★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK62 > 794.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
どなんとぅ ぬ だぁ(http://donannto.air-nifty.com/blog/)
小沢代表の「自らの手による政権交代実現宣言」(4月21日・代表記者会見)を受けて、
民主党内から代表交代を求めることは
ルールすら無視した自殺行為である事ぐらい、
赤子にもわかる理屈であり、
従ってその日以降の「不協和音」を伝えるマスコミ情報は
すべてマスコミ自身の願望に基づくモノ、
あるいは攪乱を狙う敵権力の戦術的なモノと捉え、
個別に対する批判は封印してきました。
共同通信5月7日の報道、「小沢代表で戦えない」 前原氏ら会合、続投批判(http://www.47news.jp/CN/200905/CN2009050701001071.html)
いつ解散総選挙となってもおかしくないこの時点で、
このような報じ方をされることを承知の上で、
こんな会合を持ち、
こんな発言があったとすれば、
これはもはや「反乱」と呼ぶべきでしょう。
これ以上この集団の存在を許すことは、
民主党という政党の懐の広さを示すモノでは決してなく、
かえって、「政権交代」を目指すべき政党にあってはならぬ甘さであり、
切実な自らの思いを預けようとは決してできなくなります。
「政権交代」は、我等民衆の希求する切実な思いの象徴であり、
その椅子にしがみつきたい議員諸氏の思惑を満足させるためにあるスローガンではないのです。
みなさん。
みなさんの選挙区の議員あるいは候補者に、
これこれの政策を実現させてほしいとお願いしますか?
そして彼らはみなさんに、一票がほしいとお願いしますか?
実はそんな状態は民主主義と呼ぶことができない。
民主主義とはほど遠いものです。
代議制に名を借りた貴族政治とも呼ぶべきものなのです。
貴族制の選挙における一票は、
ソレを行使することにより政治上のあらゆる権利を全面的に委任したと見なされてしまいます。
そのことを、小泉9.11選挙とその後の3年あまりの自公のでたらめぶりで、私たちはイヤと言うほど思い知らされてきました。
民衆が主役たる政治=民主主義における一票は、
「委任」ではなく「契約」。
民衆の付託に対する違背があったなら
直ちに批判に晒される。
「契約を結ぶべき対象(候補)が不在の選挙区においては、
一票を投じるにたる候補者を用意せよと、
「政権維持を望む側」あるいは「政権交代を望む側」につきつける。
どなんとぅはこれまで一貫して、
「小沢代表を先頭にした、
民主党を中心とし協力政党が加わった形での政権交代」
を訴えてきました。
4月21日以前は兎も角
小沢代表の確固たる意志が明らかになって以来、
いわゆる「不協和音」に対する批判を極力封印してきました。
しかるに、
いよいよ常在戦場の一致した意識を持って闘いへと向かわねばならぬこの時期に、
徒党を組んで分裂行動を起こそうとする存在がある以上、
彼らの勘違いを徹底的にたださざるを得ないと判断しました。
民主党は
そのうったえる「政権交代」が
単に権力の移行を意味するものではなく、
真に民衆の意を体現した
革命的な大事業を行うものだと自負するならば、
民衆の負託に応え得ぬ者を
たとい300小選挙区中の1選挙区といえども
紛れ込ますことのない様に。
候補者の差し替えを含む
強い意志を、
闘う姿勢を示すべきであることを訴えます。
京都2区には村山 祥栄氏を!
東京6区には友党の保坂 展人氏の復活
あるいは民衆の声を体現しうる石井ターニャ氏 を!
さらに各選挙区において、
民衆が心から支持しうる候補の擁立を
即座に計るべきと訴えます。
もし万が一、
この候補差し替え、
あるいは複数選挙区における「政権交代派」候補の分裂により
当面の目標である「政権交代」がかなわなかったとしても、
地下のマグマのごとき
民衆の怒りを伴った意識の高まりを
絶望的に冷ますことになるナァナァの「政権交代」実現以上に
真の民主主義実現
平成維新の実現に
結果として近づくことになるでしょう。
我等民衆はこれ以上
「政治屋の裏切り」による絶望を味わう気はない。
主役は我等
高い意識を持った民衆の群れ
▲このページのTOPへ HOME > 政治・選挙・NHK62掲示板
フォローアップ: