驚くべきは、ほとんど法案内容の実質的な集中審議がなされなかったばかりでなく、何と衆参両院で全会一致で可決、成立しているのです。野党が法案に“無条件で”賛成した背景には、法案内容が骨格のみであったこともありますが、日弁連が裁判員制度を積極的に推進していたことが大きかったといえます (特に、中坊公平氏/元日弁連会長がはたした役割は大でした)。つまり、野党は裁判員制度への明確な問題意識・理解を欠いたまま、国民の司法参加は民主主義の発展に通じるとの大義名分を、そのまま鵜呑みにする形で裁判員制度導入を受け入れたというのが実情であったのではないでしょうか。
また、当時、「年次改革要望書」 などを通じたアメリカの圧力を背景に、財界などを中心になって規制緩和路線の一環としての米国型の訴訟社会導入を前提とするロースクール創設や、裁判の迅速化と期間の短縮化を柱とする刑事裁判の改革も含めた司法改革全体が推進されようとしていた事情も見逃すことはできません (関岡英之著 『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』 文春新書、2004年、を参照)。
それでは、なぜ日弁連は裁判員制度を支持することになったのでしょうか。日弁連はもともと戦前の日本で一時期実施され現在も法律にある陪審制の復活を一貫して支持していました。つまり、同じ国民の司法参加でも、今回導入されることになった有罪・無罪の決定だけでなく量刑も判断する裁判員制度ではなく、有罪・無罪の判断のみを行う陪審員制度が望ましいというのが当初の日弁連の立場だったはずです。それが最高裁や法務省・最高検察庁などとの法曹三者の会議での話し合いや政府・審議会との交渉・接触などで、いつの間にか裁判員制度に賛成するようになったのです。
また、その裁判員制度をめぐっても、裁判員と裁判官の数・比率 (裁判官2人:裁判員6人、あるいは裁判官2人:裁判員9人を求める市民の声あり) や、対象となる裁判 (刑事裁判、それも重大な刑事裁判のみではなく、民事裁判・行政裁判への適用を求める市民の声多し)、任意捜査段階からの全面的可視化、弁護人の立ち会い同席権の実現などについても、被告の権利を擁護するための当然の要求を最後まで貫き通さずに、最終的には妥協して応じているのです。
こうした日弁連の対応は、(苦渋の決断であったかもしれませんが) 私には不思議に思われます。
こうした疑問・疑念は、日弁連が保岡興治自民党衆議院議員 (自民党司法制度調査会長・元法務大臣) にパーティー券76万円分の購入という形で、平成13年に政治献金をしていたという事実 (『朝日新聞』 2001年10月22日付) や、日弁連の宮崎誠会長が2008年8月20日に 「裁判員制度施行時期に関する緊急声明」 を出して、あくまでも当初決めたスケジュール通りの今年5月21日からの完全施行を強い調子で求めていることとも合わせて考えるとさらに深まります。
また、それ以上に不可解に思われるのが、最高裁の対応です。最高裁は、現行の司法制度そのものに大きな問題点はないという基本認識を持っており、また、専門家ではない素人の国民の司法参加には当初から消極的というよりも積極的反対の立場でした。
しかし、「裁判の迅速化」 を旗印にある時点から方針を転換しました。最高裁は、平成12年9月12日の司法制度改革審議会で、「陪審制、参審制を採用する国では、憲法上これを保障又は許容する旨の規定が置かれている国が少なくない。しかし、わが国の憲法では、司法権の担い手としての裁判官について身分保障等の詳細な規定が置かれている一方、陪審制、参審制を想定した規定はなく、果たしてこれが憲法上許されるかどうか問題である」 とし、「陪審制について憲法問題を回避するためには、旧陪審のように陪審員の事実認定に裁判官に対する拘束力を認めない形態のものが考えられるであろう。
また、参審制について憲法上の疑義を生じさせないためには、評決権を持たない参審制という独自の制度が考えられよう」 と述べていました (平成12年9月12日開催第三〇回司法制度改革審議会議事添付資料 「国民の司法参加に関する裁判所の意見」 最高裁判所より抜粋)。しかし最高裁は、その後なぜか沈黙して審議会の裁判員制度の提案に同調するという不可解な経緯があったのです。
なお、法務省・最高検察庁は当初から裁判員制度を積極的に推進する立場ですが、捜査・取り調べを協力して行う警察庁とともに、日弁連や市民団体が要求している取り調べの全面的可視化には否定的で、ガラス張りの取調室や部分的可視化で十分対処可能との主張を崩していません。
裁判員制度の意義・目的は、「裁判員が裁判官と共に刑事訴訟手続に関与することが司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資する」 (裁判員法第1条) とされていますが、ここで以下、法曹三者の責任ある立場にある最高裁事務総長、検事総長、日弁連会長の見解がどんなものであるかを見てみましょう (『読売新聞』 2008年5月21日付、特集 「あなたの裁判員」 から)。
☆大谷剛彦・最高裁事務総長
[先進国には陪審制や参審制などの制度があり、支持を得ている。国民が参加することで裁判は分かりやすくなり、透明さや公正さが高まるし、国民の良識が反映されることで判決は納得行くものになると思う。参加体験が浸透すれば、国民が司法への責任を分担するという意識を持つようになり、司法は国民に定着する]
☆但木敬一・検事総長
[犯罪被害者や遺族の人たちが 「司法は私たちの気持ちをくみ取っていない」 という声を上げ、プロ任せでいいのかという問題が生じた。刑事裁判はお上任せの最たるものだが、それを担う裁判官、検察官、弁護士への信頼は残っている。その伝統を継承し、さらに国民を入れることで、もっと素晴らしい刑事裁判になるのではないか]
☆宮崎誠・日弁連会長
[裁判所は、多数の有罪事件を処理する中で、有罪判決が当たり前になり、自白を取るために検察が容疑者を長期拘束していると思いつつも、検察に甘い見方に陥りがちだった。これを断ち切るには、国民が裁判に直接参加し、本来の原則である 「無罪推定」 を徹底させるシステムが必要だった。国民には負担をかけるが、ぜひ、協力してほしい]
ここには、これまで述べたような法曹三者それぞれの思惑がよく現れているように思います。特に、「国民が司法への責任を分担するという意識を持つように」 なる (大谷氏・裁判官)、「もっと素晴らしい刑事裁判になる」 (但木氏・検察官)、「本来の原則である “無罪推定” を徹底させるシステムが必要だった」 (宮崎氏・弁護士) という法曹三者トップの言葉に注目する必要があるでしょう。その中でも、宮崎氏は先に触れた緊急声明の中で 「捜査も裁判も官のみが行う状況ではチェックが働かず、一向に冤罪はなくならないのです」 との認識を披露しています。しかし、問題は、裁判員制度が本当に “無罪推定” 原則を徹底させ、冤罪をなくすシステムになるかどうかと、いう点です。私は裁判員制度への 「公判前整理手続」 導入 (後述する) によって冤罪を新たに生む危険性があると考えており、こうした楽観的な認識・評価には大きな疑念があります。
最後に、世論の動き、すなわちメディアの報道と国民の反応はどうだったでしょうか。多くのメディアは、法案審議の過程では裁判員制度の必要性や意義・目的について表面的な報道に終始し、法案成立後には肯定的立場で裁判員制度を紹介・解説してきました。また、一般の国民は自分たちの知らないうちにトップダウンで決定された裁判員制度の強制に戸惑い、世論調査などでは消極的反対も含めれば約8割の人々が反対の意思表示をしています。また裁判員制度導入が近づくにつれ、その深刻な問題点が浮き彫りになり、地方の弁護士会や市民団体などが活発な反対・見直し運動を開始し、野党の中でも裁判員制度導入の延期・凍結と見直しの声・動きがようやく出始めていますが、メディアはなぜかこうした動きを無視するかのようにほとんど報道していません。
そして、法曹3者は5月21日からの裁判員制度施行に固執しており、何としても予定通りに強行実施する構えであるようです。また、裁判員制度導入に向けての環境整備が現在着々と進められており、国民への宣伝教化に巨額の税金が投入されています。最高裁と法務省が裁判員制度の広報活動に使った予算は平成18年度だけで最高裁13億円、法務省3億円であり、日弁連も同じく2400万円の費用をかけて懸命の広報活動に努めています。この中心的な存在となっている最高裁の広報活動は、裁判員法附則二条一項に基づくとされています。しかし、重大な憲法違反との疑義が出されている裁判員制度の違憲性の有無を判断しなければならない立場にある最高裁までもが、そのような広報活動を積極的に担うというようなことがはたして妥当だといえるのでしょうか。
(続く)
2009年4月30日
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