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(回答先: 盧前大統領、遺書を残し自殺か【朝鮮日報】 投稿者 Ddog 日時 2009 年 5 月 23 日 15:27:09)
韓国の盧武鉉前大統領が死亡、自殺か
http://www.afpbb.com/article/politics/2604960/4180879
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【5月23日 AFP】(一部更新、写真追加)韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン、Roh Moo-Hyun)前大統領(62)が23日朝、山歩き中に岩から飛び降りて頭部に重傷を負い、搬送先の国立釜山大学付属病院(Busan National University Hospital)で午前9時30分(日本時間同)に死亡が確認された。
釜山大学付属病院の発表によると、直接の死因は頭部の負傷だったが、肋骨(ろっこつ)や骨盤などに多数の骨折がみられたという。
大統領在職当時に側近だった文在寅(ムン・ジェイン、Moon Jae-In)元民政主席によると、前大統領は同日夜明けごろ、ボディガードと一緒に韓国南東沿岸部の金海(Gimhae)市郊外の自宅を出て山歩きをしていたが、午前6時40分ごろ、岩から飛び降りたという。重傷を負い近くの病院に運ばれた後、釜山市の病院に転送された。また、前大統領は家族に宛てた短い遺書を残していたという。KBSテレビは遺書に「非常につらかった。多くの人が困難に苦しんできた。私の遺体は火葬して、村に小さな墓を建ててください」と書かれていたと伝えた。
警察は自殺かどうか調査を進めているとしている。テレビは現場付近を調べる科学捜査員の姿を放送した。
検察当局は、盧氏の後援者である靴製造企業の社長から、盧氏の妻である権良淑(クォン・ヤンスク、Kwon Yang-Suk)夫人が100万ドル(約1億円)、実兄の娘婿ヨン・チョルホ(Yeon Cheol-Ho)氏が500万ドル(約5億円)の資金供与を受けた疑いに関して前月30日、盧氏に事情を聴き、逮捕するか検討しているところだった。
盧氏は親族がこの件に関与したことに対して謝罪したが、自身の不正への関与は否定していた。これとは別に盧氏の兄、盧建平(ノ・ゴンピョン、Roh Gun-Pyeong)受刑者が、盧氏の大統領在職中に200万ドル(約2億円)を超えるわいろを受け取ったとして禁固4年の刑を受け前週、収監された。
盧氏は反汚職などを掲げ2002年の大統領選で勝利し、03-08年に大統領を務めた。韓国で大統領経験者が検察の事情聴取を受けたのは全斗煥(チョン・ドゥファン、Chun Doo-Hwan)元大統領、盧泰愚(ノ・テウ、Roh Tae-Woo)元大統領の2人に続き3人目。両者は1995年に反逆罪と収賄で有罪判決を受けたが、97年に特赦を受けている。
盧前大統領が死亡したことを受け、韓昇洙(ハン・スンス、Han Seung-Soo)首相は緊急閣議を招集した。欧州連合(EU)との首脳会談が予定されていた李明博(イ・ミョンバク、Lee Myung-Bak)大統領は、前大統領の死を「国家的悲劇」と表現し、その後の予定をすべてキャンセルした。(c)AFP/Park Chan-Kyong
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盧武鉉前大統領が死亡したニュースが伝わった。生前日本に対する数々の無礼な行状は、一国の大統領として、品位に欠け、素直に哀悼の意を表す気にはならない。
[[attached(1,center)]]
昨日、竹内整一著『日本人はなぜ「さようなら」とわかれるのか』ちくま新書を読んでいた。
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世界の別れの表現別む葉を眺めてみますとそれらはおおよそ次の三つのタイプに分類することができます。
@“Good-bye” ”Adieu“ ”Adios“ “Addio”
A“Seeyouagain” “Au revoir” ”再見“ “Auf Wiedersehen”
B“Farewell” “安寧(アンニョン・ヒ・ゲセヨ)”
@の“Good-bye"..というのは、“Good be with you”が約まったとされるもので、「神があなたとともにあらんことを祈る」という意味合いの別れ言葉です。
フランス語の.、”Adieu“は、”dieu:“が神、”a”、が「〜へ」とか「〜において」という意味の前置詞ですので、「神の御許に」という意味です。スペイン語の”Adios“あるいはイタリア語の.“Addio”も同様の言葉で、別れに際して、神のような存在の、こ加護を願うという別れ方です。
Aは、“Seeyouagain”、「再び会いましょう」というタイプの別れ言葉です。フランス語
“Au revoir”.は、“re”「もう一度」、“voir”「会う」、という意味がこめられています。中国語の、再見は、文字通り、「再び見(まみ)えましょう」ですし、ドイツ語の“Auf Wiedersehen”も“Wieder”「再び」、“sehen”.「会う」です。その他、スペイン語の“Hasta la vista”も、イタリア語の.“Arrrivederci”も、ロシア語の、“Do svidania”も、みな「再会まで」という言葉です。
B“Farewell”は、“wel”「うまく」、“fare”、「やつて行って下さい」という別れ言葉です。朝鮮語の、アンニヨンヒ、ゲセヨ(ケセヨ)の「アンニョン」は漢字で書くと「安寧」で「安らかに行って下さい」「お元気で」の意味がこめられています。ラテン語の“Salve”と“Vale”も、ともに「お元気で」の意味です。
「世界の別れ言葉は、だいたいこの三つのタイプに大別されます。日本人の場合、@の「神の御許に」とか、あるいは「仏の御加護を」といつたよう塗言い方で別れることはあまり一般的ではありません。Aでは、「またね」とか「じやあ、また」と言って別れますし、Bでも「御機嫌よう」とか「お元気で」というような別れ方はごく一般的に使われています。
しかし何といっても、日本人の別れ言葉としては、「さらば」「さようなら」がもっとも一般的でしたし、さきにも述べたように、「それでは」「では」「じゃあ」にもまったく同じ発想があります。
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「さらば」「さようなら」とは、本来「然あらば」「さようであるならば」ということで、「前に述べられた事柄を受けて、次に新しい行動・判断を起こそうとするときに使う」とされた、もともと「そうであるならば」という接続詞でした。
その、本来接続詞である言葉で、日本人は、すでに10世紀のむかしから別れに、「さようなら(ば)」「それでは」といった言い方で別れてきた。ごくふつうの日常語としても「それでは」とか、「では」とか、「じゃあ」といった言い方は使われています。大阪弁の「ほな」、東北弁の「せば」「だば」も、まったく同じです。
その別れ言葉としたら、世界では一般的ではない。
==== 色は匂へど散りぬるを、わが世誰ぞ常ならむ、有為(うゐ)の奥山今日越えて、浅き夢見じ酔ひもせず ====いわずと知れたいろは歌である。日本人には仏教的無常観が日本人の生死観にに強く影響を与えている。
室町期、閑吟集の歌
「ただ人は情けあれ 夢の夢の夢の昨日は今日の古(いにし)へ 今日は明日の昔 一期は夢よただ狂へ」厭離穢土(おんりえど)欣求浄土(ごんぐじょうど)の思想から明日の死を意識して今日を生きるといった思想へと発展し。
葉隠れの「武士道と云うはしぬことと見つけたり」と逆説的な生き方(死に方)の思想へたどり着いた。
「さらば死なん」「さらばじゃ」と死の美学とともに、死に向き合う為の今日があると考え生きる凛とした生き方ができるのである。
日本人は別れの場面を「サヨナラ」とあるがままに受け入れて、人生すべての理解と感情を言い過ぎもせず、いい足りなくもせず、「サヨナラ」の四音に込める。実に美しい言葉である。
「さようなら」「いざさらば」といって真っ先に連想するのは・・・
[[item(http://www.youtube.com/v/9-i6w9z80H4,425,355)]]
[http://www.youtube.com/watch?v=9-i6w9z80H4 Albert Shirosu - Aogeba Toutoshi 仰げば尊し]
「いまこそわかれめ、いざさらば」
卒業式の時には「さようなら」「いざさらば」であった。節目の曲としては誠に名曲である。
だが、戦後生まれの我々日本人には、「さようなら」も「さらば」も使う頻度が少なくなった。
[[item(http://www.youtube.com/v/vR8hoLIGgHs,425,355)]]
[http://www.youtube.com/watch?v=vR8hoLIGgHs ただおまえがいい]
「また会うやくそくなどすることもなく、それじゃーまたなと分かれる時のおまえがいい」
名曲である。
寺山修二の詩「さよならだけが人生ならば」
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さよならだけが
人生ならば
また来る春は何だろう
はるかなはるかな地の果てに
咲いてる野の百合何だろう
さよならだけが
人生ならば
めぐりあう日は何だろう
やさしいやさしい夕焼けと
ふたりの愛は何だろう
さよならだけが
人生ならば
建てたわが家は何だろう
さみしいさみしい平原に
ともす灯りは何だろう
さよならだけが
人生ならば
人生なんか いりません
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http://leilanlele.exblog.jp/2658320/
井伏鱒二が、干武陵の「勧酒」(酒を勧む)の漢詩[http://www8.ocn.ne.jp/~yoshi9/essay/chinese-poem01.html]を訳した「さよならだけが人生だ」
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「この杯を受けてくれ
どうぞなみなみつがしておくれ
花に嵐の喩えもあるぞ
さよならだけが人生だ」
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のアンチテーゼでもある。
寺山修司の「さよならだけが人生ならば」も井伏鱒二の「さよならだけが人生だ」も小椋啓作詞の「おまえがいい」にしても、その底流には一貫して「一期一会」の精神が流れている。
「一期一会」の精神や別れには日本人の行動動作の基本動作がうらづけられている。
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日本人が古代から現代に至るまで、その別れに際して常に一貫して、「さらば」をはじめとする、「そうであるならば」という意のいい方を使ってきたのは、日本人がいかに古い「こと」から新しい「こと」に移ってゆく場合に、必ず一旦立ち止まり、古い「こと」と訣別しながら、新しい「こと」に立ち向かう強い傾向を保持してきたかの証拠である。(『やまとことばの人類学』)
略
日本人が「さらば」「さようであるならば」と別れるのは、古い「こと」が終わったときに、そこに立ち止まって、それを「さようであるならば」と確認し訣別しながら、新しい「こと」に立ち向かおうという心のかまえ、傾向を表しているという説明です。
略
小林康夫とフランス・ドルヌの共著『日本語の森を歩いて』という本は、次のような面白いエピソードを伝えています。
著者のドルヌさんが初めて日本語で研究発表をしたとき、結論を述べて発表を終えたつもりが、聴衆から、何の反応もなかった、と。その原因は、「以上です」という言葉が最後になかったからなのだ、というわけです。
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なるほど、と感心するばかりです。
お別れの歌として計画されたキャンディーズの微笑返しも感慨深い。特に解散コンサートで歌っている彼女達の心中は、いかがなものであったのだろうか?
[[item(http://www.youtube.com/v/u-h7SDc_UMQ,425,355)]]
[http://www.youtube.com/watch?v=u-h7SDc_UMQ 微笑みがえし]
「123♪みっつかぞえて123♪みつめあったら私たちお別れなんですねー♪」と、どんな別れでも必ず、「こと」を終え、新しい「こと」に立ち向かうという姿勢を見せないことにはどうにも納まりが悪いのかもしれません。
話は、だいぶ遠回りしてしまったが、盧武鉉の死に対しては、「かわいそう」であるとか、「さらば」「さようなら」という感情が込み上げない。盧武鉉の死は日本人の美学にはまったく訴えかけるものが無い。
[http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/folder/429679.html / 小沢一郎の代表辞任に思う。儒教デモクラシー]において、小沢一郎の辞任は、儒教デモクラシーという矛盾した政治姿勢に政治家であるよりも君子であるべきを選んだと考えた。盧武鉉の死は儒教デモクラシーではなく、儒教倫理観と世俗の自分の自己矛盾に耐えられなくなった発狂としての死である。
三島由紀夫の死も自己との矛盾に耐え切れなくなった死であり、作法こそ古来日本人の行ってきた作法を守ったが、三島由紀夫、太宰治、芥川龍之介の自死はけして美しくはない。
神風特攻隊で散っていった若者達が残した手紙から比べれば、三島も太宰も龍之介もすべてかすんでしまうのであります。
[[item(http://www.youtube.com/v/_QOXodCXpTs,425,355)]]
[http://www.youtube.com/watch?v=_QOXodCXpTs 神風特攻隊員たちの遺書]
無常な世界で、死に向き合う為の今日を精一杯、凛とした生きるのではなく、盧武鉉は「サヨナラ」と言う言葉に値しない死を選んだのだ。現実をあるがままに受け入れてはじめて、人生すべての理解と感情を言い過ぎもせず、いい足りなくもしない、「サヨナラ」という四音を声としてかけられるのである。
【Ddogのプログレッシブな日々】
http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/27187490.html
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