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2009年5月11日 (月)
日経田勢康弘氏の読むに堪えない論説記事
産経、テレビ朝日の偏向がこれまで突出してきたが、小沢氏攻撃の異常さはすべての全国紙、全国放送に共通している。小沢氏の秘書が逮捕されたのは3月3日である。その後、この逮捕の不自然さ、不当性が証明されてきた。
秘書が逮捕されたとき、多くの検察関係者が、虚偽記載はあくまで「入り口」で、「収賄」や「あっせん利得」などの問題に発展しない限り、この時期の秘書逮捕を説明できないと明言した。
ところが、3月24日の起訴は「虚偽記載」だけを対象とするものだった。このことから、今回の捜査が「歴史的な痴犬地検の大失敗捜査」(郷原信郎元検事)と評価された。
まったく同じ事務処理をした自民党議員の資金管理団体には捜査が着手もされていない。自民党議員には「裏献金」や「職務権限とのつながり」など、より本質的で悪質な疑惑が渦巻いている。それにもかかわらず、「自民党議員には捜査が波及していない」のだ。
こうしたことから、今回の検察捜査が「政敵を追い落とすために検察権力が利用された卑劣な行為」=「政治謀略」であると判断されている。
客観的な事実は、今回の検察捜査の不当性、政治的偏りを明白に裏付けている。これまで小沢氏を支持してこなかった人々が、小沢代表の辞任を絶対に容認できないと主張する最大の理由は、今回の問題を判断する基準を、摘発事案そのものにではなく、摘発の背景と構造に置くからである。
刑事問題の摘発や処理が政治的に歪められ、政治的に利用されることは民主主義後進国ではよく見られることである。この意味での民主主義後進性が現代日本の最大の構造問題だ。
今回の小沢氏秘書の問題だけでなく、私が巻き込まれている悪質な冤罪事案も同じ範疇にくくることができる。警察や検察権力の運用に対する極めて深刻な不信感が問題の根に存在する。
政権交代を目前にしたタイミングで、政治権力が政権交代を阻止するために次期首相候補筆頭の野党党首を不正に警察、検察権力を利用して追い落とす行為が取られたとするなら、言うまでもなく重大な問題だ。
疑惑は単なる憶測の域を超えて、多くの有識者が一致して指摘する問題になっている。白川勝彦氏も、問題発生当初から一貫してこの問題意識に立つ見解を表明し続けてきた一人である。白川氏は自民党衆議院議員を務め、自治相、国家公安委員長という警察組織を統括する地位にあった人物である。弁護士でもあり警察、検察行政に精通する専門家の一人である。
白川氏や郷原氏などの専門家が、今回の摘発事案の重大性を厳しく追及しているのだ。ものごとに対する見解が全員で一致することはまれだから、今回の問題について、見解が分かれるのは当然だろう。
しかし、民主主義の根幹にかかわる重大な問題が存在する以上、この視点についての考察を欠いた論説は、論説としての基本を欠いていると言わざるを得ない。
「Aobadai Blog」様が指摘するように、日経新聞は昨日5月10日のテレビ朝日番組「サンデープロジェクト」での菅直人民主党代表代行の発言についても、真意を捻じ曲げた報道を示した。菅直人氏発言は、共同通信が報じたように、「小沢氏でないと政権交代できないじゃないかという国民もたくさんいる」との指摘に力点があった。
ところが、日経新聞は「即時辞任を促したとも取れる発言を示した」と報じた。「とも取れる」との言い回しを用いて、「誤報」としての訴えを回避する「さもしい」思惑を見て取れるが、発言の真意を捻じ曲げた悪質な「偏向報道」と言わざるを得ない。
マスメディアは政権交代阻止を至上課題とする「悪徳ペンタゴン」の一角を占めており、総力をあげて情報操作に取り組んでいるのだろう。しかし、世の中のすべてが、情報操作でコントールされるわけではない。
5月11日の日経新聞朝刊5面「核心」に、客員コラムニストの田勢康弘氏が「小沢代表で選挙へ?」と題する記事を寄稿した。
あまりにも稚拙な論理構成は、日経新聞の良識と水準を疑わせるに十分なものである。田勢氏は「公設第一秘書が逮捕されたケースでは、過去に議員自身が議員辞職するか離党するかというのが永田町のいわば常識だった」としたうえで、「これが検察による政治的意図を持った強制捜査であるかどうかと党首としての進退とは切り離して考えるべきものである」と主張する。
問題の核心についての論評が、長い論説記事のなかのわずか数行であるこの部分に集約されている。田勢氏はまったく論拠を示さずに、国策捜査であるかどうかに関わりなく小沢氏が辞任すべきなのだと結論する。問題の核心について全く考察しないこの論説記事に「核心」のタイトルが付せられているのは、紙面編集人によるいやがらせにしか見えない。
田勢氏は「「国策捜査」の勇ましい言葉を用いて政党全体で検察とことを構える形にしたのは利口なやり方ではなかった」、「どこまでも小沢氏個人の問題なのだ」と述べる。
田勢氏が権力に迎合し、ジャーナリズムに不可欠な「正義感」と、「悪に対して敢然と闘う闘争心」とまったく無縁の、目先の損得しか考えない「小利口な」小人であることが、文章全体からよく伝わってくる。
小沢氏が辞任すべきだとする田勢氏の最大の理由は、小沢氏秘書の公判が始まり、検察が「冒頭陳述」で、小沢氏に不利なことがらを述べることだとする。
田勢氏は裁判員制度開始に伴い、日経新聞が5月6日付朝刊13面に掲載した特集記事を知らないように見える。
日経新聞は特集記事左下欄に
「犯人視しない事件報道に 日本経済新聞社の指針」
と題する記事を掲載した。
記事に「公判の報道」の項目がある。以下に引用する。
「裁判報道では、公判が始まったばかりなのに、検察の冒頭陳述の内容を確定した事実のように表現することがあった。これからは検察の冒頭陳述や論告についても、検察側の主張であることを記事に盛り込み、弁護側の主張も可能な限り同等に扱って、対等報道を心がける。」
ここにも、日経新聞の腰の引けた姿勢が垣間見られる。
「弁護側の主張も可能な限り」、「心がける」と表現するところに、逃げ道が隠されている。
「弁護側の主張も同等に扱い、対等報道を行なう」とすればよいところ、上記表現を用いるところに、「建て前」と「本音」の使い分けが観察される。
それでも、国民が「国策捜査」であると強く疑っている今回の事件報道について、検察側の主張を一方的に行うことは許されない。弁護側は真っ向から「国策捜査」批判を展開するだろう。マスメディアが「対等報道」を行なうならば、小沢氏や民主党が一方的な批判にさらされることは考えられない。
むしろ、これまでの偏向報道の誤りを国民が気付くようになるかも知れない。もっとも、マスメディアがこれまで同様に、「偏向報道」を繰り返すなら、問題は是正されないが、それでも、これまでの状況が維持されるだけで、新規のマイナスは発生しない。
小沢氏秘書逮捕問題の核心は、「それが政治的意図をもった強制捜査であるかどうか」の一点に集約される。検察捜査が不当であることを否定できなくなった政治評論家は、問題の本筋で小沢氏を批判できなくなったことを映して、小沢氏の献金額の多さ、不動産所有を攻撃するが、この点について、小沢氏だけが批判されることの不当性はすでに明らかにされている。
小沢氏の政治資金収入総額は全国会議員第71位、企業献金額は第27位である。小沢氏を批判するなら、その前に多数の自民党議員を批判しなければ筋が通らない。
政権選択を国民が判断する総選挙の直前に、野党第一党党首が、不正に、政治目的で狙い撃ちされたのが今回の事件の本質であり、この本質を踏まえる限り、小沢氏辞任を容認することは絶対に容認できないとするのが、「正義を重んじ」、「悪に向かって敢然と闘う」スタンスをもつ識者の一致した見解なのである。
田勢氏の論評記事には、問題の核心を論じる視点が完全に欠落している。完全に「根なし草」の論評なのだ。
この程度の論評に大きな紙面を割かねばならないところに、日経新聞の論説機関としての弱体化が如実に示されている。
文藝評論家の山崎行太郎氏が、発行部数がいよいよ200万部を下回ろうとする産経新聞の窮状について、的確な論評を掲載されているが、マスメディアの堕落、凋落ぶりは目を覆うばかりである。その窮状を脱するために、権力迎合を強化しているのだとすれば、それは、言論機関としての自殺行為に等しい。
信用を一度失墜してしまえば、信用を取り戻すことは困難だ。
日本経済新聞はこの際、「日本迎合新聞」とか「自由民主新聞」などに、紙名を変更してはどうだろうか。その方が読者が納得して紙面を眺めることができるようになるだろう。
マスメディアの小沢氏辞任工作活動は今後も続く。総選挙での本格的政権交代を阻止するため、小沢氏の代表辞任を実現することが最重要の指令として交付されているのだろう。
明瞭にこの構造が見えている以上、政権交代を求める有権者は、体を張って、力を結集し、小沢氏代表続投を支援しなければならない。菅直人民主党代表代行による
「小沢氏でないと政権交代できないじゃないかという国民もたくさんいる」
発言が真実を端的に示している。
悪質、低劣なマスメディア報道を粉砕し、政権交代実現に向けて、心ある有権者がスクラムを組んでゆかねばならない。本日夜のテレビ朝日「TVタックル」も悪質・低劣番組の代表である。放送内容を厳しく監視しなければならない。
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