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流動 2001:保守論客中西輝政の面目躍如
中西輝政氏は、元々はヨーロッパ文明史が専門であり、近年、国際政治構造分析にも研究の裾野を広げている。その関係で日本の政治についてもオピニオン雑誌への投稿が多い。最近は、田母神氏の援護論考でやや味噌をつけたが、今回の小沢代表秘書逮捕事件については、保守論客の第一人者といわれるだけあって明解な切り口の論考が投稿されていた。
「文芸春秋」5月号、「子供の政治が国を滅ぼす」、サブタイトルは「検察の暴走が招いた歴史の悲劇をくり返すな」となっている。先ずは、中西氏の今回の立場、主張を引用しておく。
『私は、個人的な正論ということでは、現在の日本で政権交代を望むものではないが、ことは、日本の民主政治に関わる国民的見地からの「公論」が求められる時だと思う。』(111頁)
中西氏は、現在の政治状況と昭和5年の浜口内閣のそれとの類似的現象を例にとり、与野党の政治スキャンダルは結局、『所詮、どの政党も同じだ』、『どっちもどっちだ』という政治に対する国民の不信しか生まなかった。そして、当時の状況に付け入ったのが「軍部」でありその後の展開は、国を滅ぼす方向でしかなかった、その根本的な要因は政党政治の崩壊にあったと指摘している。
さらにその崩壊を推し進めることになったのが、国民の「清潔」への要求、検察への期待が背景にあったと論じている。正に、状況、背景は今日の現状そのものである。小沢秘書事件に関して、検察ファッショ化論を危惧する論者は少なからずいた。今、特に植草一秀氏のブログ「知られざる真実」を始め、多くのブロッガーが検察の国策捜査批判を繰り広げている。なお、論点を明確にしておくが、植草一秀氏ならびに他のブロッガーは、3月3日の小沢秘書逮捕事件は、逮捕の正当性はない、与党政権による国策捜査で、小沢代表退陣を狙う卑劣な「政治謀略」だと主張している。
これに対して、中西氏は、『今回の小沢氏秘書の政治資金規正法違反事件に関していえば、この余りに劇的なタイミング、この政治状況で一挙に強制捜査に着手することが、広く国民の間に、検察に対し全くあらぬ疑念を招き(ネット空間で、東京地検特捜部がどう扱われているか、是非、一見すべきだ)、さらには議会政治全体にどのような結果をもたらすかという想像力が、あまりにも欠けていたのではないか、と言いたいのである。』(119頁)
『広く国民の間に、検察に対し全くあらぬ疑念を招き』とあるように、中西氏は国策捜査ではないと断じている。また、小沢代表の挑戦的記者会見にも言及していて、検察不信、政治不信を助長したと批判している。論客の面目躍如とする『国家としては大変不幸なことである。』という訳だ。つまり、『統治の責任を負う立場であれば、検察、裁判所、あるいは警察でも、その中枢を担う人間に、純粋な法理を超えた、国家全体を見据えた判断が要求されるのは、三権分立下の成熟した民主主義の鉄則といっていい。』(118頁)というのが中西氏の結論である。
要するに、タイトルにある、「子供の政治が国を滅ぼす・検察の暴走」ということになるのだ。常に指摘されることだが、官僚に限らず、細分化された高度社会機構においては、その細分化次元での領域、範疇での純粋判断が正確なピラミッドを美しくつくるという神話に飼いならされている全てである以上、全体の価値を見出す必要性はないと了解している。あるのは純粋判断に基づいて得られた結果だけであり、得られた結果はその判断とは別ものであっても不思議ではないと考えている。つまり、責任の範疇にないということだ。
日本の戦後近代主義は、世の中全てに「勘所」があるということを棚上げして高度経済成長に邁進してきた。そして、その為の高度な技術と学問を習得することが、豊かな社会、国を作ると信じて疑わずに己の力量を発揮、純粋判断に徹してきた。このへんで、一時停止経済成長を真摯に受け止めて、習得した技術と学問に加え、「勘所」というものを含ませないといつまで経っても同じ過ちをする、人間関係においても殺伐とした関係性しか生まない社会に埋没する。
中西氏は「子供の政治」と言うのであれば、大人は、「勘所を働かせ」という懐かしい言葉を教える必要がある。
http://style.twwwa.org/archives/51594847.html
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【ブログ、中西輝政】(馬鹿右翼ハゲタカ慎太郎を学者にしたのが中西ですが「学」の差が小沢事件の危険性を感じさせたようです) 小沢内閣待望論
http://www.asyura2.com/09/lunchbreak18/msg/638.html
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