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「副島隆彦の学問道場」―今日のぼやき―より
http://www.snsi-j.jp/boyaki/diary.cgi
「1037」 残念ながら、11日に小沢一郎が民主党党首を辞任した。小沢辞任は、「ナイの草刈り」だろう。「ソフトパワー」の恐ろしさに注意しなければならない。2009.5.12
・副島先生の最新・政界分析も聞ける、6月20日開催「副島隆彦を囲む会」定例会へのお申し込みは、こちらです↓
http://www.soejima.to/cgi-bin/kouen/kouen.html
副島隆彦です。 今日は2009年5月12日です。
私は、どうも最近、体調がすぐれず、気力が少し衰えていまして、学問道場の会員の皆様に、次々と情報と知識の発信、伝達をできずに、申し訳なく思っています。 もうすぐ元気になりますので、そうしたら、たくさん書きますから、お待ちください。私はまだまだ言論で闘います。 私たちは、日本の国民指導者、小沢一郎の志に、続かなければならないと思います。
我らが、小沢一郎が、民主党に代表(党首)の職を辞任しました。昨日、11日の昼の、記者会見の様子のニューズ報道を私も見ました。 テレビで彼の表情を見ていて思うのですが、小沢一郎は大丈夫です。民主党の代表の職を辞するぐらいのことは、国民政治の流れの中では、あってもいいことだし自然な行動だ。小沢一郎は地位や役職にしがみつかない。
小沢は、鷹揚(おおよう)に構えて、泰然自若(たいぜんじじゃく)として、「みなさん、メディア(テレビ、諸新聞、雑誌)が、やめろ、やめろ、と言うのですから、やめましょう」 という、余裕のある態度だ。この すごみが、”実質の日本国王”小沢一郎の持ち味だ。世の中の流れ、歴史の流れ、国民政治が現実に進行してゆく、その流れの中の真ん中に、まっすぐに自分を置いている。 こうやって、日本国の国家の運営も、国民生活の苦しい現状も続いてゆく。
「国民が、審判を下す」 という、まっとうな言葉を、たくさん使いながら、今の民主党の政治家たちは、じっと、苦難に耐えて、次の時代を待っている。どうせ、政権を取れば、国民の暮らしを守る重圧がかかってくる。 自分たちが与党として、現職の政権公職にしがみついているだけの見苦しい、自民党の下劣な政治家どもとは、もともと、人間の格(クラス、 class 風格)がちがう。
浅ましく見苦しく恥もかき捨てて、公然と アメリカの手先をやり続けている日本のマスゴミ(=メディア。新聞5社、テレビ5社。そそれから、文春、新潮の、「小沢やめろ」の大合唱をしている、新聞記者あがりのような、品性卑しい評論家ども、三宅久之、立花隆、与良なんとか、岩見隆夫、 etc. etc. そのうち、ひとまとめにして、私、副島隆彦が、徹底的に叩きのめしてやる。)との、愛国者・小沢一郎の、正面からの激突だ。 時代が変わったら、この愚劣な者たちは、国民から捨てられてゆく。
小沢一郎に襲いかかった、検察庁・法務省・警察官僚(政治公安警察部門)たちの、これからの姿を、私たちはずっと、凝視し続けようと思う。
各省の官僚たちは、小沢一郎が育てた民主党が政権を取ったら、政治改革(公務員の機構改革、官僚制度の破壊)をされて、自分たちの特権が奪われることが、ものすごく恐ろしいのだ。
小沢は、以下の、産経新聞の記事の中にあるように、記者会見で、はっきりと、次のように言った。
(転載貼り付け始め)
「3年前に代表職を引き継いだときには、(党は)1けた台の支持だったと思うが、みなさんの懇切丁寧な報道ぶりにもかかわらず、20%以上の支持で自民党とほぼ拮抗(きっこう)している」 と皮肉った。
(転載貼り付け終わり)
小沢一郎は、このように、自分の目の前に集まっている新聞・テレビの記者たちの、ハイエナのように、小沢民主党の悪口を書き続けた者たちに、向かって、真正面から、嫌味(いやみ)を言っている。しかも、実に余裕をもって、国民政治家としての節度を守って、この、飛び道具・刃物たちに、対応している。「みなさんの懇切丁寧な報道ぶりにもかかわらず」 という言葉は、出色(しゅっしょく)である。
テレビ、新聞、雑誌(大手出版社)などに雇われて、花形記者のような気に自分ではなっている、エリート・ジャーナリスト気取りの者たちの、完全に飼育されつつくした猟犬のような、哀れさと、みじめさを、私たち国民は、遠くから、じっと見詰めている。
小沢一郎は、自民党のごろつき政治家たちと、読売・日テレのナベツネや氏家済一郎たちを筆頭にして、朝日新聞も、弱小の産経新聞も含めて、をアメリカの忠実な手先となっている、日本の新聞5社・テレビ5社の大幹部たちとの、闘いをやっている。
彼ら、マスゴミ=メディアの、大親分たちが、民主党政権ができたら、どれぐらい、自分たちの特権と、国民支配権を奪われるかで、正面から憎しみをこめて、恐怖心に駆られて、小沢一郎潰(つぶ)しに狂奔(きょうほん)している。見苦しい限りである。
日本国民を、永年、洗脳状態におき、情報統制を行い、言論を統制し、アメリカの言いなりになるように、国民の脳を、おかしくしてきた元凶であり、その道具たちだ。私たちはこの事態を静かにじっと見つめていましょう。
私が、民主党の若手政治家で、小沢一郎直系の人に聞いたのだが、「小沢先生は、政権を取っても首相にはならないで、法務大臣になるだろう。そして、検察や法務省の官僚たちを徹底的に締め上げるだろう。
鈴木宗男さんが、自分を、3ヶ月でいいから、外務大臣にしてくれ、そうしたら、外務官僚たちを、徹底的に指導して外務省を刷新する、と言ったそうだ」 と。
総選挙は、麻生首相が、サミットから帰ってきたあとの、8月中旬にするようだ。 ここが国民政治の決戦の時となる。 副島隆彦拝
(新聞記事の 転載貼り付け始め)
「小沢代表辞任、「辞めろ」の声覆せず…「反小沢」に嫌気も 」
2009年5月12日 読売新聞
民主党の小沢代表の突然の辞任表明は、政界に衝撃を与えた。5月の大型連休が明けても自らの続投に対する世論の強い逆風が収まらず、衆院選への影響を考慮して決断を迫られた。3月に一度は党内で続投が了承されたのに、その後も自発的な辞任要求が根強いことに、小沢氏は嫌気が差したとの見方も出ている。
「党内でぐずぐず言うヤツがいる」 11日午後、小沢氏は石井一副代表ら党幹部らに順々に電話をかけ辞意を伝えた。「新聞が『辞めろコール』をやめず、これでは選挙に影響がある」として、衆院選の勝利を最優先に判断したことを強調する一方で、党内の「反小沢」勢力への不満もぶちまけた。
同日夕の記者会見でも、「連日、(小沢氏に関する)皆さんの報道がありますから、党内が不安定になったりしてはいけない。批判の矛先である私自身が去ることで、総選挙へ向けて挙党一致で戦う態勢を作り上げてもらいたい」と語り、世論の逆風が大きく影響したことを認めた。
◆連休中に決断◆
辞任を最終決断したのは、5月の連休中だった。1日の北海道出張以外は公式日程を入れず、東京都内の自宅などで進退について思いを巡らした。関係者によると、党規約を読んで代表の権限を調べたり、代表が辞任した場合に他の役員も辞職するのかどうかを気にかけたりしていたという。
2日と3日には鳩山幹事長と密会し、「ここは身を引く方が国のためになる」と辞意を漏らしていた。党内ではこのころ「小沢氏と連絡が取りにくくなった」との声が出始め、「辞任会見用の紙が出来ている」とのうわさも流れた。小沢氏は3月24日、自らの公設第1秘書が準大手ゼネコン「西松建設」からの違法献金事件で起訴された後も代表続投を表明。「大多数の仲間の皆さんからご理解いただいている」として、衆院選に向けた地方行脚を再開するなどしていた。
だが、読売新聞社が8〜10日に実施した全国世論調査でも「納得できない」が71%に上るなど、連休明けの報道各社の世論調査でも小沢氏続投への批判は収まらず、個々の選挙区事情なども勘案して最終判断したようだ。民主党幹部は「これ以上続投したら党へのダメージが深刻になるところだった。衆院解散が7月とすれば、2か月前というタイミングはぎりぎりだ」と見る。
さらに、「説明責任」や自発的辞任を求める党内の声が追い打ちをかけた。これまで、小沢氏は西松建設から政治資金を受け取った理由などについて明らかにしていない。小沢氏にしてみれば「やましいところは何もない」との思いが強いからだが、自民党から行動を共にしてきた渡部恒三、藤井裕久両最高顧問までが自発的辞任を求めるようになっていた。
こうした声は小沢氏に直接伝えられることはほとんどなかった。党幹部によると、小沢氏は「直接会った時は何も言わない」と不満を募らせており、渡部氏が先日、国会内で小沢氏を囲碁に誘った時、「そんなことをしている場合か」とはねつけたという。
◆「党内より検察」◆
これとは別に、「小沢氏は党内の批判より、検察の動きに関心がある」(幹部)との観測もある。東京地検は西松建設をめぐる捜査終結についてまだ明らかにしておらず、「小沢氏は自らに捜査が及ぶことを警戒している」(自民党幹事長経験者)との見方が出ていた。
起訴された秘書の初公判が近く開かれるとみられ、民主党内では「冒頭陳述で新事実が示された場合、衆院選へのダメージは計り知れない」との懸念も示されていた。与党内には「13日の党首討論で、事件を取り上げられることを嫌った」との見方も少なくない。 (政治部 村尾新一)
● 「小沢代表辞任 皮肉まじり「小沢節」 25分…強気の独演会」
2009年5月12日 産経新聞
「辞意」を伝える口元になぜか笑みが浮かんだ。3月24日夜、公設第1秘書の起訴を受けた「続投会見」では涙を流し、声を詰まらせた同じ人物だ。「私自身が去ることで(メディア批判が)かわされれば…」。だが、事件との関連について話が及ぶと、語気を強める“剛腕”ぶりも頭をもたげた。党内の辞任論に押されたことを「一因」として挙げながら、いつものように責任を他者に押しつけ、表舞台から去っていった。
■本懐 「おお、マイクもいっぱいだな」。11日午後5時。民主党の小沢一郎代表は数百人の報道陣を前にいきなり冗談を飛ばし、前回とはまったく違う余裕を見せた。「どこの選挙区であれ全力で戦い、必ず勝ち抜く」「政権交代や議会制民主主義の確立のスタートを自分の目で確かめられたら、政治家の本懐、男子の本懐」。約25分間の「独演会」の主は、司会役から会見終了が告げられると、「はい、ありがとう」と一言。「頑張って」と言葉をかけた会場の女性に手を振り、数百の視線を引きずりながら早足で会見場を後にした。
■変心 笑う、語気を強める、語りかける…。晴れ晴れとした印象の小沢氏は会見中、さまざまな表情を見せ、涙ながらに謝罪した前回の会見とは別人のように見えた。3月には「今後も頑張ってまいりたいとの決意を新たにした」と述べる一方で、党支持率や世論の動向が今後の行動に影響するかについて尋ねられると、「国民の受け取り方次第」「いろんな意見の中から自分で判断する」などと述べ、“風向き”次第での辞任の可能性に含みを残していた。
わずか1カ月半での「変心」は、身内の“反乱”と、各種の世論調査で自民党の支持率が上昇傾向にあるとされていることも背景にあるのか。
■鬱憤 「なぜ議員辞職しなくてはいけないのか。私は政治資金の問題について、一点の誤りもありませんし、すべて法律に従ってきちんと報告しております。政治的な責任で身を引くわけではありません」 小沢氏の穏やかな口調が一変する一幕もあった。秘書の事件に関し、離党、議員辞職をする考えはないかとする質問を受けたときだった。
小沢氏は質問した女性記者から視線を離さず、会社名を確認。
(副島隆彦注記。 小沢一郎は、ここで、「あなたどこの会社の人? 」と、聞いた。「日テレです」 とのその女性記者からの返事があった。「あ、そう、やっぱりね」という表情を小沢はした。
それから、以下の発言をした。読売、日テレというのは、小沢つぶし に狂奔した 馬鹿会社である。そのうち、国民から、捨てられるから、見ていろ。ナベツネ、氏家斉一郎(うじいえせいいちろう)、82歳の老害コンビ。 愚劣なる、アメリカの手先ども。政治家でもないのに、日本の政治を、裏からあやつってきた。自分たちCIAの子分どもの、いいように日本を動かしてきた。そろそろ天罰、天誅 が下るだろう。副島隆彦の割り込み、注記終わり)
「3年前に代表職を引き継いだときには、(党は)1けた台の支持だったと思うが、みなさんの懇切丁寧な報道ぶりにもかかわらず、20%以上の支持で自民党とほぼ拮抗(きっこう)している」と皮肉った。
さらに、「挙党態勢に不安を感じる部分はあったのか」と質問されると、「みなさん自身がおわかりだと思う。私がメディアの批判の矛先ならば、私自身が去ることでそれがかわされる」と、一連の報道への鬱憤(うっぷん)をさらにぶちまけた。
(副島隆彦注記。以下の記事の通り、河村たかし氏が、51万票の大量得票で、名古屋市長に当選した。私は、河村たかし氏と昔、勉強会でご一緒したが、彼は、本当に、優秀で、立派で、元気な政治家だ。 うるさいぐらいに、正しい政治を行うことを、主張し続ける。先々は、彼を日本の首相にすべきだと、私は思う。河村たかしは、文句なしで、すぐれた国民政治家だ。 名古屋の人たちは、ほんとうに立派な人物を選んだと思います。副島隆彦注記終わり)
● 「市民税減税、総務相に方針=名古屋市長 」
産経新聞 2009年5月12日
名古屋市の河村たかし市長は11日、鳩山邦夫総務相を表敬訪問し、同市長が選挙公約で打ち出した、市民税の10%減税を実施する方針を伝えた。会談後、市長は記者団に「総務相は『期待して見守っている』と言っていた。
市の経営努力を見守っているということだろう」と説明。減税の制度設計を詰めるとした。同市は6月議会に関連条例案を提出する考えで、来年4月以降の実施を検討している。 (時事通信)
● 「名古屋市長選 河村氏が大勝
2009年4月27日 産経新聞
任期満了に伴う名古屋市長選は26日投票、即日開票され、民主推薦で無所属新人の前衆院議員、河村たかし氏(60)が、自民、公明の県組織が支持する元中部経済産業局長の細川昌彦氏(54)、共産推薦で愛知県商工団体連合会会長の太田義郎氏(65)ら3人を破り初当選を果たした。
西松建設の違法献金事件で小沢一郎民主党代表の公設第1秘書が逮捕・起訴された後、千葉、秋田両県知事選で敗れた民主党は連敗に歯止めをかけた。投票率は50・54%(前回27・50%)だった。
[フォト]祝いの水をかぶる河村たかし氏 これまで続いた共産以外の与野党相乗りの構図が崩れ、同市長選としては32年ぶりに与党と野党第一党が激突する選挙となった。河村氏が当選したものの、小沢氏の代表進退問題は引き続き、同党に影を投げかけている。
河村氏は衆院議員で5回当選した知名度を武器に序盤から選挙戦をリード。「市民税1割減税」「市長報酬減額」などの公約を掲げ、自転車に乗って連日市内を回り、無党派層の支持拡大に努めた。公約内容や推薦の経緯をめぐって民主党市議の一部が反発、連合愛知も推薦を見送ったが大きな影響はなかった。
終盤には小沢氏のほか、鳩山由紀夫幹事長、菅直人代表代行ら民主党幹部も次々と応援に入った。 ■名古屋市長選 開票終了 当 514514 河村たかし 無新【民】
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
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アルルの男・ヒロシです。今日は、2009年5月12日です。
昨日、11日に、民主党の小沢一郎が党首を辞任する記者会見を行った。
(貼り付け開始)
小沢代表:辞任表明、後継に岡田、鳩山氏ら浮上
(毎日新聞:2009年5月11日)
民主党の小沢一郎代表は11日、党本部で緊急記者会見し、代表辞任を表明した。小沢氏は「衆院総選挙での必勝と政権交代の実現に向け、挙党一致態勢をより強固にするため、あえてこの身をなげうち、職を辞することを決意した」と語った。後任の代表には、岡田克也副代表や鳩山由紀夫幹事長、菅直人代表代行らの名前が浮上している。麻生太郎首相は小沢代表との衆院選を想定していただけに、解散時期を巡って難しい判断を迫られることになる。
西松建設の献金事件を受け、民主党内からも辞任を求める声が出ていた。会見で小沢氏は「代表にとどまることで、挙党一致態勢を強固にする上で少しでも差し障りがあるなら、決して本意ではない」と述べ、辞任の背景に根強い党内批判があることをうかがわせた。決断時期は「大型連休中、ゆっくり考える時間ができた時点だ」と述べた。
一方で事件について「政治資金の問題について一点のやましいところもない。法律に従ってきちんと処理して報告している」と改めて述べ、「政治的な責任で身を引くわけでもない」とも強調した。
小沢氏の辞任表明は12日の両院議員総会で了承され、同日中に代表選の手続きも決まる見通し。小沢氏は新代表の決定までは代表の座にとどまる。後任の代表について小沢氏は「辞めていく者が次の人について論ずべきではない」と具体名は挙げなかった。代表選の時期は「補正予算案の衆院での審議が終わるのを待った上で、速やかに実施していただきたい」と述べた。
鳩山氏は11日夕、党本部で記者団に幹事長を辞任する意向を表明。その上で代表選について「国民の皆さんにオープンな姿で、選挙を通じて新代表を決めたい」と述べた。「できるだけ早く決めなければならない。できれば1週間(程度)で」とも述べ、党員・サポーター参加の代表選ではなく、国会議員による両院議員総会での選出になるとの見通しを示した。後任の最有力候補とされる岡田氏は同日夕、国会内で記者団に「熟慮中だ」と語った。
小沢氏は06年4月、代表に就任。07年7月の参院選を圧勝に導いた。【渡辺創】
http://mainichi.jp/select/seiji/ozawa/news/20090512k0000m010009000c.html?inb=yt
(貼り付け終わり)
アルルの男・ヒロシです。
以上が毎日新聞の記事だ。小沢が辞任を決めたのは、連休中の事だったという。民主党内では、「選挙を戦えない」という理由から、代表の辞任を求める声が強く、この勢いには勝てないということで辞任したのだろう。その辞任の心づもりは、各新聞の世論調査で過半数が、「小沢辞任」を求めたという結果が出た時点である程度、決まっていたのかもしれないが、重要なのは、小沢一郎が政治決断として、補正予算が審議されている最中のこの時期を狙って、電撃辞任したことだろう。これを逃すとさらに状況が悪化するという判断だろう。
いずれにせよ、小沢は米民主党の知日派といわれる戦略家たちから、その反米発言が疎まれていた。アメリカの意向を忖度(そんたく)する、朝日新聞と読売新聞が、これに呼応して、検察からのリークを書き散らした。小沢からの反論は、あやふやなリークでかき消された。
西松建設の献金問題では、現在の経済産業大臣の二階俊博議員にも疑惑が浮上していた。むしろ、西松との関係が深かったのは、小沢ではなく二階だったといわれていたほどである。
にも関わらず、最終的に検察は二階側の強制捜査をしていない。要するに、これは国策捜査であり、その最大目的は小沢一郎代表の失脚だった。これはもう反論の余地がない事実となった。
この後、5月か6月に小沢一郎の公設第一秘書の初公判が東京地裁で開かれるだろう。この時期になると、自民党はテレビに圧力をかけて、このスキャンダルを一斉に再度報道させるかもしれない。いや、マスコミが率先して報道するだろう。
私は、すでに、ある雑誌に以下の原稿を寄稿し、小沢一郎への強制捜査の背景には、アメリカの“民主党政権への不満”があると論じた。それを再度ここに掲載したいと思います。
麻生首相は必ずしもメディアでたたかれているほど無能な首相ではないが、それでも一度は政権交代させておくべきだ、というのが私の考えだ。政権交代を旗印にした小沢一郎は、アメリカの謀略の前に自らの身をいったん引くことにしたのである。
アルルの男・ヒロシ拝
=====(以下、雑誌掲載原稿)====
アメリカの「虎の尾」を踏んだ小沢一郎
(2009年3月10日記)
小沢一郎・民主党代表が東京地検特捜部にやられた。3月3日に小沢代表の第一秘書の政治資金規正法違反容疑による逮捕をきっかけに、新聞・テレビはまるで10年前のようなゼネコンがらみの政治献金に関する報道一色になった。今回の容疑は、小沢代表の秘書が、ゼネコン西松建設のOBが設立した政治団体を経由して受け取った政治献金に関するもの。政治団体からの献金でも実態が西松本社からのものであることを知っていたという「違法性の認識」(刑法38条)が容疑の核となっている。
与野党から、小泉内閣が主導した郵政民営化に関する見直し論が浮上し、麻生太郎内閣の支持率も急低下し、連休周辺の解散総選挙がささやかれていた中での、まさに「寝耳に水」の強制捜査だった。今回の捜査が異例だったのは、小沢代表自身が捜査翌日の記者会見で言明しているとおり、今回の政治献金がきちんと「政治資金収支報告書」に記載されたものであり、従来のような「裏金」ではなかったためだ。この規正法では、第5章21条において、「会社等の寄付の制限」と定めており、政治家個人への企業団体献金を禁止している。しかし、政治団体からの献金は違法ではないので、小沢代表に限らず、多くの政治家がこの法律にのっとり、違法にならないように献金を受け取るシステムを確立していたようだ。(政党支部への企業献金は今も認められている)
これは、確かに「脱法」に近い行為かもしれないが違法ではない。今回、小沢代表が記者会見で厳しい検察批判を行い、民主党内部から「国策捜査」ではないのかという声が上がったのは、検察の強制捜査が事前に予告なしに検察が法律の“解釈”を変えた上で行われためだ。
<元祖・国策捜査のロッキード>
国策捜査(こくさくそうさ)という言葉は、外務官僚の佐藤優氏の著書『国家の罠』(新潮社)に登場したことで有名になったが、元祖・国策捜査というべき存在は、やはり田中角栄・元首相を逮捕した、いわゆる「ロッキード事件」だろう。
この事件に関しては、今も不可解な点が多い。ロッキード社は、当時、世界中の政治家に政治献金を送って受注工作を行っていた。この中には、ビルダーバーグ会議の創始者であった、オランダのベルンハルト皇太子も含まれ、メインは軍用機選定疑惑であった。つまり、角栄に対して疑惑が降りかかった、民間機選定疑惑はむしろ例外的なものだった。
私は、『日本の真実』(成甲書房)の中で、このロッキード事件の真相を解き明かした。この中で、私は、田中角栄に捜査の手が及んだのは、彼の反米的な外交政策のためである、といくつもの状況証拠をあげて指摘した。
ただし、もともと、角栄失脚にアメリカが暗躍していたという説を最初に唱えたのは、ジャーナリストの田原総一郎氏である。田原氏は、『アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄』(「中央公論」1976年7月号)の中で、角栄がアメリカのロックフェラーを代表とする石油メジャーに依存しない外交政策を目指しために潰されたのだとの説を披露している。
だが、角栄外交がアメリカを刺激したのはエネルギー問題だけではなかった。対共産中国への姿勢でも、アメリカの邪魔をするような動きにでていたのだ。当時チェース・マンハッタン銀行頭取だった、デイヴィッド・ロックフェラーは、「竹のカーテン」を越えて北京に進出しようとしていた。しかし、中国訪問ではニクソン政権が日本に先んじたものの、国交回復を先に果たしたのは、角栄だった。
一方、ロッキード事件の「軍用機ルート」でいったんは名前が浮上したにもかかわらず、立件まで至らず、揚げ句の果てに総理大臣になり、長期政権でアメリカとの良好な関係を築いたのが中曽根康弘氏(当時、党幹事長)である。中曽根氏は1953年にヘンリー・キッシンジャー元国務長官(当時、ハーヴァード大学教授)が主宰した「夏期セミナー」に参加して以来、アメリカから「将来の首相候補」として育てられていた。中曽根氏の周辺には、渡邊恒雄(読売新聞・主筆)など、アメリカとの深い人脈を持つメディア人が勢揃いしていたことも注目しておく必要がある。
この後、ロッキード事件の余波で一時は開催中断に追い込まれた、ビルダーバーグ会議を立て直したのが、前出のロックフェラーだ。1973年に設立された、日米欧三極委員会をテコに、日本のリベラル・ハト派の宏池会系の大平正芳首相(大来佐武郎外相)らを巻き込み、アメリカを排除しない「太平洋コミュニティ構想」を打ち立てる方向に日本の外交政策を誘導した。ロックフェラー家は、戦前からIPR(太平洋問題調査会)という組織を通じてアジアへの影響力を行使していた。角栄が崩したアメリカの長期構想の立て直しに動いたのである。
ロッキード事件のアメリカ謀略説には反論も多いが、疑惑を調べたチャーチ委員会の副委員長が、ロックフェラー家と血縁関係にある、チャールズ・パーシー上院議員(イリノイ州)だった。この人物が日本に対する捜査資料の提供の是非を決めていたのだ。(「読売新聞」2006年7月25日)
角栄は、1974年、金脈事件報道を受けて開かれた「外国人記者クラブ」での会見の席で、「あれはロックフェラーのしわざなんだ!」と叫んだという。(『東京アンダーワールド』 ロバート・ホワイティング)
<小沢の相次ぐ反米発言>
元々は田中派の若手実力派だった小沢一郎は角栄のロッキード裁判を全部欠かさずに傍聴していた。小沢の「検察批判」記者会見で激しく特捜部を批判した背景には、そうした“経験”からくる自己防衛本能が働いていたのだろう。
アメリカは、クリントン政権時代、日本を経済的な「仮想敵国」として日本に構造改革を迫ってきた。その中で、どういうわけか、アメリカの意向に添わない行動を取る政治家や官僚の間にスキャンダルが次々と発覚していった。
実際、大政治家になればスキャンダルの一つや二つは抱えているものだ。この点、角栄を集中的に攻撃したバランスを欠いたロッキード事件の報道は、「悪い前例」になった。以後、アメリカは、日本の政治家の不祥事を利用して政局を仕掛けるようになったのだ。だが、この戦略を実行するには日本社会構造の研究が不可欠だが、アメリカにはそれが可能だった。
たとえば、日本研究家のジェラルド・カーティス(コロンビア大学教授)は、83年に『土建国家ニッポン 「世界の優等生」の強みと弱み』(光文社)という本を書いている。このように、アメリカは80年代からこれまで蓄積してきた米国内の日本研究の“成果”を利用し始めた。アメリカに対して日本の政治家の弱点は筒抜けだったのである。カーティスは歴代首相や有力政治家とも密接な関係にある。
(5月11日追記:カーティスは、朝日新聞のインタビューでは、検察の捜査の強引さを批判するインタビューに登場し、ロッキード検事の堀田力の「検察には説明責任は存在しない」という主張に一応反論した。だが、その後になって、やはり「小沢には説明責任が足りない」という批判の論陣を打ち出した。やはり、この人物は相当な「ウラ人間」である。カーティスは知日派だが、間違っても日本の「友人」ではない。カーティスの検察批判はただの“ポーズ”だろう。
ジェラルド・カーティスの批判は以下のようになっている。
「この事件の結果、民主党の支持率が下がり、小沢代表への批判も広がっているが、その結果責任を一番負うべきなのは小沢代表自身と民主党であって、この点ではマスコミを責める理由はないと思っている。一番の問題は、こういうことになってこういう風に対応しようとしている小沢代表に対して民主党が適切な行動をしていない、これが一番の問題であって、小沢代表がこういうことを言うのならそれでいいのだし、支持しますという民主党は、小沢党になってしまったという印象をすごく与える。党首を守るのではなくて、有権者の支持を得ることが党としてまずやるべきことであって、そういう意味では驚いているというか、民主党にとっては危機的状況であると考えている。」(平成21年4月24日(8:30〜9:20)政治資金問題第三者委員会ウェブサイトより http://www.dai3syaiinkai.com/panel_ex03.html)
そもそも、小沢が説明責任を果たしていないとあおったのはメディアと自民党であるし、カーティスはオバマ陣営の選挙アドバイザーだったにもかかわらず、オバマが個人献金に偽装された、PAC経由の選挙資金を受け取っていることを知っているくせに、それを言わない。政治団体(PAC)経由の政治献金はアメリカでは合法となっており、日本でも「違法性の意識」がなければ、違法ではない。要するに、一見、「ものわかりの良い知日派」の雰囲気を醸し出しながら、カーティスは、実際は政局情勢の「偵察」をしているだけだと私は判断している)
また、大手マスコミや官庁にはアメリカで研修を受けさせる制度がある。これによって、米財界は、研修生との情報交換を通じて日本のマスコミ・官庁に対する影響力を行使することができるようになった。
従来、「左翼的」だった「朝日新聞」が、今は新自由主義や構造改革路線を積極的に支持するようになったのは、アメリカ総局長を務めた人物も含めた現在の論説委員たちの影響が大きくなったことと無関係ではないだろう。
今回の小沢代表に対する強制捜査は典型的な「不祥事利用型戦略」である。仮に検察の勇み足であっても、民主党や小沢代表に与えるマイナスイメージはかなり大きい。強制捜査がなければ、総選挙では民主党政権が誕生しただろう。
気になるのは、この捜査が、小沢代表が「反米的な発言」を繰り返した直後に起きていることである。小沢は、元々1990年代前半には、ジェイ・ロックフェラー上院議員が認める次世代政治家だった。ジェイは、デイヴィッドと異なり、金融業界ではなく、実業界を背景にしている政治家だ。トヨタの工場をアメリカに相次いで誘致して、日米自動車摩擦の緩和に努めたことで知られる。
だが、それから10年して、小沢とジェイのパイプはどうも細っているようで、小沢に対しては、アメリカでの評判がよくない。小沢自身もアメリカに従属する日本から「まともな国」(ノーマル・カントリー)への脱皮を主張するようになった。その姿勢が最近の対米批判に現れている。
ヒラリー・クリントン国務長官が、初のアジア歴訪で日本を訪れる前後、小沢代表は、アメリカの外交戦略を痛烈に批判していた。その最たるものは2月24日の「駐留米軍は第七艦隊で十分」というアメリカの太平洋戦略の根幹を否定する発言だろう。訪日時のヒラリーとの会談も、渋々同意したという事情がある。「アフガニスタンでアメリカは絶対に勝てない」(2月16日)という発言もかなり過激だ。
<小沢に対する露骨な不快感を示したジョゼフ・ナイ>
小沢代表の外交政策を批判する声は、アメリカの外交関係者の間で党派を問わず浮上していた。テロ特措法延長問題に関してして、トマス・シーファー前駐日大使が不快感を示したことはよく知られている。また、クリントン政権高官だったジョゼフ・ナイ(ハーヴァード大学教授)もまた、前原誠司・民主党副代表に対して、昨年暮れの訪日時に「今の民主党の外交政策は反米行為だ」として影で圧力を加えていた。
ナイ教授は、小沢一郎の主張する「日米中正三角形論」(等距離外交)を何度となく批判し、「日米中の三極の関係は重要だが、それはあくまで日米安保を基軸とした二等辺三角形だ」と述べている。一連のナイ発言は、リチャード・アーミテージ元国務副長官と共同で対日政策論文を執筆した「知日派」(日本利用派)の言葉だけに無視できない。小沢はアメリカの「虎の尾」を踏んだといっても過言ではない。
ナイ教授は、小沢発言の前後、オバマ政権初の駐日大使の有力候補として名前が浮上した。しかし、「読売新聞」は、「オバマ氏の外交戦略全般に発言力を及ぼす立場」を希望しているとも報じている。
この「外交戦略全般」とは何を指すかというと、一つは、クリントン国務長官の外交基本方針である、「スマート・パワー戦略」の実行に関わる分野だろう。文化力や宣伝力などの「ソフト・パワー」と、軍事・諜報などの「ハード・パワー」の組み合わせが重要とする立場だが、別に目新しいものではない。
そして、もう一つは、ロックフェラーが設立した三極委員会での彼の立場である。ナイは元駐日大使だったトム・フォーリーに代わって、今年から同委員会の北米議長を務めている。同委員会はアメリカの基本戦略を長年規定してきた組織であり、駐日大使と兼務することは考えにくい。
ナイの提唱するスマート・パワーとは、一種の「搦(から)め手」を使った戦略である。このうち、ソフト・パワーにはメディア利用も含まれる。小沢氏に対するメディアの集中報道は、不思議なことに、この戦略に当てはまる
検察の捜査がどのような結末を迎えるかは予断を許さない。だが、いずれにせよ、ナイは、来る4月下旬には三極委員会の東京総会出席のため訪日する予定だ。仮にナイが駐日大使になるとするならば、これは大使就任前の「大掃除」とみることもできそうだ。(了)
(注:5月11日追記。ゴールデンウィーク前の「毎日新聞」の記事では、ジョゼフ・ナイが正式に駐日大使に就任することが固まったと報じた。
(貼り付け開始)
米駐日大使:ナイ氏就任へ…着任は夏ごろの見通し
(毎日新聞:2009年4月18日)
次期駐日米大使への就任が固まった元国防次官補でハーバード大学教授のジョセフ・ナイ氏 次期駐日米大使に元国防次官補でハーバード大学教授のジョセフ・ナイ氏(72)の就任が固まった。日本政府高官が17日、明らかにした。ナイ氏は日米同盟強化に取り組んできた知日派として知られ、オバマ政権の日本重視の姿勢が表れた人事といえる。着任は夏ごろになる見通し。
政府高官によると、1月のオバマ政権発足前に駐日大使の有力候補としてナイ氏が浮上したが、その後、複数の候補者との調整が進められていたという。
ナイ氏はクリントン政権で国防次官補を務め、冷戦後の日米安全保障体制を強化する「再定義」を推進。00年と07年の2回、アーミテージ元国務副長官(共和党)らと超党派で対日政策の包括的な戦略文書「アーミテージ・ナイ・リポート」をまとめ、安全保障面の役割分担を日本に促してきた。ナイ氏の駐日大使就任後はアフガニスタン政策などで一層の協力を求められそうだ。
(貼り付け終わり)
なお、先日の三極委員会の会場ホテル内では、ジョゼフ・ナイと朝日の船橋洋一が連れ立って親密に話し込みながら歩いていた。
その後ろからヘンリー・キッシンジャー、行天豊雄などの三極メンバーが歩いてきた。ゆえに、小沢失脚にはジョゼフ・ナイの意向が絡んでいるのは間違いないだろう。
この男の「ソフト・パワー」という戦略概念を日本人はまったく理解していない。ソフト・パワーとはプロパガンダのことである。軍事力じゃなければ「きれい」であるということではないのだ。帝国の属国支配には2種類の手段がある、ということにすぎない。「きたないもの」を、きれいなレトリックに包むのがソフト・パワーなのだ。
西松建設の問題は結局、二階俊博大臣への波及は無かった。これこそが、小沢秘書への捜査が、小沢民主党へのダメージを与えるための国策捜査だということを証明した。
そして、この朝日新聞の主筆・船橋洋一こそが、朝日新聞を駄目にした張本人だ、と私は思う。昔の朝日の左翼論調は、ある意味では単なる「笑い話」ですむところもあった。産経新聞と朝日新聞が保守と革新の論争をくりひろげていた時代は過去のものであり、今は、親米右派と親米左派の新聞が残っただけになった。朝日が親中なのは、今、アメリカが反中国ではないからである。
戦後、吉田茂元首相が、マッカーサーと、狸(たぬき)と鷹(たか)の化かし合いをやりながらアメリカに抵抗し、田中角栄がロッキード事件で中曽根康弘の変わりに失脚させられ、そしてついに角栄の弟子の小沢までもが失脚させられた。
民主党に残るのは、前原誠司・副代表のようなどうしようもない親米派で、最終的にはアメリカの言いなりになる、京都の保守派財界人の手先の男だけだ。一見、親米派にみえた、久間章生・元防衛大臣のような政治家は、全てを理解して、しかたなくアメリカの属国政治家を演じていた(確かに、防衛利権は支配し、分配していたようだが)。
鳩山兄弟も由起夫と邦夫はともに「友愛の精神」で結びついた仲であり、世界の権力構造を理解しているのだが、小沢ほどにはハラは座っていない。
いずれにせよ、最終的には選挙で決まる。小沢が5月のこの時期のタイミングで辞任を決断したことが吉とでるためには、総選挙で自民党を負けさせるしかない。そうして、、自民と公明がともにいったん下野して、まともな政治家だけが残って党をたてなおすだろう。新しい民主党政権も、前原のような政治家ばかりでは、いずれ有権者に愛想を尽かされる。
要するに必要なのは、吉田茂のようなハラ構えで現実的に政治をやっていく、政治家である。反米であれば良いわけではないが、今の民主党の親米派の政治家はなんだかんだ言ってアメリカを持ち上げる。「テロとの戦い」そのものに根拠がないと指摘するような、藤田幸久氏のような政治家は他にいない。
パキスタンのザルダリ大統領は、最近、「オサマ・ビン・ラディンはもう死んでいる」と公的な場で発言したという。オバマ大統領も、クリントン国務長官も、なぜアフガニスタンとパキスタンに兵力を派遣するのかという説明をせず、なし崩し的に核保有国であるパキスタンの安全を守るためにという理由で、パキスタンとアフガニスタンで空爆をし続け、民間人の犠牲を増やしている。オバマ政権はイスラエルの核保有について問題にし始めたが、本当に中東和平を公平な立場で解決するかどうかはまだわからない。
仮に民主党が政権を取ったら、その首相はアメリカの外交政策の誤りを徹底的に正すのは無理にしても、その政策に基づいたテロの脅威という「虚構」に基づく外交政策から一刻も早く脱却しなければならない。その上で、必要な国際貢献について考えるべきだろうと思う。
ジョゼフ・ナイ次期大使の「ソフト・パワー」に対抗できる、国民に真実を語りながらも、外交交渉では、のらりくらりと相手の要求を交わすことが出来る政治家が必要だ、ということだ。
確かに、アメリカには、アメリカの要求があり、国益がある。しかし、それに従う政治家や無批判なメディアはだめだ。毎日が、「ナイ氏の駐日大使就任後はアフガニスタン政策などで一層の協力を求められそうだ」と記事で書いているが、他のメディアはこれすらも配慮して書かないだろう。
下手に外交に「理念」や「価値観」を持ってくると、ネオコンのようにうまく利用されてしまう。重要なのは国家にとっては生き残りだ。現実的には日本はアメリカと、中国と、ロシアの間のバランスを取った外交をするしかない。
自分がまず戦場に出るとか、国際貢献で人を派遣しようというのはただの「お人好し外交」で、原理的には、国家の外交の目的は「一国生き残り(平和)主義」であるはずであるからだ。
(了)
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