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小沢落語:「剛腕・小沢」は≪公共財≫だ
二見伸明氏(誇り高き自由人、元衆議院議員)
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2009/05/post_272.html
「ご隠居。民主党の新しい顔が決まったね」
「顔じゃない、頭が決まったのだ。天下分け目の一戦で勝てば、日本国の将軍になる人を、顔で選ぶバカがいると思うか。どこかの美人コンテストとは違うのだ。言葉遣いに気をつけろ。だけど、二人とも、いい顔、していたな。しかし、問題はこれからじゃ」
「小沢大将の扱いですか」
「そうよ。勝敗の分かれ目は、新代表を先頭に、小沢を核にした総合力をつくれるかどうかだ。自民党には、手練手管に長けた、百戦錬磨の古強者がいる。それに太刀打ちできるのは、小沢だけ。大阪の陣で、豊臣が負けたのは、臆病で嫉妬深い重臣たちが、眞田幸村、後藤又兵衛など英雄、豪傑をソデにしたからだ。幕府軍が最も恐れているのは、一声上げれば、「おー」と応える三百万、五百万の仲間がいる『剛腕・小沢』だ。幕府は瓦版屋と紙芝居屋を、またぞろ、抱き込んで、「小沢追出し」の陰謀を企んでくると思う。いやな言葉だが、選挙とは権力闘争そのものなのだよ」
「ご隠居。瓦版屋や紙芝居屋は『反小沢』『親小沢』って、騒いでいて、朝に晩に『詰め腹切らされた小沢大将が院政を敷く』と言い触らしているよ」
「それは、幕府が流している、どす黒い噂話だ。人気凋落の麻生幕府が狙っていたのは、民主党のお家騒動さ。そのために、瓦版屋や紙芝居屋を嘘っぱちのネタと脅しで抱き込んでいるのだが、最近の民草(注:人民)は賢いから、お上の思うようにはいかないだろうけどな」
「でも、どうせ宣伝するなら、民主党も二十日間くらい、お披露目興行すればよかったのに」
「歌舞伎役者や噺家とは違うのだよ。プロ野球の監督がシーズン途中に辞任した場合、後任の監督を決めるのに、十日も二十日もかける球団があるか。そんなことをすりゃ、最下位まちがいなし。まして、明日にも宣戦布告されるかもしれないときに、のん気なことを言っていられるわけがない。しかも、顔も気質も知っている仲間から大将を選ぶんだから、その気になれば二、三日で決められるはずだ。日にちをかければ、敵の密偵に入り込まれるだけだろう」
「だけど、専業の議員さんがブツブツ不満を漏らしているらしいよ」
「どこの党にも、不満分子は居るさ。決まるまでは、なに言ってもかまないが、決まった以上、従うのが、民主主義ってやつのイロハじゃ」
アメリカの高級週刊誌・「タイム」は、小沢一郎を「マーベリック」と評価した。(注:マーベリックとは、十九世紀後半のテキサスの開拓者、サミュエル・マーベリックに由来する。昨年のアメリカ大統領選では、共和党の候補でありながら、ブッシュ政権を批判するマケイン氏をマスコミは「政治改革者・マーベリック」と呼び、「マーベリック」という名が有名になった。いい意味での「異端者」のことをさす)。
中国は一、二年後には日本を抜いて、アメリカに次ぐGDP世界第二位になるとの予測もある。小沢の外交路線は、日米、日中等距離外交、いわゆる、二等辺(あるいは、正三角形)外交である。これは米中超二大国に挟まれた日本の国際戦略を考えた外交理念だろう。クリントン国務長官との会談のやりとりや「第七艦隊」発言は、日本がアメリカのポチではなく、対等に話し合うことの出来る存在であることを示す、アメリカからの自立宣言だと思う。小沢は、中国の要人には「一党独裁は破綻する」と平然として苦言を呈する。タイムは、小沢の率いる日本は、「アメリカにとって、やっかいな仲間」と述べているが、まさに、「マーベリック」の面目躍如である。
民主党の旗印「霞ヶ関改革」「年金の一元化、基礎年金の財源は消費税」「地方分権、補助金を一括して地方に交付」などは、新進党時代、小沢一郎のもとで議論し、小沢自由党の基本理念、政策になり、民主・自由合併で、新しい民主党の基本理念・政策に昇華したものである。国の在り方を抜本的に組み替える小沢構想は壮大すぎて、理解されず、猛反撃を受けた。にもかかわらず、ひたむきに、その実現を目指し、自由党時代には、自自連立をしたが、自民党に騙された。自由党が連立を離脱するとき、小渕恵三総理が「イッちゃんの『改革」』は良く判るし、イッちゃんと一緒にやりたい。しかし、自民党がそれを許さない」と語ったことが、私には忘れられない。
小沢は「剛腕」である。それも決められたルールの中での剛腕であって、マスコミが言うような横紙破りではない。彼は国の根幹に関わるような議論は大好きである。元外務総括政務次官の東祥三氏が、かつて、小沢に安全保障問題で論戦を挑んだことがある。小沢の論理は理路整然としていて「名人が豪刀を振りかぶる、ド迫力があった」と、東は語っている。若手政治家は小沢に、胸を借りるつもりで論戦を挑み、政治家としての力量を養うといい。
2004年、民由合併直後の参院選のとき、小沢は無冠の一議員として、山間僻地、過疎中の過疎の大分県千歳村でビールケースに乗って応援演説をした。目撃した私の友人は「ヒトが五百人ほど、地から湧いてきた」と言った。訥々とした岩手弁が心に沁みたそうである。
パフォーマンスは心に残らない。政治家は、演説の「技術」を身につける前に、心に残る真実の叫びを心がけるべきだ。
小沢ほどポストに執着しない政治家はいない。民主党内の反小沢派は「政権交代こそ我が生命」を額面どおり受けとめる度量をもつべきだ。
私は、小沢を、「古く腐ったものを壊し、新しいものを創る」ための≪公共財≫だと思っている。「改革」が出来なければ、政権交代が実現しても、意味がない。
投稿者: ニュース・スパイラル 日時: 2009年05月17日 00:21
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