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「世論が大事」と言うデタラメ
http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2009/05/post_189.html
官僚国家では、国民を支配する方法として、守る事の出来ない法律を作り、違法状態を野放しにし、いつでも「裁量」で摘発する方法があると書いた事がある。官僚にとって好ましくない人物は摘発され、従順な人物は見逃される。すると国民は官僚にすり寄り、言う事を聞くようになる。政治家もその方法でコントロールされる。
それ以外に官僚の作る政策をあたかも国民が作ったようにみせかけ、「民意だ」と言って国民に文句を言わせない方法もある。国や地方自治体に設置される「審議会」などがそれである。「審議会」は大臣などの諮問を受けて民間の専門家が集められ、政策が策定される前に意見を聞かれ、大臣などに答申する機関だが、人選をするのは官僚で、議論のための資料なども官僚が用意するため、官僚が誘導したい方向に結論を導く事が出来る。
しかも官僚は「審議会」の答申に縛られる事なく政策を作成できるから、作られる政策はあくまでも官僚の政策である。しかし意見を聞いた事で、「民意が反映されている」と言う事が出来る。「民意」と言われると民主主義のように聞えるが、官僚の政策に民主主義らしき粉をまぶした程度の話である。
最近、この発想と似た事がメディアの世界で多用されている。新聞やテレビが行なう「世論調査」である。「世論調査」の結果を「国民世論」だと報道する事例が増えているのだが、私には何か民主主義まがいの粉が飛び散っているだけのように見える。
かつて新聞やテレビがこれほど「世論調査」を行なうことはなかった。多額の費用がかかるため余程の時にしか行なわなかった。調査の対象に偏りがあっては正確な世論はつかめない。人と時間をかけて丁寧に行なう必要があった。調査対象に性別、年齢別、地域別、職業別などで偏らない対象を選ばなければならない。だから大変で滅多にやらなかった。
ところが最近は毎週のように「世論調査」が報じられる。そんなに頻繁だと多額の費用はかけられない。かつてとは異なる方法で安価に済ませている事になる。RDDという方法を良く目にするが、コンピューターの乱数計算を基に電話番号を発生させ、電話に出た相手に質問を行なう方法だと言う。それで得られる回答が本当に「世論」と呼べるのか、私には信用する気になれないところがある。
電話をする時間帯が昼間で相手が個人住宅なら、電話に出るのはお年寄りか女性が多くなるはずだ。それなら性別、年齢別、職業別の偏りを無くすための方法を他に講じているのだろうか。それともそれらの要素は切り捨て、とにかく電話に出た相手だけで調査を済ませているのか。そこが気になる。
次に質問の仕方である。相手は答えるのが面倒だと思っているに違いない。いい加減な答えが返ってきたらどうするか。かつてテレビやラジオで数多くのインタビューをやった私の経験から言えば、聞き方次第でこちらの期待する回答を得るのは至極簡単である。そういう聞き方をしていないか。疑問は限りなく浮かんでくる。
しかも質問の相手が新聞の読者だったらどうなるか。新聞記事に影響されているはずである。回答の内容は新聞社の見方と同じになるはずだ。それだと「世論調査」は新聞社の論調を「国民世論」に見せかけるための道具になる。官僚が審議会の委員に対して官僚の考えと同じになる資料を見せ、思惑通りの回答を引き出し、官僚が作成した政策を「民意による」と見せかけるのと同じである。新聞は自らの主張を今度は「国民世論」として再び社会に発信する事が出来る。恐ろしい世論誘導の方法である。恐らくメディアはこの手法を官僚から学んでいる。
民主党代表選挙で新聞とテレビは、「岡田優勢」の「国民世論」と「鳩山優勢」の「民主党世論」を比較して、あたかも民主党が国民世論に背を向けているかのような報道を行なった。しかしその「国民世論」は先ほどの手法で新聞とテレビが作り出した「世論」に過ぎない。新聞とテレビの仕事は世論誘導ではなく、政治力学を読み解き、政局を自分の頭で「考える」ことだ。ところが「考える力」を感じさせる解説には全くお目にかからない。どこかの政治家の受け売りばかりが「政局解説」として流れている。
因みにアメリカには世論調査の専門会社がいくつかある。最も有名なギャラップ社は70年以上の歴史を持ち、世界30カ国以上に事務所を置いている、世論調査の正確さに命をかける専門会社であるから信用を失ったら会社は潰れる。日本の新聞とテレビのような片手間の調査とは訳が違う。本格的な世論調査とは言えない調査で世論を操られる日本人は誠に不幸な国民である。
新聞とテレビもひどいが「世論が大事だ」とのたまう政治家にはもっとがっかりさせられる。「世論」は勿論尊重するが、「世論」の通りに動く政治家では存在する意味がない。全てを国民投票で決めれば良い話になる。「民主主義は最悪の政治体制」と言ったのは英国のチャーチルだが、ギリシアの昔から国民の言う通りにしたら「国家は潰れる」。「国民は愚かで誤りを犯す」と言うのが民主主義の大前提である。いかに国民に不人気でも深い洞察力と見識で国民を指導する政治家が居て初めて「民意の尊重」が生きてくる。欧米では自明の事がこの国では理解されていない。
世論調査で「辞任しろ」と言われて辞任する政治家が居たら「政治家失格」である。これも欧米では自明だが、この国ではそれを理解できない政治家がいる。一体政治の何を学んできたのだろうか。民主主義で最も大事なのは国民の選挙で示された「民意」である。選挙結果は最大限に尊重される。選挙に勝利したリーダーを党内の事情で交代させる政党は欧米にはない。
英国ではサッチャーもブレアも国政選挙に勝利している間は10年以上も党首選挙は行われなかった。それに倣えば一昨年の参議院選挙で民主党を勝利させた小沢代表を交代させる理由は全くない。だから昨年民主党が代表選挙を行わなかった事は正しい。ところがそれを理解できない政治家とメディアが居て、党員だけの選挙なのにやらないのは「国民に開かれていない」とか「民主主義的でない」とか馬鹿丸出しを言っていた。民主主義に無知なのである。
今回の代表選挙は小沢代表が「挙党一致」を求めて辞任したのだから、これも民主主義の論理に従えば小沢体制が継続されるのが常識である。次の選挙で民主党が敗れればそこで小沢体制を交代させる必要が出てくる。それが「民意の尊重」であり民主主義の王道である。ところがそれとは関係のない雑音ばかりで動いている政治は、この国の民主主義が「成人」に達していない事を示している。選挙直前に検察が政界捜査を行う国を世界では「後進国」と呼ぶ。そんな国で「世論が大事」は所詮民主主義とは関係のないデタラメに過ぎないのである。
投稿者: 田中良紹 日時: 2009年05月17日 01:24
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